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ダブルスタンダードとは?その定義や社会への影響、具体的な例を解説

ダブルスタンダードとは?その定義や社会への影響、具体的な例を解説

ダブルスタンダード(二重基準)とは

ダブルスタンダード(double standard)は、文字通り「2つの標準(スタンダード)」の存在を指す言葉だ。具体的には相反する2つの基準を状況や相手によって使い分けることを意味する。

ダブルスタンダードの定義

日本語でダブルスタンダードは、「二重基準」「二重規範」などと訳される。本来、基準や規範は状況や対象者に関わらず等しく適用されるべきである。しかし、ダブルスタンダードでは、状況や対象者によって、基準を使い分ける。1つであるべき基準が、使用者によって二重に使い分けられることからダブルスタンダード(二重基準)という名称が使用されている。

ダブルスタンダードの歴史と概念

The Phrase Finderによると、ダブルスタンダード という概念は、18世紀に女性に対する不公平な扱いを言及するときに使われたのが起源と言われている。そして、一般的にダブルスタンダード という言葉が使われたのは1930年代のアメリカであったとされている。(※1)

また、元法政大学教養学部教授 野村一夫氏のダブルスタンダードに関する論文においては、ダブルスタンダードの概念や事例、社会学的展開を見ることができる。

この論文において、アメリカの著名な社会学者であるロバート・K・マートンの「予言の自己成就」という論文を例に出しながら、マートンが「内集団の美徳と外集団の悪徳」を提唱したことに言及する。また、野村は社会科学の父と言えるドイツの社会学者マックス・ウェーバーが「対内道徳と対外道徳の二元論」を提唱したことにも触れている。(※2)

マートンとウェーバーが提唱した概念は、現代において「ダブルスタンダード」と呼ばれる概念である。近年では、「ダブスタ」といったようにネットスラングで使われるこの言葉は、現代社会で生まれた概念ではなく歴史的に検討を重ねられてきた概念である。

※1 参考:The Phrase Finder「Double standard」
https://www.phrases.org.uk/meanings/double-standard.html

※2 参考:野村 一夫「ダブルスタンダードの理論のために」
https://core.ac.uk/download/pdf/223191661.pdf

類語・言い換え

ダブルスタンダードには、前述したマートンやウェーバーの定義のように、さまざまな表現方法が存在している。上記の例は学問的な類語であったが、私たちの生活でよく耳にするような身近な言い換え表現もある。

例えば、「他人に厳しく自分に甘い」という表現はダブルスタンダードを言い換えた典型的な例と言えるだろう。ダイエット中だからお菓子を食べないというルールを決めていたとしよう。我慢ができずお菓子を食べてしまったとき「今週は頑張ったからご褒美として1つは許そう」となるにも関わらず、テレビのダイエット特集などでこっそりお菓子を食べてしまった人を見たときに「だから痩せないんだ」「こっそりお菓子を食べてしまうなんて自分に甘い」などと感じたことはないだろうか。この現象は身近に存在しているダブルスタンダードの例と言うことができ、「他人に厳しく自分に甘い」と表現されることもある。

この他にも「矛盾したことや嘘をいう」という「二枚舌」や、「2つの相反するどちらも証明可能であるパラドックス」を指す「二律背反」といった単語もダブルスタンダード と類似する単語である

世界の例を見てみると、韓国には「ネロナムブル(내로남불)」という言葉がある。意味は「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」といったものだ。身内に甘く、他人には厳しい状況を揶揄(やゆ)する言葉として誕生した。この言葉も、ダブルスタンダードの類語と考えて差し支えないだろう。

対義語

ダブルスタンダードの対義語としては、インテグリティ(integrity)が挙げられる場合が多い。「誠実」や「高潔」「真摯(しんし)」などを表す言葉だ。また「首尾一貫」もダブルスタンダードの反対側に位置する言葉として考えることができるだろう。

首尾一貫とは

「最初から最後まで、一つの方針や態度で貫かれていること」

(※3)

を意味する。1つの基準に対して、誰かには適用して誰かにはしない、誰かがやったら正義で誰かがやったら悪のようなダブルスタンダードの概念とは異なる考え方である。しかし、最初からダブルスタンダードがまかり通っており、それが最後まで適用されることもあるため、留意は必要だ。

※3 引用:goo辞書「首尾一貫の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典」https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%A6%96%E5%B0%BE%E4%B8%80%E8%B2%AB/

ダブルスタンダードの具体的な例

ダブルスタンダードはあらゆる現象と関連しており、社会生活のあちらこちらに散りばめられている。それでは、具体的にはどのような場面でダブルスタンダードが存在しているだろうか。

社会生活におけるダブルスタンダード

以前、ある総理大臣がコンビニエンスストアでアイスクリームを食べている姿を収めた写真が話題になった。政治家という公的な立場で忙しい日々を送りながら、ビシッと決めたスーツでコンビニという手軽な場所で休憩をとっているその写真には、「珍しくて微笑ましい」などといったコメントが多く見られた。

一方、救急隊員や消防隊員、警察官がコンビニで買い物をしていると「税金でご飯を食べているのにサボるな」「公的な仕事をする人間が制服のままコンビニに立ち寄るな」といったコメントが噴出する。

政治家も救急隊員も公的な仕事をし、どちらも正装をしてコンビニに行ったという点は全く変わらないにも関わらず、その対象者によって社会の反応が大きく異なる。この人ならよくて、この人はよくないといった考え方、そしてその表出は、社会生活におけるダブルスタンダードと言える。

政治におけるダブルスタンダード

ここで、政治におけるダブルスタンダード についても考えてみる。

元法政大学教授の野村氏の論文によると、永住在日外国人に対して税金は平等に取りながら政治的な権利や福祉的な配慮を与えないといったことは日本政府によるダブルスタンダード と言える。(※4)

また、平和を追求するために主張をする必要があるとしながらも、平和を求めるデモや集会に否定的な態度を示す政治家の行動もダブルスタンダードの例と言えるのではないか。原発の海洋水排出の問題も、国が海洋水を放出することで生じるであろう風評被害があるにも関わらず、日本の魚は安全だとわざわざアピールしなければいけない状態になっていることもダブルスタンダードの例ではないか。

国民の信頼を得た上で行われるのが政治の基本であるにも関わらず、その基本を無視し新しい基準を設定し国民を惑わせるといった行為はダブルスタンダードの乱用と言わざるを得ない。

※4 参考:野村 一夫「ダブルスタンダードの理論のために」
https://core.ac.uk/download/pdf/223191661.pdf

政治におけるダブルスタンダード

企業におけるダブルスタンダード

企業におけるダブルスタンダードも考えてみる。

例えば、正社員と非正規雇用者の場合を考えてみよう。「会社のためにみんなで力を合わせて頑張ろう」という企業目標に対して、正社員も非正規雇用者も同じように努力したとする。しかし、企業の業績が上がらなかった場合、非正規雇用者は契約を解除されてしまうことも考えられる。

雇用形態が違うから、と言われればそれまでであるものの、始まるときは正社員と同様の努力を要求し、さも「みんな」の一員であるかのように扱っている関わらず、最後は「非正規」であるという理由で簡単に職を失ってしまう。同じような基準があるかのように振舞いながらも、結果としては全く違う基準を適用している、これもダブルスタンダードの一例と言えるだろう。

企業によるダブルスタンダードは労働組合によって乗り越えられる事例も発生している。

最近では、千歳相互観光バスで働く従業員らが24時間ストライキを行い、不正整備の見直しや賃上げなどを求めた。ストライキの結果、同バス会社では4年ぶりのボーナスが正社員及び非正社員にも同様に支払われることとなった。(※5)

非正規雇用の問題は日本社会でも根深い問題だが、正社員と非正社員におけるダブルスタンダードは「契約の問題だから」と見過ごされてしまう場合が多い。しかし、労働組合の活躍や企業によってはそのダブルスタンダードを乗り越える取り組みを行なっていることがわかる。

※5 参考:朝日新聞デジタル「スト実施のバス会社、非正社員にも夏賞与 『同じ仲間』労組の要求で」
https://www.asahi.com/articles/ASR8264W4R82IIPE003.html?iref=pc_ss_date_article

ジェンダーとダブルスタンダード

ジェンダーとダブルスタンダード

前述の野村氏(元法政大学教授)は、日本においてダブルスタンダードの問題が最初に提起されたのはフェミニズム論であったと述べる。フェミニズム論においては、男性に適用される道徳基準が女性には逆に作用するという現実が指摘されてきたという記述も見られる。(※6)

この記述からもわかるように、ジェンダーとダブルスタンダードは切り離せない問題である。例えば、家庭をもつ男女の場合を考えてみる。会社やクライアントから急な呼び出しがあったとき、男性が真っ先に駆けつければ「対応力がある人」「すぐ駆けつけてくれる社員」という印象が与えられることに対して、女性には「家庭より仕事が優先のキャリアウーマン」などといった非常に時代遅れのレッテルが貼られることがある。男性女性ともに同じ対応をしているのにも関わらず、性別が異なるだけで、その評価は全く異なるのだ。

詳しく見ていくと、褒め言葉のように使われる「キャリアウーマン」という言葉は、仕事ができるのは基本的には男性であるという考え方からきたと言える。仕事ができる男性に対して「キャリアマン」を使わないことから、読み取ることができるだろう。同様に仕事ができたとしても、男性は純粋に「優秀」と評価されるのに対して、女性には「家庭よりも仕事を優先するキャリアウーマン」という評価がされ、家庭と仕事が引き合いに出される点を考えると、家事をはじめとする家庭に関わることは女性がやるべきという固定観念が存在する。この異なる反応と評価は、典型的なダブルスタンダードと言える。

また、日本オリンピック委員会はスポーツにおけるダブルスタンダードの例を研究者の結果を引用しながら紹介している。いくつかの例を紹介する。

・男性指導者は女性指導者よりも、その競技に対して理解が深く、知識やスキルが高いと思われている。同等の役職についても女性指導者の方が賃金が低い(Lavoi, 2016)。

・女性アスリートの不満や課題(人間関係や集団生活、メンタル面のケアなど)は自動的に女性が解決するものであると考えられている(Lavoi, 2016)。

(※7)

ここでは、女性がダブルスタンダードの不利な立場に追いやられている例を紹介したが、男性が不利な立場に追いやられる場合もある。ジェンダーとダブルスタンダードの例は、日本社会にあふれている。表面的なダブルスタンダードは解消に取り組まれている傾向があり、ダブルスタンダードはさらに複雑化していることも否定できない。自分の経験あるいは自分の周辺環境を省みてみると、今まで気づいていなかったダブルスタンダードに気が付くかもしれない。

※6  参考:日本経済新聞「ダイキン、非正規社員の賃上げ額を正社員並みに」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF157QZ0V10C23A6000000/
※7 引用:公益財団 日本オリンピック委員会「ジェンダーの『ダブルスタンダード』『ダブルバインド』」
https://www.joc.or.jp/about/women-leader/words/03.html

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ダブルスタンダードの影響

社会にあふれるダブルスタンダードは、私たちにどのような影響を与えているのだろうか。

個人に与える影響

ダブルスタンダードは、個人に混乱や当惑、悲しみなど負の感情を与える場合がある。同じ基準で活動しているのに、相手は称賛を受けて自分は批判を受けるようなことがあった際に、悔しさや悲しさ、混乱が生じるのは不思議なことではないだろう。

一方で、自分が優位な基準におり、そのことを認識した場合はどうだろうか。自分が褒められているならば、わざわざその現状を変えようとする人は少ないだろう。むしろ、やる気が出たり、さらなる成果につながったりする場合もある。そうすることで、有意な基準の人とそれ以外の人とでの精神状態や振る舞い、結果には常にギャップが存在するようになり、有意な側の人間はその問題に気が付く機会が少なく、状況を改善するのは非常に難しい。上記で述べた、ジェンダーとダブルスタンダードの問題などは典型的な例だと考えられる。

社会全体に与える影響

ダブルスタンダードが社会全体に与える影響は、ダブルスタンダードが個人に与える影響の延長線上にある。ダブルスタンダードで優位な基準にいる方の立場にとっては、ダブルスタンダード状態は居心地がよくさらなる飛躍まで望める可能性を秘めている。そんな居心地の良い環境を、自分が損をしてまで変えようと思う人はどれほどいるだろうか。

一方で、ダブルスタンダードで不利で理不尽な基準を適用されている人にとって、ダブルスタンダードは苦痛の要因であるとともに、ダブルスタンダードの不動性は社会への諦めや絶望をまねく可能性がある。

ダブルスタンダードの恩恵を受け、居心地の良い環境にいたとしてもそれが社会全体にとってプラスになることでは決してない。基準の是正を行わず、ダブルスタンダードが固定化された場合、社会の多様性や声を上げる力が弱まっていき、個人の成長ひいては社会の成長は阻害される。

社会全体に与える影響

ダブルスタンダードを克服するための手段

それでは、われわれはダブルスタンダードを克服することができるのだろうか。

個人レベルでできること

個人レベルでできることとしては、非常に些細で地道な取り組みが実を結ぶと考えられる。本文内で記述したように「キャリアウーマン」は、女性がキャリアよりも家庭やプライベートを重視するであろうといったダブルスタンダードから発生した概念であると考えられる。

例えば、日常生活でキャリアウーマンという言葉を受けて自分に称賛や説明が与えられたとき、自身は「キャリアウーマン」なのではなく自身の選択で仕事をしている何らかの型にはめられるような人間ではないということを伝えることも1つの手だ。人間関係維持のために、それが難しい場合も多々あるだろう。その場合はSNSで発信してみたり、友人同士で話してみたりすることも有効だ。

社会は、個人の集まりである。1人ひとりがダブルスタンダード克服のための意見を伝播させていくことで自分の周りの社会を変えていくことは、十分、個人にもできる方法だ。

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社会全体としてできること

個人の改善だけでなく、社会を大きく変化させるためには、やはり政府や企業、教育機関などの努力が欠かせない。ダブルスタンダードは、ステレオタイプや不平等、偏見などから生じている場合が多いが政府はその問題を解決するための法律や規則を制定する力を持っている。法的に権利が守られれば、ダブルスタンダードの根源となっている問題も解決に向かう可能性が高い。影響力のある公人として、公的な場での発言にも責任を持つ必要がある。

企業は給与体系や福利厚生など、ダブルスタンダードが生じない制度を構築することが必要である。自身が所属している組織にダブルスタンダードがまかり通っていれば社員はそれを当たり前のことと認識してしまう。その当たり前を日常生活の中で共有すれば、ダブルスタンダードはすぐに個人の問題となっていく。教育機関でも、ダブルスタンダードの例に関しての教育が必要である。考え方が柔軟な青少年、学生の期間にダブルスタンダードの現状や課題点、克服方法を学ぶことは将来の日本を少しでも良いものにしていくために重要なことである。

まとめ

ダブルスタンダードの問題を考えると、固定観念や偏見、思い込みといった課題にぶつかる。それらの課題を解決することでダブルスタンダードを解消することも、逆に1つのダブルスタンダードを解消することでそこに存在していた固定観念などを解決することにもつながるのではないか。

複雑に絡み合う問題の解決方法は1つではない。ダブルスタンダードも、問題解決のきっかけになる概念だ。私たちはあらゆる角度から、課題解決のために柔軟に尽力していく必要があるだろう。

 

文:小野里 涼
編集:おのれい