よりよい未来の話をしよう

新しい自分が生まれるものを提示したい 俳優/プロデューサー・佐藤玲インタビュー

日本国内における芸能の仕組みは、これまで強固で不変だった。それもそのはず、芸能活動において重要なフィールドであるマスメディアと芸能事務所との関係性は歴史的に非常に深く、両者の補完性の中で互いを強化してきた。

しかし昨今、芸能の仕組みに異変が生じている。芸能事務所に所属し活躍するタレントや俳優たちが、次々と独立する動きを見せつつあるのだ。その背景のひとつには、YouTubeをはじめとしたインターネットメディアの隆盛とマスメディアの存在感の低下、それに伴うビジネスモデルの転換がある。つまり、これまでほぼ独占的であったマスメディアを主戦場とする芸能活動以外の選択肢が急浮上し、タレントや俳優たちに大きな自由度と収益の可能性が生まれている。

それと同時に、社会的な権利についての認識が、ブラックボックス化した芸能の世界にも共有されつつあるのも大きい。その結果、既に芸能活動をする人の一部が、「御恩と奉公」的な習慣や既得権益性に縛られた芸能界の仕組みから逸脱し、柔軟に自己を実現する方法として、独立を選択し始めている。

「あしたメディア」では、日本の芸能の仕組みが変わりはじめた現状において、芸能事務所に所属してテレビや映画などのマスメディアで活躍しながらも、独立と起業というオルタナティブな選択をした若手実力派俳優、佐藤玲にインタビューを行った。10代から俳優業一筋で邁進してきた彼女が、30代を迎えたタイミングで独立、起業に至った経緯から、現代における自己実現と無意識に自分を縛るしがらみの打破について、考えるヒントを見つけていく。

佐藤玲(さとうりょう)
1992年7月10日 東京都生。日本大学芸術学部演劇学科卒。15歳より新劇系劇団で下積みを始める。大学在学時に故・蜷川幸雄氏率いる「さいたまネクスト・シアター」に入団。同氏演出『日の浦姫物語』でデビュー。『彼らもまた、わが息子』(桐山知也)『ヴィンセント・イン・ブリクストン』(森新太郎)などにも出演。芝居力に定評があり、映像作品でも幅広く活躍。ドラマ代表作に『エール』(NHK)『架空OL日記』(読売テレビ)など。主な出演映画に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(石井裕也)『死刑にいたる病』(白石和彌)『チェリまほTHE MOVIE』(風間太樹)がある。2023年3月 "つなぐ"をプロデュース をテーマに株式会社R Plays Companyを設立。9月15-18日 ブルースクエア四谷にて初プロデュース作品『スターライドオーダー』(北野貴章)を上演。

負けず嫌いが駆動した俳優業への道

「架空OL日記」や「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」をはじめ、テレビや映画などで注目を集める俳優・佐藤玲。彼女が芸能の世界そして俳優業に身を投じることになったのは、幼少期に受けたあるコンテストがきっかけだったという。

「大人になったら芸能界に入りたいという感覚は、全くありませんでした。小さい頃は「マジシャンになりたい」と思っていましたが、小中高と国立の進学校に通っていたこともあって、親戚からは「あなたは将来医者になるんだよ」と言われていました」

そんな彼女が俳優業に踏み出すきっかけとなったのは、親戚に勧めてもらって受けた、日本を代表する芸能系コンテスト。そして、彼女はそこで挫折を経験する。

「小学校4年生のときに、親戚に国民的美少女コンテストを勧めてもらって、よくわからないまま応募しました。当時の私は、スポーツばかりやっていて、身長も既に今くらいはあったので、何となくモデルと希望を書いて応募資料を提出しました。ただ、モチベーションがあるわけでもなくオーディションも初めてだったので、質問に対して前の受験者が言った答えと同じ答えを繰り返すなどして、当たり前のように落ちました」

国民的美少女コンテストで初めて直面する現実の厳しさと自分自身の性格。その結果、生まれた目標は、俳優になること。その手段として考えたのが、大学受験だった。

「芸能の世界を目指していたわけでもないのに、コンテストに落ちたとき、すごく悔しかった。正面から突きつけられたことは、合格する容姿と力量が伴わなかった、という事実です。私の性格の根底にあるのは負けず嫌いなので、何かしら武器を持つことで見返せる方法はないだろうかと考え、それはお芝居だと思いました。そこで、演技を専門的に学ぶことができる日本大学芸術学部に行くという目標を小学校4年生で立てて、そこから俳優を目指し始めました」

将来、俳優になるために日本大学芸術学部を目指すことにした彼女は、早い段階から基礎的な演技経験を積むことを計画する。

「国民的美少女コンテスト後、中学受験が終わった時点で、両親には「大学は日芸に行きたいから、高校3年間は部活をやらずに俳優養成所で演技の勉強がしたい」と伝えました。15歳の冬、高校受験が終わってから、演劇集団アクト青山という劇団に体験入団をしに行きました。その劇団でやっていたことは、新劇という歌舞伎の次に古いお芝居でした。その劇団で、朝始発で行って掃除からするような、いわゆる下積みを5年間やったんです」

決して好きではない努力も厭わない、負けず嫌いの性格と思考の末、彼女は無事に日本大学芸術学部の演劇科に入学することになる。しかし、そこで迎えた大学生活は、彼女の想像していたものとはまるで違っていた。

「日芸に入ったからといってプロの俳優になれるわけではない、という当たり前の事実に、入学して改めて気付きました。さらに、学内には「本気じゃない人」が意外と多いことにショックを受けました。4年間、大学でお芝居をやったらその後は就職する、と最初から決めている人もいましたし、芝居の世界で生きていくと言いつつも、ビジョンが明確じゃない同級生もたくさんいました。当時の私は上昇志向が強かったこともあり、このふんわりした環境に慣れてしまったら、この先、演技の世界で生きていくことはできないのではないか、という不安が大きくなりました。その過程で、頭でっかちになるのではなく実践も必要だと思っていたので、大学2年生の夏、蜷川幸雄さんの劇団に入ることにしました」

実践的かつ厳しいことで有名な蜷川幸雄主宰の劇団「さいたまネクスト・シアター」。その門を叩いて入団することになった彼女が直面したのは、大学生活とはまるで違う強烈な温度差だった。

「大学とは全然違いました。そもそもハングリーさが違います。そして、勉強をしていようがしてなかろうが、情熱にはかなわない、ということを学びました。ただ、私自身が当時は本当にガツガツしてたので、大学との温度変化にはすぐ適応できました。劇団に入ってすぐに、既に稽古が始まっていた作品に呼ばれ、どんどん芝居をやっていきたい、とギアが上がりました」

10代から夢中で取り組んできた演劇。だが、飛躍のために所属した「さいたまネクスト・シアター」で、ある作品に出演することをきっかけに、徐々に映像の世界に自身の可能性を広げていくことになる。

「さいたまネクスト・シアターに入って翌日に、舞台に出ることになりました。それが「日の浦姫物語」という井上ひさしさんの戯曲です。大竹しのぶさんと藤原竜也さんが主演の作品で、私は一瞬しか出てこないのですが、おふたりの娘役を演じることになりました。その時の印象は大きかったですね。おふたりとも舞台もたくさんやられているけど、映像作品にも出ていらっしゃる。私は最初、舞台だけを頑張っていこうと考えていたのですが、おふたりを見ていて、舞台も映像もどっちもやっても良いじゃないか、という気持ちが芽生えました。そこで、私がずっと所属することになる芸能事務所に履歴書を送りました」

売れることの難しさと、その意味

蜷川幸雄の劇団を辞めて新たに所属したのは、三浦友和や佐藤浩市、夏川結衣ら人気も実力も兼揃えた俳優たちが所属する芸能事務所「テアトル・ド・ポッシュ」だった。演劇から飛び立ち、いよいよ映像の世界に進出するが、そこで演劇と映像の違い、そして同質性を実感することになる。

「最初の商業映画への出演は、大学3年生のときでした。(音楽映画プロジェクトである)MOOSIC LABの『おばけ』(2014)と『リュウグウノツカイ』(2014)です。そこで、まず戸惑ったのは順撮り(台本の順番通りの撮影)じゃないこと。パズルみたいだと思って演じていて、自分の気持ちが映像の中で繋がっていたのかよくわからないまま撮影が終わりました。ただ、作品が編集されて完成した映画を観たら感情が繋がって見えている、という不思議な体験でした。

演技自体でいうと、演劇と映画での違いがはっきりあるのかはわかりません。というのも、舞台であっても会場の席数や演出家の意向で、いわゆる大きなお芝居をすることもあれば、すごく繊細な演技をする場合もある。映像のドラマや映画であっても、作品のテイスト次第で演じ方が違う。だから、メディアによる差異は今でもあまり感じません」

映像表現にも適応し、作品を重ねるにつれて存在感を示し始める佐藤玲。彼女が少しずつ世の中に知られるようになったのは、TBS「表参道高校合唱部!」(2015)、読売テレビ「架空OL日記」(2017)、そしてテレビ東京系「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」(2020)など、地上波テレビドラマの出演の影響が大きい。だが、活躍する場がどんどん広がる中でも、壁にぶち当たる。それは「売れることの難しさ」だった。

「大きな作品に出演することで自分にも注目が集まった、という感覚は全くありませんでした。もちろん、俳優として私がするべき仕事はしたと思っているし、私が考える作品との関わり方において、作品に溶け込むという役割は果たせたと思っています。ただ、そこに私という個人が付随して波に乗れたという感覚はありません。「佐藤玲という俳優そのものが売れない」という現実が、ずっと苦しい10年間でした。

というのも、ある程度売れていかないと、一緒にお仕事をしたい人たちの目にとまらない。そして、自分が売れることによって生まれる視聴率や売上などの数字が付随してこないと、さらなる素晴らしいクリエイターと出会えない現実がありました。そのために、売れることが必要だとずっと考えていました。ただ、今は新しい価値観を得て、一旦そういうものは手放そうと思っています」

俳優としての10年間の、挑戦と成功、挫折の経験。さらにこの10年で急速に変化する社会状況を体感することで、彼女の視座は、狭く苦しいしがらみから解き放たれ、より柔軟かつ自由なものへと変わりつつある。

「舞台にしても映像にしても、社会が良いとするものと自分が良いと考えるものが一致していないと感じることがあります。その場合は、場から降りても良いかもしれない、と考えられるようになりました。私は、誰もが人生の選択肢をいくつも持ち、別の可能性を探る自由があることが必要だと思っています。演劇に特化した言い方になってしまいますが、私が日頃もったいないと感じることは、観客が作品を観終わってそこで終わってしまうこと。私がこれから作り出していきたいものは、鑑賞体験によって、そこから先の人生がより豊かになるもの。観る前と観終わった後で、少しでも新しい自分が生まれるものだと思っています。今の世の中、家でだらっと作品を消費してしまう時代です。だからこそ、たとえば演劇であれば、出演者や観客とが一緒の時間を強制的に過ごすことも、体験として大事だと思います。作品の中身においても、作り手にも観る側にとっても、始まりと終わりに変化があること。そんな作品に、今後、自分が関わりたいと思っています」

葛藤の末に辿り着いた独立と起業、そして新たな世界

自分が表現したいことを実現するために辿り着いたのは、これまで所属していた事務所の退所と、自らの制作会社「R Plays Company」の立ち上げだった。しかし、これまで長らく固定化してきた業界で、新たな道筋を切り開くのは容易ではない。それでも、社会の変化を感じながら、10年先を見据えた活動を開始した。

「この会社では、演劇制作と俳優業を行っています。飼っているペットのTシャツも作りました。あと、ワークショップもやりたいと思っています。そういったプロデュースワークは枠組みを設けず、何かを体験することを主軸に考えていきたいです。ただ、会社を立ち上げて3、4ヶ月ほどですが、自分の取り組みが、まだ今の芸能の世界に適合してないことも日々実感しています。しかし、10年後には、自分が積み上げて良かったと言えるようにしておきたいので、時間をかけてゆっくりやっていきます。

今、周りを見ても、俳優たちがどんどん事務所を抜ける現状があり、フリーのスタッフたちも増えてきています。他の業界でもそうだと思うのですが、会社にすべてを頼るのではなく、個人の時代になっていく。やりたいことを発信する個人の自分と、どこかに帰属する自分。さらに、また別の顔を持つ自分。複数の軸を持つことがこれからのスタンダードになっていくだろうと思っています。私は、俳優という顔を使いながらプロデュースや、さまざまなことに挑戦していますし、今後は、このタイミングではプロデューサー、あるいは俳優しかやらないなど、使い分けながら動いていきたいと考えています。

今後やっていく事業の中でも、演劇は、お客さんと同じ時間を過ごしてカーテンコールまでいかないと、完成にたどり着きません。だから、俳優も常に本気だし、お客さんも鑑賞することに相応の時間とお金をかけるので、空間に行き交うエネルギーの循環が大きい。それは、自分で舞台上に立っていても感じることです。私は、一緒に時間を共有していることや、目の前でお芝居を見る臨場感、その体験を大事にしていきたい。演劇がキャリアの入口なので、まずはそこから入っていこうと思っています」

自らの会社を立ち上げ、自身での演劇制作を通じて成し遂げたいことは、長年の俳優活動を通じて本当にやりたいと感じた、文化の交換による新しい自分との遭遇だった。

「自分で演劇を制作する理由のひとつは、人生の選択肢が増える、ということ。今後やりたいことのひとつだと考えている、海外の戯曲を持ってくる場合には、その国の文化を物語上で吸収することになる。そこで日本に生きる私たちとの比較が生まれます。たとえば、中東の演劇を持ってくると、石油や紛争、女性差別など、中東にまつわる多様な事象がある中で、芝居からその人たちの生活を垣間見ることができます。そういう体験を通じて、ただ目の前の生活に向き合っている自分よりも、外側に広がっていくことが可能だと思うし、俳優たちもただその役を演じるのではなく、その事実を考えていけるようにしたいという目標を持っています。

また、元々、私は新劇の劇団にいたので、その時代の国内作品も海外に持っていきたい。日本人キャストの日本の戯曲で、そこまでメジャーではないけれど、「これは伝えたい」という作品を海外に持っていくのも、今後やりたい目標のひとつです」

そんな佐藤玲の独立後の一歩を踏み出す、新しい舞台が9月より始まるという。

「先ほど、将来成し遂げたい海外文化の理解の話を散々しましたが、自社による第1弾の舞台制作は、完全にエンタメです(笑)。9月15日からブルースクエア四谷で行われる「スターライドオーダー」( https://r-plays.com/produce/star-ride-order )という舞台です。「マーダーミステリーゲーム」を題材にし、36人のキャストで、6公演行います。今回、テレビ朝日の「しくじり先生」という番組を作った北野貴章さんとご一緒して作っています。マーダーミステリーや謎解きは私自身が好きな分野で、エンターテイメントを楽しむこともやっていきたいし、自分にとって重要だと考える「体験」をテーマに掲げています。その時その場所で、観に来ていただく100人しか目撃できないものを作りたい。舞台の結末は誰も知らない即興劇です。舞台が行われる1時間半でしか得られないものを目撃することを大事にしていければ良いなと考えています」

長い年月で固定化した芸能の仕組みから逸脱し、売れるか売れないかで左右される生き方から、自分が本当にやりたいことを自らの力で切り開こうとする佐藤玲。彼女が目指す、演劇を通じての異文化理解のきっかけ作り、それを経由して新しい自分に出会う行為は、自分たちのことにしか関心がない人が増えている今の社会において、分断を阻止するための重要な示唆となるだろう。リスクを恐れず勇気を持って、一歩を踏み出した彼女の今後を応援したい。

 

取材・文:中井圭(映画解説者)
編集:田村美侑
撮影:服部芽生