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私と宇多田ヒカルの25年(後編)—さまざまなことをを表す言葉は、まだ考えてる途中|下地 ローレンス吉孝さん・鈴木みのりさん・クラーク志織さん

2024年、デビュー25周年を迎える、歌手・宇多田ヒカル。4月10日にベストアルバム『SCIENCE FICTION』が発売。また、7月13日の福岡マリンメッセを皮切りに6年ぶりとなる『HIKARU UTADA SCINCE FICTION TOUR 2024』で全国7ヶ所を周るツアーが始まる。

そこで、あしたメディアでは、宇多田ヒカルの長年のファンである、社会学者の下地ローレンス吉孝さん、作家の鈴木みのりさん、イラストレーター/コラムニストのクラーク志織さんの「私と宇多田ヒカルの25年」と題した鼎談を実施。前後半の2本立てでお届けする。

前半に引き続き、楽曲にまつわるエピソードと共にトークが繰り広げられた後半パート。宇多田ヒカルの楽曲への想いやノンバイナリーのカミングアウトについて感じたこと、また若者におすすめの宇多田ヒカルの楽曲について伺った。

<私と宇多田ヒカルの25年(前編)はこちら>

聴くたびに新たな発見がある、宇多田ヒカルの楽曲に救われている

聴くたびに新たな魅力を発見できるという宇多田ヒカルさんの楽曲。2004年にリリースされて全米デビューを飾った『EXODUS』や、2001年の2ndアルバム『Distance』、「キレイな人 (Find Love)」(2022)と「Movin' on without you」(1999)に共通するキーワードについて話を伺った。

下地:『SCIENCE FICTION』に入っていない曲で恐縮なんですが、『EXODUS』収録の「Hotel Lobby」(2004)が、昔と今では聴いた時の感覚が違います。歌詞の最初の部分では「She」という代名詞が使われていて、ある人について歌われているんです。最初は「自分ではないある強い女性の話」をしているのかなと思って聴いていたんですけど、サビになるとホテルのロビーにある鏡の前で「私が私自身と出会う」という歌詞になっていて。自分のことだったと分かるようになっていて、それが良くて。あと “街で、町で、家庭で、いろんなことが歪められる。だから、(わたしの)本当の人生の物語を知りたければ、お金を持ってこい、お金を持ってこい”と書かれている部分は、自分の発言を勝手に切り取って報道するメディアへの意見のようなものを想起させますし、強さが伝わってくるのも好きなポイントです。

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鈴木:当時のヒッキーは、「Hotel Lobby」の歌詞はミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』からインスピレーションを受けてる、という話をしていました。鏡の話はまさしく、クンデラっぽさが感じられますよね。あと、『EXODUS』だと、「Kremlin Dusk」もエドガー・アラン・ポーの詩を引用していて、こういう文学への愛着にもグッときちゃいます。

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下地:あと、『Distance』(2001)に収録されている「Parody」も、生活の中のありきたりな物語の断片はすべてパロディーのようだけれど、でもそれが自分のリアルなストーリーなんだという歌詞に色々考えさせられることがある。

鈴木:わかります… あの曲は『UTADA HIKARU UNPLUGGED』(2001)のライブバージョンが最高です!“七階まで急いで”とか、リアルだけど抽象的ですごい歌詞!

下地:ですね!“誰かの真似じゃない 私はこれから続きを書きます”、“自分の靴しか履けない それで歩けるんだからいい”などなど...すみません、話したいことが多すぎて、自分の経験とか関係なく好きな曲の話をしちゃってます(笑)。「Easy Breezy」(2004)も好きです。新しいマイクロフォンをゲットしたっていう部分は、以前は、男を捨てて新しい男と出会ったというような意味で解釈していたのですが、今は、男なんか必要ないんだ!というようなニュアンスに聞こえてきて。日本人・日系の女性に対するステレオタイプな表現を逆手に取る歌詞もすごいなと思いました。あとは、「キレイな人 (Find Love)」(2022)と「Movin' on without you」(1999)はどちらもシンデレラの話を引用してるんですけど、自分自身に足りないところがあってもそれを受け止めていこうとする歌詞なので、すごく自分に刺さる。とにかく、色々な作品に救われる部分がありますね。

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アイデンティティは見る方向によって変わるもので、1つに固定されない

鈴木:下地さんの「Hotel Lobby」のお話にも通じるんですけど、ヒッキーは「アイデンティティは見る方向によって変わるもので、1つに固定されない」ということをずっと歌っている人だと思っています。10代、20代のときはそういう表現にすごく勇気づけられました。

そのころわたしは、自分について相手に説明する必要があると感じられる場面が今よりあって、そうすると自分を「何かのカテゴリー」に当てはめるしか言葉が見つからなかったんですね。それは、マジョリティの社会における、マイノリティとしての自分とのコミュニケーション上のコンフリクトが起きたときに解消する意図で「説明」してました。ただ、あるカテゴリーの言葉を使ってしまうと、付随する「定義」や「説明」に固定されてしまう、個人として見てもらえない、という葛藤を抱えていたんです。いかに説明的な表現やカテゴリーではない形で、相手と個人として関われるだろうか?と悩んだときに、ヒッキーの曲で踏ん張った。こういう気持ちを抱えているのは自分1人じゃない、しかも同年代にいるということは、当時の自分には大きな支えでした。

下地:なるほど。

鈴木:あと、宇多田さんはすごくマーケティングセンスがある方だなとも思ってます。Utadaとしてアメリカで再デビューした当時、アメリカでは「ディスティニーズ・チャイルド」はじめ、主体的な女性像を歌うアーティストが増えていた印象があります。それで、アメリカで『EXODUS』を発売する時に主体的な女性...今では、「女性として扱われる人」でしょうか、そういう主体性を意識して、さっき下地さんが言ったような歌詞を作ったんじゃないかと思います。ただそれも、流行りだからを取り入れてるというだけじゃなくて、自分もそうだと思うところがあるから、自分なりに昇華して作品に落とし込んでるんじゃないかな。

『HEART STATION』(2008)はいちばん好きなシングルのひとつですが、Perfumeがブレイクした時期で、穏やかなキーボードの旋律なのにビートは躍動する感じで、「Baby Crusing Love」(2008)と通じてる、と抜け目なさを感じました(笑)。

「Easy Breezy」のMVは、キャットラインを引いてるところとかアジア人女性のティピカルなイメージを意識した感じがする反面、歌詞はそれに100%迎合しているわけじゃない。このあたりのズラし方が絶妙なんですよね。

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クラーク:アイデンティティの話でいうと『Addicted to You』(1999) のリリース時に、ヒッキーが突然、茶髪細眉になったのです。けっこう大きなイメージチェンジで、その時高校1年生だった私も「ヒッキーが急に大人っぽくなった!」と驚いた記憶があります。その頃、クラスメイトたちがそのイメージチェンジに関して「私の彼氏が、ヒッキーはヤッたんだろうって言ってた!」と盛り上がっているのが教室で聞こえてきて、なんとなく「そうなのかぁ?」と思いつつ、どうして女性(ノンバイナリーのカミングアウトのずっと前で、私は当時ヒッキーを女性と認識していました。)が容姿を変えることが性的なことと結び付けられてしまうのだろう?とモヤモヤしたことを覚えています。

性の匂いを隠さずに歌うところも魅力

鈴木:『EXODUS』の1つ前のアルバム『DEEP RIVER』(2002)も大好きなアルバムです。この時期に、紀里谷和明さんと結婚しますが、当時の「traveling」「光」「SAKURAドロップス」のMVでの、ヒッキーと紀里谷さんのやりとりのモノマネをずっとしてました(笑)。一方アルバム自体は、ジャケットも重いムードがあって、「コミュニケーションの不可能性」を歌う内容に、そうだよね、他人に自分のことなんてわからないよね、とうなずきながら、くりかえし聴いていました。

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クラーク:その後に続くのがシングル『COLORS』(2010)やアルバムの『ULTRA BLUE』(2006)でしたっけ?

鈴木:「COLORS」は、デビュー当時の「R&B」という枠から抜けた感じが、この曲でひとつポップスとして達成したと思いました。歌詞も大好きです。「虹色バス」(2008)も優れたポップスだと思いますが、牧歌的な曲調が、終盤に変化して、“誰もいない世界へ 私を連れて行って”とトリップする怪曲...。2010年いっぱいで、「人間活動」に専念すると、音楽活動を休止する前のライブに行った際は、最後の方に歌ったときは、「もうヒッキーは帰ってこないかもしれない、それでもいいよ」と思っていました。

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「虹色バス」に“ちょっとエッチな話で盛り上がってみたりして”という歌詞があるんですけど、当時は10代、20代でそういう性の匂いがする歌詞を書いてる人がいなかったんですよね。「Be My Last」(2006)の“with My Hands”、「First Love」(1999)の“I’ll remember to love You taught me how”などもそうです。そういう部分をてらいなく書いてるところも好きな理由でしたね。

あと、気合いを入れるときに決まって聴くのは「Merry Christmas Mr.Lawrence - FYI」(2009)です。ヒッキーはプライドマーチに参加したのか、気になります。

下地:私もローレンスという名前なので、自分の主題歌のような感覚で聴いています(笑)。

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クラーク:そういえば、性の匂いという言葉で思い出した話が1つあります。「Making Love」(2006)がすごく好きで、大学時代からの親友と私との関係を歌っているように感じるんです。当時、そういう友情をまっすぐに歌った曲にそこまで触れていなかったことも影響しているかもしれませんが。

私がロンドンに引っ越すときにその友人にこの曲を送ろうと思ったんですけど、よく聴くと「あれ、そういえばサビの部分で Making Loveしてるじゃん」って気がついたんです(笑)。そういう話はあんまりしない間柄だったので、結局送るのはやめちゃいました。「Making Love」を聴くと今でも少しだけ気恥ずかしくなった当時の感情を思い出します。

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自身のロンドンでの生活とリンクする「BADモード」

クラーク:いま1番好きなのは「BAD モード」(2022)です。つい2、3週間前に息子と道を歩いてたらアジアンヘイトの被害に遭ったのです。とてもショックで落ち込んでいた数日間、1人でひたすら「BAD モード」を聴いていました。夕日を見ながら口ずさんで涙ぐんだり。

これは私の勝手な妄想なんですけど、もしかしたらヒッキーもアジアンヘイトの被害に遭ったことがあって、この歌にもそういった経験が反映されていたりするのかもしれないとか、自分の経験とリンクさせて聞いちゃいますね。

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下地:リンクという点でいくと、「DEEP REVER」(2002)に “与えられた名前とともに全てを受け入れるなんてしなくていいよ”という歌詞があるんです。こういう歌詞から、決まってしまった現実を変えていこうということや決められた物に対して「そうじゃないんじゃない?」と提示する意思を感じていて。ここはすごく共感して聴いていました。

最初の「Automatic」(1999)からずっと試みられている、英語と日本語が切り替わっていくことや、リズムと言葉をずらしていくことで「規範というものと、そこに当てはまらないのが人間だよね」ということを丁寧にいろんな角度から表現しているように感じます。

クラーク:ストレートに恋愛を歌っているようで、実は歌ってなさそうで、というところが、聴き手の解釈によって色々な角度から楽しめる感じはすごく綺麗ですよね。

私たちも宇多田ヒカルも、価値観を伝える言葉を考えてる途中

クラーク:あとは、少し違う切り口で1曲挙げさせてもらうと、『初恋』(2018)に収録されている曲で、おそらく息子さんとの関係性を歌った「あなた」に少し思うところがあって。“戦争の始まりを知らせる放送も アクティヴィストの足音も届かない この部屋にいたい もう少し” という歌詞があるんですけど、ここを聴いた時の感情が日によって変化するんです。

「アクティビズムに対して壁を作るような歌詞がちょっと寂しい」と思ってしまう日と、「子どもとの時間の中で、ある種外界での戦いを伴うイメージを忘れていたいという気持ちも、わかる。私もそういう時はある」という感情で少し揺れるんですよね。ファンだからこそ、宇多田さん自身がアクティヴィストやマーチにどれだけ共感されているのかというのは少し気になったりしちゃいます。

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鈴木:その感覚と通じるかわからないんですが、大好きな「気分じゃないの(Not In The Mood)」(2022)で、シェルターに入るために詩を売っている人に、スコッチを飲みながらロエベの財布からお金を出して買う、という描写に戸惑いました。自分はどちらかというと前者なので、宇多田さんの「貴族的」な感覚をどう考えたらいいのか?

あと、「ノンバイナリーのカミングアウト」については少し思うところがあります。身近な人たちに対して自分のジェンダーについて話すことと、公の場でセレブリティとして話すのでは意味が変わりますよね。日本語文化圏に向けてノンバイナリーを名乗るということは、今後、宇多田さんの振る舞いとか表現が「代表」になる懸念があります。

公表後の資生堂のCMでは「女性」として扱われていましたが、「男/女」二元論にハマらない、揺らぎがあるノンバイナリーやジェンダークィアと名乗る人たちには、自分を「女性や男性と扱われるときがあってもいい」と考える人たちもいるけど、わたしも困惑しました。日本では、ジェンダーという概念自体が一般に共有されていないし、「男女二元論」なんかも理解されないことの方が多い。特に、ノンバイナリーやジェンダークィアであっても、性別移行するトランスジェンダーでもある場合、他人から見た「性別」に左右されやすい。

そういう日本の現状で生きる人たちがいるなかで、「女性」として扱われてもいい、というのはどういうことなのか?もちろん、そうだと公表することで、自分と同じ、もしくは近いジェンダーの人たちへの応援や寄り添う気持ちもあったとは思います。今日はおふたりの意見を聞いてみたいと思っていました。

ヒッキーがこの話をした当時は、今に続くトランスフォビア(※1)が加熱していたんですね。それこそ、宇多田さんが住むロンドンに住む作家のJ・K・ローリングは、当時から、今でもトランスフォビックな発言を繰り返してます。

ノンバイナリーは、トランスジェンダーという概念から派生した、トランスのコミュニティから名乗る人たちが出てきたと言われてますが、宇多田さんが住むUKはトランスフォビアのすさまじいバトルグラウンドになっていて、そういう話は知ってるのかな? と気になっています。もし知っているようなら、セレブリティとして名乗るのと合わせて、自身のオーディエンスの多い日本に向けて、誤解や偏見、差別意識を払拭するための何かを言ってくれないかな、と勝手に期待している部分もあります。

下地:私自身も自分のジェンダーアイデンティティをジェンダークィアあるいはノンバイナリーと考えていて、今日「ノンバイナリーのカミングアウト」について話したいと思っていました。宇多田さんはかつて、男性の書く恋愛の歌詞が好きだといったような話をされていた記憶があり、例えばU2の「With of without you」などのように男性の曲をいくつかカバーしていたり、歌詞でも「僕」や「俺」など一人称を使い分けていたり…。

「ヒカルパイセンに聞け!」というインスタライブでのカミングアウトの際も、宇多田さんの発言は「日本語と英語で印象が異なる」なと思っていて。日本語で話されていた内容を聴くと、「私は、ここ数年で知ってそれなんだって思って、日本でどれぐらい広まってる言葉かわかんないけど、ノンバイナリーに該当するっていうのを最近知った」という感じで、「いつものヒッキー」みたいな感じで話しているんです。ただこのとき英語でも話しているのですが、英語で発言している際には「show the solidarity and love to humankind」というような発言をしていて。プライド月間に合わせた発言だったり、「solidarity」というポリティカルなニュアンスのある言葉も使っていたりして、「共に立ち上がる」というニュアンスが含まれていたのかなと思いました。

 

他にも、Apple Musicの「The Zane Lowe Show」という番組の英語でのインタビューでは、ジェンダーアイデンティティについて、日本では「議論をすること」自体が少なくてちょっとした責任を感じる、、というような話をされているのを見た記憶があって。人によってはカミングアウトすることによって、家族からのサポートや愛情が失われたり、仕事を失ったりすることもあるけど、自分にはその心配はないという、自分が特権的な立場にいるということを理解した上で、だからこそ発言する。「responsibility」という言葉をつかって話をされているときにそう感じました。

 

これらを踏まえると、宇多田さんは日本語圏と英語圏の社会を生きていくなかで、自分の価値観や考えを伝えるのにどういった言葉を使うのか、どういう風に話すことがベターなのかを常に模索しつつ発信されているのではないかなと思うんですよね。

鈴木:ノンバイナリーやジェンダークィアと気軽に名乗っていいはずだと思うんですが、一方で、その政治性をどのくらい考えているのか、そしてそれを日本語のリスナーにどういう意味をもたらすかは、気になっています。ただ、確かに英語の方が政治性を語りやすいのかもしれません。Utada名義で作られた全曲英語のアルバム『This Is The One』(2009)の「On & On」から「Merry Christmas Mr.Lawrence - FYI」の流れはすごく政治性を感じるんですけど、日本語だとそれを感じることが少ない気がします。

ジェンダークィアやノンバイナリーといった、わたし自身のアイデンティティを表せる言葉は英語圏から得ているんですけど、日本語文化圏で生活していて、うまくフィットしないと感じる場合もあります。だから、日本語でどう自分のアイデンティティを表現するのが良いか、わたしも考え続けているところです。その点では、わたしたちと宇多田さんは同じ課題を共有しているのかもしれません。

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※1 用語:トランスジェンダーの人たちに対する嫌悪感、否定的な感情や価値観。

読者におすすめの「宇多田ヒカルの楽曲」

それぞれの25年が宇多田ヒカルの楽曲と共に在ったことが窺い知れる鼎談。終盤に近づいても話題は尽きず、気がつけば既に予定の時間をオーバーしていた。最後に、あしたメディアの読者に向けて『SCIENCE FICTION』と併せて聴いてほしい曲を伺った。

下地:『SCIENCE FICTION』に収録されている「光」と併せて「嘘みたいなI Love You」(2002)と「Simple And Clean」(2003)を聴いてほしいです。というのも、おそらくセルフサンプリングなんですけど、サビの部分のメロディが相互に混ざってて。一緒に聴くことで音楽の面白さや自由さを再確認できるのではないかと思います。

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クラーク:私は「time will tell」(1998)がおすすめです。私が高校生の時に聴いてぐっときた曲で、「泣きたいだけ泣いていいんだ!」と、自分のエモーションを軽視せずちゃんとリスペクトしようと思えた気がします。若い年代の方々にもぜひ聴いてほしいですね。

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鈴木:「Wait & See 〜リスク〜」の向こう見ずな感じとも繋がるんですけど、「蹴っ飛ばせ!」(2001)を聴いてほしいですね。“勝手な年頃でごめんね”という歌詞にもあるように、当時の若々しい言葉遣いから何か感じるかもしれないです。

あと、あまり日本のリスナーに評価されていないように感じる、Utada名義の『EXODUS』と『This Is The One』はぜひ聴いてほしいです。前者は、日本では出してもウケなさそうな実験的なトラックを経由したり、逆に後者は、Jポップの枠で試行錯誤してから、当時のUSのヒットメーカーたちと作ったトレンドど真ん中でシンプルにかっこいいアルバム。25年経った「いま」に繋がっているのではないかと思うので。

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まさしく三者三様だった『私と宇多田ヒカルの25年』。どこか自分を重ねてしまう魅力あふれる楽曲を持つ宇多田ヒカルだからこそ、1人ひとりに好きな楽曲、それに紐づく思い出があり、解釈も異なるはずだ。これを機会に「私と宇多田ヒカルの25年」について振り返ってみてはいかがだろう。そして、チケットを手にできた幸運な人は、その思い出を胸に全国ツアーを楽しんでほしい。 

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取材・文:吉岡葵
編集:Mizuki Takeuchi
画像提供:ソニー・ミュージックレーベルズ