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【大島育宙のドラマ時評】しあわせな結婚論|大石静は真夏の傑作で何を問うたのか?

耽美で雅なファム・ファタールとの恋路の先には「死」を隠蔽するように繋がる家族がいた。

ラブロマンスの名手・大石静が視聴者を翻弄し続けた3ヶ月。盤石なキャスト、スタッフによる横綱相撲。『しあわせな結婚』が2025年の夏を席巻した。リアルタイムの視聴者をくすぐるように大量の固有名詞や関係性を敷き詰め散りばめながら、「考察ドラマ」の流行に消費されまいと見えない一線を引くかのように、舞う。地上波の連続ドラマという箱に最適なオリジナルの物語を見せ切ることに首尾一貫して焦点が絞られ、歪さと美しさが共存する、真夏の夜の夢のような傑作が誕生した。

再現不可能な本作の魅力

真犯人や真相が全て解明された後にもう1話、最終回が用意されている。大胆で、落ち着きのある構成。「企画がホームドラマでスタートしたので、そこに戻したいっていう気持ちがあった」(※1)と大石が語るように、やはり、このドラマは家を問うて終わらなければならなかった。

テレビ局や法律事務所を描くお仕事ドラマであり、かと思えば妻の過去と殺人を巡るミステリでありサスペンスであり、底には奇妙な家族を描く家族ドラマが流れている。阿部サダヲ、松たか子、大石静を知らない海外の人にこのドラマを魅力的に紹介するのはかなり、否、とてつもなく難しい。愛を描く作家・大石静が「どんなジャンルなの?」という野暮な問いかけに対し「なんのドラマとかじゃくて、テレビドラマです」とたしなめ返し続けてでもいるような、名状し難い、それでもやはり一つの愛の物語。

阿部サダヲと松たか子が夫婦役。これまで恋人、元恋人、夫婦役をやたらに演じてきた2人の魅力、2人の関係性の香りに依存した、面白いのに再現性の低い企画だ。完結を見届けた直後、つい「こんなドラマがもっと観たい」と呟いてしまったが、どんな新進気鋭の若手プロデューサーでも、このジャンルレスな快作の味を企画書に示すのは至難の技だ。そういう意味で、再現不可能な熟練の妙技の結晶にもほどがある。

©テレビ朝日

※1:木曜ドラマ『しあわせな結婚』ポッドキャスト
https://open.spotify.com/episode/35ikbAuGucIz0nv5LdG72F?si=jqHKx0MCSginEZqDIF6p3A

松たか子が演じるネルラと、阿部サダヲが演じる幸太郎

では、それぞれの人物が培ってきた個人技の足し算なのかと言えば、それは全く違う。信頼と実績の座組みでも、新たな化学反応は周到に計画され、計画を越えている。

ネルラ(松たか子)という淑女の奇妙さが序盤から活写される。変人が推進力と真相を握る以上、ミステリではありながらただただ痛快で明快でフェアなミステリであることは期待させない、キャラクターの描写でありながら同時にドラマの取扱説明書でもある。半ば悪女然と主人公に近づいたファム・ファタールが非常勤の美術教師として働く女子校では生徒から舐められている、というファム・ファタールとしての不完全さも奥行きがある。きっと私たちはまだ何も、ネルラのことを分かっていない。浮世離れした高貴な松たか子を、私たちは見慣れているが、ネルラのことは分からせてもらった気が半分くらいしかしない。

一方の阿部サダヲが演じる弁護士の幸太郎は、独身主義を貫く紳士だ。『結婚できない男』(2006年、フジテレビ系)の桑野(阿部寛)のようにマッチョな偏屈者かと思いきや、これが社会性の塊。快活な男だ。ただ仕事を頑張り、有能で優秀で、周囲からも頼りにされ、愛されている。社会的にはほとんどツッコミどころがなく、阿部サダヲが演じるには役不足と言ってもいいほどの、むしろ特徴のない出木杉くん。阿部サダヲがこんなにも明朗で清潔感に溢れ、社会的評価もまっすぐに高く、しかも本人は無自覚なほどに爽やかにモテるキャラクターを演じるのは珍しい。むしろ、他のどんな役者が演じるよりも、阿部サダヲが演じて初めて滋味深まり完成するキャラクターとして想定されているように見える。

©テレビ朝日

そんな2人が並んでいる絵面をあまた見てきた私たちが不意打ちで揺さぶられた場面がある。抱きしめ合う2人。幸太郎が気づく。「ネルラの方が俺より大きいんだ」「私もずっとそう思ってた」。パワーみなぎるアグレッシブな芝居を見せてくれる阿部サダヲに小柄なイメージはさほどない。大人計画の舞台で鍛えた運動神経だけでなく、有り余る表情の表現力も相まって、阿部はテレビドラマにおける顔面の画面占有率が抜群に高い男優だ。

他方、相手役の男性が高身長なことが多いからか、松たか子には背が高いイメージもない。そんな2人が劇中だけでなく実際にもほとんど同じ身長で、しかも妻役の松たか子の方が少しだけ大きい、ということを大石静が発見したのだろうか。

ネルラはファム・ファタールのように開幕したが、結局は家族と夫を愛するかなり普通の女だったことが分かっていく。その一方で、「もう一回結婚しよう」と懐広く構える幸太郎との間にある無償の愛は対等だ。個人の能力で稼ぎ認められる幸太郎も、ネルラの家の太さに吸収されてマスオさん状態に収まる。力関係も愛情の量も、なんとなく対等。これほど演技で見せ切れる2人の俳優にパートナー役の共演が多い理由を大石静が数字で解明したことに、納得の快感があった。

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このドラマのミステリアスな真の主人公

タイトルにある「結婚」。2人の間のロマンスがメイン・テーマのようでいながら、やはりいつも「家」の影が色濃くある。鈴木家が住まう3世帯住宅は4階建ての一軒家で、食事に集まるためだけにもエレベーターを使う。この縦型の豪邸の描写が1話で明らかになったとき、心が躍った。昨年の『光る君へ』では平安貴族が広い平屋の中をあちらへこちらへ行き来するしかなかったので、大石静脚本は平行移動だけの1年間だったのだ。その鬱憤を晴らすように、垂直移動のホームドラマが立ち上がる。その挑戦心とアイデアにわくわくする開幕。

果たして、そこには全く新しいホームドラマがあった。惹かれあった者同士が法的に結ばれるとき、お互いを擁してきた家が立ち現れ、きっとその家は殺人事件や誘拐事件とは言わずとも、何かしらの死を乗り越えた危うい紐帯を瘡蓋としている。このドラマにおける鈴木家は特別に見えるが、幸太郎の視点移動をこうして抽象化してみると「結婚」という行為の普遍的なミステリアスさこそがこのドラマの主人公ではないか。

好きになった相手がいる。好きな人を育てた人がいる。家がある。好きな人と一緒に育ってきた誰かがいる。好きな人が生きてきた、自分の知らない時間を、これからどう頑張っても自分が追いつけないくらいの時間を知っている人たちがいる。その時間の中に、誰かの死がある。

幸太郎の側には鈴木家と対置する家族がいない、というのも見事な設定だ。「家族」という密林に単身で分け入る冒険家としての主人公。それでも段田安則、岡部たかしという熟練の名優と贅を凝らしたインテリアやファッション、フードに煙に巻かれ、鈴木家の食卓や旅行はちゃんと楽しく見える。どこか寂しいのに、寂しさを埋めるような彩りが、ちゃんと楽しくて涙ぐましい。幸太郎の心労も想像しながら、「ちょっと疲れる個性的な食卓」として、それ自体を一つのエンタメとして楽しめてしまう。大石静という脚本家は間違いなく、ホーム・ドラマの神筆でもある。

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結婚の形が変わっても不変な二つの問い

そんな中、魅惑的な夫婦を応援する心が育ったところで過去を暴こうとする刑事・黒川が踏み込んでくる。苦悩、逡巡する彼がネルラを想いながら汗だくでラーメンと餃子を掻き込む。ゴクリと水で流し込む。実はここが、全9話の中で最も私の印象に刻まれた場面だ。気まずくも愉快で彩り溢れた鈴木家の食卓と対照的な、仕事と責任感に追われ、恋慕との狭間で悶える男の心を画面アップの食事シーンで描くなんて。

「孤独のグルメ」にしては画面がブレすぎ、料理が映らなすぎるがむしゃらな場面。ネルラの誕生日を祝うケーキを1人で食べる場面では、杉野はリテイクで8個ものケーキを実食したと言う。夫婦の幸せを願う感情からは敵なのに、食生活と孤独が見えると彼もまた応援したくなる。

ホームドラマが難しくなって久しい。当たり前の家族の形がなくなり、個人主義が加速していく。いまの形の家族を描いても、1年後、5年後に見返して気持ちの良いものになるか不安な時代だ。そんな時代に、結婚相手を見つける「婚活」ではなく、最愛の相手と巡り逢えたところからスタートする物語。思考実験としての意図が明確だ。永遠の愛を誓った相手と、永遠の愛を完遂できますか?永遠の愛を誓った相手の過去と背景を許せますか?結婚の形がどんどん変わっても、この二つの問いが尽きることはないから。

©テレビ朝日

大島育宙(おおしま・やすおき)
1992年生。東京大学法学部卒業。テレビ、ラジオ、YouTube、Podcastでエンタメ時評を展開する。2017年、お笑いコンビ「XXCLUB(チョメチョメクラブ)」でデビュー。フジテレビ「週刊フジテレビ批評」にコメンテーターとしてレギュラー出演中。Eテレ「#バズ英語 〜SNSで世界をみよう〜」では毎週映画監督などへの英語インタビューを担当。「5時に夢中!」他にコメンテーターとして不定期出演。TBSラジオ「こねくと!」火曜日レギュラー。「ザ・テレビジョン」ドラマアカデミー賞審査員も務める。

 

寄稿:大島育宙
編集:吉岡葵
素材提供:テレビ朝日

 

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