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矢田部吉彦|2024年真夏の必見ドキュメンタリー映画3選【世界と私をつなぐ映画】

ドキュメンタリーを見るのに夏が適しているということも無いのだけれど、日本の夏は神妙な心持ちにさせられる季節でもあり、思考も柔軟になっているかもしれないので、8月に公開されるドキュメンタリー作品を紹介してみたい。とはいえ、戦争に因んだものではなく、人間や自然を見つめた全く異なるタイプの3つの作品だ。いずれも、夏休みの課題にしたいくらい、必見の3本である。

日本中が騒いだ事件の、真相とは

「和歌山カレー事件」と言えば、30歳以上の日本人であれば鮮明に覚えている事件のはずだ。98年に、地域のお祭りでカレーがふるまわれ、その大鍋に毒が混入しており、数人が命を落とした。この事件のあらましは誰もが語れるだろう。そして、容疑者として浮上した「林眞須美」という固有名詞も記憶に刻まれているはずだ。それだけ、一時期の日本のニュースを独占した話題だった。

僕は当時外国に住んでおり、日本のテレビを見ていたわけではないのだけれど、それでも強烈に覚えているのだから、このニュースの伝播力の強さは半端ではなかった。有名な子供服のブランド名が記されたトレーナーを来た容疑者の女性の姿は、脳裏に焼き付いている。その林眞須美を「毒婦」と伝えるメディアに世間は追随し、彼女が実行犯であることはもはや既成事実のように扱われていた。

そして、林眞須美容疑者が有罪となり、死刑判決が下されたことまでは、覚えている。しかし、果たしてその後、彼女はどうなったのだろうか。それは覚えていないし、そもそも思い出すこともほとんどなかった。ましてや、その事件に冤罪の疑いがあろうなどとは、想像もしなかった。

この「和歌山カレー事件」を振り返り、いかにして冤罪の可能性があるのかを伝えてくれる作品が、『マミー』(8月3日公開)である。

(C)2024digTV

林眞須美の長男が冤罪を信じて活動していることが『マミー』というタイトルの直接の背景とはなっているが、根拠もなく親族が必死に冤罪を訴える作品では、全くない。

長男氏の講演イベントに足を運んで関心を抱いた二村真弘監督が数年間を費やして取材を続け、その成果が余すところなく作品の中で報告/表現されている。現在のドキュメンタリー界を牽引する大島新監督が『マミー』に寄せた「本作はスクープだ」とのコメントが端的に言い得ているように、本作を見て冤罪を疑わない人はいないだろう。事件の目撃証言の曖昧さから始まり、科学的根拠の薄弱さに至るまで、信じられないレベルで本作は死刑判決の根拠を覆していく。まさに衝撃のスクープである。

しかし、本作が衝撃的であるのは、冤罪の可能性にのみあるわけではない。林眞須美が「和歌山カレー事件」の実行犯であるかどうかについては大いに疑義を抱かせるのだが、一方で彼女がかなり「あやうい」人物であることも、どうやら間違いないのだ。

彼女は保険金詐欺の常習者であり、本作でも身近な人間から驚愕的な証言が飛び出す。しかしもちろん、それは彼女を死刑に至らしめる事件とは、無関係である。いや、無関係なのか?観客の頭の中は、確実に捻じれていく。

さらに、二村監督自身が、取材の過程で「ある問題」を抱える。制作が中止になりかねない事態そのものを、このドキュメンタリーは映画の内部に取り込んでいく。なんということだろう。

今にして思えば、「和歌山カレー事件」が起きた98年といえば、95年の「地下鉄サリン事件」の記憶がまだ新しく、メディアを通じた「悪人」を悪人として受け入れてしまう背景があったのかもしれない。オウム真理教の面々は、サリン事件前からTV出演も多く、ひたすら出鱈目を語っていることは明らかであったにも関わらず、地下鉄で無差別テロを実行するほどの非道な者たちであることを見抜けなかった自責の念を日本国民は共有する羽目になった。

その反動が、テレビに映る「和歌山カレー事件」の「林眞須美」の悪のイメージの受け入れに作用していたのかもしれない。届ける側も受け取る側も、どこかで混乱し、麻痺していたかもしれない。ソーシャル・メディア全盛時代前夜であり、マスメディアの報道と視聴者の受容という点についても思いを馳せずにいられない。

(C)2024digTV

このように、『マミー』という希代の問題作に関し、書くべきことは尽きないのだが、最後に付け加えるとしたら、林眞須美の冤罪を訴える活動を進める長男氏が、本作公開を前にして不当な圧力をかけられているという事態だろう。

これまでの活動を通じても嫌がらせは受けていたらしいが、映画公開を前にしたそれは比較にならないほど酷いものであると、本人が明らかにしている。長男氏は製作者と作品の配給会社である東風と相談し、東風は若干の調整は加えつつも、公開は予定通りとした。二村監督の渾身の取材、長男氏の決意、東風の覚悟、そして今なお死刑を待つ林眞須美。本作の内容は、映画の枠を飛び越え、現在という現実に溢れ出ていく。

本作の公開が事件でないとしたら、なんだろうか。

他人のうんちに慣れよう

前節でも言及した大島新監督は、『なぜ君は総理大臣になれないのか』(20)や『香川一区』(21)などで知られ、現在の日本のドキュメンタリー映画界で最も勢いのある監督であるが、プロデューサー業も積極的に手掛け、重要作が世に出る手伝いにも余念がない。新たにプロデューサーを務めた作品のマスコミ試写の上映前に大島氏は登壇し、あいさつした。

「最初の15分は、ぎょっとするかもしれません。辛いかもしれません。でも、お約束しますが、慣れます。僕も慣れました」

こんな紹介で上映が始まったのが、『うんこと死体の復権』(8月3日公開)という作品だ。

(C)2024「うんこと死体の復権」製作委員会

辺境地を旅する探検家兼医師として知られる関野吉晴氏が、初めて映画監督として手掛けたのが本作。関野氏は、地球で人間が生きていくためにはどうしたらいいのかを考え続けている人である。そこで、生の循環というテーマにおいて、関野氏に影響を与えた3人の人物が登場する。彼らの極めて重要でユニークな知見とはいかなるものか。関野氏は監督となり、彼らの教えを深堀りし、観客に届けてくれるのだ。

関野氏は初監督ながら、映画は先制パンチが重要との鉄則をよく分かっていらっしゃる。本作の第1章として、いきなり最大のインパクトを与える人物が登場する。もともと自然写真家であったその人物は、50年に渡って野糞にこだわり、山林に落とす自分のうんこを日々観察している。それは自分の体調の状態を知るためでなく、自然に戻したうんこを、土と生物がどのように迎い入れているかを調べているのだ。まさに、うんこを通じて、エコロジーの真理を究明していくのであった…。

(C)2024「うんこと死体の復権」製作委員会

なので、映画はうんちを映さないわけにはいかず、かくして観客は見も知らないおっさんのうんちを見る羽目になる。これは、辛いか辛くないかと言えば、正直辛い。少なくとも最初は。しかし、大島プロデューサーの言うように、絶対に慣れる。そして、慣れたご褒美として、驚くべき自然のワンダーを我々は知ることになる。

自由に野糞をするために自分で山を買ってしまうという、こんな人が世の中にいるのかというワンダーと、うんちを通じた土壌の変化に見る自然の仕組みのワンダー。ワンダーの2乗なのである。これは本当にびっくりした。

第2章では、生態学者の方の手引きにより、うんこと生き物の関係が別の観点から語られる。一部の植物は、動物に食べてもらうことで、その糞に種(タネ)を仕込むことが出来て、結果として移動できる動物のおかげで自らの種(シュ)の範囲拡大が期待できる。うんこが世界を回す。目から巨大なウロコが落ちる思いだ。だんだんと、うんこに対する考えが全く変わっていくことが自覚できる。うんこが愛おしくもなる。うんこは、ただの汚物や排泄物ではないのであり、自然を回す潤滑油なのだ!

(C)2024「うんこと死体の復権」製作委員会

第3章では、死体を食べる生物を徹底的に研究する絵本作家が登場する。ネズミの死骸を地中に埋めた場合、いったい何種類の生物が死骸に接触してくるだろうか?そんなことを、普通の人は想像すらしたことないだろう。その答えは驚異的な結果に満ちている。そしてその行為が自然に対してもたらす効果こそがワンダーであり、もはや我々はこの作品を通じて、蛆(ウジ)さえも愛してしまうのである。

本作から学べることは無限にあるが、うんこは情報の宝庫であるという真理から受ける刺激は全く新たなものだった。我々を含む動物の一生とは、食べて、出して、死ぬ。そして土に還る。そして、蘇る。循環する。「出して、死んで、蘇る」というエコロジーの循環について、本作ほど豊かな知識を与えてくれるドキュメンタリー作品を僕は他に知らない。

繰り返して強調するけど、「慣れます」。

巨匠が届ける食の世界 - フレデリック・ワイズマンという監督

どうせうんこになってしまえば一緒なのだけれども、それでもせっかくなら美味しいものが食べたいというのが人情だ。というかそもそも、生きるために食べているのか、食べるために生きているのか、どっちだろうか…。

「食べて、出して、死んで、蘇る」というサイクルを考察する前節の作品の後に紹介することになるのは偶然なのだけれども、世界のドキュメンタリー界の大巨匠、フレデリック・ワイズマン監督の新作『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』(8月23日公開)は、究極的な美食の世界と、それに取り組む人々の生き様を4時間に渡って見せてくれる作品である。もちろん、エコロジーの観点もふんだんに含んでいる。

夏休みにフレデリック・ワイズマン監督の新作が公開されることを、僥倖として心から喜びたい。ワイズマンを知らない人のためにあえて断言してしまうと、ワイズマンは映画史上最も偉大な人物のひとりなのだ。ドキュメンタリー映画の世界にひとつのスタイルを確立し、以後あらゆる作家がワイズマン的アプローチを採用するのか距離を置くのかの選択を迫られ、60年代から現在に至るまで絶大な影響を与え続けている。「絶対的なスタイルの確立」という点では長い映画史において並ぶ者のいない随一の存在であり、現人神なのである。ちなみに2024年8月現在で94歳、現役だ。

フレデリック・ワイズマン監督

そのスタイルとは、インタビュー無し、ナレーション無し、字幕説明無し、長尺(長い上映時間)、である。対象となる施設のあらゆる側面にキャメラを向けて、その施設に出入りする人びとの活動をひたすら映し続ける。それが例えばホテルであれば、宿泊客とフロントの会話、清掃員の業務、レストランの厨房、配車係、ベルボーイ、経営会議、スタッフ採用、クレーム対応、など、およそ考えられるあらゆる局面の営みを、じっと積み重ね、見せていく。それが3時間を超えることは当たり前。その間、一切のインタビューやナレーションは無い。我々は時間の感覚を無くし、次第にただ「その場にいる」ことになる。

独自のリアリズムを志向したワイズマンのスタイルは、ある程度の分かりやすさが求められるTVのノンフィクション番組とは対極に位置するものであり、映画としてのドキュメンタリーのあり方について、ひとつの規範となったのだった。

ワイズマンは、60年代から、アメリカの様々な施設や機関を対象にしてきた。学校だったり、病院だったり、デパートだったり、法廷だったり、競馬場だったり。あるいは、『聴覚障害』(86)や『視覚障害』(86)のように、特定の医療現場に的を絞った作品もある。さらには、家畜が食品の精肉となるまでの過程を克明に見せる『肉』(76)のような作品もあり、ここでは屠殺の流れ作業が一切の感情抜きで提示される。『モデル』(81)では、モデル業に密着し、彼ら/彼女らの活動の表と裏が垣間見える(ちなみに草刈正雄氏の全盛期の美貌も記録されている)。アメリカ社会への考察を促すような社会学的見地に立てる作品もあれば、よりカジュアルな主題が対象となることもある。その範囲はとても広い。

ユニークな事象を扱うものでは、病院で死の淵から戻った人たちを見つめる『臨死』(89)や、DVを巡る夫婦の法廷訴訟のケースが延々と続く『DV - ドメスティック・バイオレンス』(2001)などは、人間ドラマの面白さに溢れ、ワイズマンの代表作に挙げられるだろう。

『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』が描く食の宇宙

このように、ドキュメンタリーの世界では神格化された存在のワイズマンだけれども、あまりにそのスタイルがストイックであるため、商業公開は全くと言っていいほどされてこなかった。過去作や新作の紹介は、映画祭や特集上映の場に限られ、ドキュメンタリーファンは毎回熱狂する反面、一般の映画ファンは誰も知らない、という状況が長きに渡って続いていたのだ。

しかし近年、ワイズマンがキャメラを向ける対象/業界が、日本の一般層にアピールし得るものであることが増えてくるに従って、ようやくその状況も変化してきた。例えば、オペラ座のバレエ団に密着した『パリ・オペラ座のすべて』(2009)は日本で商業公開を果たし、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2016)も同じく公開されてスマッシュヒットを記録した。その巨人の新作『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』が劇場で見られる2024年の夏は、だから特別な夏なのだ。

©2023 3 Star LLC. All rights reserved.

とはいえ、ここまで紹介してきたワイズマン作品の例に漏れず、『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』はただの「グルメ紹介映画」ではない。「トロワグロ」という超一流のレストランのあらゆる側面が観察され、そこに勤務する人たちはもちろん、ワイン農家、チーズ農家などの素材提供側で関わる人々の姿も克明に描かれていく。もちろんインタビューは無く、朝市での食材の仕入れや、シェフ父子の新メニューを巡る細かい意見交換や、ホールスタッフたちのミーティングや、シェフと農家との会話などを通じ、我々はこのレストランを取り巻く宇宙に取り込まれていくことになる。

©2023 3 Star LLC. All rights reserved.

「トロワグロ」は現在3代目シェフから長男の4代目に継がれようとしている時期であり、家業の継承という主題も作品に含まれる。4代目は既にメインのシェフであり、自分の個性を発揮すべく奮闘するが、父との意見交換は欠かさない。4代目の弟(次男)も遠くない場所でレストランを開業しており、兄弟で切磋琢磨している。経営に向いていた長女は、「トロワグロ」の運営面を仕切る。トロワグロの宇宙の全てが眼前に広がっていく。その時間は、実に4時間に及ぶ。

圧巻は、やはり厨房だ。かなり広く設計された厨房において、サブシェフ達が、整然と、そして黙々と作業をする。その集中力たるや、職人を通り越して、修行僧たちの姿に近い。高級フランス料理というとハードルが高いイメージを抱かれてしまうかもしれないけれど、厨房で働く人びとの静かながらも熱い姿からは労働を極める行為の崇高さが伝わり、感動せずにはいられない(そして精魂込められた下ごしらえを経て完成されるプレートの数々に、空腹を覚えないでいることは難しい)。

©2023 3 Star LLC. All rights reserved.

そして、自然の中に新築された「トロワグロ」は、当然のこととして、自然との融和、そして循環や持続性を志向する。放牧山羊によるチーズ農場や、有機栽培の野菜農家、あるいは、豊かな土壌を求めて複数の作物を植える農法を採用するワイン農家との対話を通じ、今後の食が向かうべき方向が提示されるだろう。

おわりに

冤罪という極めて深刻な事態を扱う『マミー』では、現在進行形で人の命がかかっている。全く異なる文脈と次元ではあるが、『うんこと死体の復権』は「出して、死ぬ」行為を通じて命の循環を自然の中で考察する。そして「出す」前の「食べる」を扱う『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』。こじつけるつもりは無いけれど、どこかで3本が繋がった。

日本の夏、ドキュメンタリーの夏。命について考えることの多い日本の8月に、まさにふさわしい3本だと言っていいのかもしれない。

 

矢田部吉彦(やたべ・よしひこ)
仏・パリ生まれ。2001年より映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わる。2002年から東京国際映画祭へスタッフ入りし、2004年から上映作品選定の統括を担当。2007年から19年までコンペティション部門、及び日本映画部門の選定責任者を務める。21年4月よりフリーランス。

 

寄稿:矢田部吉彦
編集:おのれい