よりよい未来の話をしよう

私たちは100年前の人が想像した未来を生きている—ADHD当事者エッセイと時間の探求|作家・柴崎友香さんインタビュー

近年、大人の発達障害、特にADHDという言葉をよく耳にするようになった。そんななか、ADHD当事者である小説家のエッセイが話題を呼んでいる。野間文芸新人賞を受賞し、映画化もされた小説『寝ても覚めても』(河出書房新社、2014)や、芥川賞受賞作『春の庭』(文藝春秋、2014)などで知られる、柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』(医学書院、2024)だ。執筆の経緯や過去作品との関係についてお話を伺った。

「36年ぶりに目が覚めた心地」

本書執筆の背景について教えてください。

20年ほど前に、『片づけられない女たち』(※1)を読んで、「自分に当てはまりすぎている!」と思い、自分はADHDなのだろうなと考えてきました。とはいえ、当時住んでいた大阪では診断を受けられる病院を見つけるのが難しそうだったのもあり、自分で本を読むなどして対処していました。

その後、2021年に環境が変わり、お仕事で迷惑を掛けてしまうことが続いたんですね。そこで、ちょっとどうにかしたいと思ったのと、コロナ禍で時間があったこともあって受診したところ、自分の特性をもとに地図ができた感覚で、非常に面白かったんです。これは、自分が生きてきた経験のなかで難しいなと思うことや、違和感を覚えているところとつながると思ったのでまとめることにしました。

とはいえ、発達障害という複雑なことを自分の経験としてどういうふうに書こうか難しいなと思っていたところ、2020年に刊行された『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(※2)を読んで、こういう書き方があるのかと感銘を受けました。そして以前から読んでいた「シリーズ ケアをひらく」なら、自分の書きたい感じが実現できるのではないかと思ったんです。

コンサータ(ADHDの治療薬)を服薬されて「36年ぶりに目が覚めた」との記述も印象に残りました。どこまでがADHDの特性で、どこまでがもともとのご自分の性格の範疇なのか、など考えられていることはありますか?

ADHDの特性と自分の性格は、きっちりと分けられるものではないと思うんです。服薬しても、劇的に変わるというよりは、調子を整えているという感じなんですよね。エアコンを入れるのと似ていると思っていて、過ごしやすくはなるけれど、能力が急に上がるわけではないですよね。

『サムサッカー』(2005)という映画がありまして、普段何かとうまくいかない高校生の主人公がADHDだと先生たちから言われて服薬を求められるんですね。フィクションなのでデフォルメした展開なんですけど、服薬したらディベート大会で活躍して人気者になる。でもそれが「本当の自分」ではないと感じて、服薬をやめることを選びます。

「本当の自分とは」という葛藤が描かれていて、服薬してそのように感じる人もいると思います。でも、そもそも私は「本当の自分」みたいなものをあまり信用していないというか。決まっていないというか、うまくいくかどうかは(性質だけでなく)いろんな影響や経験で変わってきます。服薬して生活がしやすくなった部分もあるし、しばらく飲んでみて現在は週に3日ぐらいにしています。薬以外にも診断を受けて生活上の工夫ができるところがわかりましたし、特性との付き合い方も、自分にとってほどよいところを見つけられるといいですよね。

※1 作品:『片づけられない女たち』サリ・ソルデン著。2000年にWAVE出版より刊行された。
※2 作品:『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』横道誠著。医学書院の「ケアをひらく」シリーズのうちのひとつ

小説でしか表現し得ない世界で時間を捉える

『あらゆることはいま起こる』というタイトルからはマルチバースを想起しました。最近だと映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』も主役のキャラクター設計にADHDの特性が生かされていますし、監督のひとり、ダニエル・クワン自身もADHDを公表しています。

たしかに、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のタイトルも和訳すると「あらゆることは今起こる」ですね。

近い感覚があるなと思いつつ、映像で見るとくっきりとした別の世界がそれぞれある感覚に見えます。自分の感覚は小説的な、いくつもの時間が重なり合うような、混ざり合っているような、現在に未来が含まれているような感覚に近いと思っています。

「小説と映像作品だと時間感覚が異なる」ということでしょうか、もう少し詳しく教えてください。

映像だと、回想シーンなど違う時間軸の話を描くとどうしても現在とは別の場面になりますよね。文章だと、その境目がある程度ゆるく行ったり来たり...ということができますし、1分や1秒を数ページで表現することができる一方で、1行で100年進むこともできる、人の記憶にも出入りできる、というのが大きな特徴で、それが小説の面白さだと思っています。

ちなみに、小説以外のメディアを試されたことはあったのでしょうか?

漫画家にもなりたかったですし、映画も好きなので作ろうとしたことがあります。高校時代、バンドも結成だけして一度も練習せず。やりかけてやらないのもADHDっぽいですけど(笑)。

絵は思ったように描けなかったですし、バンドも映画も人と作るものですよね。映画監督の諏訪敦彦さんと対談した際、「映画を撮ろうと思った時に最初にすることは、友達に電話をかけること」と言われて、その通りだなと。誰かに出演してもらったり撮影を手伝ってもらったり。自主制作でもプロでも助けを求めなくてはいけない要素がたくさんあるので、自分の特性的には少し難しいなと思いました。

実際、自分が書いた小説が映像化される際に撮影を見に行ったこともあるのですが、やはり人と人との調整が多いので難しそうだと感じましたね。小説は、基本的に1人でできるというところが向いているのかもしれません。

柴崎さんの過去作と絡めて、もう少し違う角度から時間の感覚について伺ってみたいと思います。小説『わたしがいなかった街で』(新潮文庫、2014)や岸雅彦さんとの共著エッセイ『大阪』(河出文庫、2024)などに通底している「場所の記憶」への関心、言い換えるのであれば「自分は知らない過去の人々の積み重ねの上で生きている」という感覚はいつ頃から生まれたのでしょうか。

はっきりと意識したきっかけは、大学の地理の授業ですね。大阪の近代史について学ぶ授業で、近代の歴史を紐解いて、街の歴史や産業の変遷を学べるのが面白かったんです。大阪は、自分自身も暮らす街だったので。

そのなかで印象的だったのが、1930年代に第7代大阪市長の關一(せき・はじめ)のもとで行われた御堂筋の道路と地下鉄の開発の話です。開通当時、大阪の地下鉄車両は1両しかなかったんですね。しかし、将来的に10両や12両に増えても使える駅を作った。その5年前に開通した銀座線は6両から増やせませんが、御堂筋線は10両になっても当時のホームがそのまま使われている駅があります。

当時、私は御堂筋線を使って通学していました。昔の人たちが、未来の人のためにと思って作った駅を利用していたんです。過去の人が想像した未来を、今自分たちが生きている。ということは、私が今歩いているここを何十年後に歩く人がいる。​​大阪は歴史が長い街なので、そのような実感ができたのがよかったかもしれないです。

会ったこともないし、もちろん話すこともできない人たちだけれど、そんな人々の存在を小説だと実感できるのではないでしょうか。人の感覚をそのまま体験することは難しいですが、小説やフィクションに触れることで、他者の感覚を想像できるのではと思っています。

ADHDの話に戻ると、同じADHDといっても困りごとは人それぞれで自分の感覚でしかわからないですし、身体感覚は多様なものなのだと思います。今回、ADHDの当事者として本を書きましたが、書いたことがADHDを代表するものだとは思っていません。

私は自分の感覚やADHDの感覚に興味があって面白く感じて、職業柄、本も書けるという背景があるんですね。なので、「本に書かれているようにやらないと」、「自分ももっと自分のことを分析しないと」などと思わず、自分が過ごしやすい方法を見つけてもらうのが1番いいなと思っています。

自分の言葉を見つけるまで

先ほどの「困りごとは人それぞれ」という言葉について、もう少し詳しく教えていただけますか。

ADHDに限らず、困っていることは同じでもその背景が違うことがあります。例えば「食材のまとめ買いが苦手」という困りごとがあったとします。

友人は使いきれるように献立を考えるのが苦手で、食材を余らせてしまうからまとめ買いができないと言っていて、私は、昨日食べたいと思って買ったけど今日は他のものが食べたいと感じることが多いのでまとめ買いができないと言ったら、友人が「そんなことは考えたことがなかった」と(笑)。

また、ADHD的な特性としては、忘れ物やなくしものが多いのですが、本を読んだ人の感想に「なくし物のエピソードがあまりない」というのがあって。なんでだろうと考えてみたら、あまり家から出ないからなんですね。見失うことは多いですが、家のなかを探したら、そのうちどこかで見つかります。

だけどよく出かける人のなかには、ノートパソコンをどこかでなくして、そんな大きなものをなくしたことにすら何日も気がつかなくて...という話も聞きました。なくしものにも個性があるというか、何に困っているのか、その背景はなんなのか、聞いてみるとそれぞれで面白いですよね。自分が困っていることを話すと意外な人が「そうそう」と頷いてくれる場面もあります。そうして人の話を聞いて共通点と違いを考えていくと、対処の仕方のヒントになります。

誰かのある一面しか知らないという状態は、例えるのであれば街のメインストリートのことしか知らない、ということと似ている気がしました。それが、ふと脇道に迷い込んで、こんな道があった...ということがあるように、困りごとにまつわる話を聞いて発見することがあるんですね。

そうそう、同じ職場でずっと働いていても、相手のメインストリートしか知らなかったりして、意外な一面があったんだと思わされることはありますよね。

ちなみに、道草はお好きなんですか?

とても好きですね。会社勤めをしていた時期があったんですが、4年間のうち、どこにも寄らずに職場からバス停まで帰った日は3回ぐらいしかないんです(笑)。本当に用事がある日ぐらい。

ただ、今は色々な手段があることでやるべきことが増えて、余裕がなくなって、道草がしにくくなる...ということがありますよね。

たとえば携帯電話ができて、休みの日にも仕事をしないといけないとか。携帯電話は、普及当初は電車で通じなかったんですよね。速く動いているところは電波が通じなくて。地下鉄なんかもほぼ電波が入らなかったので、仕事中でも地下にいたので連絡がつきませんでした、ということが言えたんです。

まだその言い訳ができたのが飛行機だったんですけど、最近は機内もwi-fiが通じていますね。それは便利だけれども、ここもここも使える時間でしょ、みたいにどんどん自由な時間や余裕がなくなっていく。

便利になって楽になった部分もあれば、できるようになったのだからできないことは自己責任、という感じで、求められることが増える...というしんどさはあるかもしれませんね。

本日お話を伺い、変化する時代も感じつつ、ご自身の時間感覚を大切にしながら、試行錯誤のなかで、自身に合う方法を掴み取られてきたのかなと思いました。この記事を読んでいる若い年代、いま自身のあり方を模索している人に何かアドバイスをお願いします。

何か1つのことを極めるとか、第1志望でないといけないとか、最後までやらないといけないとか、そういったことに縛られず、違うと思ったら変えてみてもいいと思います。

私の場合、子どもの頃から小説家になろうと思っていましたが、なかなか書き続けることができませんでした。実家が美容室で高校に行く条件が平行して美容学校の通信制に行くことだったので、夏休みに入ったら美容学校のスクーリングに通っていたんですね。その際、周りはやる気があってがんばっているから、全く美容師になるつもりのない自分は小説をしっかり書かなくてはという気持ちが発動して、初めて小説を書き上げることができました。

その作品はどこかに応募などしなかったのですが、その後大学生になって就職が迫ってきたときに、このままではいけないから小説をちゃんと書かなければと切羽詰まってきて、就職してすぐに書いた小説を文学賞に応募したことが今の仕事につながりました。

自分がやりたかったことではない状況に置かれたことで、かえって自分がやりたいことがはっきりしたんです。それに一度企業に就職したことで、世の中には多様な仕事があることに気づきました。

いろいろと試してみることで、自分がやってみたいと思うことが出てくるかもしれないし、好きなこととやりたいことと向いていることはそれぞれ別のことで、重なっていればラッキーだし、あまり重ならないならどのあたりをとれば自分にとっていいのか探っていけばいいと思います。はじめからわかっている人はなかなかいないし、正解が1つしかないと決めてしまわないことが大切なのかと思います。

柴崎 友香(しばさき・ともか)
小説家。1973年大阪生まれ。
2000年『きょうのできごと』でデビュー(行定勲監督により映画化)。
『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(濱口竜介監督により映画化)、2014年に『春の庭』で芥川賞を受賞。2024年に『続きと始まり』で芸術選奨文部科学大臣賞、谷崎潤一郎賞受賞。
他の小説作品に『待ち遠しい』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『ビリジアン』『虹色と幸運』『百年と一日』など、エッセイに『よう知らんけど日記』『大阪』(岸政彦との共著)など多数。人文地理学専攻で、場所の記憶や建築、写真などに興味がある。
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/115140

 

取材・文:Mizuki Takeuchi
編集:日比楽那
写真:服部芽衣