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わたしの歴史と、インターネット|写真家・石川直樹が装備するインターネット

いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら「インターネット」との関わりについて紐解く。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?

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街角の風景から、世界最高峰まで。地球上を旅しながら、あらゆる被写体を撮り続ける写真家・石川直樹さん。

彼は、旅の現在地をInstagramで発信する。8000m峰チョ・オユー登頂後も、翌日には無事を知らせる写真を投稿していた。

 

今秋、石川さんは8000m峰14座(※1)すべての登頂をかけて、2度目となるシシャパンマへと向かう。「知ったつもりにならないように」とカメラを片手にフィールドワークを続ける彼が感じる、インターネットとの向き合い方について、彼の事務所近辺を歩きながら話を伺った。

※1「8000m峰14座」:地球上の最高峰となる8000m級の標高を持つ14の山々を指す。14座全ての登頂者は世界でも数えられるほどしかおらず、2024年現在、日本人の達成者は竹山洋岳氏のみ。石川さんは13座まで登頂している

地球縦断の軌跡を発信する

石川さんは、高校生のときに初めてひとりでインドとネパールを旅したそうですが、そのころインターネットは普及していませんでしたよね。

そうですね。当時は『地球の歩き方』や、『ロンリープラネット』といったガイドブックを頼りに旅をしていました。

それからインターネットが繋がるようになって、生活が変わることはありましたか?

大学に入ってメールアドレスを付与されてから、日々メールなどで使ってはいましたが、特に日常は大きく変わっていませんでした。

最初にインターネットの恩恵を受けたと思うのは、22歳のときで「Pole to Pole 2000」(※2)に参加した頃です。北極から南極まで縦断するプロジェクトで、その様子を各地からブログにアップしていました。

※2「Pole to Pole 2020」:カナダの冒険家が計画したプロジェクトで、北極から南極点までを人力(徒歩やスキー、自転車)で縦断した。世界7カ国からメンバーが選ばれ、約9ヶ月かけて地球を南北に縦断

なぜブログをアップすることになったのでしょうか?

さまざまな旅人達が集まる「地平線会議」というコミュニティで知り合った方がコンピューターに強くて、旅先で日記をアップできるシステムを構築してくれたんです。

そこで「Pole to Pole 2020」という旅の最中、小型パソコンを使って日々の様子をアップしていました。当時はLANケーブルもWi-Fiもない時代。世界各地に公衆電話場があったので、そこからダイヤルアップ接続をしていましたね。

そのときに投稿していた内容は、『この地球を受け継ぐ者へ』(講談社、2001年)という本にもまとめられています。

いまも、石川さんはご自身のSNSで旅の様子をアップされていますよね。

そうですね。22歳の頃から旅先で衛星電話を繋げて投稿していた習慣が続いています。ヒマラヤ登山などで高所に向かうときは、多くの知人がどうなったか気にしてくれているので、なるべく早く状況だけでもアップするようにしています。

SNSをInstagramに絞っているのはなぜでしょうか?

もともとSNSはひとつだけにしようと思っていました。ぼくは写真家なので、ビジュアルを伝えるのに1番適しているのがInstagramなのかな、と。

もうブログの投稿はしないのですか?

雑誌などで数本連載を持っているので、長い文章はそこで書けばいいかなと。Instagramでも文字を綴っていて、本にまとめるときは参考にしています。

これまで石川さんが出版してきた写真集やエッセイ

ヒマラヤ山脈などの高所で、インターネットは繋がるのでしょうか?

基本的には繋がらないところが多いですが、エベレストのベースキャンプ(※3)やK2などでも、繋がるポイントはあります。

ある大きな岩のところまで行けば繋がりやすい、といった情報がそこら中で共有されていて。滞在中、何日かに1回はそこに行ってInstagramを更新したりメールを返したりしています。

※3「ベースキャンプ」:登山に向かうための基地となるキャンプ地のこと。ヒマラヤなどの高所では、登山者が登頂前に留まって、天候を待ったり高所順応をしたりする

なんだか、田舎で電波の繋がる場所を必死で探すのと似てますね。

そうそう。ベースキャンプを歩いて、ここだったら電波が3本立つ!というポイントをみんなが見つけてくるんですよね。

あとは、登山隊で持っている衛星電話を貸してもらうこともあります。ただ通信料がかなり高いので、写真などは送らず、最低限必要な連絡にだけ使うようにしています。

冒険をともにするガジェット

遠征には、どういった通信機器を持っていきますか?

通信機器だと、スマートフォンとノートパソコンですね。ベースキャンプより上に行くときは、ノートパソコンは当然ベースキャンプに置いていきます。GarminのinReach® MiniというGPS機器に簡単なメッセージを送る機能があるので、それを使うこともありますね。

また、通信機器ではないですが、原稿を書くことに特化したタブレット端末も活用しています。うまくネットが繋がらない場合は、文字を書いた画面をスマートフォンで撮って、あとから原稿を送ることもあります。

フィルムカメラとデジタルカメラ、スマートフォンは、どのように使い分けられていますか?

自分のなかで役割を決めています。デジタルカメラとスマートフォンはメモ代わりやSNSのアップ用、フィルムカメラがメインで、記憶に残したい風景や体が反応したときに撮ります。写真集などに掲載している写真は、ほとんどがフィルムカメラで撮ったものです。

ちなみに、デジタルカメラではInstagram用に縦長に、フィルムカメラは横長構図で撮ることが多いですね。横長だと余計なものが写ってきて、それが面白い。意図しないものを写し込みたいので、フィルムカメラでは横で普通に撮ります。一方、デジタルカメラは適当に撮っていて、より意図が伝わるような縦長を使います。

最近は、ドローン撮影をする登山家をSNSで見かけます。

自分は持っていませんが、ヒマラヤでもドローンを飛ばす登山家はいますね。これまで自分たちの目でしか見られなかった風景よりも、さらに高いところまで撮ることができて、山の見方が一変しました。それによって、本当の頂上やルートを確認できるようになりました。が、手放しでそれがいいことかと問われたら、すぐには頷けないです。

装備としての、インターネット

石川さんは普段、どのようにインターネットを使っていますか?

道を調べたり、分からないことがあったら検索したり、他の人とあまり変わらないですね。重宝しているのは、電車の乗り継ぎの検索や、待ち合わせのときに地図で現在地からナビしてくれることかもしれません。

旅する前の下調べはどうされているのでしょうか。

関連する本は全て集めて、できるだけ目を通してから行きます。最初にインターネットで検索して、リストを出して本にあたっていく。国会図書館でコピーしたり、大宅壮一文庫という雑誌が揃っている図書館で記事を調べたりしながら情報を集めます。

それだけ調べたうえで、まだ知らない情報があるときに、「だったら自分が見に行こう!」という気持ちが燃え上がります。

ほかの写真家や登山家のSNSはチェックしますか?

とくに誰かを追いかけるということはしていませんが、仲間のシェルパ(※4)達のことは、今何してるのかな、と気にかけていますね。

※4「シェルパ」:ネパールの少数民族・シェルパ族のこと。ヒマラヤ山脈の近くに住むことから、登山ガイドを生業とするものが多く、エベレストの山道開拓期より登山家を支えてきた。現在はシェルパ族に限らずヒマラヤ山脈などの登山ガイドを指す言葉としても使用されている

ヒマラヤのインターネット事情

現地の方々も、インターネットは身近にあるのでしょうか。

日本の方が思っている以上に、みんなインターネットを使いこなしていると思いますよ。

パキスタンのスカルドゥという北部の街には、インターネットが繋がるパソコンの置いてある、いわゆるネットカフェみたいな場所もありました。コーヒーは出ないですが、そこでずっとゲームをやっている子どもを見かけます。

また、ネパールのヒマラヤ山脈のふもとの村では、シェルパたちがスマートフォンを使いこなして、あちこちで電話したり、音楽を聴いたりしています。

彼らは遠征が多いので、中国はこれ、パキスタンはこれ、ネパールのどこそこに行くときはこれ、とSIMカードを使い分けている。ぼくたちよりもガジェットに精通している印象があります。

インターネットによって変わったと感じる部分はありますか?

若いシェルパたちの多くは、自身の登山で撮影した動画や写真を、Instagramでシェアしています。20年前では考えられなかったですね。

少し前は遠征隊の華々しい活躍の、縁の下の力持ちだった彼らが、表舞台に出てきて、自分たちの登山についてインターネットで共有するようになった。良い悪い、ということではなく、新しいヒマラヤ登山のかたちを作り出しているんだと思います。

知っているつもりにならないこと

インターネットが当たり前になった今、改めて意識していることはありますか。

インターネットは便利だから誰でも検索して知ってるつもりになってしまうけれど、自分はそうならいように心がけています。これまでも、自分の足で歩いて、身体を通じていろんな世界を見ていくということをずっとやってきているので。

事前に調べてわかったと思って行ってみても、現地だと全然違ったということが沢山あります。インターネットにあるものはあくまで小さな情報としては受け取りますが、それだけで分かった気になりたくない。

あとは、関心がないと思うことに対して、感覚を閉じないようにしています。できるだけ自分の目で見て自分の耳で聞いて、自分の身体で触れて、感じていくことを常に続けるよう、意識しています。

それは普段の日常においても大切なのかなと感じます。

どこに行っても、ちょっと見方を変えると全然別な風景が立ち上がってきますよね。同じ世界に生きていても、それぞれの人が異なる風景を見ている、と思っています。

小さな子どもの目線があれば、おじいちゃんおばあちゃんの目線もあって、犬や猫の目線もある。それは、目線の高い低いだけでなく、視点や興味のあるものによって、それぞれ反応するものが違ってきます。

あそこに猫がいるかもしれないと思って地面に近い街の景色を見る人がいれば、建物に関心を持って視線を上にあげながら歩く人もいるでしょう。そうやって、1人ひとり視点が違う。身近な場所でも個別のレイヤーに滑り込むと、全然別の世界が見えてくるんだと思います。

石川さんは、世界各地を旅しつつも、東京都内の身近な風景も写真に収められていますよね。

コロナ禍で遠征に行けなくなってしまったときは、ずっと渋谷のネズミを撮り続けていました。すばしっこくて普通のカメラでは捉えきれないので、このときは写ルンですを使っていました。

今後の石川さんの予定や展望についても聞かせてください。

このあとは、イタリアに行って火山を撮る仕事をします。9月下旬からはネパールに入って、14座目の8000m峰最後の山を目指します。

後ろは、これまで登った山の写真ですか。

そうですね。最近作っている写真集のプリントがここに並んでます。

今度のシシャパンマに登頂できたら、8000m峰への遠征は一区切り。その先は…これまでも通っている日本の半島を巡ったり、今関心のある万葉集ゆかりの地をまわったり。やりたいことは沢山あるので、それを出来たらなと。

これからも、何ごとも知ってるつもりにならず、いろんなものを受け止めながら、身体で世界に触れ、理解していくことを続けていきたいと思いますね。

<今回のインターネット・ポイント>

石川さんが「Pole to Pole 2000」に参加した2000年頃は、プログラミングに詳しい人が自身でテキストサイト(現ブログ)を作成していました。その後2004年にアメーバブログやヤプログ!などのサービスが開始。誰でも簡単にブログを始められるようになりました。

また、石川さんも度々訪れているネパールでは、エベレスト付近にインターネットを開通させる試みが2003年ごろから始まり、2010年にはプロジェクト「ネパール・ワイヤレスネットワーク・プロジェクト」が始動。WiMAXなど、無線ネットワークによってネパールの山間部にインターネットを繋げる取り組みが実施されました。2023年には、Huaweiが5G基地局を設置。6500m地点での5G通信を実現させました。危機迫る状況の伝達はもちろん、登山家達の新たな表現手段としても活用されています。

 

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石川直樹(いしかわ・なおき)
1977年、東京都生まれ。人類学・民俗学に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、写真家として作品を発表。数々の写真賞を受賞する。また、2001年にエベレストを登頂(当時日本人で最年少の登頂記録を樹立)以降、南極から北極、世界最高峰まで、あらゆる場所を旅する冒険家としても知られる。著書『最後の冒険家』(集英社、2008年)が開高健ノンフィクション賞を受賞。ほか『全ての装備を知識に置き換えること』(晶文社、2015)『極北へ』(毎日新聞社、2018)など多数。
Instagram:@straightree8848

 

取材、文:conomi matsuura
編集:篠ゆりえ
写真:服部芽生