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平野紗季子さんが『ショートケーキは背中から』に込めた思い。ごはんは喜びにも悲しみにも寄り添ってくれる

「私、子どもの頃からご飯や料理人の方々のことをすごく信頼しています。食は、喜びだけでなく、悲しみにも寄り添ってくれる」

そう語るのは、フードエッセイスト・フードディレクターの平野紗季子さん。数多くの雑誌やウェブメディアへの寄稿、またラジオ&Podcast『味な副音声~voice of food~』のパーソナリティとして、日々、食にまつわるあれこれを発信している。

そんな平野さんの最新エッセイ集『ショートケーキは背中から』(新潮社)が、8月29日に発売された。フードエッセイストとしてのデビューから10年を迎えた今、平野さんと食との関係はどんな風に変化したのだろうか?

『ショートケーキは背中から』(新潮社、2024)

ライフワークの食日記から生まれた「ごはん100点ノート」

新著『ショートケーキは背中から』の発売おめでとうございます。冒頭の会社員時代の食体験について書かれた「会社員の味」から引き込まれました。

ありがとうございます。フードエッセイストというときらびやかな食体験ばかりをしていると思われがちなのですが、そういうわけではないですし、そうではないところにも食の面白さや味わい深さは当たり前に存在していることを伝えたくて、あのエピソードを最初に入れました。

新卒から会社員と個人の仕事で2足のわらじ生活をしていたので、なかなか辛かったんですよね。でも、残業で帰れない深夜にオフィスで食べた吉野家の牛丼がいかに体に染み渡るか。そんな風に、後から振り返ると「あの味を知れてよかったな」と思う経験がたくさんあって。そのときでしか出会えなかった味の思い出について書いた本だと思っています。

高級店の味から、コンビニで買えるお菓子の味まで本当に幅広い食について書かれていますよね。今回、書き下ろしで100の食体験を綴った「ごはん100点ノート」が掲載されています。どんな基準で書かれたのでしょうか?

私は子どもの頃から食日記をつけていて、今でも何かを食べて感じたことを書く、ということは仕事でなくとも日々続けています。いわばライフワークで、自分にとって大切な記録なので。だからこの本の中にも入れたいなあと。実際そのメモは膨大にあるのですが、今回その一部を載せるにあたってキリよく100点ということにしました。

なぜその店なのか、という明確な基準はないのですが、再現性が低くて「そこにしかない物語」を感じるお店や食べ物には惹かれがちだと思います。

そういった素敵なお店や食べ物とはどうやって出会うのですか?

何か特別な出会い方があるわけではなくて、人から教えてもらったり、Instagramで見つけたり、ぷらぷら歩いているときに出会ったり。ただ、私は他の人よりも食べ物について考えている時間が長いから、出会いの機会が多いんだと思います。

子どもの頃から食日記を付けていたとのことですが、どんなところにメモをしているのですか?

最初は手書きでしたが、小学生の頃から自分のホームページを作っていたので、中学生になった頃には日記とブログを併用していました。自分だけが見るための日記と、特に好きなお店のことを書いたブログです。でも、ブログも読者数が2人(母と自分)だけだったので、インターネット上で書いている意味とは?という感じでしたが(笑)。今は、ご飯を食べながら、何か思ったらその瞬間にスマホにメモすることが多いです。

小学生でホームページを持っていたとは!文章を書くにあたって、影響を受けたインターネットサイトなどもありますか?

「僕の見た秩序。」ってわかります?テキストサイトの元祖と言われているようなサイトで、子どもの頃よく見ていました。
子どもの頃からインターネットという場所、不特定多数に向けて文章を書いていた経験は今の活動にも自然と繋がっているのかなと思います。

「ごはん100点ノート」のお話に戻りますが、紹介されているお店の中には閉店したお店も数多くありましたね。

いわゆるガイド目的のグルメ本だと、「閉店しているなら、コンテンツとして機能しないので載せません」といった判断になりがちだとは思うのですが、この本では、そうはしたくないと思っていました。

お店って無くなってしまうと、形に残るものがあまりない。形に残るものがないと思い出せないし、未来の人に知られることもない。それって悲しいことですよね。

誰かに頼まれたわけではないですが、お店という儚いものを歴史にしていくことは私含むお客さん1人1人の役割だと勝手に思っています。そのお店と同じ時代を生きてきた人間として、「こんな味があって、こんなにいい時間が流れていたんだよ」ということを残しておきたい。そんなことを考えていたら、結果的に無くなってしまったお店のことこそ、熱量高く書く残しているかもしれません。

“楽しむ”マインドがいいお店といい食体験を作る

本作は全体を通して、レストランという場との関わり方を考えさせられるなと感じます。特に「レストランでバッドエンドを迎えないためにできることがあるとするならそれはまず、一方的な消費のマインドを捨てることだろう」(p.30)という一節が印象的でした。

私は「いいお店」というのはお店側とお客さんが一緒に作っていくものだと思っているんです。一方的に横柄な振る舞いをしたり、「お店は私を気持ち良くさせてくれるもの」という態度で行くと、むしろ気持ちが満たされないことが多いんじゃないでしょうか。

じゃあ、「一緒に作る」にはどうすれば良いのかというと、まずそのひとつは、とにかくその場を楽しもうという気持ちで店を訪ねることだと思います。ジャッジする姿勢ではなく、お店の人に敬意を持って、ドアを開けた先で広がる出来事を前向きに受け取ろうとすること。

なるほど。最近は、Google Mapやレビューアプリで飲食店の評価が見えてしまうので、つい行く前からジャッジの姿勢になってしまうことが多い気がします。

「まあ、ここは評価が2.5の店だから…」とかありますよね。でも、それって何の体験なんだろう?と思っちゃいます。他人の評価よりも、自分自身がそのお店をどう感じるかの方が大事じゃないですか。

だから、ネット上の評価だけでジャッジしちゃうのではなくて、もっとお店を信頼してほしいなと思います。お店をやっている人たちは多かれ少なかれ、お客さんにお腹いっぱいになってもらいたいとか幸せになってもらいたいとか、そういう気持ちがベースにあったうえで仕事に励んでいることが多いはず。ちょっと私の愛が重めかもしれませんが(笑)、大前提として私はそれを信じたいです。

平野さんが食に対して面白さを感じるのも、そうやって自分の感覚を信じて見つけたお店や食べ物と出会った瞬間が多いですか?

出会いの瞬間に限らず、発見や気付きがあった瞬間に面白いと感じることが多いです。例えば、この本にも掲載している「たこ焼きって出汁のシュークリームだ!」と気付いたエピソードもそうですし、「ショートケーキは背中から食べた方が美味しい」と気付いた時もそう。「この味はこうやってできているのか」と味の秘密を解き明かしたような瞬間はすごく楽しいです。

タイトル『ショートケーキは背中から』はまさに、平野さんにとって解き明かした秘密のひとつだったということですね。

そうですね。なんとなくショートケーキは先端から食べていたのですが、そうすると最後に生クリームの多い部分が残るんですよね。でも、逆から食べてみると最後に1番バランスの良いところがきて、幸せに食べ終えられることに気付いたとき感動して。

身近なショートケーキでも少し食べ方を変えるだけで味の喜びは増えていく。とはいえ、しばらくしたら、先端から食べても最後まで美味しいケーキに出会って、また新しい発見をする。そんな風にどんどん自分の想像を追い越してくれるような食体験は面白いですね。

食を楽しむ者として「いいとこ取り」だけはできない

本作は、デビュー作『生まれた時からアルデンテ』(平凡社、2014)から10周年の記念すべき1冊ですが、この10年で食への向き合い方は変わりましたか?

デビュー作は大学生の頃に書いたもので、当時はとにかく食べ物が眩しくて眩しくて。目の前の食べ物がどこから来て、どういう道が広がっているのかもわからないくらいただただ夢中でした。

時を経て、いろいろな出会いがあり、さらに幅広い味を知りました。そのなかで、食には光だけではなくて影もあるし、影の中でこそ輝く食べ物もあると実感した10年だったなと思います。それこそ、冒頭にお話ししていた、会社員時代の経験もそうです。

そういう意味で、より一層、立体的に食文化や食体験を捉えられるようになったのかなと思います。

デビュー作『生まれた時からアルデンテ』の文庫版

「立体的な食体験」というと、今作ではガストロノミーに関する言及も多くありましたね。

ガストロノミーのような、食を通して文化を伝えたり、食体験において概念構築から注力するような世界も好きなんです。そういったシーンで活躍されている方々のなかには、世界的な影響力を持ったシェフが多くいます。彼ら・彼女らが、その力をどう社会に還元するか考えたり、社会課題にアプローチしたりしているのを見るととても刺激を受けるし勉強になります。

ガストロノミーに取り組む方々と接することで、社会課題への意識が高まった経験もありますか?

自然環境と近いところにいらっしゃる料理人や生産者の方々と話すことで、気候変動に対する問題意識は特に高まったと思います。「〇〇が採れない。これは明らかに気候変動の影響だよね」といった話は本当によく聞くんです。

食に関わる方々の生業と環境問題が、いかに密接に結びついているのかを実感します。そんななかで「(環境に悪いものでも)美味しいから食べます。あなたたちの痛みは知りません」という姿勢でいることは難しいです。見て見ぬふりをして、いいとこ取りだけしているのは罪悪感もありますし、私も、もっと真摯に課題に向き合わねばならないと思うようになりました。

情報発信の観点では、2020年からは音声コンテンツ『味な副音声~voice of food~』も配信されています。音声と書籍では、情報の伝わり方にどのような違いがあると思いますか?

音声はパーソナルなメディアだなと感じています。文章やテレビだとそのコンテンツと向き合う感じがするけれど、ラジオやPodcastは耳から入ってくるので向き合っているというよりは隣に寄り添っているような感覚になる。より近い距離感で自分の考えを知ってもらったり、リスナーさんと関わったりできるので、音声コンテンツも始めて良かったなと思っています。発信している側としては、『味な副音声~voice of food~』を通して趣味の合う友達がたくさん増えたような気持ちでいます。

一方で、今回のように書籍が出ることも、食文化を残していく上で大切なことですよね。

そうですね。今はブログやSNSなどのインターネット上のプラットフォームもありますが、それらはいつ消えるかわかりません。私が小学生の頃に作ったホームページももう無いわけで。

でも、紙の本はどこかに残る。私自身も何十年も前の本や、絶版になった食の本を古本屋さんで手にして、「マジで本、出してくれてありがとう」という気持ちになったことが数多くあります。先ほどお話ししたように、本という形になることで未来の人がアクセスできるお店や食文化もあるはずです。

そうやって、世の中に小さく残っていくものを、ハイペースじゃなくてもいいから、自分の人生の中で作り続けていけたらいいなと思っています。

 

平野紗季子(ひらの・さきこ)
1991年生まれ、福岡県出身。フードエッセイスト、フードディレクター。小学生の頃から食日記をつけ続け、大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題となり文筆活動をスタート。現在は執筆に加え、ラジオ/Podcast番組『味な副音声~voice of food~』のパーソナリティ、菓子ブランド「(NO) RAISIN SANDWICH」の代表を務めるなど、活動は多岐に渡る。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社、2014)『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』(マガジンハウス、2020)『POPEYE完全編集 味な店 完全版』(マガジンハウス、2021)などがある。
X:@sakichoon
Instagram:@sakikohirano

 

取材・文:白鳥菜都
編集:conomi matsuura
写真:服部芽生