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YouTuber・木本奏太さんが「元女子」をやめて伝えたかったこと

YouTuber、映像クリエイターとして活動される木本奏太さん。6年前からトランスジェンダーである自身のことを動画で伝えはじめ、YouTubeチャンネル『かなたいむ。』は現在チャンネル登録者数25万人を突破している。

トランスジェンダーやLGBTQ+という言葉があまり聞かれなかった頃から始まった動画配信は、いつも「元女子の奏太です」という言葉からはじまっていた。そんななか、2023年5月に「【ご報告】元女子、やめます。」というタイトルで動画を投稿。それまで自己紹介として使っていた「元女子」という言葉を使うことをやめる意思が語られた。今回は、元女子という言葉に込められた思いや、なぜやめようと思ったかについて、話を伺った。

自分をどう言葉にして伝えるか

YouTube チャンネル『かなたいむ。』はどのようにしてはじまったのでしょうか。

僕が戸籍上の性別を「男性」へと変更するために性別適合手術を受けたのは7年前なのですが、当時トランスジェンダーやLGBTQ+という言葉は日本社会ではほとんど聞かれなかったと思います。同様に当事者から見て、トランスジェンダーのロールモデルもとても少なかったんです。トランスジェンダーの当事者がもっと生きやすい社会になったらいいな、という思いもあってYouTubeで動画をつくって発信をはじめました。

トランスジェンダーについて社会的によく知られていないなか、ご自身のことを発信するのは勇気がいりそうです。

トランスジェンダー当事者として発信するには、自分の名前や顔を公表したカミングアウトが伴います。当然、発信するのはとても勇気がいることなのですが「僕たちもみなさんと同じ社会でふつうに生きてるんだよ」ということをまずは知ってもらいたいなと思ったんです。

いまではYouTubeチャンネルに25万人の登録者がいらっしゃいます。たくさんの方に見てもらうために、これまでどんな工夫をされてきたのでしょうか。

発信をしていくうえで意識しているのは、みなさんが興味のあるものと自分のできることをかけ合わせて、まずは動画をクリックしてもらうことです。なので昔はエンタメ系のYouTubeの企画が多かったですね。ロールモデルが少ないからこそ、皆さんに見てもらえる日常の切り抜きのなかで「この人ってトランスジェンダーなんだ」「そういえばトランスジェンダーってどういうことなんだろう」と興味を持って、少しずつ知ってもらえたらいいなという気持ちでした。

「元女子」という言葉について

奏太さんはもともとご自身を「元女子」という言葉で紹介されてきました。この言葉に込めた意味について教えてください。

いまでは信じられないことかもしれませんが、7年前の当時は、「トランスジェンダーです」と言っても何のことだか伝わらないことが多かったんです。その頃は、僕と同じくトランスジェンダー男性と2人組のYouTubeチャンネルを運営していたのですが、2人とももともと割り当てられた性別が女性だったというところから「元女子」という表現にいきつきました。この言葉を使うことで、トランスジェンダーである自分が何者なのかがより多くの人に伝わりやすいだろうと思って使いはじめました。

自分のことを伝えるためにとても大切な言葉だったと思います。しかし2023年5月に公開された動画では「元女子をやめます。」とお話しされていました。どのような思いからだったのでしょうか。

僕が使う「元女子」という言葉が、トランスジェンダー男性に対する誤った解釈を生んでしまうと感じたからです。僕の動画に対して視聴者の方がくださるコメントは、ありがたいことにほとんどが応援の言葉なのですが、ときどき心ない言葉を受けることもあります。そのなかには「やっぱり女子に見える」「もともと”女の子”だからそういう見た目なんですね」なんていうコメントもあります。

自分のジェンダーアイデンティティや身体に違和感があり、それについて毎日悩んでいる人にとっては、「男性/女性に見える」というひと言をかけられるだけで、余計に自分の身体を嫌いになってしまうことがあります。ときには生きる気力すらも失ってしまう言葉です。でも、そのときに初めてハッとしました。もしこれらの言葉が、僕らのつくった「元女子」という言葉に誘発されていたら…と。

僕は「もともと女性」だったわけではなく、「割り当てられた性別は女性だったけれど、元から男性」なんです。しかし、その事実は「元女子」という言葉に歪められてしまうこともある。これまで深く葛藤してきた当事者の方が傷ついてほしくない、自分のチャンネルはみなさんにとって常に安心できる場所でありたい。そういう思いで、心ない言葉や誤った解釈を生んでしまうかもしれない「元女子」という表現をやめることにしました。

同じ言葉の持つ意味合いも、見てくださる方や社会のあり方によって変化していくのでしょうか。

そうですね。僕が動画投稿をはじめた頃と比べると、ありがたいことに動画を見てくださる方も増えましたし、社会におけるトランスジェンダーの認知度も変わってきています。「正しく伝える」ということは以前からも大切にしていましたが、より敏感になっていますね。

「元女子」は自分たちでつくった言葉です。だからこそ、なぜいまやめるのか、その背景にはどんな葛藤があるのか、最後まできちんと説明責任を果たしたい思いがあり、あの動画をつくりました。これからも「いまの社会ではこの言葉がどう受け取られるのか」「この言葉の持つニュアンスはどう変わったのか」ということに敏感であり続けたいと思っています。

言葉を大切にするルーツ

「元女子」という言葉を使わなくなった経緯にも感じることですが、奏太さんの動画は言葉の持つ影響力を想像しながら、1つ1つの言葉を丁寧に紡いでいる印象があります。そうするようになったきっかけはあるのでしょうか。

自分ではとくに意識していなかったのですが、もしかしたら僕のルーツが、言葉との関係性に大きな影響を及ぼしているのかもしれません。耳の聞こえない両親を持つ僕は、幼い頃から手話が第一言語でした。成長するにつれて家族以外の人たちとの関わりもあり、日常会話のなかでは常に「手話」と「日本語」という、2つの異なる言語が存在していたんです。

同じ日本語でも、手話と口語では違いがたくさんあります。分かりやすい違いで言うと、たとえば日本語で「10時10分“まえ”」というと「9時50分」ごろだと捉えます。でも手話だと「10時10分まえ」は「10時9分」ごろなんです。こういうささいな日常会話でも、両親とのコミュニケーションのなかではしばしばすれ違いが起こるので、幼い頃から「自分が正しく伝えなきゃ」という考えが無意識のうちにあったのだと思います。

日々の生活のなかで常に言葉と向き合ってきたのですね。

自分自身がカミングアウトをするかどうか悩んでいたときも、相手の言葉のニュアンスをすごく観察しましたね。たとえば、LGBTQ+に対して否定的なニュアンスを含んだ言葉で話す人がいると「自分が当事者であることを、ちょっと話しづらいな...。でもちゃんと話したら分かってくれる人かもしれないな」と葛藤した記憶があります。こういった自身の経験も相まって、言葉に対してより敏感になったのかもしれませんね。

出会った人の分だけ「傷つける言葉」がある

著書のなかで「自分のことを言葉にし始めた時から、自分らしい人生の歯車が動き始めた」と書かれていました。動画をつくるなかで、奏太さんご自身でも変化を感じることはあるのでしょうか。

本当にいろいろ変わりましたね。以前は僕自身が当事者であるトランスジェンダーやLGBTQ+のことを伝えるので精一杯でした。最近は少しずつですが、周りの方が抱える困りごとにも目を向けられるようになった気がします。

何かきっかけがあったのでしょうか?

僕の場合は、パートナーとの出会いが大きいです。一緒にいるときには、朝から夜まで「なんでそう考えるの」「自分はこういう考えを持っているよ」とずっと話をしています。この間も夜遅くにディスカッションがはじまって、結局2時間くらい話し込んでいました(笑)。

僕はもともと自分のなかで内省することが多かったのですが、パートナーの言葉によってさらに思考を深掘りできるようになりました。身近に心から信頼できる人がいて、常に自分の気持ちを言葉にできるようになったのは本当に大きな変化です。ときには「それは違う」と真正面から叱られることもあります。

たとえばどんなときでしょうか?

先日、僕のふとした言葉遣いが気づかないうちに「マンスプレイニング(※)になってるよ」と指摘をもらったんです。自分としてはまったく意図していなかったけれど、理由を聞いたら確かに納得できたんです。

そのときにパートナーに言われた言葉は、「あなたはトランスジェンダーであることをカミングアウトをしているけれど、社会的には既に男性として扱われている。トランスジェンダーの側面だけを見ればジェンダーマイノリティではあるけれど、この社会で“男性”であるという部分においては特権を持ってしまっているからこそ、そこは自覚的になっておいてほしい」と言われたときに、自分の中ですごく納得したんです。あと、これほどまでに言語化されたのも初めてで。もともと「言葉」というものには敏感に生きてきたけれど、パートナーの視点によって、さらに社会のいろんなところに気づけるタイミングが増えたんです。

以前は相手のことを気にしすぎて「なにも言えない」とコミュニケーションを諦めていたこともあったんですが、最近は、相手を嫌な気持ちにさせるかもしれない表現があれば「この言い方って大丈夫ですか、失礼に感じていませんか」などと、すぐに話している相手に聞くようにしてます。諦めるのではなく向き合うことが大切だと、いまは感じています。

※ マンスプレイニングとは、その話題について十分な知識を持っていると合理的に推測される女性に、男性が特定のトピックを説明すること。あるいは、男性が女性に対して女性は男性よりも無知であるという意識のもと、「こんなことも知らないのか」と知識をひけらかすような態度が特徴。
https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2022/07/14/110000

人の気持ちなんて、そもそも分からないもの

奏太さんが動画投稿をはじめてから6年、社会にも変化があったと思います。トランスジェンダーやLGBTQ+の認知度も少しずつ上がってきました。こうした言葉があるから社会は理解しやすい一方で、「トランスジェンダーだからこうなんだ」のように大きく語られてしまうシーンもあるのかなと想像します。

そうかもしれません。僕がすごく気をつけているのは、自分の「主語」を絶対に大きくしないことです。偏見やヘイトが起きてしまうときって、おそらく主語が大きいときだと思うので、あくまで「僕はこう思います」と発信するように常に意識しています。

たしかに、社会で生活するなかでまだまだ「トランスジェンダーとしての困りごと」はたくさんあります。でも「トランスジェンダーだからみんな同じ気持ちなのか」とか、たとえば「トランスジェンダーの全員が性別適合手術をしたいのか」と言われると、人それぞれ考え方や状況は違っています。

男性と女性で考えても、みなさん本当にいろいろな人がいますよね。それってトランスジェンダーの当事者も同じです。いまはどうしても社会的な困りごとが多くあるため、「LGBTQ+」とまとめて語られる必要もあるのですがみんな違う背景や人生を生きているんです。僕は「ほかの人の気持ちなんて、そもそも分からない。だからこそ、1人ひとりの気持ちを大切にしたい」と考えています。

強く印象に残っている動画があります。LGBT理解増進法案が話題になったときに、奏太さんが切実な思いを動画で伝えているように感じました。奏太さんが思いや考えを言葉にしてくださることで、見ている側の私たちは理解をアップデートできる一方、自分を含めた社会が当事者の言葉に頼りすぎているのではないかとも懸念しています。

難しいですね...。僕は必ずしも当事者だけが傷つきながら声を上げるべきではないと思っています。とくに2023年は、トランスジェンダー当事者にとってしんどい年でした。ジェンダーレストイレの話題から火がついて、トランスジェンダー当事者に心ない言葉が寄せられてしまった。しかし、LGBT理解増進法案や性別変更の手術要件の話題などを通して感じるのは、法律やニュースになるということで僕達の抱えている問題が世の中の共通の話題になっているということ。そこから議論になり、社会が変わるきっかけにもなるんだということです。

そんななかで僕にできることって、やっぱり1人のトランスジェンダー当事者として発信することだなと思ったんです。当事者にしか語れない言葉もあるなと感じています。そのうえで、まずは僕のことをフォローしてくださっている方たちに「いまこういう現状なんです」ということを知ってもらえたらうれしいし、さらに周りにもシェアしてくれたらもっとうれしいなと思っています。

誰もが諦める必要のない社会

奏太さんのこれからの活動にもぜひ注目していきたいと思っています。今後、新たに挑戦したいことはありますか。

トランスジェンダーに関することや、LGBTQ+全体の問題はもちろん、これからはもっと広く、周りの人の困りごとについても一緒に考えていきたいと思っています。

たとえば、僕の両親のこと。2人は耳が聞こえないから、映画やテーマパークなど音声込みで楽しむ場所に行くことをどうしても諦めてしまうんです。でも、それは「当人が耳が聞こえないから」ということだけでなく、社会の側にもまだ工夫できる余地がたくさんあるということを、やっと言語化できるようになりました。

「この人だからこの場所にいてはいけない」ではなくて、「社会が変わっていけばいいことがある」という流れにしていきたい。音声を楽しむ場所であれば、耳が聞こえない人に向けて「字幕がつけられないか」を考える。もしその理由がお金なのであれば、「どうしたら社会がお金を用意できるか」を考える。そんな風に、できることを考えていけば良いと思うんです。

なかなか難しいことだけど、困りごとって地続きというか、誰かが困っていることは、少なからず自分の困りごとにもなっていく気がするんです。みんなの困りごとをゼロにすることはできないけど、いま自分の目に見えていたり、自分が思いつく範囲で課題として挙がっていることから、僕ができることをやっていきたいと思っています。そうやって、誰もが諦める必要のない社会にしていきたいです。

おわりに

取材中、「あくまで僕の場合は」という言葉を何度も使っていた奏太さん。すべての人が同じ考えを持っていないことは、よく考えたら当たり前の話だ。しかし、結論を急いでしまう現代社会では「トランスジェンダーだからこうなのではないか」「LGBTQ+だからこうしたいのではないか」と大きな主語で話をしてしまうことがある。そしてその何気ない言葉のせいで、日々安心して暮らせなかったり、心に消えない傷を負ったりする人がいる。

「ほかの人の気持ちなんて、そもそも分からない」。そう奏太さんが話すように、目の前の1人ひとりの困りごとを想像の範疇で終わらせないことはとても大切だ。実際に話を聞いてみたり、言葉に自信がないときは「この言葉は大丈夫ですか」と聞いたりしてみる。そんな言葉の積み重ねから、多様な私たちが自分らしく生きようと思える社会をつくる一歩がはじまるのだろう。

 

木本奏太
1991年大阪生まれ。大阪芸大映像学科卒業。女性として生まれ、25歳で性別適合手術を受け現在は男性として生活している。YouTuber、映像クリエイターとしてトランスジェンダーやLGBTQ+のこと、また耳の聞こえない両親との生活などを発信している。

 

取材・文:さとうもね
編集:大沼芙実子
写真:服部芽生