よりよい未来の話をしよう

「心が求める場所で生きる」複数拠点で生活する古性のちさんの仕事のつくり方

ネガティブなニュースが溢れ、情報の波に呑まれる日々のなかで、日本の美しい言葉と写真を発信する古性のちさんの作品に触れると、季節がより繊細に感じられ、いまが愛しくなる。

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InstagramやTwitterで作品を投稿する古性さんは、以前から「旅をしながら仕事をする」というライフスタイルを掲げ、国内外で拠点を移しながら生活している。取材をした2022年11月は1か月間タイ・チェンマイに滞在中とのことで、オンラインでお話を伺った。その前は岡山と東京の2拠点生活をしていたという。その生活を切り取った写真と、季節と向き合うなかで紡いだ言葉をまとめた書籍『雨夜の星をさがして 美しい日本の四季とことばの辞典』(玄光社)は2022年11月末に発売された。

コロナ禍でリモートワークが可能になり、旅行先でワーケーションをしたり、仕事場から離れた場所に拠点を移したりした人もいるかもしれない。古性さんは高校生のときから「旅をしながら働く」ことが目標だったそう。しかし、現在の生き方や仕事にたどり着くまでには「居場所がない」という思いや「生きていくための仕事」と「わくわくする仕事」の間での迷いがあったという。「旅は人生を豊かにするために必要不可欠なスパイス」と言う古性さんは、旅をしながら仕事をするライフスタイルをどのように実現したのか。そのための仕事とどう向き合ってきたのだろうか。

タイ・チェンマイでの暮らし

今はしばらくタイにいらっしゃるそうですが、タイではどのような生活をされていますか?

タイ北部のチェンマイで、午前中は語学学校で授業を受けて、午後は仕事をしています。もともと将来的にこの辺りに住みたいと思っていたので、休日は街を歩き回りながら家探しもしています。

将来の家探しもされているんですね。チェンマイはどんな街ですか?

チェンマイはタイの第2の都市で、「北方のバラ」と呼ばれる美しい古都です。日本で例えると京都みたいな立ち位置かもしれません。以前、首都のバンコクにも1年住んでいました。バンコクは便利でしたが、あまりにも都会で「日本語が通じない東京」という印象を受けたので、もう少し自然が豊かで静かな場所はないかと探したところ、チェンマイがぴったりでした。チェンマイは昔からノマドワーカーたちに「聖地」とも言われています。コワーキングスペースが24時間開いていたり、街中に仕事可能なカフェもたくさんあります。大きなショッピングセンターもありますし、街中でWi-Fiが利用できるので、生活には不便が少ないです。それでいて街はすごく健やかで、穏やかで。自然と共存しているので猫やリスが軒先に遊びに来てたわむれたり、鳥の声で起きたり、という生活を送っています。

自然に囲まれていながら便利な場所なんですね。チェンマイが「ノマドワーカーのメッカ」と呼ばれているのは知りませんでした。日本では岡山と東京の2拠点生活をされていました。今後、チェンマイではどう暮らしていかれるのですか?

こちらに来てから「野焼き」が冬から春先まで行われることを知りました。その間は大気汚染が深刻らしく、快適な滞在がもしかすると難しいかもしれないので、しばらくは東京や岡山とタイの複数拠点生活になると思います。

「居場所がないかもしれない」から始まった海外生活への思い

古性さんは2017年から「旅、ときどき仕事」という企画を立ち上げ、活動されていました。古性さんが最初に「旅をしながら働こう」と思ったきっかけは何でしたか?

幼稚園のころから、集団生活が苦手でした。幼稚園のお迎えバスに乗るのが嫌で、泣きすぎて過呼吸で病院に運ばれたこともあるくらい。高校生のときは、地毛が茶色だったので生活指導の先生に何度も注意されて、理由のないルールを押し付けられることが心地よくないと分かりました。

でも、会社員になったらそんなルールをさらに押し付けられることになる。「そんな働き方になじめないのでは」という危機感から、日本を出て、海外で、会社に所属せずに働くという選択肢を考えるようになりました。そんなとき、海外で写真を撮りながら生活する職業・自由人の高橋歩さんの本に出会い、「こんなふうに世界中を旅しながら働く大人もいるんだ!」と衝撃を受けたんです。そこから、「そういう働き方をするためにはどうしたらいいんだろう」と模索が始まりました。

幼稚園のときから感じていた「ここには居場所がない」という思いから、選択肢を消していったときに残ったのが「旅をしながら仕事をする」という働き方でした。

世界一周を実現するために選んだ仕事

古性さんは美容師、カフェスタッフ、Webデザイナー、ライター・写真家と色々なお仕事をされてきていますよね。どの仕事を選んだときも「将来海外で仕事をしたい」という気持ちがありましたか?

そうですね。高橋歩さんに憧れてから、「私も世界一周する」と言っていたんですが、両親から「世界一周に行くのは良いけれど、帰ってきたときにどうにかなるように何か職を探しておきなさい」と言われました。友人に相談したら、「美容師ならハサミ1本あれば世界中どこでも仕事ができるし、独立もできる。職業としてもなくならない」と教えてもらって、美容師になろうと決めたんです。

ただ、美容師になってみて自分は人を綺麗にすることがそんなに好きではないと分かりました。「世界一周をするための手段」として美容師を選びましたが、「自分がやりがいのあること、好きだと思えることを仕事にしないと心地よくないし、楽しくない」ということに気づいて。元々パソコンが好きだったのでWebデザイナーに転職しました。「ハード面のスキルをもっと学びたい」と入った2社目が面白かったですね。「Web制作会社の吉本」みたいな立ち位置で、当時としては珍しく全社員の顔を自社のホームページで公開していたんです。ブログのPV数などでユーザーからの人気も見えるようになっていたので、社員それぞれが個人ブランディングをしていて、ブログを書いたり、ライティングやSNS運用の勉強会を開いて教えあったりしていました。そんな環境だったので私もブログを書くようになり、社内転職でライターになりました。

ライターは写真を頼まれることが多いので写真も撮るようになり、現在に至ります。

「世界一周をしたい」ということと「好きだと思える仕事」を両立できる仕事を探してライティングと写真にたどり着かれたんですね。写真はどのように始められましたか??

ライターと兼ねる形で始めました。学校などで学んだことはなくて「最初から本番」でしたが、それまでの仕事の経験が活きたと思います。バランスを意識するといったデザインの知識や美容師時代に身についた色の感覚が助けてくれました。

デザインや美容師のお仕事と写真で、共通する部分があったんですね。美容師に始まり、たくさんのお仕事を経験されていますが、転職するときやフリーランスになるとき、不安はありませんでしたか?

もちろんありました。その仕事に向いているのかも分からないし、上手にできるかも分からない。嫌になるかもしれない。年齢が上がるほど怖くなりますよね。美容師からデザイナーになったときは「これが最後の切り札だ」くらいの気持ちでした。

ただ、全力でやれば絶対何かがついてくると考えて、やるからには全力でやるようにしました。中途半端にやっていたら後がなくなるとは思いますが、「全力でやってみてだめだったりしっくりこなければ変えればいい」という気持ちで全力でやって、「これ以上やったら自分が壊れてしまうな」と思ったら潔く辞めても良いと思っています。

たまに「ずっと1つのことしかやってこなかったから自分は何もできない」と言う人がいますが、自分で気づいていないだけで出来るようになっていることはたくさんあって、仕事を変えてもそれは引き継がれていると思います。

海外に住む夢を叶えかけたとき、コロナで強制帰国

いくつか仕事を変えるなかでも、海外に出るという目標は変わりませんでしたか?

24歳になったとき、「このままだと年齢が上がっても海外に行かず、世界一周を諦めるだろうな」と思いました。その焦りから、2年後をデッドラインと決めて部屋に「2016年6月19日に世界一周に出る」と貼り、自分に言い聞かせたり、周りに話したりしていました。

具体的な日付も決められていたんですね。実際にその日に世界一周に出発したのですか?

そうです。でも下準備は特にしていませんでした。貯金も100万円もないくらい。仕事は出発の1週間前くらいに辞めたので、その後の生活のために出発3日前に税務署に届け出をして、フリーランスになりました。

フリーランスになったのは出発の3日前だったんですね、驚きました。その後すぐに海外に行き、仕事はどうやって見つけましたか?

そんなに計画性がなくて、最初は仕事がありませんでした。初月の稼ぎは8,000円くらい。「このままだと貯金がゼロになる!」と危機感を覚えて、ただ待つだけの姿勢はやめて自分から色々なメディアに企画書を送り始めました。

美しい言葉と写真は、そんな世界一周のなかでたどり着いたお仕事ですか?

もっと後で、最近のことです。世界一周の終わりにはライティングの定期収入が得られるようになり、写真の仕事も増えて、「いよいよ海外に住めるかもしれない」と、トライアルとしてバンコクで仕事をしてみたんです。するとすんなり生活できたので「もっと遠くに行ってみよう。ヨーロッパやスペインでしばらく生活してみようかな」と考え始めた矢先、コロナで強制帰国になりました。

16歳から日本の外に出ることだけ考えて気持ちを保っていたのに、コロナで全部クローズされてしまって始めは日本をどうやって好きになったらいいのか分からず、絶望的な気持ちでした。日本のルールや慣習は好きになれないけど、昔から引き継がれている綺麗な表現や色の名前など、繊細で五感を感じさせる言葉は好きだったので、「ここから日本を好きになってみよう」と自分を慰めるものとして、「美しい言葉と写真」を投稿し始めました。自分が得意な写真とデザイン、そして言葉を作ることをミックスして今のスタイルにたどり着きました。

それが私と同じようにコロナで気持ちが塞いでいた人たちに届いたのかもしれません。

複数拠点生活は、自分の居場所を複数持つこと

東京と岡山の2拠点生活に続き、今はタイとの複数拠点を始められています。複数拠点生活や旅をしながら仕事をする生活を始めてみて、高校生のときに思い描いていた生活とのギャップを感じたことはありますか?

金銭面はギャップがありました。「2拠点生活をしています」と話すと「お金をたくさん稼いでるんですね!」みたいなことを結構言われますが、2拠点生活をする人って、お金をかける場所が違うだけだと思います。みんなが服に使っているお金を家賃に使っていたり、みんなが飲み代に使っているお金が交通費になっていたり。

お金をかける部分の価値観が違うということですね。滞在先はどうやって選んでいるんだろうと気になっていたのですが、タイのチェンマイや岡山など、複数拠点先として選ばれる場所に共通点はありますか?

チェンマイや岡山も含め、今まで行って何となく好きだった国や場所の特徴をスプレッドシートにまとめてみたとき、共通点がありました。寒いと思考停止するくらい寒さが苦手なので気候が温暖で、海が比較的近くて、人口は6万人から10万人くらいの小さな都市であること。あとは、生活圏内にお気に入りのカフェがあることですね。長野の松本とか、沖縄の石垣島とか、インドのリシケシュも共通点が多かったです。

石垣島や瀬戸内は私も好きなエリアでよく旅行にいきます。古性さんは旅行でなく、どちらでも仕事と生活をされていますが、仕事をしてお金を稼いで旅行するのではなく、今の暮らし方を選ぶ理由を教えてください。

旅行のいいところって、刺激があるところですよね。日常からいきなり非日常になるので、リフレッシュになると思います。私も旅行は大好きですが、2拠点生活はどちらかというと「居場所作り」に近いのかなと思っていて。心の自由のために、居場所を2つ作ることだと思います。

東京と岡山で生活していましたが、岡山では玉野という森と海に囲まれた場所に住んでいました。お金を稼いだりビジネスをしたいときは東京の方がちょうど良いですよね。周囲の人と話す内容も仕事の話が多いですし、すごく刺激になります。でもそうではなくて、自分と向き合いたいときやもっと内面の話をしたいとき、東京はしんどいと感じることがあって。みんな未来を見てるのに自分だけ自分の内面を見ようとしているから、バランスが取れなくなってくるんですね。そういうときに、旅行だと計画を立てなくてはいけないですが、もう1つ家があると、「もう今日は岡山帰ろう」と岡山に帰って海に遊びに行って何時間もぼーっとしてみたりとか、そこで暮らす人たちと今日の夜ご飯の話をしたりとか。目線が違って、癒されます。

その日に決めて心を休めに帰るというのは、たしかに旅行と違うところですね。「旅をしながら仕事する」というライフスタイルは常に各拠点の環境を整えておかないといけなくて大変そうだとも思いますが、古性さんが複数拠点で生活する上で大事だと思われることは何ですか?

柔軟性と忍耐力でしょうか。2拠点生活をすると生活がいきなり変わります。いまは気温が30度近いチェンマイにいるけれど1か月後には冬の東京に戻るので、気温もかなり変わるなかで1から生活リズムを築き、仕事をしながら暮らすには柔軟性と忍耐力が求められると思います。

あとは、自分が本当に必要なものと、そうでないものを知っている力もすごく大事かなと思っていて。ルーティンのなかから「何がなくなっても自分は壊れないのか」を知っておくと、環境が変わっても対応がしやすいと思います。朝起きる時間やパジャマなど。何が自分にとって重要なのかを1つ1つ分解していって、「最低限これがあれば自分は壊れない」というものは必ず身につけておきます。

「自分が楽しいと感じること」と「世の中に求められていること」、「自分が出来ること」の交差点を探す

最近では、写真と美しい日本の言葉を擬人化した「ゆらぎ乙女」というNFTを作ったり本を執筆したりと様々な形で作品を発表されていますね。仕事をつくる上で、何が出発点になることが多いですか?

NFTは、「いずれゲームを作ってみたい」という思いの1歩としてスタートしました。私は10代ネットゲームの世界に救われて生きてきて、「いつかネットゲームで稼げる時代が来てほしい」と思っていたんです。最近ゲームで稼げる時代がいよいよ到来し、これは小さくでも良いから自分も参戦したいな、と考えました。いきなりゲームを作るのはハードルが高いので、NFTのデジタルアートから始めることにしました。作品は「美しい日本の言葉と写真」がベースになっています。まずは自分の生み出したNFTたちを多くの人に愛してもらい、ゲームの世界でアバターとして浸透することを目標にしています。

一方で、普段の仕事は、将来から逆算するよりは「楽しそうだな」とか「わくわくしそう」が起点になっていることが多いですね。自分が楽しいことをするのがモチベーションになっています。常に「自分が楽しいこと」と「世の中に求められていること」と「自分ができること」の交差点を探して仕事を選んでいます。

そんな様々な仕事をするなかで意識されていることはどんなことですか?

相手のことも大事にしつつも、自分のことを大事にするよう意識しています。

20代のときは、仕事がきたら全部120%で打ち返していました。全力でやらないと相手の信用を裏切ってしまう恐怖があったんだと思います。けれど、度々体調を崩したり、心と体のバランスを崩してしまったりして。全力で返すことも大事ですが、自分のこともちゃんと認めてあげることが大事だなと実感しています。無理なときは無理と言って、過剰に自分をいじめすぎないというのが最近の課題です。120%で返さなくても幻滅されるわけじゃない。怖がらず相手を信じることが大事だと思います。

日常のそばにあるものも、視点を変えれば美しい

作品を通じて届けようと意識されているのはどんなことですか?

私の写真はすごく地味なんです。「何を撮っているの?」と聞かれると「その辺の雑草を撮っています」と答えるくらい、日常の些細なものを撮っています。普通に暮らしていると、どうしても毎日がつまらなくなったり、ありがたみを感じなくなったりしますよね。次の日が来ることは当たり前だし、1時間後のことはある程度予想できると思います。でも、「日常のそばにあるものって決して当たり前じゃないし、視点を変えれば美しいんだ」ということに気づいてほしいです。

言葉に関しては、特に最近SNSを見ているとネガティブなニュースや炎上が多くて殺伐(さつばつ)とした空気を感じます。そんななかで「SNSをやっていて良かった」とか「明日もちょっと頑張ろうかな」みたいな、ニュートラルな気持ちになってもらうことを目指して作っています。「私が美しいと思うものを置いておくからよかったら見てね」くらいの気持ちです。私自身も言葉を探す作業や、写真を仕上げる時間は心が落ち着くので、作品に救われています。

2022年11月に書籍『雨夜の星をさがして 美しい日本の四季とことばの辞典』を出版されました。読者の方にはどんな風に楽しんでほしいですか?

「ひと息つきたいときや、ちょっとリセットしたいときのお守り」にしてほしい、という気持ちで作りました。今回は季節ごとに作品の形を変えています。春はエッセイ、夏はオノマトペ集、秋は少し長い秋の夜長に読みたいもの、冬は詩を書きました。どこから読んでもらっても良いですし、調べものをするときでも、寝る前に少し綺麗なものを見たい、など好きに使ってくれれば嬉しいです。

今後挑戦してみたいことや、仕事について教えてください。

海外の仕事をそろそろちゃんとやってみたいです。英語もそのために勉強しています。最近ではデジタルから少し離れたところで、チェンマイでドーナツ屋さんなどやってみたいですね。

ここには居場所がないという不安、コロナウイルスの流行による海外での生活の強制中断。古性さんが海外へ目を向けたきっかけや今の働き方に行き着いたきっかけが、日本で感じる息苦しさや絶望というネガティブな感情だったと聞いて驚いた。そんな生き方や仕事を、人を癒す力のある作品に変えることができたのは、いつも自分の気持ちに向き合い、飛び込んだ場所で全力を尽くす古性さんだからこそなのだな、とインタビューを通じて納得した。

そんな実直さと「旅をしながら働く」というライフスタイルが、古性さんが「わくわくすること」の種を見つけ、「楽しいこと」と「できること」、そして「世のなかに求められていること」の重なりを広げているのだろう。

生きる場所も仕事の幅も広げていく古性さんがこれから見せてくれる世界を、楽しみに見ていきたい。

 

古性 のち(こしょう のち)
1989年生まれ。写真家やエッセイスト、コラムニストとして活動する。美容師、カフェスタッフ、Webデザイナー、ライター、写真家を経て26歳で世界一周。現在は東京と岡山、タイで複数拠点生活をしている。2022年11月、『雨夜の星をさがして 美しい日本の四季とことばの辞典』(玄光社)を発売。

 

取材・文:Natsuki Arii
編集:日比楽那
写真:Takayo