よりよい未来の話をしよう

「自分の苦労」との遠回りなお付き合いーー津野青嵐と「ファットな身体」の場合

私たちはみな、何かしら自分の嫌いなところがあると思う。「自分」という存在は一生の連れ合いで、どんな嫌悪感や生きづらさがあっても、「自分の嫌いなパーツ」を捨て生きることは難しい。そんな「ままならない」思いを抱きながら、日々を生きている人は多いはずだ。

今回お話を聞いた津野青嵐さんにとって、その対象は自身の「ファットな身体」だった。看護師、ファッションデザイナー、研究者といった様々な分野で活躍される津野さんは、ずっと自身の身体から目を背け続けてきたそうだが、「最近になって新たな確度から向き合うように変わってきた」と話す。

津野さんは、自分の身体に向かうネガティブな感情とどうお付き合いしてきたのだろう。多彩な活動経歴と、その裏にある「身体」との関わり方、そしていま新たに生まれているご自身の変化について、お話を伺った。

津野 青嵐(つの せいらん)/アーティスト、ファッションデザイナー、看護師
2024年3月より1年間、文藝春秋・『文學界』(月間)にてエッセイ「ファットな身体」を連載中。2024年3月に掲載された第1回のエッセイは、こちらから読むことができます。

『文學界 2024年8月号』文學界編集部著 文藝春秋

看護師からファッションのプロへ。その経験を通じて帰り求めたのは、精神障害の方との関わり

まず、津野さんのこれまでの活動を聞かせてください。大学卒業後、看護師として勤務されています。元々看護師を目指していたのですか?

いえ、全く興味ありませんでした。行きたかった大学の学部に落ちてしまって、家族の勧めで受けたのが看護学部でした。それがきっかけで、看護師になりました。今となっては良い選択だったと思っています。

就職先には、唯一関心があった精神科を選びました。医療の現場って、身体に対する観察力とか分析力とか、「身体に対する眼差し」が必要なイメージが強くて。私はずっと、自分の身体との付き合いに苦労していて、当時を振り返ると首から下の「身体」から目を背け、首から上を「精神」と捉え、そことだけ付き合うことで精神のバランスを保っていて、身体から逃げていたのだと思います。それに比べ、精神科の独特の雰囲気はとても好きで、実習に行って患者さんと関わるなかでその方々の発する言葉のセンスや、行動、佇まいに強い魅力を感じ、「精神科で働きたい」と強く思うようになりました。

その後、看護師として働きながら、ファッションスクール「ここのがっこう」に通われます。

「ここのがっこう」に入ったのは、看護師3年目くらいだったかな。ちょうど仕事にも慣れて、落ち着いてきた頃です。

学生の頃、自分の顔に白塗りメイクをして、頭部に大きな装飾をつけ街を歩いていた時期がありました。周りの視線を頭部に集中させて、首から下は身体を隠すような大きなドレスを着て。このときに頭部を装飾したのがヘッドピースなんですが、自分のために作っていたものが、その後だんだん周りの方に依頼を受けたり、作品として制作したりする方向にシフトしていたんです。「趣味ではなく、プロとして仕事にしたい」と思うようになり、ファッションを学べる場所を探しました。

そんなときに友人から教えてもらったのが「ここのがっこう」です。調べるうちに主宰の山縣良和さんの作品に心を奪われ、「この先生に習いたい!」と働きながら通うことになりました。

大学時代、白塗りメイクとヘッドピースをしていた頃の津野さん

そこで制作された3Dペンで作った衣服が、2018年に国際的なファッションコンペでファイナリストに選ばれていますよね。

元々ヘッドピースを作るつもりでファッションスクールに通っていたのですが、講師の方に「服も作りなよ」と言われて。

素材をリサーチするところから始めて、3Dペンを使って作ってみたら、透けて、浮いて見えるような服ができました。「どう着たら面白いだろう?」と考え、結局袖を通さず上に乗せる形が、浮いてる感じでユニークだということで、あのスタイルになりました。

この作品が、ITS(International Talent Support)という、若いデザイナーを対象としたコンペのファイナリストに選ばれて。その後、ファッション誌に取材してもらったり、水曜日のカンパネラなどアーティストさんのライブやMVの衣装に使われたりするようになっていきました。

3Dペンを使って制作された、津野さんの衣服。津野さんのおばあさまがモデルを務めることも。
photo by Anne Yano

その後、ファッションデザイナーのお仕事に邁進されると思いきや、北海道に移住し、「浦河べてるの家」(※)で再度看護師として勤務されます。また違う、新しい道を選ばれたのはなぜでしょう?

コンペの選出は思いがけない展開で、ファッションという表現方法を承認してもらえた感覚がありました。色々な仕事もいただくようになったのですが、ビジュアルでどん!と一度見せたらそれで終わっちゃう世界だなと、消費的な感覚も抱くようになって。自分から望んだことでもあるのですが、少しファッションに関わるのがしんどくなってしまったんです。

そんなときに思い出したのが、精神科の看護師として働いていたときの患者さんの表情や言葉でした。希望的な感覚があったというか…自分の軸になっている感覚があったのかな。それで、もう一度看護師としての時間に戻りながら、ファッションのことも考えてみようと思いました。

そのことを「ここのがっこう」主宰の山縣さんに相談するなかで、「当事者研究」というキーワードが出てきたんです。もともと、私自身は看護学生時代に精神看護の授業で知ったワードでもあるのですが、まさか山縣さんから出てくるとは思わなくて。当事者研究とは、自分の困りごとを研究対象として捉え、観察しながら解決の方向性を探っていく試みです。「ここのがっこう」も当事者研究っぽいことをするんですよ。それで、当事者研究発祥の地である福祉法人「浦河べてるの家」に一度行ってみたいと思うようになりました。

そこに行けば、病院とはまた違う形で、精神障害がある人との関わりが持てるんじゃないかなって。いま考えると、あのときはその環境に助けを求めていたんだと思います。北海道に移住して、少しファッションの仕事も継続しながら、べてるの家で働くようになりました。

※ 参考:浦河べてるの家とは、1984年に設立された、北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を有しており、100名以上のメンバーが地域で暮らす。
べてるの家は、「当事者研究」が始まった場所としても有名で、メンバー自身が障害特性等に起因する自分のお困りごとの「研究者」となり、「自分を助け励ます方法」を研究する取り組みが継続されている。

「浦河べてるの家」は、精神障害などを抱えた方が、病院ではなく地域で働きながら生活していくための拠点ですよね。そこでしかできない、たくさんのご経験があったのではないでしょうか。

理念と環境の面白さや、そこに長くいる方たちの「自分の苦労に対する態度」など、すごく魅力的なことが多かったですね。

たとえば、おしゃべりと歌が大好きな統合失調症の方がいて、大事な会議の最中もいつも大声で1人で歌っているんです(笑)。その方は「統合失調症が治ったので、薬を飲まない」という選択をした人でした。客観的にはかなり調子が悪そうに見えるときも多く、たとえば病院や一般的な福祉施設においては「服薬治療が必要な人」とされると思うんですが、べてるの家では「飲まない人」としてそこにいる。これもすごく特徴的だと思います。

この方が、クリスマスの日に爆発してしまい、職員に対する暴力行為があったんです。客観的に見たら結構な問題で、薬も飲んでないし…。私の経験上、強制入院になってしまうレベルだと思うんですが、べてるの独特な感性だなと思ったのは、そんな彼の姿を見た職員が「彼は今日、ちょっと寂しいのかもしれない」って言うんです。ちょうどクリスマスで、この後みんなでキャロリングに行って歌を歌う予定だったんですが、「みんなと一緒に行けないのが寂しいのかも。だから誘ってあげよう」って。暴力を受けた職員自ら誘ってみたら「行く」って言うんで、迎えに行って、みんなで歌って、ケーキを食べて。そこでその方が、トラブルがあった職員に自ら落ち着いて謝罪する姿がとても印象的でした。暴力や、被害を受けた者のケアに対する考え方も、私がそれまでの看護師経験の中で学んできたことと違っていたので、正直ずっと戸惑っていましたが、本来なら精神科病院に行くはずの人を、クリスマスの会に誘って、みんなで歌を歌う世界があることに、希望というか、嬉しさを感じてしまいました。何か問題行動が起きたときも、「寂しいのかもしれない」という発想になるのは、すごくインパクトがありましたね。

新たに選んだ研究の道で、「脂肪細胞」から身体と向き合うように

「浦河べてるの家」の後、東京に戻られ、現在も東京工業大学の伊藤亜紗さんの研究室で「身体」に関する当事者研究をされています。これはまた、どうしてなのでしょう?

べてるの家に行く前、「ここのがっこう」の恩師・山縣さんと話すなかで、研究という選択肢が出ていたんです。その会話のなかで出てきたのが、伊藤亜紗先生の名前でした。

私のやっている「ファッション表現」と「精神科看護」は、その両方を学術的に網羅している人はあまりおらず、「アート」方面か「医療・福祉」方面の二択になってしまうんです。それを、伊藤先生は「美学」の手法で障害を持つ方の身体を研究していて、この先生のもとで言葉を学びたいと思い、大学院に行く選択肢が生まれました。結果的に先にべてるの家に行き、北海道からオンラインで受験をして、帰京後に通い始めて3年目になります。いまはちょっと休学しているのですが研究は続けていて、来年には復学したいと思っています。

研究室では、「身体」について「非言語の当事者研究」を進めていると聞きました。どのような取り組みをされているのでしょう?

研究を始めて最初に思索したのは、「脂肪細胞」についてです。

当事者研究って、つまり「身体を通した自己の研究」だと思うんです。精神の話であれ、自分に対する悩みであれ、全て「身体との付き合い」の話かもしれないって。だけど、自分はその「身体」を捉えることをずっと避けてきた。そこで「自分の身体」に向き合う第一歩として、私が1番気になっている「脂肪」について想像することから始めようと思ったんです。

「自分の身体」に潜入するちょっと手前の感じで、「脂肪細胞」という、このプチプチした細胞はどうなっているんだろう?と調べ始めました。いろいろ調べてみると、結構面白いそのメカニズムが見つかったんです。

脂肪細胞の面白さ、ですか。

脂肪細胞の数って、ある程度10代半ばに決まるらしいんです。様々な研究で示されていますが、「太る」という現象はある一定のラインを超えるまでは脂肪細胞の数が増えているわけじゃなくて、その細胞が膨らむだけ。逆に痩せたら脂肪細胞が収縮するようなんです。だからダイエットをすると、それまでパンパンに膨らんでいた脂肪細胞が、キューっと、スカスカになっちゃうんですよね。私はその話を聞いて、まるで脂肪細胞がそのスカスカな状況に耐えられないみたいで、他の脂肪細胞と接触していないことを寂しがって、また「増やせ!」と膨らんでいくように思えたんです。

「脂肪細胞も、めちゃめちゃ人格を持ってる!」と思ったんですよね。そこから、「身体」に対して「見ない」とか「無視する」とかじゃなくて、私の意思と関係ないものにコントロールされていたんだ!と気づいて、自分を責めるような感情が弱まりました。そして、自分の身体が面白いと思えるようになってきて。「どうしたら自分の中で関わり方を見つけられるだろう?」と思うようになりました。

津野さんが制作した、脂肪細胞の人形たち。

「ファットな身体」を持つ方と一緒に、グループリサーチもやっているとか。

去年からやっているのが、ファットな身体を持つ人と一緒に「身体」を研究し、最終的に衣服を作る取り組みです。「いままで自分の身体とどう付き合ってきたのか?」を互いに話し、自分が持っている色々なモードをイメージとして作っています。

他者の眼差しを通じて、新たに生まれた身体への「責任」

津野さんは、ご自身の「身体」に向き合うことに苦労していた、と話していましたが、いまのお話では、ちゃんと向き合っている印象を受けます。なにか、ご自身の「身体への態度」が変わるきっかけがあったのでしょうか?

それは、本当に伊藤先生の言葉なんです。伊藤先生が摂食障害に関心を持っていたとき、「私も実は摂食の苦労があるんです」と具体的な経験を話したんです。そうしたら「面白いね」という言葉が返ってきて。「食べて吐くってどういうことなんだろう?何が起きてるんだろうね?」と、心配するとか引くとかではなくて、ナチュラルな疑問として爽やかに聞いてくれて。それが嬉しかったんです。

それまで自分の一番「陰」だった部分に、全然違う角度から、光が当たった。そういう捉え方があるんだと知って、自分も伊藤先生の視点を通して自分の「身体」を見ると、これまでと違う眼差しが得られる感覚がありました。無視せず、自分が思うように「見て」いいし、好奇心を持って「身体」を見て語ることは、自分のためにもなると気づきました。

べてるの家では、私自身が精神障害を持つ患者さんの妄想や幻聴に対して、もっとその世界に触れたいとか、必要以上に好奇心が発生してしまうくらいにポジティブな態度を取れていたのに、自分の「身体」に対しては一切できなくて。私の中にすごく「身体」と「精神」の分断があって、「聴きたい語り」と「聴けない語り」があったんだと思います。それを伊藤先生の眼差しを通じて、扉をこじ開けてもらえた。これまで見ていなかった「開かずの間」みたいなものを開けて、電気つけて、整理し始めたような感覚がありますね。

扉が開いた、という感覚なんですね。他にも、眼差しが変わったことはありますか?

服との関わりも変わりました。服というと、身体を柔らかいものに包み保護したり、他者からの目線を通して自己像を作ったりする側面があると思いますが、どちらにしても「身体」に対する付き合い方が現れると思うのです。以前3Dペンで作っていた服は、ビジュアルは面白くても、硬い素材で着ると痛いし、全く身体にとって良いことがないんですよね。

いま思い返すと、自分が身体とどう関われば良いかわからず、できればあまり考えたくない時期だったので、「身体のため」の服じゃなかったんです。そういうふうに私の身体を認識してたんだなと、よく分かりました。

その変化について、ご自身の中で言語化できている部分があれば伺いたいです。

いままでは表層的に身体と付き合ってきたんですが、研究や創作を通じて、多分、ちょっとずつ「責任」が生まれているんだと思います。まさに当事者研究の姿勢にも通じますが、自分の身体に対するネガティブな感情を一度脇に置いて、「太る」という現象をただ捉えていくなかで、自分がコントロールできることとできないことが見えてくる。そこで初めて、自分が「責任」を持つ感覚が湧いてくるんだなって。それが、自分の身体に対してちょっとずつ起きているのを感じます。

あと、時間に対する眼差しも変わりましたね。いままでは「そのときが良ければ」と思っていましたが、長い時間のなかに自分がいて、この身体と未来も一緒に生きなきゃいけないという意識も、年齢を重ねて重要だと感じてきています。

全部、身体との付き合い方に苦労してきた「大切な自分助けの記録」

いろんな活動をされてきていますが、津野さんのなかで「これは変わらず根底にある」と思うものはありますか?

いつも、「身体」に対する付き合いにくさに困ってきたんだな、と思います。どんな活動にもそれがずっと含まれていて、その時々で形を変えつつも、どうにかその困りごとを助けてたんですよね。自分の状態と求めているものに大きなズレがある中で、どうにかしてその瞬間を生き抜くために、工夫していたなと。

太っている自分を題材にした漫画を描いてみたり、身体を覆って顔を白く塗ってみたり、いろんなことをしてきましたが、全部すごく大切な自分助けの記録だなと思っています。

津野さんは、いま、さらに活動の幅が広がっていますよね。

2024年3月から『文學界』(文藝春秋)で連載が始まりました。言葉で書くということは本当に始めたばかりです。絵を描くなど視覚的に表現することはやってきましたが、「考えて文章にする」って私にとっては新しくて。これがこの先どう発展していくのか、自分の中でも楽しみです。

あとは、ファッションという軸の中でも、「身体」との付き合いに関して自分を助けてくれる存在として、服以外の表現の方法があるんじゃないかと、いま探っています。ちょうど、秋に芸術祭に2つ参加するんですけど、今後、自分の表現の幅も広げられたらいいなと思います。

今後の津野さんは、どんなところに向かって行くのでしょう。

私としては、明確にこうしたいという強いビジョンがあるわけではなくて。割と成り行き任せでも面白いかなと。看護師の仕事もありますし、創作も続けられる中で、いまできることと、いま興味があることをやれる環境は、ちゃんと守っていきたいなと思っています。

どうしようもない自分の状態に、名前をつけてみるーー日常でできる当事者研究的アプローチ

最後に、津野さんの活動の軸にある「当事者研究」は、「自分に対するネガティブな感情を一度脇に置いて、その現象を観察する」という態度だと認識しています。これはどんな人にとっても生きづらさと向き合うときに、重要なことなんじゃないかなと思います。この「態度」を日常でも取り入れるヒントはありますか。

自分の困りごとに「名前つける」というのは良いかもしれません。私はすぐ「〇〇モード」とか言ってしまいます。コントロールできなさ、自動で起きちゃう、みたいな語感が好きです。

あとは、自分がネガティブな状態にいることを、べてるの家の用語で「お客さん現象」と呼ぶのですが、これもとても便利な言葉です。「お客さん」とは、自分の思考や行動に影響を与えるマイナス思考のことです。お客さんというネーミングで呼ぶと、一気に俯瞰して状況を見られて少し楽になります。「いま私のところに『マイナスのお客さん』が来てる」と言ったりして。お客さんじゃなくても、もっと個人的なネーミングで、困ってしまう状況に何かしらに名前をつけてしまうと、少し楽になるかもしれません。

なるほど。名前をつければ、周りにもカジュアルな言葉で伝えられそうですね。

そうですね。あらかじめ伝えておくと、周りの人もその状況を捉えてくれるようになるし。私も、友達や夫に「ちょっと、いまお客さん多いよ」と言われます(笑)。その話ができるだけで、ちょっと気持ちが緩むんですよね。

「当事者研究」も、普通にみんながやってることに、あえて名前をつけて俯瞰して自分を眺めるという態度の形だと思います。枠組みやプロセスが見えるようになることで、すぐには解決できない困りごとと向き合えたり、あとはやっぱり、同じように苦労を持つ人と一緒にそれを語れる場があることも、大切だと思います。

 

 

津野 青嵐(つの せいらん)
1990年生まれ。看護大学を卒業後、精神科病院で約5年間勤務。病院勤務と並行して山縣良和主宰のファッションスクール「ここのがっこう」で学び、2018年欧州最大のファッションコンペ『ITS』にてファイナリストに選出され、3Dペンで作った服が注目される。2019年には北海道へ移住し、「当事者研究」発祥の地である「浦河べてるの家」(精神障害当事者等の地域活動拠点)に勤務。帰京後2021年10月より東京工業大学リベラルアーツセンター教授の伊藤亜紗研究室で学びながら、「ファット」な身体との付き合い方を、衣服の共同制作を通して研究中。​​

また、今後以下の芸術祭にも参加予定。

国際芸術際あいち 地域展開事業「底に触れる」
https://aichitriennale.jp/aichi-art/index.html
10/12-11/4

南飛騨Art Discovery
https://minamihida-art-discovery.pref.gifu.lg.jp
10/19-11/24

 

取材・文:大沼芙実子
編集:篠ゆりえ
写真:服部芽生