2024年にデビュー25周年を迎える、歌手・宇多田ヒカル。4月10日にベストアルバム『SCIENCE FICTION』が発売。また、7月13日の福岡マリンメッセを皮切りに6年ぶりとなる『HIKARU UTADA SCINCE FICTION TOUR 2024』で全国7ヶ所を周るツアーが始まる。
あしたメディアでは、長年の宇多田ヒカルファンである、社会学者の下地 ローレンス吉孝さん(以下、下地さん)、作家の鈴木みのりさん(以下、鈴木さん)、イラストレーター/コラムニストのクラーク志織さん(以下、クラークさん)による「私と宇多田ヒカルの25年」と題した鼎談を実施。前後編の2本立てでお届けする。
前編は、宇多田ヒカルのファンになったきっかけ、それぞれが思い出深い楽曲を中心にお話しいただいた。
宇多田ヒカルのファンになったきっかけ
下地:今回の鼎談は私からお声がけして始まったものです。私自身は長年宇多田ヒカルさんのファンなのですが、クラーク志織さん、鈴木みのりさんも宇多田さんがお好きだと知って、いつかおふたりとお話ししたいと思っていました。例えば、本や映画でも同じような体験がありますが、ずっと前に聞いていた宇多田さんの同じ曲でも、成長して歳を重ねた自分が改めて聴くと、当時を思い出してすごく懐かしくなったりするだけではなく、曲との出会い直しというのか、それまでとは全く違った部分が今の自分の心の琴線にふれたり、ということがあります。
25年という節目と、ベストアルバムが発売されるというタイミングでそういったさまざまな思いが強くなり、きっとわたしよりもずっと熱い想いをもっていらっしゃるであろうおふたりとぜひ一緒にお話をしてみたいと思いまして…このような機会が実現してとても嬉しいです。おふたりの、宇多田ヒカルさんとの出会いは?
鈴木:わたしは高知県出身で、ヒッキーがデビューした90年代はテレビ局とかラジオ局とか、文化的な情報が都市部ほど豊かじゃなかったんですね。「CDTV」とかで流行っていたものを聴いていたので、周囲からの評判もあって聴き始めました。
下地:CDTV!懐かしい…。
鈴木:ただ、だんだん他者との関係性の葛藤を歌う姿に惹かれていきました。2012年頃お付き合いしてた人に、『HEART STATION』(2008)と『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』(2010)までのヒッキーの曲だけで2時間ぐらいのプレイリストを作ってCDに焼いて送ったんですね(笑)。曲調やBPMだけでなく歌詞も踏まえて曲順を考えて、今生の別れの際に、「あなたにはわたしと向き合う覚悟があるのか!?」くらいの気持ちで、渡しました。ヒッキーの曲にはそういうパーソナルな感情を支える強度があると思います。今でもUTADA NightでDJをやらせてほしいと思うくらい、新しい曲と過去のあの曲がつながるな…と考えます(笑)。
下地:「UTADA Night」、やってみたいですね…!
鈴木:誰かがすでにやってそうですよね? ただ、根がヒッキー(引きこもり)なので、現実的にはやれる自信はないですが(笑)。下地さんのきっかけは?
下地:自分が小学校高学年か中学生ぐらいのとき、テレビやラジオに出ていない日はないぐらい宇多田さんがメディアに露出していて。曲を耳にするうちに気づいたらだんだんとと好きになっていったような感じで、「traveling」(2001)発売あたりには毎日何回も聴くようになっていました(笑)。
当時はCDが発売される1ヶ月前ぐらいに、ラジオでその曲が先行配信されていたんです。毎朝、新聞が来たらラジオ欄を見て「宇多田ヒカル」の名前があるかチェックして、曲が流れたらカセットテープに録音して、自転車に乗りながら聴く...という。
2002年頃まで宇多田さんが『うたマガ』というオリジナルのフリーペーパーを作ってレコード屋さんで配布していたので、それを集めに回ったり。文学作品が好きなところに影響を受けて、『ボニー&クライド』や『アルジャーノンに花束を』等を読んだり。あと、宇多田さんが20歳の誕生日に「20代はイケイケ!」という配信番組をすることになっていたので、親に頼んで家にインターネットを導入してもらいました(笑)。
極め付けは、宇多田さんに影響を受けて作曲もしていましたね。当時はカセットMTRという機械があって。テープにA面とB面を同時再生させて4つの音を同時再生させるという機械なんですけど、4000円ぐらいのやつを買ってデモテープを作ってレコード会社に持ち込んでいました。
宇多田さんが人間活動に専念している間は曲から少し離れていたんですけど、ここ数年また聴くようになりました。最近の曲ももちろんなのですが、アルバムでいうと『Distance』(2001)と『EXODUS』(2004)を今はよく聴いてます。同じ曲でも今聴くと、発売された当時に聞いてたときとまた違った感じで自分の中に入ってきていまの自分の経験や感情にフィットしているんですよね。
宇多田ヒカルとは、なぜか親友になれると思えた
下地:ファンになったきっかけについて、志織さんはいかがですか?
クラーク:私はヒッキーと同じ1983年生まれなので、デビュー当時から覚えていて。「Automatic」(1998)と「だんご3兄弟」(1999)のオリコンランキング争いなども、熱く応援していました。
アメリカと日本の2つのカルチャーをもっているヒッキーが、ミックスである自分と重なる部分があるように感じられたのも好きになったきっかけかもしれません。それもあってか、歌詞が自分のことを歌ってくれているような気もしましたね。
大学生のときに、原宿を歩いていたら雑誌の企画で取材を受けたんですよ。その時に「友達になりたい芸能人は誰ですか」って聞かれて、「宇多田ヒカルさんです。親友になれると思う」って答えたんです。それを後日クラスメイトに発見されて、すごい冷やかされました(笑)。
鈴木:わたしも、同じようなことを思っていた時期がありました(笑)。20代前半に知り合ったジェーン・スーさんに、「宇多田ヒカルとなら仲良くなれる気がする」「自分のことが歌われてる」みたいに話したことがあります。それに対して「たぶん日本で1万人ぐらいが思っていることだよ」と返されましたが。
クラーク:(笑)
“ちょうだいよ”という歌詞の衝撃―「Wait & See 〜リスク〜」とライン・ホルドニーバー
鈴木:あと当時は、ヒッキーが自分ひとりで何層も声を重ねて、ボーカルの厚みや深みを出していた点が新鮮でした。当時Jポップでハモリといえば、メインボーカルに別の誰かがハモる場合が多かったんですよね。高い声だけじゃなくて、かなり低い声も重ねられていて、自分の声にコンプレックスのあったわたしは、「“男性ボーカル”とか“女性ボーカル”って分けられてるけど、声って人それぞれじゃないか」と思わせてもらったきっかけになりました。それもヒッキーを好きになっていった理由の1つでしたね。逆に、「Goodbye Happiness」(2010)のケルトのコーラス隊によるイントロを聴いたときは、「ヒッキーも人に任せるようになったのね…」とシミジミと感動した覚えがあります(笑)。
あとはやっぱり歌詞です。デビュー当時もすごい歌詞を書くなと思ってたんですが、はっきりと「この人は他と違う」と衝撃を受けたのは「Wait & See 〜リスク〜」(2000)です。歌詞に神学者のライン・ホルドニーバーの有名な一節を独自に翻訳して引用しているんですけど…。
クラーク:“変えられないものを受け入れる力 そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ” ですね。
鈴木:それです〜!
元々は「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」っていう、アメリカのアルコール依存症の会でも使われる有名な節なんですね。この、日本語訳だと硬い響きに、 “ちょうだいよ” ってくっつけたヒッキーの言語感覚に驚きました!
当時わたしはアイデンティティ・クライシスがずっと続いていて、知識や冷静さが大事と言われて、もちろんそれはわかると思う一方で、もがいてる最中でそれどころじゃないタイミングもあるし、冷静でいるのが難しかったんですね。だから、「そうそう! そんなに冷静さが大事なら “ちょうだいよ” !」ってわたしも思ったんですね。
この向こうみずな言い回しに若々しさが感じられるし、何より「偉い人の言葉」を自分の言葉にしているところに惹かれました。知識は自分の力、だけどどうにもできない感情もある、という矛盾がわたしのテーマでもある、と気づきました。
クラーク:私も「Wait & See 〜リスク〜」がすごく好きです。鈴木さんと同じ歌詞なんですけど、当時、アイデンティティで悩んでた自分の「ミックスであることは変えられないけれど、それを受け入れる強さがあれば」という気持ちとすごくリンクしていて。このフレーズとは今でも一緒に歩んでいるような感覚がありますね。
傷つけさせてよ 直してみせるよ
鈴木:「Wait & See 〜リスク〜」のカップリングソングが「はやとちり」なんですけど、この組み合わせもトンチが効いてますよね(笑)。その次のシングルの『For You/タイム・リミット』(2000)の組み合わせも好きでした。「For You」の歌詞はすごくて、こんなのJポップで聞いたことないよ!“傷つけさせてよ 直してみせるよ”は衝撃を受けました。
下地:素敵ですよね。
鈴木:コミュニケーションって一方的なものじゃなくて、お互いがいて成り立つことじゃないですか。だから傷つくことも傷つけることも不可避っていう。こういうコミュニケーションに対して積極的にコミットする姿勢を、自分とほぼ同じ年の人が表現してる姿にすごく勇気づけられました。確かこの曲が出た時期に、「ビートが強くなるとどんどん孤独が際立つ」みたいなことをヒッキーが言ってて、“ヘッドフォンをして ひとごみの中に隠れると”っていう歌い出しからも、それを感じた曲です。
あとは、大学を辞める前に「表象とジェンダー」についてレポートを書いたんですが、その中で「SAKURAドロップス」(2002)も取り上げました。“好きで好きでどうしようもない それとこれとは関係ない” の部分の、マルチトラックハーモニーで低い声と高い声が混ざり合っている箇所について、さっき話したような、「低い声は男性的、高い声は女性的」とするジェンダー規範を撹乱するような作用がある、的なことを書いたと思います。
下地:確かに。
鈴木:あとはやっぱり、ヒッキーと言えば文章ですね。2000年あたりは、まだホームページを持っているアーティストはそんなに多くなかったけど、ヒッキーは90年代終わりから持ってたんです。そこに「MESSAGE from HIKKI」というページがあって、そこに書かれてる文章の熱量がすさまじかった。ブログがまだ登場する前ですね。
そこには色々なことが書かれていたんですけど、例えばお金について、「お金は、常にクリティシズムにさらされることと憲法で保障されているはずのプライバシー権の侵害、の補償くらいに考えてるかな」と書いていたんです。日本のパパラッチに対する批評でもありますよね。ヒッキー、16歳です。おそるべし。
当時はまだ家にパソコンがなかったので、大学のパソコンでプリントアウトして読み耽るぐらい夢中でした。それに影響を受けて、ドコモのiモードでホームページを作って、携帯電話で日記を書いて「MESSAGE from HIKKI」の真似事をしていたことも(笑)。
自分たちはこれからも成長していける―「人間活動」後の宇多田ヒカルの楽曲を中心に
2010年の「人間活動」宣言から6年近く活動を休止していた宇多田ヒカル。ここからは、「人間活動」を経た2010年代後半以降の楽曲を中心に、最新アルバム『SCIENCE FICTION』収録の楽曲も踏まえて語っていただいた。
クラーク:同い年ということもあり、40代に入ってからは『初恋』(2018)に入っている「Play A Love Song」が、1番好きな曲です。“自分たちはこれからも成長していける” という歌詞をこのタイミングで、メッセージにして歌えることが大事だなと思っていて。
鈴木:わたしもこの鼎談が始まる30分前ぐらいに、料理しながら『初恋』を流していたんですけど、「Play A Love Song」の “友達の心配や 生い立ちのトラウマは まだ続く僕たちの歴史の ほんの注釈” で泣けてきて…クラークさんの話からそのことを言いたくなりました(笑)。
クラーク:私もそこがすごく好きです!「Play A Love Song」の歌詞の一言一句に自分を重ねて聞いてます。あと、さっきからヒッキーの話をするとなぜかわからないんですけど恥ずかしい気持ちになります(笑)。
鈴木:ヒッキーの書く曲は自分を掘り下げているだろうから、聴く側にもそう要請するのかもしれないです。だから、歌詞の話になったときに、どうしてもパーソナルな話に紐づいてくる気がしますね。もしかしたらクラークさんが「親友になれそう」って大学生のときに思ったとか、わたしが「仲良くなれそう」って思ったのは、こういう点と関係しているのかな?
クラーク:大学を卒業してからは少し離れていたんですけど、2016年にヒッキーが活動再開したあたりからまた聴き始めて。特に『BADモード』(2022)が出たときには、ロンドン在住である点や、子どもが1歳違いというところにも親近感を感じました。
『BADモード』からはロックダウンのときの暗い空気や家の中にずっといる感じの雰囲気が全体を通してひしひしと伝わってきます。どこか悶々とした街や時代のムードとマッチしていたので、ロンドンを歩くときのBGMとして聞いていました。
『BADモード』に収録されている「気分じゃないの(Not In The Mood)」という曲に“強い風が吹く度に 売れ残りの小さなツリーが倒れて” という歌詞があるんです。あの頃、レストランやカフェではコロナの影響で店内に座れなかったんですよ。クリスマスの寒い時期に、ヒッキーも外に座って1人で歌詞を書いてたのかなと思うと、情景が想像できます。そんなところも含めて、とにかく思い入れが深いアルバムですね。
下地:自分は最近の曲で言うと、「Gold ~また逢う日まで~」(2023)にぐっときています。というのも、最近、これまで一緒に研究や活動をしてきた友人が亡くなるという出来事があって。今もなかなか死を受け入れられないというか、グリーフ(死別等による深い悲しみ)の状態が長く続いていて、“別れの言葉じゃなく 独り言 また逢う日まで” や “いつか起きるかもしれない悲劇を捕まえて言う「おととい来やがれ」”などの歌詞を聴くと色々思うところがありますね。
下地:あと今回発売されるベストアルバム『SCIENCE FICTION』に、自分が好きな「Letters」(2002)が入っているのは個人的に嬉しいポイントです。「別れ」について歌っているんですが、“今日話した年上の人はひとりでも大丈夫だと言う いぶかしげな私はまだ考えてる途中”の部分が好きで。昔はパートナーとの別れの歌だと思ってたんですけど、いま聴くと「死や離別」といったイメージと共に歌詞が入ってくるんです。
鈴木:「Letters」はわたしも思い入れがあります。『i-D Japan no.6 フィメール・ゲイズ(女性のまなざし)号』(2018、世界文化社)にエッセイを寄稿したんですけど、それがジェンダーのマイノリティとしての自分の存在が、「女性の幅」としてキャスティングに利用されている気がしたし、作り手の意図はともかく読者はそう思うだろうと思ったんですね。その雑誌の特集は、写真家もスタイリストも登場する人も、執筆者も「全員女性で作る」っていう企画だったんです。ただ、自分は服装やふるまいを女性的に表現しているけど、規範的な女性ではないという自覚を持っている。
それで、エッセイの内容は、「女性とは何か?」というところにふれていくんですね。だから、タイトルは、ヒッキーの曲の「答えが出ないところに踏みとどまっている」感じから引用したいと思ったんです。「日曜の朝」(2006)の “彼氏だとか彼女だとか 呼び合わないけれど君が好きだ” とかね。それで、「Letters」から引用して「まだ考えてる途中」にしました(オリジナルは “いぶかしげな私はまだ考えてる途中”)。
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宇多田ヒカルのファンになったきっかけや、「人間活動」を経た2010年代後半以降の楽曲を中心に展開された「私と宇多田ヒカルの25年」前編。後編では、曲への想いやノンバイナリーのカミングアウトについて感じたこと、またあしたメディア読者におすすめの宇多田ヒカルの楽曲について伺う。
<私と宇多田ヒカルの25年(後編)へ続く>
取材・文:吉岡葵
編集:Mizuki Takeuchi
画像提供:ソニー・ミュージックレーベルズ