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ミサンドリーとは?男性蔑視といわれるその意味や具体例、ミソジニーとの違いやその課題について徹底解説!

ミサンドリーとは何か?

ミサンドリーの基本的な定義

ミサンドリーという言葉は、ギリシャ語で“憎悪”(mísos)と“男”(andrós)を指す言葉からの造語だ。その名の通り、「男性」や「男らしさ」に対する嫌悪のことを指し、ジェンダーバイアスによって生まれる「男らしさ」への偏見として使われる言葉だ。日本語では「男性蔑視」「男性差別」などと訳される。

ではこの「男らしさ」とは何だろうか。例えば、「男ならしっかりしなさい」「男だから強くなりなさい」など、人によっては、「男だから」「男なら」という枕詞がついた言葉を見たり聞いたりした人もいるのではないだろうか。

本来、男女の差がないはずの事項について、「男なら〜」「女なら〜」と大きく分けて話すことは、ジェンダーバイアスを生む。実際の統計に基づいていないにも関わらず、「男は〇〇」と大きく性別で分けてイメージづけをしたり、そのような発言をしてしまうことで、ミサンドリーが生まれる。

男性嫌悪と女性嫌悪(ミソジニー)の比較

ミサンドリーの類義語に、ミソジニーという言葉がある。ミソジニーとは、ギリシャ語で“憎悪”(mísos)と“女”(gunḗ)を指す言葉からの造語で、女性や女らしさに対する嫌悪を指す。

ミサンドリーとミソジニーは、それぞれ男性と女性を指すため、対として捉えられることが多い。だが、言葉の知名度は、ミソジニーのほうが圧倒的に高いといえるだろう。Googleで検索してみても「ミソジニー」が194,000件ヒットするのに対して、「ミサンドリー」が30,900件と、その差は歴然だ。(※1)

これは、ミソジニーという言葉がフェミニズムの発展に伴って注目されてきたことに関係する。社会から抑圧されていた女性達が、その原因のひとつと捉えられる女性蔑視、つまりミソジニーの問題を指摘したのだ。

一方で、男性に対するミサンドリーは、これまでの歴史のなかで看過されてきた。

※1 参照:2024.1.5 Google検索結果

ミサンドリーとフェミニズム

ミサンドリーについて学術的に考察を行ってきたアメリカの学者ポール・ナサンソンとキャサリン・K・ヤングは、著書(※2)において、あらゆる女性差別からの解放を目的とした運動「フェミニズム」はミサンドリーを助長した可能性があると指摘する。フェミニストから生じる男性批判が、ミサンドリーに繋がっているという。

この問題を考えるにあたって注意したいのは、フェミニストが全員ミサンドリー的な視点を持っていると思い込んでしまうことだ。そもそもフェミニズムを通じて本来目指すのは男女平等な社会の実現であり、フェミニストが即ちミサンドリーであると決めつけることは偏見に繋がる。

前出したポールとキャサリンも、その問題を指摘したうえで、ミソジニーを無くすためには、男性と女性どちらの権利も平等に捉えられる社会の実現が必要不可欠だと述べている。

ミサンドリーとフェミニズムの問題は、複雑に絡み合っているため、ここで簡単に結論づけることはできない。しかしフェミニズムやマスキュリズムを主張する際には、ミソジニーやミサンドリーを招いてしまわないよう、ダブルスタンダードの可能性に留意しておく必要がある。

例えば、ある女性の性被害告発から、同じように性被害を受けた人たちが次々とSNSでカミングアウトし大きな動きとなった「#MeToo運動」。最初に声を上げた女性が男性から被害を受けていたことから、ニュース等では男性からの性被害に対するフェミニズムだと捉えられることが多かった。しかし一方で、その告発のなかには男性が被害を受けているものや、同性から被害を受けたという告発もあったという。本来は性別関係なく全ての被害者に対して行われるべき運動であるが、1つの側面だけを見ることで、偏った視点になりかねない。

※2 参考:ポール・ナサンソン、キャサリン・K・ヤング著『広がるミサンドリー:ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別』(彩流社、2016年)
ポール・ナサンソン、キャサリン・K・ヤング著『法制度における男性差別:合法化されるミサンドリー』(作品社、2020年)

ミサンドリーの原因

ミサンドリーをもたらす原因は、メディアだけでなく教育、法律にまで広く存在している。

あるテレビ番組の公式YouTubeでは「男ってほんとバカだなと思った事」というテーマのもと、様々なエピソードが投稿されている。いち個人の体験談であるはずのエピソードを、「男」という大きな括りで語ることは、「男」全体がそうなのだという印象を植え付け、ミサンドリーを生みかねない。

また、教育・しつけの一貫として男の子を怒るとき「男だから我慢しなさい!」「男はやんちゃだからしょうがない」などと決めつけて話すことも、ミサンドリーに繋がる。

法の場においても、親権を巡ってミサンドリーが存在した事例がある。離婚した夫婦が子どもの親権について話すとき、男性の権利が軽視されやすいそうだ。ある統計によると、父親が親権を獲得し子どもと同居できるのは10%以下だという。(※4)

このように、日常的に潜んでいるジェンダーバイアスを人々が浴び続けた結果、ミサンドリーが生まれる。ミサンドリーではないと思っていたことが、アンコンシャスバイアスによって、知らず知らずのうちに偏見となっていたり、人を傷つけてしまったりする恐れもある。

※4 参考:ポール・ナサンソン、キャサリン・K・ヤング著『法制度における男性差別 合法化されるミサンドリー』(作品社、2020年)訳者 久米泰介によるあとがき部分参照(p.484)

ミサンドリーの具体例と心理

これまで述べてきたように、それぞれに自覚がなくても、環境によって、ミサンドリーに陥りやすい価値観が育つケースは多い。

例えば、ドメスティック・バイオレンス(以下DV)という言葉を聞いて、想像するのはどのようなシーンだろうか。DVとは、親密な関係にある相手から暴力を振るわれること。2001年にDV防止法(正式名称は「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」)が制定され、ユーキャン 新語・流行語大賞にノミネートされたことで認知度を高めた。ノミネートされた当時「ドメスティック・バイオレンス」という言葉は、“男性から女性に対する暴力”として定義づけられていた。(※5)

TBS系ドラマ『ラスト・フレンズ(2008)』では、長澤まさみ演じる妻に対し、DVを振るう夫を錦戸亮が演じ話題となった。最近でも、東京テレビ系ドラマ『夫を社会的に抹殺する5つの方法(2023)』において、主演・馬場ふみかが、夫役の野村周平にDVを受ける様子が描写されている。

こうしたメディアにおける印象からも、ドメスティック・バイオレンスをするのは男性というイメージがある人もいるのではないだろうか。しかしDVは、男女ともに被害者にも加害者にもなる可能性がある。実際に、2020年の内閣府の調査によると、婚姻関係にある男女において、女性の約4人に1人、男性の約5人に1人が、配偶者から暴力を受けたと報告されている。(※6)

個々人に依拠するはずの問題を、性別全体の特徴として捉えてしまうことは、ミサンドリーに繋がる。偏ったメディアイメージにばかり触れていると、まるでその性別を持つ人全体がそうであると思い込み、嫌悪感を抱いてしまう人も現れるだろう。

誰かから直接的にミサンドリーと思える扱いを受けていなかったとしても、そう感じるような社会の風潮があることで、傷ついてしまう人もいることを忘れてはならない。

ある記事では、とある男性の事例を取り上げている。自分の姉が親戚の男性から性暴力を受けた経験に強いショックを受け、自分にもその加害者性があるのではないかと怯え悩まされたという。(※7)自分にその可能性がなかったとしても、加害者と同じジェンダーだということで、ミサンドリーに苦しめられる男性もいる。

※5 参照:「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン新語・流行語大賞
https://www.jiyu.co.jp/singo/index.php?eid=00018
※6 参照:内閣府男女共同参画局 配偶者からの被害経験(令和2(2020)年度)https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo05-01.html
※7 参照:FRaU『恋心すらセクハラ…若い男性が抱える「新しい生きづらさ」』
https://gendai.media/articles/-/74555?imp=0

現代社会におけるミサンドリー

ソーシャルメディアとインターネットの影響

ソーシャルメディアやインターネットの発展に伴い、個々人が際限なく自由に発信する機会が増えた。それにより、偏った意見をそのまま発信したり受け取ったりする可能性がある。ひとたび差別的な情報にアクセスしてしまうと、似通った意見や情報が集まり、フィルターバブルに陥りやすい。

しかし同時に、漫画などでジェンダーについて知ることのできるアカウントも存在し、気軽に知りたい情報にアクセスできるようになったという利点もある。「Palettalk パレットーク」というアカウントでは、ジェンダーやセクシュアリティに関連する体験談を漫画にして投稿しており、フォローすると定期的に知る機会を得られる。

 

ミサンドリーへの対策

ミサンドリーへの対策としては、1人ひとりがミサンドリーに繋がる表現を使わないことを意識し、そしてミサンドリーだと思うものがあれば指摘することが大事だ。そのためにも、よりミサンドリーや、ジェンダーバイアスについて理解を深めていくことが必要である。現在では、ミサンドリーやそれに繋がる意識について知るための本が多く出版されており、そのなかには学術書よりも読みやすいエッセイ形式のものなども多数ある。

太田啓子氏による『これからの男の子たちへ:男らしさから自由になるためのレッスン』(2020年、大月書店)もそのうちの1つだ。この本は主に幼少期から青年期の男性とその家族に向け、男らしさから自由になるための指南書という程をとっているが、そうではない人達にとってもジェンダーバイアスへの気づきを与えてくれる。

2児の母である著者の太田氏は、日々子ども達と過ごすなかで、気になる表現を見つけたらすぐに訂正していると話す。例えばアニメ『鬼滅の刃』において「男に生まれたなら、苦しみに耐えろ」というセリフが出てくる。太田氏はこれについて「男だから」耐えなければならない訳ではないと指摘し、息子たちにもその疑問を投げかけるという。(※8)

※8 参照:太田啓子著『これからの男の子たちへ:男らしさから自由になるためのレッスン』(大月書店・2020年)p.237

まとめ

これまで述べてきたように、自覚の有無に関わらず、社会にはミサンドリーに繋がる表現が多く存在している。つい会話の中で使ってしまいがちだが、その先にある自分が被害者にも加害者にも成りうるという可能性を、個々人が意識することが大切だろう。

 

文:橘くるみ
編集:吉岡葵