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安田菜津紀さんが選んだ「2人」という心地よい家族の形|自分と、誰かと、どう生きていく?

個人の生き方、パートナーとの関わり方、そして家族の在り方において、段々と選択肢が広がってきている現代。一方で、多くの人が切実に制度のアップデートを求めていても、なかなか変化は見られない。また恋愛や結婚、子を持ち育てること、あるいはジェンダーにまつわる「こうすべき」といった世間の風潮に対しても、違和感を抱く人は少なくないだろう。

そんななかで、自分と、誰かと、どう生きていくか。どんなパートナーシップや家族を築くか。それぞれがより自分に合った生き方を目指せる社会のために、さまざまな声を取り上げる連載。

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今回話を聞いたのは、認定NPO法人Dialogue for People副代表で、フォトジャーナリストの安田菜津紀さん。パートナーの佐藤慧さんとともにDialogue for Peopleを運営しながら、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で、難民や貧困、災害の取材を中心に行っている。

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結婚することで、家族が増える喜びを示したかった

2010年の春頃、安田さんの写真展に佐藤さんが足を運んだことをきっかけに、お付き合いが始まったというお2人。当時を振り返って、安田さんはこう話す。

「その頃は私も佐藤もまだ20代でしたが、出会って話しているうちに、お互いに死別体験を重ねていることが分かったんです。私は中学生のときに父と兄を亡くしていて、佐藤は小さい頃に弟を小児がんで、高校生のときに姉を自死で、亡くしていました。

家族を失う死別体験がどれほど遺された人々を根底から揺るがすのか、そういった話もできる相手だと分かったのもあり、出会って1ヶ月ほど経った頃には、一緒に暮らし始めました」

その後、お2人は2011年に法律婚を選択。

「婚姻届を提出したのは2011年の夏ですが、それまでも事実婚状態で一緒に暮らしていました。自分たちにとってはその状態が自然でしたし、選択的夫婦別姓制度がない社会で法律婚をして、名前を変えなくてはいけなくなることを避けたいという思いもありました。

ただ、2011年3月に東日本大震災があって、佐藤の家族が住んでいた岩手県の陸前高田市も被災し、佐藤の母が亡くなってしまったことで、佐藤や佐藤の父はまたも家族を亡くす経験を重ねることになり、私たちは法律婚を考え始めるようになりました。佐藤は弟、姉、母を、佐藤の父は、2人の子どもと妻を亡くした。そこで私たちが法律婚をすることで、家族が増える喜びもあるんだと示せるんじゃないかと話して、決めました。

ただ、震災直後で、佐藤の家族も被災し、私たちも現地に取材に行ったり、支援活動をしたりしていたので、どちらが姓を変えるかといった細かいことを考える余裕はなかったのが、正直なところです。当時は私が姓を変える選択をしたのですが、いまではなぜ私が姓を変えたのか、法律婚だけが家族になると示す方法ではなかったんじゃないか、と思うこともあります」

さらに安田さんは、もう1つ、法律婚の必要に迫られたと感じた出来事があったそう。

「私と佐藤は同じ仕事をしているので、もともと私がお世話になっていた仕事先にジャーナリストとして佐藤を紹介することがあったのですが、後から私たちのパートナーシップを知った仕事先の方に『なんだ、彼氏か』と反応されて。

それが、法律婚をしていると『夫さんなんですね』というような反応になるんです。法律婚をする前も事実婚状態でしたし、それぞれがジャーナリストとして仕事をしていて、一緒に仕事をする者同士が仕事先を紹介することはよくあるはずなのに。

そうでなくとも、あるパートナーシップを他者がジャッジするのは違和感がありますし、パートナーシップに序列をつけて法律婚以外のパートナーシップを下に見るような風潮には抗いたいと思いましたね」

「2人がいい」そう気づいてやっと解けた、子を持たねばという呪縛

安田さんは他にも、女性、パートナーシップ、家族にまつわる社会的なバイアスや「こうあるべき」とされている価値観に違和感を抱いたり、それらの背景に根強い家父長制があるのだと実感したりする機会があったという。

「『世界中を飛び回って危険な地域にも取材に行っているから、結婚しているはずがないだろう』という視線を向けられて、さりげなく夫の話をすると『結婚してらっしゃるの!』とすごく驚かれたこともありました。

さらには『危険な地域に行くことを許す夫がいるはずがない』と言われたことも。許すってなんだろう、私の仕事は夫の許可制なのか、と疑問に思いましたね」

自身の体験のみならず、歴史を辿るなかでも実感することがあったそう。

「ルーツを語らずに亡くなった在日コリアンの父方の家族を辿ろうと、古い書類や族譜と呼ばれる伝統的な家系図を集めたことがあったのですが、男性は比較的辿りやすい一方で、女性は『女』や『誰々の妻』と書かれていて、記録において名前を剥ぎ取られてしまっているんです。

家父長制的な価値観をベースとした制度や婚姻制度は不平等だとあらためて感じましたし、日本だけでなく、韓国でもそうした価値観が根強いのだと知りました。それぞれが、自身や家族のあり方を自分で選ぶことができれば、もっと生き心地のいい社会になるだろうと考えています」

20代後半からは、子どもについての話題も増えた。

「仕事先で『いまは誰がお子さんを見ているの?』と聞かれることがありました。私と夫と知人の子どものスリーショットがネットのまとめサイトに載せられていて。私のことを調べてくださった方がそのサイトを見て、子どもがいると勘違いし、気遣って声をかけてくれたこともあります。

あとは単純に、この年齢だったら結婚していて子どもがいて当たり前だろうという考えのもと、子どもについて聞かれるパターンも多かったです。その背景には、根強い社会のバイアスがあると感じます」

子どもがいないと知る身近な人から、子どもを持つことを勧められる場面もあったそう。

「写真家の先輩にも『子どもが生まれたらきっと撮る写真も変わるよ。楽しみだな』などと言われたことがありました。身近な人たちの言葉にもさりげなくある、そうした『女性は子どもを産んでこそ一人前』という価値観が自分にも刷り込まれていって、私もいつか子どもを授かりたいんだ、という自己暗示のようになっていったんですね。

それから『お母さんに孫の顔を見せてあげたら喜ぶよ』というような言葉をかけられることもありました。でも、子どもは親を喜ばせる道具ではないですよね。

そんなことを感じながら、夫とよく話し合って『いまの、2人の家族形態がいいよね』と確かめ合えたことで、呪縛のようなものが解けていく感覚がありました」

「とくに親しい人たちからの言葉には悪意がなく、心配や気遣いのつもりで言ってくださっているのも分かっていたので、むげにできなかったですが」と付け足しつつ、現在は、本人になるべく届くような言葉を選びながら、「2人のほうがいい」のだと伝えるようにしていると話す。

取材当日、お2人はパレスチナの若者が立ち上げたブランドのアイテムを身につけていた
https://www.fovero.ps/en

「呪縛が解けていく感覚があった」という2人の話し合いはどのようにして進んだのか。

「私たちは普段から政治的なことも含めてかなり会話をするほうだと思うんですが、それでも身体や生活に関わることはやっぱりセンシティブだと感じていました。そんななか、たまたま夫婦だけの家族の形をナチュラルに描いたドキュメンタリー番組を見て、夫に『どう思う?』と切り出すことができた。外的なきっかけも必要だったのかもしれません。

そうして2人で話すことによって、『そうだ、私は心から子どもを産みたいと思ったことがなかった』と、漠然と感じていたことが輪郭を帯びていきました。同時に子どもを産まねばならぬという呪縛の根深さも感じましたね」

産みたい人、産みたいと思わない人、産みたくても産めない人、それぞれを支える政治を

多様なパートナーシップや家族の在り方を認めない社会や、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)を軽視する社会の背景についてはこう指摘する。

「公人が拡声器を用いるかのごとく振り撒いてきた言説の影響もあると思います。過去には、LGBTQ+の人々を『子どもをつくらないから生産性がない』と表現した人や、『女性は子を産む機械』と発言した人もいました。

ごく最近ですと参政党の神谷氏による『高齢の女性は子どもが産めない』という発言がありました。その発言に関して、『事実じゃないか、なにが差別的なんだ』という反応もありましたが、まず女性の社会進出が少子化につながったという論は、データを見ても結びつきとして間違っています。

そして、産みたい、産みたいと思わない、産みたくても産めない、といったそれぞれの状況や選択を支える制度を社会として整えていくのが政治の役割であり、国家や公人がずかずかと我々の内面にも入ってきて、産め産めとけしかけるのは暴力です。それは、まるで国家のために個人がいる、国益のために体を差し出せと言っているようなものですし、パートナーシップや婚姻の目的が性と生殖であるような考え方ですが、それは選択であって、目的ではないはずです」

そういった価値観の背景には、人権意識の低さもあると安田さんは話す。

「今年7月にあった参院選では、排外主義に抗う文脈で『外国人も税金払ってるんだから』『外国人労働者なしではやっていけない社会なんだから』という主張がありました。それは事実ですが、その主張を強調することには慎重でありたいと思っています。なぜなら、人権は納税や労働の対価として得られるものではなく、人が生まれながらにして持ち、無条件に尊重されるべきものだから。

人権侵害の主張を否定するため納税や労働を理由にするのは、何らかの事情によって納税や労働が困難な人たちを価値がない、人権に値しないと見なすことにつながってしまいます。この考え方は、子どもを産まない/産めない人=価値がないという考え方と、地続きになっていると言えるでしょう」

圧力が強い社会では、マイノリティの人々が生きづらさを強要されている、とも話す。

「在日外国人も、LGBTQ+の当事者も、それから他のマイノリティも、みんな『品行方正なマイノリティでいなくてはいけない』というプレッシャーにさらされていると思います。

私自身、長らく母子家庭で育ってきたなかで、母子家庭=不完全という目線を感じてきました。年上の在日コリアンの方に言われたのが、『あなたがいいことをしても、さすが在日の子だね、さすが母子家庭の子だね、とは言われないけど、あなたが悪いことしたときにはやっぱり在日だから、とか、やっぱり母子家庭育ちはね、と言われてしまう』ということ。『だから努力しなさい』と言われて、その結論はおかしいと思ったんですけど。

変わるべきはマイノリティの側ではなく、たとえば母子家庭や、子どものいない夫婦を不完全な存在として見る社会の側じゃないでしょうか」

大変なことも共有してきたから、これからも一緒に生きていける

最後に、安田さんにとって心地のよいパートナーシップとはどんなものか聞いた。

「楽しいことを共有するのはそんなに難しくないと思うんですけれど、きついことや不安もごく自然に共有し合える、分かち合えるのが、心地よいパートナーシップなんだろうと思います。

プライベートのしんどいことはもちろんですし、たとえばガザで虐殺が止まっていないことに対する憤りとか悲しみとか、やり場のない感情も、この間柄であれば言葉にできる。それに、言葉にしきれなかったとしても、共有できている感覚があるんですよね。その感覚が、関係性の安心の土台にもつながると感じます。 

佐藤と一緒に暮らし始めてすぐ東日本大震災という大きな出来事があって、そこに一緒に向き合ってきたということは、やっぱり現在のパートナーシップを考える上で、切り離せないところだと思います。過去って、今後を考える上でも道筋をつくってくれるものだと思うんです。これまで一緒に生きてきたから、これからも一緒に生きていけると思えます」

安田 菜津紀(やすだ・なつき)
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

 

▼お2人が代表・副代表を務める認定NPO法人Dialogue for Peopleの活動はこちらから
https://d4p.world/

▼取材当日、お2人がこの日身につけていたパレスチナの青年たちが立ち上げたストリートファッションブランド、FOVEROのアイテムはこちらから
https://www.fovero.ps/en

 

取材・文:日比楽那
編集:大沼芙実子
写真:新家菜々子

 

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