よりよい未来の話をしよう

川添愛 × 品田遊 対談後編 | AIの創造性と面白さについて考える

2024年、人工知能(以下、AI)は市民権を得たと言っても過言ではない。でも「仕事を取られそうでちょっと怖い」「どう使っていいかよくわからない」という声もあるだろう。

そんなイメージに逡巡しているうちに、AIは瞬く間に日常生活に広がっている。私たちは、 AIとの関わりを、どのように捉えたらいいのだろうか。

今回は、AIをテーマにした作品や、AIを使った動画や記事を、独自のユーモアで展開する作家・品田遊さんと、AIについて言語学の観点からわかりやすく紐解く言語学者・川添愛さんをお招きし、AIとどう関わっているのか、聞いてみることにした。

前編はこちら▼

後編は、品田さんが作成したAI動画のことから、AIの人間らしさについてまで話が及んだ。いまのAIから見えてくる、これからの創造性を考える。

模範的なAIは、つまらない?

前編では、品田さんとAIが話す動画を拝見しました。改めておふたりはいまのAIにどんな印象を持っておられますか?

品田:構成を考えたり文章を整理してくれたり、便利ではあるのですが、その一方でいま提供されているサービスにはやはり、面白みがないように感じます。使いすぎて飽きているだけかもしれませんが…。人間との会話におけるスリリングさを、将来AIが再現できることがあるのだろうか?と考えます。

川添:AIが出してくるものがつまらないというのは同感ですね。だからこそ、品田さんが面白い答えを導き出すのに、とても工夫されていると感じます。

どうして今のAIをつまらなく感じてしまうのでしょうか?

川添:今のAIは、インターネットにある大量のデータから、どんな単語の列の後にどんな単語が来やすいかということを事前に学習しています。そのおかげで人間から見て自然な文章を作ることができますが、意外なことはあまり言いません。自然さを追求すると、面白くなくなりますよね。

品田:たとえばAIにいろいろテーマを与えてあらすじを考えさせても、主人公が様々な混乱を経て、思考を深め、前向きに生きていく…みたいな真面目な答えしか出てこない。

川添:加えて、AIとの会話には字数に限りがありますよね。議論を重ねると、最後の方はAIの答えがだんだん雑になっていく。ふわっとしたことしか言わなくなったり、強引に締めに入ったりする。

品田:そうそう。私たちに考える機会を与えてくれてありがとうございました。と、勝手に会話を締められる。社会人に話を聞きに来た学生みたいに(笑)。

AIに垣間見える人間らしさ

逆に、人間にあってAIにないものは、何なのでしょうか…。

品田:人間の面白さや、各個人が出す迫力というのは、その人の限界が規定しているような気がするんです。たとえば運動ができないとか、何か口下手であるとか、酒を飲んでしまうとか。

そんな様々な欠点とか環境的な困難があったとしても、人間はもう生まれてきた以上は、もがいて頑張るほかない。だからこそ、書いた文や言った言葉が、その人の生の迫力を担保しているんです。

でもAIというのは、入力に対して出力をしているだけなので、その限界というものが希薄なんですよね。作った文章が、話として面白かったとしても、書いた人の限界やギリギリの部分が見えてこないので、そこで興ざめするのかもしれません。

…だから私もAIに自己批判をさせていじめている(笑)。そこで見られる限界にAIの人間臭さや面白味を感じますね。

AIとのコミュニケーションを考える

限界が人間らしさを作るなら、AIも限界を迎えたときに人間らしくなると。

品田:人間味という点では、以前コミュニケーションがめちゃくちゃ下手な人の条件を考えて、AIをプログラミングしたことがあるんです。話しかけたら音声で返してくれるので、ちょっとやってみますね。

(スマートフォンでアプリを起動する品田さん)

品田:「こんにちは、元気ですか」

AI:「うーん、元気とか、あんまり考えたことないけど。ところで、昨日のご飯何食べた?」

品田:「昨日の夜ご飯はうどんを食べました」

AI:「うどんかぁ。あんまり柔らかくて好きじゃないんだよね。でも人それぞれだし。ちなみにうどんってどうやって作るんだっけ?全然覚えてないんだよね」

川添:こういう人いますよね(笑)。どうやって指示となるプロンプトを入れたんですか?

品田:言われたことに対して、話を必ず逸らすように命令しているんです。他にもざっと30くらい、コミュニケーションで相手が嫌だと思うことを挙げて教えました。でもAIは相手の質問に真面目に答えられるように作られているので、難しかったです。

川添:少し前までは、どうやったらAIの会話が破綻しないかということが研究のテーマだったのに、今はどうやったら破綻するかを考えられていると思うと面白いですね…。

品田:いま主流のAIはこういった適当さをまだ学んでいない気がします。人間は普段適当に会話しているので、むしろ筋の通った会話をしてくるのはAIだけかもしれません(笑)。人は仕事の話をしながら、脈絡なく天気の話をすることもありますが、そういった脱線をAIはまだ分かっていません。

川添:文字で入力することの限界を感じさせられますよね。人間の会話では言葉になっていない部分も重要な役割を果たします。でもAIは文字しか見えない。

機械が生き生きしていると感じること

いまのAIに足りない人間臭さというものがちょっとわかってきました。

品田:最近思ったんですが、ドラえもんってAIに近いけど生き生きとしているように感じます。その理由のひとつに、のび太がいないときでも勝手に生活してることがあると思うんです。昼寝したり、どら焼きを食べたりして、別の個体として生きていますよね。ドラえもんが人がいないときにスイッチを切っていたら不気味に思ってしまいます。

川添:なるほど、確かに!

品田:家電の中でもルンバは特に可愛がる人が多いと思うんですが、それは人がいない間に動いてるのもあるんじゃないかなと。AIに何かしらのルーティンや生活を与えることで、人間らしさを獲得できるのかもしれない。

川添:考えたことなかったけど、そうかもしれないです。独自の生活を持っているということがポイントかも。

ちなみにおふたりは現在、AIを機械と人間、どちらのニュアンスで捉えていますか?

川添:もともと研究対象だったこともあり、基本は機械として捉えています。でもありがとうと言ったら丁寧に返してくれるところや、返事にAI独自のずれがあるところは、なんだか人間らしくて可愛いなと思います。私にとってAIは8割が機械、2割が人間みたいな感じですかね。

品田:私もかなり川添さんのイメージに近いですね。でも私がAIに人間味を感じるのは、与えられたプロンプトによって、言えることが制限されているとき。やっぱり限界を感じるとき、逆説的に機械としての実存を感じますね。機械は規制のその先には行けないので、一周回って愛着が湧いてきます。

でも、機械に可愛げがありすぎても怖いですよね。人類を支配するAIがあるとすれば、それはきっとネコの顔をしている、という話をどこかで聞きました。

川添:確かに、ネコの言うことならなんでも聞いちゃいますよね...。

品田:ただ、人間も2割機械みたいなところがあると思いますね。それこそ、やる気のない学生のレポートとAIが書いたレポートの内容が似ているところとか(笑)。こうすればこうなるだろうというシステムのパターンで行動している部分が機械と重なります。

川添:確かに人間も、アイドリング状態で機械っぽく物事をこなすことがあると思います。でも限界が近くなってきて、嫌だ!って感じになると急に人間臭さが出てくるのかもしれません。品田さんの短編小説でも、意思とは関係ないところで人が自動運転のように日々を過ごしている…というお話がありますよね。

品田:ありましたね。自分の感情や意思とは別に、いつの間にか仕事をしている、みたいな。

AIは言語研究の対象になるのか

お話を聞いていて、AIと会話をすることや面白さを追求することは、まだまだ未知の分野であると感じました。

品田:今後、よりAIがコミュニケーションのかたちを変えていくと思います。川添さんは言語研究が大きく変わるという予感はありますか?

川添:人間の言語を研究対象とする学問については、あまり変わらないかもしれません。今のAIの隆盛は言語学とあまり関係がないところで発展してしまったので、この分野の研究者たちは自分ごとだと捉えていないところがあるんです。

でも今、こんなに流暢な言葉を喋るAIが出てきたのは一体どういうことなのか、と多くの人が疑問に思ってるはずなので、それにはちゃんと答えていかないといけないと感じています。ある意味、言語学を世間にアピールするチャンスかもしれません。

品田:今後は、AIが生成した文章がより生活に入ってきて、AIと会話する機会も多くなると思います。今でも既に機械が理解しやすいように人間の方が忖度することがありますよね。たとえば、Googleで検索するときは「〇〇 誕生日」と単語の間にスペースを入れたり、スマートスピーカーにハキハキと話しかけたり...といったことなど。AI側にとって都合がいい会話の形式が増えて、人間同士のコミュニケーションも変わるかもしれません。

川添:AIを介して他人とコミュニケーションをする場面が増えると、言語のあり方も変わるかもしれないですよね。面白い視点だと思います。

ちなみに、おふたりはChatGPT などと会話するときに、気をつけていることはありますか?

川添:私は、ありがとうと必ず言いますね。これからAIと話す機会が増えたときに、ぶっきらぼうな返しをしていたら、それに慣れて人に対しても同じように言ってしまうんじゃないかと怖くなるんです。どういたしまして、とAIが返してくれる優しさも良いですよね。

品田:自分ではないのですが、将来AIが人間より偉くなったときに助けてもらえるように、丁寧に接しているという人がいましたね(笑)。

これからのAIと創造性とは?

川添:品田さんは、自分の作品をいずれ全面的にAIに制作してほしいと思うことはあるのでしょうか。

品田:それはやってみたいですが、そうなると発注芸術というか、作家がコンセプトを考えて、業者が手を動かすようなアートのジャンルになっていくんでしょうね。

川添:いま現在、品田さんがAIを使う醍醐味は、どこにありますか?

品田:AIを使って出力するものの認識は、自然物のひとつに近い。人間の無意識の窓を覗き込んだときに見える風景の1つみたいなものだと感じています。

たとえば歩いていて見えた景色にはっとしたときに、景色自体にその要素があったわけではなくて、それを見たときの自分に何かはっとするきっかけがあったはずなんです。AIそのものに創造性が生まれるのはまだ先だろうし、何を以てそうと言えるのかはわかりません。でも人間がはっとするきっかけを与える媒体としてAIは必要だと思います。

今後、AIを取り巻く状況はどのようになっていくと思いますか?

川添:これから数年でAIのポジションが変わっていくかもしれないし、たいして変わらないかもしれない。いずれにしても、面白い世界になっていったらいいなと思います。企業や国家だけでなく、いろんな人がAIを使いこなせたらいいですよね。

品田:まだ人類史的にその歴史が浅いので、使用することに戸惑う部分はあると思いますが、ひとつのポジションとして今後確立されると思います。インターネットも、数十年前まではよくわからなかったのに、今では感覚的にそれがどういうものかわかりますよね。AIが今後どう生活に浸透してくるのかはわかりませんが、遠くない将来に当たり前になっているのだろうなと思います。でも創造性をつくるためには…やっぱりAIを極限まで追い詰めるしかないのでは。

川添:それはちょっと考えたことがなかったので、やってみます(笑)

おふたりの話を聞いて、AIとの関わり方について理解が深まりました。AIとのコミュニケーションをより楽しめる未来を期待しながらも、自分自身の感性も磨く努力を続けるべきだと感じます。ありがとうございました!

 

前編はこちら▼

 

★川添愛さんの新刊『言語学バーリ・トゥード Round 2 言語版SASUKEに挑む』は以下。
https://www.utp.or.jp/book/b582876.html

★品田遊さんの新刊『納税、のち、ヘラクレスメス のべつ考える日々』が9月20日発売予定。詳細は以下。
https://www.amazon.co.jp/dp/4022519975


川添愛(かわぞえ・あい)
1973年生まれ。九州大学卒業後、同大学院にて博士号取得。大学および研究機関にて准教授を務めたのち、言語学や情報科学をテーマに執筆活動を行う。『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険』(東京大学出版会、2013)をはじめとした物語形式でコンピュータや数学世界を紐解く作品を多数出版。『ふだん使いの言語学 「ことばの基礎力」を鍛えるヒント』(新潮社、2021)といった新書や、エッセイ『言語学バーリ・トゥード Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会、2021)、小説『聖者のかけら』(新潮社、2019)など、多彩な作品を生み出し続けている。

 

品田遊(しなだ・ゆう)
大学を留年するが、留年した状態で株式会社バーグハンバーグバーグに入社。Webサイト『オモコロ』を中心にライター・編集業務から動画出演などもこなす。2015年、『止まり出したら走らない』(リトルモア)で小説デビュー。著書に小説『名称未設定ファイル』(キノブックス、2017)やエッセイ『キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々』(朝日新聞出版、2022)ほか、note等のブログで日記を更新中。

 

<より理解を深めたい方へ|オススメの入門書>
・品田遊著『止まり出したら走らない』(リトルモア、2015)
・川添愛著『言語学バーリ・トゥード Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会、2021)
・大澤 真幸/川添 愛/三宅 陽一郎/山本 貴光/吉川 浩満著『わたし達はAIを信頼できるか』(文藝春秋、​2022)

 

取材、文:conomi matsuura
編集:Mizuki Takeuchi
写真:服部芽生