よりよい未来の話をしよう

音楽で、デモで、差別に抵抗する。思い出野郎Aチーム高橋一さんインタビュー

8人組ソウルバンド・思い出野郎Aチーム。2021年からはサポートミュージシャンと手話通訳者をメンバーに迎えた編成でも活動している彼らの楽曲に、「フラットなフロア」がある。

フラットなフロア
つまづくような段差はない

フラットなフロア
何かを遮る壁はない

フラットなフロアに向かう

君が誰でもいいぜ
スポットライトに照らされて
僕らの肌はまだら模様
話す言葉は歌に溶けて
聞いたことのないラブソング
信仰よりもコード進行
右左よりも天井のミラーボール

♫ フラットなフロア/思い出野郎Aチーム

この楽曲で歌われる「フロア」とは、パーティーのダンスフロアを意味しているのみならず、私たちが暮らすこの社会そのものをも表しているのではないだろうか。思い出野郎Aチームでボーカルとトランペットを担当する高橋一(通称マコイチ)さんが、楽曲で、ライブMCで、デモの場で、差別と暴力への反対意志を表明していることからそう窺(うかが)い知れる。

2023年5月、入管法改悪に反対するデモでの高橋さんのスピーチはこちら

ポリティカルなメッセージを含む楽曲を歌うのみならず、バンドのライブに手話通訳をつけることにした背景や、個人で社会運動に参加する理由はどのようなものなのか。楽曲で描かれているような、バリアのない「フラットなフロア」を実現するにはどうしたらよいのか。高橋さんにお話を伺った。

手話通訳への思い

2023年9月に思い出野郎Aチーム主催のライブイベント・Soul Picnicで、実際に手話通訳のメンバーを迎えたライブを拝見し、大切な取り組みだと感じました。取り組みを始めたきっかけについて、あらためてお聞かせください。

マコイチ:コロナ禍でストップしていたライブが2021年頃から再開できるようになり、チームのなかで以前と同じ編成ではなくサポートミュージシャンを増やした豪華な編成で再スタートしようか、という話をしていました。そんななか、マネージャーのタッツくん(仲原達彦さん。本取材にも同席)が打ち合わせでポンっと「手話通訳とかどうかな」とアイデアを出してくれて。僕らも海外ではライブに手話通訳の方がいるのを知っていたので「いいんじゃない」という感じで始まりました。

それから手話通訳のメンバーを迎えたライブを続け、昨年のフジロック出演時にも話題になっていました。

マコイチ:「良いことだろうからまずやってみたらいいじゃん」くらいの気持ちで始めた取り組みだったのですが、手話とはなにか、いまの日本で手話を使う方々が置かれているのはどんな状況か、手話をライブに取り入れるとはどういうことなのか知識が足りず、後から学ばなくてはいけないことがたくさん出てきました。

1歩間違えたら、当事者の人たちの文化を耳の聞こえる人がエンタメとして消費してしまう危険性があります。とくに手話チームのメンバーは普段手話通訳の現場で働いている人たちなので、そうした葛藤を背負わせてしまっている側面もあります。なので、やるなら1回きりではなく可能な限り継続して取り組んでいかなくては、と思うようになりました。

マジョリティが手話を取り入れたエンターテイメントをつくることに関して、文化の盗用なのではないかという議論も増えているように思います。思い出野郎Aチームの取り組みにおいて注意していることはありますか?

マコイチ:聴者が手話に興味を持って、手話の認知が広まること自体はいいことだと思いますが、忘れてはいけないのは、手話はろう者の人びとの言語であり、文化であるということ。思い出野郎Aチームのライブの特色として売り出したり、自分たちならではの取り組みに留めたりするのではなく、あくまでインフラとして用意して、「利用したい人が利用できる状況を用意しています」という姿勢が大事だとあらためて思います。

自己満足的に、「いいことができているんじゃないか」とか「ライブに実際ろう者のお客さんが来ていなくても、聴者が手話に触れる機会をつくれたからいいじゃん」などと思いがちだけど、そういう話ではないんですよね。それは聴者であるこちらの勝手な思い込みであって。音楽ライブに行きたいと思うろう者の方々の情報保障として機能しなければならない。手話チームに任せきりではなく、演奏者として何か自分たちにもできることはないかという話を、最近メンバーやスタッフと話しています。

思い出野郎Aチームが実践と発信を続けていることで、手話通訳のあるライブが日本でも広がっている印象があります。あしたメディアに掲載している記事のなかでも、Candlelightの主催者が思い出野郎Aチームの取り組みを参考に手話パフォーマンス付きのライブイベントを企画したと話していました。

マコイチ:まだまだ日本のライブシーンでは手話を用意するハードルがあるからこそ、試みる人の数が増えるのはいいことだと思います。会場によってはどうしても手話が全方位の観客から見えない場合があって、それだと意味がないから現場で立ち位置を調整するなど、手話チームには条件が揃わないことも多いなかで、毎回試行錯誤しながらやってもらっていますね。

フジロックではちゃんと手話通訳者をモニターに映してもらえて、そうやって少しずつ進んでいる分、手話通訳をしていない自分たちミュージシャンが欺瞞(ぎまん)にならないように気をつけながらやっていきたいとも思っています。手話通訳の人たちもサポートミュージシャンと同じで、他の現場で忙しいなか調整してライブに出てくれているので、多大な労力をかけてしまっている部分もあります。どこまで継続できるか分からない部分もありますが、可能なライブにはまた参加してもらいたいですし、UDトークといった文字起こしアプリや字幕等、手話通訳以外にもできることはないか考えています。

▼Candlelightの主催者にインタビューした記事はこちら

 

音楽で種を蒔くと同時に、社会運動のバケツリレーをする

思い出野郎Aチームの楽曲やスタンスからは、通底して大切にされている価値観があると感じます。一方で昨年リリースされたアルバム『Parade』に収録されている楽曲からは、「君」と踊る夜を大切にしながら、その自由を夜に置いていかずに次の朝まで、次の季節までしっかり守るというような、さらなる切実さが感じられました。バンドとして、高橋さん個人として、近年の心境の変化があれば教えてください。

マコイチ:まず音楽以前に、世の中がどんどん悪くなっていっている感覚があります。その上で社会的なことを音楽に取り入れていきたいと思っています。さまざまな問題があるなかで自分がまず作品に取り入れたい根本の理念は、シンプルに「人権を守ろうよ」ということです。

いま、パレスチナの度を越したひどい状況をはじめ、人権が守られていない問題がさまざまありますが、改善していこうと考えたときに、まずは音楽以前にみんなが連帯してできることに取り組むのが大前提であり、大切だと思っています。それで2023年は入管法改悪に反対するデモに参加して、国会前でスピーチをさせてもらいました。でもそういう行動をしても、みんないいねとは言ってくれるけど、なかなか参加はしてくれないんですよね。

もちろんそれぞれに生活があるのは分かるんですけど、段々と「なんでみんなはやってくれないんだろう」という気持ちになっていってしまう。これだけ明らかな問題があって、必死に発信している人たちがいるのに、なんで動いてくれないんだろう、と孤独や憤りを感じるようになっていきました。しかし、その後自分も心が少ししんどくなったり、子育てが忙しくなったこともあり、あまりSNSで発信しなくなり、デモに行く機会も減ってしまいました。

そんななかであらためて「いまある問題に対してなにもしない人って誰なのか」と考えたら、社会に対して無関心だった若い頃の自分の姿が立ち現れてきたんです。なにもしていなかった頃の自分を思い返すと「やらなきゃだめですよ」と直接的に言われても、やろうとは思いにくかったな、とも思いました。自分がマジョリティであるという意識も低かったし、やらなきゃいけないと分かってる宿題を親にやりなさいと言われたときみたいな、幼稚な意地の張り方をしてしまっていた部分もあると思います。

じゃあ自分はどうやって社会運動に興味を持ったのかというと、聴いてきたソウルミュージックにきっかけをもらっていたと改めて思いました。だから、音楽に社会的な要素を入れ込むことは、いま社会にある問題に直接作用はしないけれど、未来をよくしていくために種を蒔くような作用はあると考えています。『Parade』はとくに、一見パーティーソングとしても聴けて、聴いている内に「これってどういうことなのかな」と1歩踏み込んで考えてもらえるように意識しました。

たしかに、頭で分かってはいてもなかなか実際に行動に移せないことは多いと思います。一方で、音楽は先に体に入ってくるので、その種が知らず知らずのうちに発芽しているというような感覚は私自身も覚えがあります。

マコイチ:諦めずに連帯を呼びかけて直接的に行動を発信することが大事ですし、自分自身も足りていないと感じてますが、それと同時に空気をつくっていくのも大切だと思うんですよね。「こういうのって当たり前にだめだよね」「だめだったら『だめ』って言ったほうがいいよね」というような空気を世の中につくっていくという視点では、音楽にもカルチャーにも意味があるんじゃないかと思っています。

タッツ:僕らが社会問題について日常的に話し合うことができるのも、上の世代の信頼できる人たちが話しているのを見てきたからだと思います。(思い出野郎Aチームが所属するレーベルの)カクバリズムにはずっとそういうムードがあって、政治的なことも気軽に話してきました。僕らがもともとただ音楽が好きだった延長で社会問題の話もできるようになったように、思い出野郎Aチームがフラットに政治的なことを歌っていて、それを聴いている子どもたちがシンガロングしているのを見ると、種が蒔かれ続けていると感じます。

社会に対する思いを音楽を通して伝えるのみならず、普段から話題にしたり直接的な行動をしたりするミュージシャンは日本ではまだまだ多くないと感じます。

マコイチ:エンタメ業界では、ポリティカルな話題にはなるべく触れないほうが波風立たないので無難である、という間違った認識があるように思います。社会が悪くなったら真っ先に影響が出る業界なのに。

実は、音楽と能力主義や功績主義は結構相性がよくて。自分は人より才能があって努力もしたんだから、政治から離れた場所で、クリエイティブで自由に生きていられるような気になっている人もいると思います。でも、そういった人の多くはただ単に現政府の元でネオリベ的に成功しているだけですよね。

職業に関係なく大人はみんな社会に対する責任があるし、ミュージシャンは人前で発言できる場面が多く、よりその責任を果たしやすいので、社会に対するメッセージをしっかり伝えていかないといけないと思います。

ひとくちに「社会問題」や「社会運動」といってもさまざまな切り口やレイヤーがあると思いますが、マコイチさん自身が大切にされている考え方があったら教えてください。

マコイチ:まず、中立的な立場はないということを前提にすべきだと思います。

世界で起きていることや社会問題を思想のぶつかり合いだと捉えている人が多いと感じます。「そういう対立って怖い、よく分からない」というように。だけどシンプルに考えたら、人権を守ろうということは思想の対立ではないですよね。

サッカーで言ったら、特定のチームだけボールを2個使っているとか、ハンドやファールが許されている状況があったときに「それはおかしくない?」と伝えることと同じだと思います。だから、どこのチームを応援するとか、どことどこの試合なのかは関係ないはずです。そこで「自分は中立だから何もしない」という態度をとるのはただ反則を放置しているだけになり、全く中立的ではない。どの国とどの国の戦争でも戦争には反対だし、加害者が誰であっても被害者が誰であっても差別や暴力には反対するというのが、人権を軸に考えるということだと思います。

だからやはり態度を保留せずに、いま起こっている問題に対して声を上げたり直接行動したりすることがすごく大切だと思います。社会運動って、バケツリレーだと思うんですよ。人権を木に例えると、いまあちこちで多くの木が火事になっている。社会運動をはたから見ると、1人の人がバケツ1杯の水を持って電車や飛行機に乗って、遠くの山火事を消そうとしていると捉えられがちで、「そんな1杯の水で消せるわけないじゃん」とか「海の向こうの火事は自分たちに関係ないじゃん」と思われることが多いと感じます。

でも、たしかに1人ではバケツ1杯分の水しか持てないけれど、そのバケツを隣の人に手渡していくことで、みんなでリレーをすれば絶対に遠くてもいつか届くし、1人では消せない大きな火でも消すことができると思います。そして逆にどんな遠くの炎でも、消さない限りいつか自分のところに燃え広がるのだと思います。

「フラットなフロア」を実現するには

音楽で種を蒔くことと社会運動のバケツリレーをすること、両方の大切さがよく分かります。楽曲「フラットなフロア」で描かれていることや、思い出野郎Aチーム発信をきっかけにダンスフロアやソウルミュージックの自由さに触れ、ひいては社会に目を向けられるようになるリスナーも多いのではないでしょうか。まずパーティーで「フラットなフロア」を実現するにはどうしたらいいか伺いたいです。

マコイチ:楽曲「フラットなフロア」をリリースした2017年頃は、僕もいまより無邪気だったというか、「自由平等、最高で楽しいじゃん!」みたいなノリが強かったです。でもいまは、ダンスフロアがシェルター的に機能する必要性もあるけれど、それだけではだめだとも思います。

パーティが逃げ込める場であったり、日常のなかでつらさを感じている人が安らげる場であったりする必要もあるけれど、それだけに留まらないように、ということでしょうか。

マコイチ:あくまでダンスフロアだって世の中を映す鏡だから、世の中がよくなればフロアもよくなると思っているんですよね。それに、クラブやライブハウスにも差別や性暴力の問題はあります。自分がそのことに無自覚なままライブをやって「誰でもウェルカム」と言っても、音楽だけでみんなが安心できるパーティーは作れない。

現時点でダンスフロアの安心感は、「みんな音楽を聴いているから、その間はヘイトスピーチはできないよね」くらいのものなんじゃないかと思います。ソウルミュージックにだって女性蔑視的な側面があるものもありますし、物事には色々なアングルがあるから、一概にソウルミュージックやダンスフロアをもてはやすことはできないですね。

だから、「ダンスフロアをフラットにしたい」と思うんだったら、社会運動して世の中をよくするしかない。もちろん、自分たちが主催するイベントを安全な場所にしたいという思いはありますが、やればやるほど感じるのは、僕自身が日本では圧倒的にマジョリティだということです。音楽業界でもマチズモ(※1)的なものはあったし、これまでそのことになんの疑問も感じずに楽しんでいた部分もあるので、アップデートする必要があります。

今回のインタビューの前半でも、まずライブに手話通訳を取り入れようと動き始めて、後から学んだり考えたりしたことを率直に共有してくださいました。いまのお話からも、後からご自身や業界の間違いを見つめて改善しようとしてるのだと感じます。

マコイチ:僕は今年38歳になるんですけど、思春期の頃ってホモソーシャル的なカルチャーやマイノリティをネタにしたコンテンツが流行っていましたし、「男はこうじゃないといけない」みたいな価値観があって当たり前でした。でも大人になって知識がついてから思春期を思い返すと、そういった環境で楽しんでいたことを手放しですべていい思い出だと思えなくて。そのような価値観が「普通」とされている社会環境で辛い思いをしていた人のことを思うと、やっぱり辛い気持ちになります。もちろん、その当時からそういったことに自覚的な同世代の人もいたので、単に自分が無知だっただけでもあるのですが。

我々大人が過去のカルチャーの反省点を見直していくことで、若い人たちにはもっとフラットに、人を傷つけない在り方で楽しんでもらえるようになったら良いなと思います。

大人になってから多様な価値観を学び、自分自身の思考をアップデートしていくのは、自分の過去や有害性を省みたり誰かの苦しみを見つめたりすることなので簡単ではありません。でも、マジョリティとしてできることは学ぶことと、同じマジョリティを説得すること、そしてマイノリティに連帯することだと思っています。

おっしゃる通りだと思います。あらためて、社会において「フラットなフロア」を実現するためにはなにができると考えますか?

1日5分でもいいからみんなが時間を使って、実際にいま社会で辛い立場にいる人たち、差別や暴力にさらされている人たちに連帯することだと思います。その結果として、フラットなフロアに近づけられるかもしれない。あとは繰り返しになるんですけど、迷ったら人権に立ち返って考えてみたらいいんじゃないでしょうか。

資本主義が行き過ぎた結果、何でもかんでも得したもの勝ちみたいになっているように感じます。だけど、遅かれ早かれみんな死ぬんだから、「短い人生のなかでどれだけ得したか」より、少しは次の世代の人たちの役に立てるように生きたいと最近よく思います。

※1 用語:男性優位主義。

 

 

取材・文:日比楽那
編集:大沼芙実子
写真:服部芽生