ミソジニーとは?
ミソジニー(Misogyny)、という言葉をご存じだろうか。一般的には、女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視を指す言葉と定義される。男性から女性に対してミソジニーが向けられる際は、根底に「自身は男性である故、女性よりも上位にいる」というような心理が働いていることが多い。「女性らしい」と定義されるものを体現する女性に対し、同性である女性が嫌悪を向ける場面や、フェミニズムに関心のある男性を同性である男性が批判する場面など、ミソジニーが見られる機会は多岐に渡る。(※1)だが、いずれの場合においても、根底には「家父長制」という考え方が何らかの形で影響を与えていると言える。では、この「家父長制」とはいったいどのような事象なのだろうか。
家父長制とは
家父長制とは、一家の長(おさ)である男性が、家族に対して絶対的な支配権を持つ社会制度を指し、元々古代ローマの家族構成がその典型と言われている。(※2)(※3)日本でも、江戸時代の家制度の影響から男性が長(おさ)として権力を持つ構造がある。(※4)日本国憲法で女性の参政権が明確に認められ、婚姻についても「夫婦が同等の権利を有することを基本として」と定義されたが、現代も家父長制の名残はあると言える。
また、現代においては社会の支配構造の型として用いられることもあり、コーネル大学哲学科准教授で倫理・社会・フェミニズム哲学を専門とするケイト・マンが“ミソジニーの研究書”として記した『ひれふせ、女たち』(2019・慶應義塾大学出版会)によると、家父長制とは宗教や時代によってさまざまに異なった制度であるものの、「女性という女性、またはほとんどの女性を、その内部の特定の男性あるいは男性たちとの関係において隷属的な立場に置く」ような制度だという。ケイト・マンの定義を活用すると、家父長制から逸脱する女性を糾弾する際に生まれるのがミソジニー、ということである。(※5)
ミソジニストとは
ミソジニストとはミソジニーを体現する者、つまり女性や女らしさに対して嫌悪感を抱く者を指す。
ミソジニストとセクシストの違い
セクシスト(sexsist)とは、性差別主義者を指す。ミソジニーとの違いとして、ミソジニーは女性より男性が優位であるという家父長制を崩そうとする女性を「悪い女」とし、糾弾する際にしばしば用いられる。
一方セクシストは、女性より男性が優位であるというジェンダーヒエラルキーを正当化するため用いられるものである。(※6)セクシストの種類は、主に以下4つに分けられる。
・慈善的であるセクシスト
女性らしさや女性であることを肯定するが、その考えに基づき女性の行動規範や言動を制限しようとする者を指す。
例:医師・役員・マネジメント職など判断が求められる立場を志す者に、女性であることを理由に、アシスタント業務に就くことを勧める
・敵対的であるセクシスト
女性らしさや女性であることを敵対視する者を指す。
例:性的暴行の被害を受ける女性のなかに、そうされることを望んで女性らしい服装や言動をする者がいる、と信じる
・慈善的であり、敵対的でもあるセクシスト
女性らしさや女性である者を信奉しつつ、その規範から少しでも外れると糾弾したり危害を加えようとする者を指す。
例:女性を「性的な魅力がある」という理由で採用するが、その人が性的誘いに応じない場合は、不当な理由で解雇する
・内面的なセクシスト
主に女性で、性差別を内在化し、自身や周囲の女性性の捉え方にバイアスがかかっている者を指す。潜在的な部分が大きく、性差別の議論に巻き込まれた場合などに露呈する。
例:男性の目から、自身がどれだけ女性として魅力を感じるかで自尊心を定める
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※1 参考:講談社「現代を取り巻く「ポピュラー・ミソジニー」とは何か? その考え方が教えてくれること」
https://gendai.media/articles/-/95817?page=3
※2 参考:学研キッズネット「家父長制家族」
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary02100787/
※3 参考:HISTORIST Powered by 山川出版社「家父長制」
http://www.historist.jp/word_w_ka/entry/041493/
※4 補足:日本における家制度について、長は男性だけでなく女性も就くことがあった。
※5 参考・引用:ケイト・マン著 小川 芳範訳『ひれふせ、女たち』(2019年、慶応義塾大学出版会)p.103~p.104
※6 参考:Heather Savigny「Sexism and Misogyny」
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/9781119429128.iegmc092
ミソジニーが発生する原因
ミソジニーが発生する原因について一概には言えないものの、大体は生い立ち、経験、社会的影響、文化的規範によって発生していくものである。
ミソジニーの見分け方
ミソジニーはあからさまな行動や態度を起こす場合もあれば、潜在的な場合もある。その中でも、主たる兆候として以下が挙げられる。
- 女性らしいか否かで、女性を評価する
- プライベートな場面では女性らしさを糾弾する一方で、大衆の前ではフェミニストであることを宣言したり、ミソジニーという疑念を持たせない行動をとる
- 家父長制など、厳格で伝統的なジェンダーの役割へ強い信念を持っている
- 女性の時間や努力を尊重しない(※7)
- 差別や性差別を糾弾する女性を罰する
※7 参考:Lynn Smith-Lovin and Charles Brody「Interruptions in Group Discussions: The Effects of Gender and Group Composition」
https://www.jstor.org/stable/2095614?read-now=1&seq=1#page_scan_tab_contents
ミソジニーのネガティブな影響
ミソジニーのネガティブな影響として挙げられるのは、不特定多数の「女性」を嫌悪の対象とすることによる、無差別な加害や誹謗中傷ではないだろうか。一例として、2021年8月に起きた小田急刺傷事件では、20代の女子学生が中心に被害を受けた。加害者は犯行動機として「勝ち組と思われる女性を見ると、殺したくなった」と述べ、その背景にミソジニー的な価値観=女性嫌悪をうかがわせた。(※8)また、SNSで見られる「○○な女性がダメだ」や「女性だから○○をするな~」等、「女性」という大きな括りに対する誹謗中傷も、無差別的・半永久的に女性を傷つけ続ける、ミソジニーのネガティブな影響だと言える。他にも、家庭内や職場、アカデミックや政治分野においても、ミソジニーによって女性が加害されている現状がある。
※8 参考:AERAdot.「「勝ち組女性」を狙った小田急刺傷事件 韓国ミソジニー殺人と酷似 上野千鶴子氏が分析」
https://dot.asahi.com/dot/2021081300043.html
ミソジニーによる個人への影響
ミソジニーは、個々の女性に対して直接的な悪影響を及ぼす可能性がある。これは、一般的に自尊心の低下、不安、うつ病、トラウマ、そして身体的健康問題といった形で表れる。
まず、自尊心の低下について。ミソジニーは、女性の尊厳を侵害し、それによって自尊心を低下させる。これは、女性が自己価値を認識する能力を阻害し、それによって自己否定的な考えや行動につながる可能性がある。特に、職場のミソジニーの影響は顕著で、女性が自分の職業的成果を過小評価する傾向があるだろう。
次に、精神的健康への影響だ。ミソジニーは、一般的に不安やうつ病を引き起こす可能性がある。これは、女性であることを理由に常に周りから評価を下されたり否定的な判断をされたりすること恐れなければならないストレスによる。また、ミソジニーはPTSDなどのトラウマ関連の状態を引き起こす可能性もある。これは特に、性的暴力や虐待といった極端な形態のミソジニーに該当する。
最後に、身体的健康にも影響がある。ストレスは身体的健康に悪影響を及ぼすことが知られており、長期的なミソジニーによるストレスは免疫系の機能を低下させ、疾病に対する感染リスクを増加させる。さらに、一部の研究では、性的ハラスメントや性暴力の被害者は、長期的な身体的健康問題を経験する可能性が高いと示されている。
以上のように、ミソジニーは個人的な影響を及ぼし、それは心理的、感情的、そして身体的な健康を損なう可能性がある。これらの影響は、時には個々の経験を超えて、社会全体の女性の地位や女性の権利を低下させることが懸念される。
ミソジニーによる社会全体への影響
ミソジニーの影響は個々の女性だけでなく、社会全体にも及ぶ。女性に対する偏見と侮辱は、社会全体の規範や価値観を歪め、公平で包括的な社会を作り出す努力を妨げる。
まず、ミソジニーは教育や職場での女性の機会を制限すると考えられている。学校での性別に基づくハラスメントは、女性が学ぶ意欲や能力を妨げ、教育の機会を奪うかもしれない。職場では、ミソジニーは女性が昇進や高い地位を得ることを妨げ、結果として経済的な機会を制限することになるだろう。
また、ミソジニーは社会の公平さと平等性を損なう可能性がある。女性が不当に否定的に描写され、または価値が過小評価されると、女性か社会に深く関わり、その才能を活かすことができなくなる。社会の多様性を損ない、公正な表現や参加の機会を阻害することに繋がりかねない。
最後に、ミソジニーは男性にも影響を及ぼす。男性は、女性に対する否定的な態度や行動を学び、それを続けることが期待される。このような性別の役割は、男性が自身の感情を適切に表現する能力を阻害し、健康的な人間関係を築くことを困難にする。
したがって、ミソジニーは社会全体に深刻な影響を及ぼし、教育、雇用、公平性、人間関係、暴力のレベルなど、様々な分野において問題を引き起こす可能性がある。これらの問題を解決するためには、ミソジニーを認識し、それに対抗するための努力が必要だ。
女性差別のない社会に向けた対処法とは?
先に述べたように、ミソジニーが発生する原因は、生い立ちや経験などの内的要因や、社会的影響や文化的規範といった外的要因など、さまざまである。ここでは、ミソジニーを未然に防ぐべく、私たちの身近にある取り組みや、自分たちから取り組めることを紹介する。
差別に対する明確な方針を持つ
ミソジニーは特に不特定多数の女性に向けられる嫌悪だからこそ、女性にとって、避けようがない。にも関わらず、ハラスメントが明るみになった際には「女性が自衛すべき」という意見が一定数見られるのが現状だ。この考え自体もミソジニー的だと言えるだろう。そのため、会社などのコミュニティや社会全体で、性別による差別を許さないという明確な姿勢を定めておくことが重要だろう。アメリカ・カリフォルニア州では、州法において性別による雇用差別の禁止を明確に規定している。(※9)違法行為とみなされた場合に賠償命令が下されるなど明確な方針を定めることで、性差別の抑制に繋がっている。
ジェンダーバイアスの是正
ミソジニーの背景の1つに社会的要因がある。「女らしさ」や「男らしさ」といったジェンダーにまつわる固定観念=ジェンダーバイアスがかかったつくりの社会を変えていくことで、ミソジニーが生まれることを未然に防げる可能性があるだろう。
アメリカ・ニューヨーク州では、2019年に男性トイレにおむつ交換台を設置することが義務付けられた。元々は男性の育児推進の一環としての取り組みだが、子育ては女性のものだというジェンダーバイアスを変化させるものとして機能している。(※10)また、イギリスでは2019年に、広告における有害なジェンダーステレオタイプの表現を禁止すべく、制限を含んだ広告ガイドラインを策定した。このガイドラインにより、男性のステレオタイプの性格 (大胆さ等)と女性のステレオタイプの性格 (思いやり等)の対比を強調するものなどが禁止された。(※11)広告は人の欲望を喚起するものであるが、ステレオタイプを悪用した表現を排除することで、私たちのなかの固定観念を溶かすだけでなく、再生産しない方向に改善されるのではないだろうか。
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成長期にジェンダーバイアスについて考える
性差別は、成長期における「男性だから」「女性だから」という社会的刷り込みが原因となる場合も大きいという。(※12)そのなかで、学校授業を通してジェンダーバイアスを問い直す取り組みが福岡県嘉麻市で行われている。そこでは、男女比の偏りの大きい職業(キャビンアテンダントや大工等)を記したカードを配り、直観で男女どちらが就くか・どちらがしてもよいかに分け、その結果についてみんなで話しあいが行われていた。この体験を通して、子どもたちは仕事に性差別があるべきではないということを学び、ジェンダー平等の意識が浸透するのだという。(※13)
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※9 参考:Civil Rihts Department「Employment Discrimination」https://calcivilrights.ca.gov/employment/#whoBody
※10 参考:CNN.co.jp「公共の男性トイレにおむつ交換台を義務化、米NY州」https://www.cnn.co.jp/amp/article/35130873.html
※11 参考:ASA and CAP News「Harmful Gender Stereotypes in Ads to be Banned」
https://www.asa.org.uk/news/harmful-gender-stereotypes-in-ads-to-be-banned.html
※12 参考:太田啓子『これからの男の子たちへ』(2020年、大月書店)p.16
※13 参考:NHK「Vol.25 この仕事は男性?女性?ジェンダー・バイアスを考える授業」https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0029/topic025.html
ミソジニーとメディア - ステレオタイプの強化
メディアは、我々が自分自身と他者について理解するための重要な手段だ。しかし、メディアが女性について伝えるメッセージは、しばしばミソジニーの要素を含むことがある。
ミソジニーは、テレビ番組、映画、音楽、ゲーム、インターネットなど、さまざまなメディア形式で表現される。特に、女性キャラクターが表面的な属性(外見やセクシャルな魅力)で評価される場合や、女性が男性に対して従属的な役割に配置される場合など、往々にして女性のステレオタイプを強化する。これらの表現は、女性を一次的、限定的な角度からしか見ない、偏った見方を促す。
さらに、メディアはしばしば、女性に対する暴力や性的な物体化を含むミソジニー的な表現を利用する。これは視聴者に対して、女性への侮辱や暴力が受け入れられる行動であるというメッセージを送る可能性がある。
このような表現は、視聴者の認知や態度、行動に影響を及ぼし、現実世界での女性蔑視を助長する可能性がある。したがって、メディアにおけるミソジニーの問題に対処することは、ジェンダー平等を促進する上で重要な課題だと考えられる。
メディアにおけるミソジニーの問題に対処するためには、メディア製作者や視聴者がこの問題について意識を持つことが不可欠である。メディアの表現に対する批評的な視点を養うことで、視聴者はミソジニー的なメッセージを認識し、その効果を軽減することが可能だ。さらに、メディア製作者自身が女性の多様性を尊重し、平等な描写を推進することにより、ミソジニーを深化させるのではなく、それに対抗する力となる可能性がある。
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まとめ
職場や交友関係など私たちの身近なところに潜むジェンダーバイアスや、自分自身が無意識に持つ「こうでなくてはいけない・こうなってはいけない」といった固定概念は、人びとに生きづらさを感じさせる。また小田急殺傷事件のように、ミソジニーはときに無差別で凄惨な事件に繋がることもある、危険性をはらむ考え方だ。この課題にはジェンダー問わず立ち向かわねばならない。性別ではなく、価値観など“自分”で選択したものでカテゴライズされる現代において、ミソジニーを生まない努力は、社会を前進させる大きな原動力となりうるだろう。
文:玉城れい
編集:尾崎はな