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ロマンティックってなんだ?演劇『われわれなりのロマンティック』が描くそれぞれの"好き”

恋愛感情と友情を区別しない、したくない性的指向のことを「クワロマンティック」という。

まだあまり知られていないクワロマンティックを軸に、さまざまなパートナーシップについて描いた演劇作品『われわれなりのロマンティック』が、演劇団体「いいへんじ」によって2025年8月29日から上演される。

いいへんじ主宰で作・演出の中島梓織さん、ジェンダー・セクシュアリティ監修の中村香住さんに、作品が生まれた経緯や監修方法、多様な「好き」を描く物語についてお話を伺った。

 

<「クワロマンティック」とは>
自分が他者に抱く好意が恋愛感情か否か判断できない/しない性的指向をいう。「クワ」はフランス語の“quoi”(「何」)に由来しており、恋愛的魅力や恋愛指向といった概念自体が、自分にとっては意味をなさない・適さないと感じるアイデンティティだと言える。
今回、『われわれなりのロマンティック』でジェンダー・セクシュアリティ監修を務める中村香住さんは『クワロマンティック宣言』(『現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在』内に収録)にてクワロマンティックの概念について論じており、「友情か恋愛感情かの違いが見分けられない」という意味では必ずしもなく、「恋愛」そのものに疑義を呈するラディカルな態度を含んだアイデンティティだとしている。

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MITAKA “Next”Selection 26th いいへんじ『われわれなりのロマンティック』
【作・演出】中島梓織
【ジェンダー・セクシュアリティ監修】中村香住

【出演】
小澤南穂子(いいへんじ) 小見朋生(譜面絵画)
川村瑞樹(果てとチーク) 藤家矢麻刀 百瀬葉 冨岡英香(もちもち/マチルダアパルトマン) 谷川清夏 奥山樹生
飯尾朋花(いいへんじ)

【公演日程】
2025年8月29日(金)~9月7日(日) 

【会場】
三鷹市芸術文化センター 星のホール 

【公演特設サイト】
https://wareroma.studio.site/

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中島梓織(左)
演劇団体「いいへんじ」主宰/劇作家・演出家・俳優・ワークショップファシリテーター
1997年茨城県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。
2017年「いいへんじ」を旗揚げ。以降、全ての作品の作・演出を務める。2020年、『夏眠/過眠』が「第7回せんだい短編戯曲賞」の最終候補にノミネート。
2023年『薬をもらいにいく薬』が「第67回岸田國士戯曲賞」の最終候補にノミネート。

中村香住(右)
1991年神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科等非常勤講師。専門は文化社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究。
著書に『私たちの「働く姫、戦う少女」』(共著、堀之内出版、2019 年)、『ふれる社会学』(共著、北樹出版、2019 年)、『「百合映画」完全ガイド』(共著、星海社、2020 年)、『ガールズ・メディア・スタディーズ』(共著、北樹出版、2021 年)、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた――ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』(共編著、青弓社、2022 年)、『消費と労働の文化社会学――やりがい搾取以降の「批判」を考える』(共編著、ナカニシヤ出版、2023年)など

「クワロマンティック」を物語にしたきっかけ

中島さんが『われわれなりのロマンティック』を作ろうと考えた背景を教えてください。

中島:この物語の構想を始めたのは、ちょうど1年前ぐらいです。

一昨年に祖父を亡くした際、家族の歴史が続いてきたなかで自分がいるということをすごく実感したんです。私は大学入学と同時に上京して、地元にはお盆と正月に帰るぐらいで、大人になっていくなかで密接に「家族」というものについて考えるタイミングがなくて。 

祖父が亡くなったときに親がどこかシュンとしてて、「ああ、孫の顔を見せるとか、自分がこの歴史を繋いでいかなきゃいけないのかな」とプレッシャーのようなものを感じたんです。そのときに、「恋愛・結婚をして、家族になる」ということについて書かなきゃいけないのかなって、思っちゃったんです。それが、この作品作りのきっかけでした。

そこに「クワロマンティック」という要素はどのように入ってきたのでしょうか。

中島:以前、友達ができないことがコンプレックスだった主人公の女性が、ある女性と出会い、「友達になりたいです」と告白のように伝え、友達になっていく『友達じゃない』(2024年)というお話を作りました。その作品を作っているときに、自分も誰かに対して「恋愛とは言えないけど、気軽な友達とも言えない気がする」といった感情を抱くことがあるなと思って。それがあまり意識せずに反映されていたんです。

この感情って何なんだろう?と悩んでいたときに、「クワロマティック」という言葉に出会って、これだ!と思いました。その前作も、クワロマンティック的に読んでいただいた方もいて。じゃあ今度はそこについて掘ってみようかなと思い、「クワロマンティック」を中心にパートナーシップや他者と生きることについて描きながら、「恋愛をして結婚をして子どもを産む」「家族とはこうあるべき」みたいな既存の概念に抗う作品にしていこうかなと考えたのが始まりです。

撮影:宮本七生

中村さんがジェンダー・セクシュアリティを務めた背景・その役割

なぜジェンダー・セクシュアリティ監修を中村さんにご依頼されたのですか?

中島:自分から始まった話ではあるけれども、自分が当事者じゃない部分ももちろん登場人物のなかにはあります。第三者的な目線で見てくれる方がいると、脚本を書く段階でも、俳優が演じる段階でも安心だし、お客様にも安心して判断いただける基準になるのかなと思ったので、監修に入っていただきたいと考えていました。

どなたにご依頼するか考えたときに、「クワロマンティック」という言葉を知ったのが、中村さんの『クワロマンティック宣言』(『現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在』内に収録)だったので、まず中村さんにお願いしたいなと思いご依頼しました。

中村さんはその依頼をどのように受け取られましたか?

中村:ジェンダー・セクシュアリティ監修を任せてくださったという意味で、まず非常に嬉しいお話だなと思いました。それだけではなくて、「クワロマンティック」というまだまだ日本では知られていない概念をキーとした物語が展開されることを、すごく嬉しく思いました。クワロマンティックを自認している人だけではなく、自認していなくても、この在り方に共鳴できる人の数は潜在的にとても多いんじゃないかと思っています。そういった人たちにも広く届くような、「演劇」という媒体であることも嬉しく、ぜひお力添えできればなと思いお受けしました。 

監修はどのように行われているのでしょうか。そのなかで、どんなことを感じられましたか。

中島:脚本の初稿が上がった段階で、中村さんに読んでいただきました。 クワロマンティックって定義が広く、人によって友情と恋愛の割合や、名付けに対する捉え方がそれぞれだと思うんです。そのなかでも重なり合う部分、言葉にしづらいけれどしたい部分、共鳴できる部分をキャッチしていただけたのが、すごくよかったなって思いました。

また、実際に物語として描くときに、ただ正しければ良いというわけではありません。実際にある偏見や生きていくなかでの混乱も描きたいけれど、それで観客が必要以上に傷ついてしまうことはできるだけ避けたい。そこも中村さんにご相談して、一緒に考えていただけたのがとても心強かったです。

中村:私も、中島さんが前提条件を分かり合った状態で話せる相手だったというのが、すごく心地よかったです。 もちろん第三者的な視点から、セクシュアリティやジェンダーの描き方についてもお話ししましたが、「指摘する」というよりは「一緒に考える」という感じだったと思います。

もちろん事実誤認は避ける必要がありますが、ジェンダー・セクシュアリティの描き方そのものは、唯一無二の正解はないと思っています。たとえば、観客にとってちょっとチクチクしちゃうかもしれない言葉を、どれぐらい使うか。あとからフォローが入るにしても、いったんはそうした言葉を使わないと表現できないこともあるなかで、そのバランスをどう保つか。中島さんもすごく勉強なさっていたので、そういう点を土台がある状態で一緒に詰めていくことができました。

中村さんが稽古場で監修として動かれることはあるのでしょうか。

中島:稽古期間中、俳優は自分が初めて触れる概念や演じたことのない役柄に、緊張しつつも真摯に向き合って、演技を立ち上げてくれています。ある程度形ができてきたら中村さんに見ていただいて、普段の振る舞い方や、実際にパートナーとして接触するときにどうあるのか、お話を伺えたらなと思っています。

中村:いままで監修を担当した作品は、コロナ禍だった時期もあってどうしても現場に行くことが難しく、基本的にはオンラインやメールベースで関わってきました。でも今回、稽古場に伺えるとのことで、とても嬉しく思っています。

撮影:宮本七生

『われわれなりのロマンティック』が提示するロマンティックのあり方

この作品を通じて観客に見せたい景色、持って帰ってほしいものはありますか。

中島:クワロマンティックという言葉自体の浸透度がまだあまり高くないですし、性的マイノリティや多様なパートナーシップの形にあまり触れたことがない方たちに、どう受け取ってもらえるかな、ということは考えています。

「自分たちはこう思っている」というスタンスで作品を作った上で、客席の中に混乱する人や、ちょっとした反発を覚える人も少なくないと思います。「この物語の中に共感できる人がいないな」と感じる人もいるかもしれない。でも、人と生きることや関係性を結んでいくこと、持続させていくことの難しさといった普遍的な部分ではどんな人ともつながれると思っています。それぞれ、ご自身の生活にちょっとでもリンクさせて何かを考えるきっかけにしてもらえたらいいんじゃないかな、と願って作っています。

中村:受け取り方は人それぞれという前提はありつつ、物語としては非常にストレートに「ロマンティックって何か」ということについて、登場人物のいろんな解釈が示されている物語だと思います。クワロマンティック当事者だけじゃなく、ロマンティックという概念には、みんな振り回されてきていると思うんです。それはいわゆる「アローロマンティック」(※1)と呼ばれる、他者に恋愛的な惹かれを感じる人たちもそうだし、それを感じないアロマンティック(※1)の人も、もちろんクワロマンティックの人も。

この物語を見て、「ロマンティックってなんだろう?」とぐるぐる考えてもらえたら、監修の立場としては嬉しいです。

中島:恋愛や結婚をしたいと思う人を否定をしたいわけではもちろんありません。恋愛や結婚をするなかでも、恋愛市場の戦いみたいな部分が嫌だとか、「彼氏・彼女」を持つことを社会から無意識に要請されていると感じるとか、アローロマンティックの人たちも振り回されているところがあるかと思うので、一緒に考えられたら面白いだろうなと思います。

好きな相手とのパートナーシップという点でも、付き合っていて楽しくても分かり合えないことがあったり、最初はすごくラブラブでも、大人になるとそれだけではいられないこともあったりすると思います。そういった人と人との関係性の難しさは意識して描きました。そこを軸に見てもらえる人もいるかもしれません。

※1 用語:「アローロマンティック」他者に恋愛的な惹かれを感じる人たちを指す。他者に恋愛的な惹かれを感じない「アロマンティック」に対して、そうではない人たちのことを指す言葉として用いる

撮影:宮本七生

「好き」ってどういうこと?

この作品で「クワロマンティック」という言葉に初めて出会う方もいるかもしれません。お二人が「クワロマンティック」という言葉に出会ったときのことを聞かせてください。

中島:7年前に『つまり』(2018年)という作品をつくりました。「この人好きかも」って思う先輩がいる主人公の頭の中で、7人ぐらいの自分が「この感情をまとめて好きという言葉で表せるのか?」ということを会議する。「好き」という言葉について考えている物語です。「好き」って言っちゃうと、そうじゃない部分がこぼれ落ちてしまう感覚が、学生の頃の私は結構強かったんです。相手に望む関係性は恋人でもないけれど、ただの友達でもないという、自分の思う「好き」という言葉に含まれる複雑な感情を全部言葉で説明したくなっちゃうところが自分の性格としてありました。でも、そういう状況をなんと呼ぶのかわからなくて。 

だから自分がクワロマンティックという言葉に出会ったときは、感じていたことに名前があったことにすごく救われました。しかし、するとまた、「クワロマンティック」という言葉に対して、それがどんな概念なのか、自分がどんなふうにどれくらい当てはまるのか、もっと説明をしたくなる。人によってそれをどう考え実践しているかは全然違うから、それを考えるスタートだったな、みたいな感覚はありますね。

中村:クワロマンティックという言葉は、アロマンティック・アセクシュアルの英語圏のコミュニティから生まれたものです。「アロマンティックと言い切りたくない自分がいる、なぜなら、恋愛感情を感じるか否かにゆらぎがあるから」みたいなところから派生しています。言葉に付随して由来を知ることも大事で、そのことでよりその言葉の定義がしっくりきたり、適切な使用ができるようになったりするのかなと思っています。

作中では主人公が恋愛的な惹かれについて、アローロマンティックの登場人物に尋ねるシーンがあります。ロマンティックという概念については、どう考えていらっしゃいますか。

中島:恋愛する人は恋愛がなんだか分かってるの?説明できるの?みたいな思いがあります。「恋って何?」とアローロマンティックの人に聞くと、答えが結構ざっくりしてるんですよ。「恋って、キュンじゃん」みたいな。マイノリティ側は頑張って言語化しようとしてるのに、なんかざっくりした返答だなみたいなことがありますよね。

中村:「友達とどう違うの?」とか「友達とはできない、恋愛でしかできないことって何なの?」って聞くと、キスとかセックスとか言われるけど、別に友達とでもする人はいるし、恋人とでもしない人はしないし。だから私は、納得できる答えは一度も見つけたことがないです。

中島:マイノリティばかり説明を求められる場面は多いですよね。いわゆる恋愛をする人は、自分で「これってなんだろう?」って考えたり調べたりってことも、あまり必要性がないですしね。

インタビュー中のお2人の様子

パートナーシップを描く物語のあり方

関係性を描く物語が、これからどうあるといいと思われますか。

中村:恋愛ものだけじゃなく、バディものみたいな作品がすでにありますが、さらに増えたらいいなと思います。恋愛表象はあってよいのですが、それ以外の強い絆を描くものがもっと増えたら嬉しい気持ちがあります。

とくにいまはヘテロセクシュアルの恋愛ばかりだから、それ以外の形ももっとあって良いんじゃないでしょうか。実際にはヘテロ以外の恋愛や恋愛以外の親密な関係性の形を取っている人もある程度いるはずで、創作では実態よりヘテロ恋愛の割合が高いように感じられます。

中島:恋愛って何なのかわからないし面白いと思えない、という人だっていますよね。「自分がこのなかにいるな」と思える物語の種類があればあるほど豊かだし、フィクションでいろんな関係性の描き方が存在するといいんじゃないかなと思います。

物語を描くうえで、作り手の当事者性についてはどのように考えられていますか。

中島:以前、自分が当事者ではない、マイノリティが登場する作品に携わった際は、「何もかも違う立場だけれど、当事者じゃない自分だからできることがある」と思いながら作品を作り上げました。当事者であってもなくても、必要以上に観客や関わる人を傷つける表現にならないようちゃんと検討することが、観客に届けるために大事なんじゃないかなと、その作品でとても感じました。

今回の『われわれなりのロマンティック』も、私の思いから始まった作品です。しかし演劇だと多くの人が関わるので、みんなで同じスタートラインに立ってそれをそれぞれの角度からどう捉えるか、どう表現するかというところに落とし込んでいくのが大事なんじゃないかなと感じています。

過去の作品作りで、自分のことしか考えられていなくて、他者を描くことには暴力性が伴うことを自覚できていなかったと反省した経験もあります。自分が当事者ではないテーマについて描くときは、できるだけ誠実にそのテーマを描いていくしかないのかなと。

中村:とくにマイノリティを描く作品においては、「当事者の方を向いている」ことが重要なのかなと思っています。たとえば、百合・GL作品は、女性同士がイチャイチャしているだけの、安全圏から異性愛男性が楽しむための作品もあると批判されることがあります。でも当事者の方を向いて作られているGLドラマも最近は多くて、そのことは、それがちゃんと当事者に伝わってくるんですよね。

「安全圏からの視点」について中島さんはどう思われますか。

中島:「安全圏から」という言葉は、とてもしっくりきました。自分が当事者側として物語を見るときも、安全圏から楽しんでるだけだな、勝手に美化して感動されてるな、と感じることがあります。

以前、精神疾患やメンタルヘルスのことを、自分の経験を元に描いたことがあります。そのときは、「自分は精神疾患ではないけど、あなたは大変だったね」みたいな感想をもらうことがあって、安全圏からの視点だなと、ちょっと怖く感じたのを思い出しました。

中村:分かることと分からないことが両方あるけれど、分からなくてもできる限り勉強して誠実に書こうという姿勢が大事ですよね。

撮影:宮本七生

8月29日から上演が始まります。足を運ばれる方、このインタビューを読まれた方にお伝えしたいことはありますか。

中島:作品を見たことで考えたり、近くの人と話をしたり、そういうきっかけになれば嬉しいですね。

『われわれなりのロマンティック』というタイトルにしているように、この話に描かれていることに限らず、日常においても「ロマンティックにまつわるいろんなことが、それぞれにあるよね」ということを体験してもらえたらと思います。どんな形でも、皆さんが考えたことや感じたことをお聞きしたいな、と思いながら頑張って作っていますので、ぜひ見に来てもらえたら嬉しいです。

中村:「ロマンティックって何か」ということに対して、こんなに誠実にいろんな人が向き合っている物語って本当に希少価値があるものです。ぜひ見に来ていただいて、ご自身なりのロマンティックについて考えていただけたらな、と思います。

 

取材・文:カネコハルナ
編集:大沼芙実子

 

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