NHKで放送中の連続ドラマ小説『虎に翼』。第1話の冒頭「すべて国民は、法の下に平等」という日本国憲法第14条のナレーションから始まる本作。戦争孤児、女性蔑視、選択的夫婦別姓、同性婚など社会のあらゆる問題が丁寧に描かれている。また、主人公・猪爪寅子(伊藤沙莉)をはじめとする魅力的な登場人物が成長していく姿も相まって、あらゆる層から共感を呼び放送当初から話題を集めている。
本作には考証として、法律考証、裁判所考証、朝鮮文化考証など、本作内で扱うあらゆる事象に対して、その道の専門家が制作に携わっている。考証担当の存在も本作の評判を高めるうえで、大きな役割を果たしていることは間違い無いはずだ。
そこで今回は、そのなかでも「ジェンダー・セクシュアリティ考証」を務める、福島大学・前川直哉准教授に話を伺った。ジェンダー・セクシュアリティ考証の具体的な仕事とは、考証が入ることでどのような役割を作品にもたらすのか。また、ジェンダー史の観点から見た『虎に翼』の凄さについても語ってもらった。
ジェンダー・セクシュアリティ考証の仕事とは
はじめに、ジェンダー・セクシュアリティ考証の仕事内容を教えてください。
基本的には脚本の段階で目を通して、コメントをすることですね。
確認の観点は主に2つあって、1つは、歴史的な観点です。ジェンダー史の観点からセクシュアリティなどの描写を確認し、舞台である戦前からの日本に合致しているか、という点です。もちろんドラマはフィクションなので、史実に完璧に則る必要はないですが、自然に描けているかを確認しています。
2つ目は、作品の表現が性的マイノリティへの偏見を強化したり、当事者が傷つくような表現になっていないかという観点です。
1つ目の「歴史的な観点」についてですが、どのように確認を行うのですか。
私が有している専門知識に加えて、当時の雑誌や書籍で確認します。
日本に「同性愛」という概念が入ってきたのは大正時代で、その頃から男性同性愛者は雑誌に寄稿していました。そのなかでは自分のことが赤裸々に綴られているので、雑誌は、当時の男性同性愛者が抱えていたリアルな悩みなどを把握することができるんです。
2つ目の「ジェンダー・セクシュアリティ表現の観点」についてもお聞きしたいです。具体的にはセリフなどを確認するのでしょうか。
脚本上で確認できる点でいえばそうですね。あとは、個人のセクシュアリティに関わるような場面に対して「この場面は、少し注意して扱った方がいいかもしれません」とコメントすることもあります。
ただし、基本的には吉田恵里香さんの脚本が本当に考え抜かれているんです。なので、私が指摘する箇所は、表現や時代に適した言葉の遣い方など、本当に、細かいところぐらいでした。
例えば、男性同性愛者である轟(戸塚純貴)が、恋人の遠藤(和田正人)との関係を、寅子にカミングアウトする場面。ここでは轟が寅子に伝える前に、遠藤の意思を確認して、アウティングにならないようにします。この場面で「アウティングにならないように気をつけたいですね」というやり取りは、吉田さんを含めた制作陣とも話していました。そして、出来上がった台本を確認すると、アウティングにならないよう考え抜かれた台本になっていて…さすが吉田さんだなと。
▼アウティングについてより詳しく知る
歴史的な観点でも、同性愛を描くことは不自然ではない
他にも前川さんが考証として深く携わられた場面があれば伺いたいです。
全話の脚本に目を通していますが、メインは轟のセクシュアリティに関する描写になります。ただ先ほども言った通りで、吉田さんの脚本にはもともと、歴史的に見ても不自然な箇所が本当に少ない。
少しジェンダー史的な話をしますと、当時(1955年頃)は同性愛に対して、いま以上に厳しい差別があったんです。ただ、男性同性愛者による独自のメディア空間はすでに存在していました。
メディア空間とは、先ほどの雑誌がそれに該当するのでしょうか。
おっしゃる通りです。雑誌の男性同性愛者が投稿し合うコーナーはそれに該当します。あとは雑誌から派生して、会員制の同人誌も存在していて、そのなかではかなり自由に自分たちの想いを述べていたんです。私もこれらの雑誌を多く読み込み、『<男性同性愛者>の社会史』(2017、作品社)という本を書きました。
『虎に翼』に対する意見で、平成や令和になってから話題にあがった同性婚を、昭和の話で扱うのは違和感がある、という意見もあったようです。一方で、私の知る限りだと同性婚を希望する当事者の声は、早いものでは大正時代、1923年の雑誌にも掲載されています。
歴史的な観点でも、『虎に翼』で同性愛を描くことは、不自然ではないんですね。
『虎に翼』をジェンダー史から読む
前川さんのお話を受けて、『虎に翼』がジェンダー史の観点からも丁寧に作り込まれた作品である印象を受けました。
おっしゃる通りです。ジェンダー史という観点でいえば、戦後によね(土居志央梨)と轟がタッグを組んで一緒に始めた「山田轟法律事務所」も外せないポイントです。
戦後に憲法が新しくなりますが、女性差別は現在に至るまで大きな問題として社会に残っていますよね。この背景として大きいのが、性別役割分業に則った“近代家族”という存在です。(※1)いわゆる、男性が外で仕事をして、女性は専業主婦として家で家事をするというものですね。
近代的な性別役割分業を背景に、公的社会を男性が独占する構造が作られる。そこから排除されるのは、1つが女性。なかでも、「主婦ではない女性」は世間から厳しい視線にさらされます。もう1つは、ホモソーシャルな絆とも言われる男性社会のなかで疎外感を感じる男性、つまり「男性同性愛者」です。
まさしく、作中だとよねと轟ですね。
ですから、よねと轟が一緒に法律事務所を開くということは、ジェンダー史的にも非常に納得がいく、考え抜かれた構成になっています。
戦前にも近代家族は存在していましたが、多くの人に広がるのは戦後なんです。農家がサラリーマンに変わっていくことが大きな理由ですね。
近代家族は比較的、“新しい家族のあり方”で、少しずつ広がりだしたのが大正時代です。作中だと、まさに寅子が育った家が該当します。
寅子の母・はる(石田ゆり子)の出身は四国の旅館で、親は、旅館の将来を考えて結婚相手を選ぼうとしていたという設定でしたよね。つまり、何よりも“家”のことを大切にする考え方だった。ところが、はるが選んだのは、直言(岡部たかし)と結婚して、専業主婦になるという道です。
当時、「家のために結婚せず専業主婦になるという道」は新しい生き方でもありました。だから、物語の序盤で、はるは寅子に結婚を勧めるんです。ただ、近代的な性別役割分業は、女性にも男性にも新たな足かせとなっていく。そこを丁寧に描いているのが『虎に翼』のすごいところです。
※1 用語:近代社会の中で形成された性別役割分業を前提にした家族のあり方
110作品目にして初のジェンダーセクシュアリティ考証
ジェンダー・セクシュアリティ考証がドラマ制作に携わることで、期待される効果を伺いたいです。
2つあるかなと思っていて、1つは、ドラマの完成度をより高めるということです。作品を、歴史的な観点や専門性の観点など、理論上の部分でサポートできればと考えています。
もう1つは、作品によって傷つく人をできるだけ少なくしたいということです。もちろん、誰も傷つかない表現というのは現実にはほぼ不可能なのでしょうが、特に、当事者のマイノリティの人が、なるべく傷つかないようにしたい。
過去に吉田さんがXで、『虎に翼』では「透明化されている人たちを描き続けたい」という想いを綴られていました。吉田さんのその気持ちがなるべく誤解がないように、当事者の人たちに届くようにサポートしたいですね。
#虎に翼
— 吉田恵里香@朝ドラ虎に翼4月1日スタート。TB2のコミカライズもよろしく! (@yorikoko) 2024年6月10日
よねが【白黒つけたい訳でも白状させたい訳でもない】と言っていますし、轟も自認している訳ではないのですが、一応、念の為に書いておきますね。…
前川さんの発信で知りましたが、ジェンダー・セクシュアリティ考証が朝ドラに入るのは『虎に翼』が初めてだそうですね。
逆に言うと、朝ドラは『虎に翼』が110作目なんですけど、性的マイノリティの主人公がいないということ。つまり、「社会で“いないこと”にされてきた」わけです。作中に直接的な差別表現があることは、もちろん差別に該当しますが、いないことにするというのも一種の差別ではないでしょうか。
ただし、これは作り手側の責任というよりも、社会全体にまだまだ性的マイノリティに対する偏見・差別があるからだと考えています。
他人に対する“無条件の”思い込みは差別かもしれない
ジェンダー・セクシュアリティ考証として『虎に翼』に携わるうえで、意識していることや大切にしている想いがあれば伺いたいです。
吉田さんや制作陣、キャストの皆さんの想いに応えたいということは常に最優先にしています。実は吉田さんから「女性同性愛者のコミュニティが当時存在していたか」という質問をもらったことがあるんです。
私は「女性同性愛と男性同性愛、非対称の百年間」という論文を書いたことがあるのですが、同じ同性愛者の中でも女性同性愛者は男性同性愛者に比べ、より強く不可視化されていました。男性同性愛者のコミュニティは存在していたのですが、女性の場合その形成はもっと後の時代となります。吉田さんがXで投稿されていたのがその部分です。
#虎に翼、 いつもは長くなる話は昼放送後に呟くのですが、今日はこの時間に呟かせてください。長いのでお時間がある方だけお付き合いくださいませ。…
— 吉田恵里香@朝ドラ虎に翼4月1日スタート。TB2のコミカライズもよろしく! (@yorikoko) 2024年8月20日
このことから言いたいのは、差別というのは1種類だけではないということ。学問上だと「インターセクショナリティ」なんて言葉が使われます。複数のアイデンティティが組み合わさることで、マイノリティのなかでもより焦点の当たりづらい差別を受けている当事者がいるわけです。たとえば香(ヒャン)ちゃん(ハ・ヨンス)についても、そうですね。
吉田さんは複雑に絡み合う差別の問題についてもすごく意識されていると思うので、私もその点は注意しながら脚本を確認するようにしていますね。
「透明化される人たちを描きたい」という想いが込められた作品なので、視聴者である我々にもできることがあるのではないかと考えさせられます。
当然、差別はしてはいけないんですけれど、誰しもがついうっかりしてしまう可能性があるんです。私自身もいろいろな偏見や差別をしてしまうことがあります。
多くの差別は、知識不足、あるいは注意力や想像力が及んでいないがために起こっていると思っています。例えば、誰かを見たときに無条件にその人をシスジェンダーのヘテロセクシュアルだと思い込むこと。これはもう個人の問題というよりも、日本の社会に根強く残る問題だと考えています。
『虎に翼』に置き換えると、轟とよねに対して「この2人付き合ってるのかな」や「2人は結婚するのかな」と思いながら見てしまっていた、という方もおられたと思います。逆に轟と花岡(岩田剛典)の関係は、友情で、ここには恋愛感情はないはずだという思い込みをしていた方もいるのではないでしょうか。
登場人物のセクシュアリティを無意識のうちに決めつけているわけですね。
「轟が同性愛者でがっかりした」とか、「朝から性的マイノリティを見たくない」といった感想をインターネット上で書く人がいますが、これは当事者にとってはすごく傷つく発言です。私自身、性的マイノリティ当事者ですが、私も朝、同じように起きて、朝食をとって、ドラマを観ています。
『虎に翼』が、自分の周りにも、性的マイノリティの人がいるかもしれない、という考えを持つきっかけになればいいですよね。もちろん、誰かのセクシュアリティをあぶり出そうとする行為はプライバシーの侵害なのでしてはいけません。
▼シスジェンダーとヘテロセクシュアルについてより詳しく知る
『とらつばロス』が心配
ジェンダー・セクシュアリティ考証のように、専門家が制作に携わることは、まだまだスタンダードではないと考えます。
これは、ジェンダーやセクシュアリティに限らずですが、いわゆる、ポリティカル・コレクトネスは大切にされて欲しいなと思います。
「“ポリコレ”はエンタメをつまらなくさせる」という意見を目にすることがありますが、私はまったくそう思っていません。むしろ、専門家の考証が入ることで、より多くの気づきを視聴者にもたらすケースも多々あります。
実際に『虎に翼』も反響が大きく、視聴率も好調ですよね。これって、NHKや吉田さんが視聴者を信頼して世に出して、それを多くの視聴者が受け入れたという結果ではないでしょうか。作り手と受け手の信頼関係のもとで生み出されたエンターテイメントがきっかけで、社会が少しずつ変わるかもしれない、そういうプロセスに私たちはいると思うんです。
マイノリティを笑いものにするような作品ではなく、より良い方向に社会を変えていくような作品作りが主流化してほしいと思いますね。
▼ポリティカル・コレクトネスについてより詳しく知る
最後に、『虎に翼』を楽しみながら、感じて欲しいことや考えて欲しいことがあれば伺いたいです。
優れた作品の特徴の1つに、何通りもの見方ができることがあると思っています。見た人が、エンパワーされるもよし、新たな気づきを得るもいいんじゃないかと。誰かと、自分の好きなシーンについて語る『とらつば語り』をしても、違った気づきが得られるかもしれません。
実は朝ドラの話を最初いただいたときに、ジェンダー・セクシュアリティの話を扱うと言っても、ちょっと出てくる程度なんじゃないかと、若干諦めていた部分もあったんです。それが蓋を開けてみると、本当にすごく踏み込んだ内容で感動しました。もちろん、いちファンとして毎回の放送を楽しみにしています。その分、いまから「とらつばロス」が心配ですが(笑)。
これまで透明化されてきた人や問題を丁寧に描く『虎に翼』。そのうえで、専門家たちによる考証が果たす役割はことさら大きいと言えるだろう。前川さんに話を伺い、作品づくりにおいて専門家の考証が一般化されてほしい気持ちはより一層高まった。
『虎に翼』は自分の人生の指針を示してくれる指南書のような作品だと感じている。自分が“社会の普通”に流されそうなとき、人生の選択に迷ったとき、もう一度『虎に翼』を見返したい。そうすることで、社会に対して「すん」とならずに、「はて?」と疑問を持ち続けることができるはずだ。
そうすることで1人でも多くの人が、「年を重ねて人生を振り返った時、心から幸せだった」と言えるような社会の実現に近づくのではないだろうか。
文・取材:吉岡葵
編集:安井一輝
写真提供:©NHK