アセクシュアルとは?
アセクシュアルという言葉を聞いたことがあるだろうか。「セクシュアル」という部分から、セクシュアリティに関連する単語だと想像できる。アセクシュアルとは、他者に対して性的欲求を抱くことがない、あるいは性的欲求を抱くことが少ない性的指向のことをさす。
アセクシュアルの定義
アセクシュアルとは、英語でAsexualと記され、日本語では無性愛者とも表現される。
アセクシュアルは他者に対して性的欲求を持たないセクシュアリティを指すと記述したが、アセクシュアルは恋愛感情を抱く・抱かないという観点でも分類される。他者に恋愛感情を持つことはあるものの性的欲求は抱かない人はロマンティック・アセクシュアルと呼ばれ、恋愛感情も性的欲求も抱かない人はアロマンティック・アセクシュアルと呼ばれる。(※1)
※1 参考:アウト・ジャパン「アセクシュアル | Magazine for LGBTQ+Ally - PRIDE JAPAN」
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/glossary/a/11.html
アロマンティック、ノンセクシャルとの違い
アセクシュアルと意味が近い概念として、アロマンティックやノンセクシャルがあげられる。それぞれの違いはどのようなものだろうか。
アロマンティックとは、「他人に恋愛感情を持たない人、またその指向」をさす。(※2)アセクシュアルが、性的欲求を持たないことを特徴とし恋愛感情の有無は問わないことに対して、アロマンティックはそもそも他人に恋愛感情を持たない。
自身もアロマンティック・アセクシュアルを自認して活動しているなかけんさんは、アセクシュアル、アロマンティックに関する調査を行ってきた。
調査のひとつである、「アロマアセクにおける特定の行為に対する嫌悪感の分布」(アロマ=アロマンティック、アセク=アセクシュアル)では、「キスをする」ことに対する嫌悪感は75%の人が感じる一方、「手をつなぐこと」は27.9%、どれにも嫌悪感を覚えない人が22.4%いることがわかっている。(※3)
このように、アロマンティック、アセクシュアルと定義されていても、その性のあり方は多様であることがわかる。
それでは、ノンセクシュアルとアセクシュアルの違いは何だろうか。
ノンセクシュアルとは、他者に対して恋愛感情は抱くが、性的欲求は持たないセクシュアリティのことをさす。アセクシュアルは基本的に、恋愛感情の有無は問わないが、あえて恋愛感情の有無を定義した際に使われる「ロマンティック・アセクシュアル」に近い概念と考えることができるだろう。
※2 参考:ELEMINIST「恋愛的指向のひとつ『アロマンティック』とは 特徴やアセクシャルとの違い」
https://eleminist.com/article/2535
※3 参考:NHK「知っていますか?“アロマンティック・アセクシュアル”」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220322/k10013544761000.html
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アセクシュアルの結婚観
アセクシュアルは他者に性的欲求を持たないという特徴があるが、アセクシュアルの人々は結婚を望んだり、実際に結婚に至ったりする場合があるのだろうか。本文内でも言及した、アロマンティック・アセクシュアル当事者であるなかけんさんはあるインタビューでアセクシュアルの結婚観について以下のように回答している。
アセクシュアルっていうと結婚しないんでしょ、する気ないんでしょ、と言われることが多いんですけど、オフ会で聞いていると結婚に関心がある人は3,4割程度いるのかなぁという印象でした。
要するに、パートナーと呼べる人は欲しいという感じの人が多い。恋愛はいらないけど、それと家族と呼べる存在はイコールではないじゃないですか。信頼はすごく置けるし、言い合える仲でもあるけど、恋人とはちょっと違う、みたいな...そんなポジションの人が欲しい人は多いです。
(※4)
アセクシュアルの人たちの中には友情結婚という選択肢をとる人たちもいるという。友情結婚とは、性行為がない結婚をさし、性行為を求めないアセクシュアルの人たちの結婚の手段のひとつでもある。
※4 参考:HUFFPOST「結婚、考えてますか? 恋愛しないアセクシュアルが語る、これからの生きかた」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/asexual-interview-2_jp_5c5be77fe4b0e3ab95b3c9f6
アセクシュアルを公言している著名人
芸能人や著名人の方々にも、アセクシュアルを公表している人たちがいる。
日本では、先述のなかけんさんや、モデルとして活躍している中山咲月さんなどがあげられる。
また、2022年にはアロマンティック・アセクシュアルの男女を主人公にしたテレビドラマ「恋せぬふたり」が放送されている。ドラマの概要は以下の通りだ。
―――恋愛しないと幸せじゃないの?
人を好きになったことが無い、なぜキスをするのか分からない、恋愛もセックスも分からずとまどってきた女性に訪れた、恋愛もセックスもしたくない男性との出会い。
恋人でも…夫婦でも…家族でもない? アロマンティック・アセクシュアルの2人が始めた同居生活は、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく…。
恋もセックスもしない2人の関係の行方は!?
(※5)
2022年に公開された映画『そばかす』も、アセクシュアルの女性を主人公にした映画である。映画コピーは、
「恋愛をしたことがない、そういう感情もない。 だけど楽しく生きていける―」 それが私だと思っていた。」
(※6)
このような著名人の公言や、昨今のドラマや映画の題材として使われていることからもわかるように、日本でもアセクシュアルは少しずつ認知の幅を広げている。
※5 引用:NHK「恋せぬふたり」
https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/
※6 引用:(not) HEROINE movies「映画『そばかす』|「(not) HEROINE movies」オフィシャルサイト」
https://notheroinemovies.com/sobakasu/
アセクシュアルの現状と課題
ここまでは、アセクシュアルの定義や特徴について記載してきた。それでは、現在の日本社会において、アセクシュアルはどのような立場にあり、どのような課題を抱えているのだろうか。
社会におけるアセクシュアルへの認識と誤解
アセクシュアルが被る困難に関して九州大学大学院の松浦優氏は、Ela Przybylo氏の論文を参照しながら「アセクシュアル当事者がメディアで自身のセクシュアリティを『告白』しても、それに対して執拗に疑問が投げかけられ、隠されている(と想定された)『本当の』セクシュアリティを語ることを要求されることがある」(※7)という点を指摘している。
また、「アセクシュアル」というカテゴリーの内部にも恋愛感情を持つアセクシュアルやそうでないアセクシュアルなど多様性が存在しており、アセクシュアルを「『まったく性的惹かれを経験しない人』という消極的かつ厳密な形で定義してしまうと」、そのような多様性を捨象することになりかねないと話す。(※7)
松浦氏の論文からもわかるように、多様なあり方を持つアセクシュアルにはその認識に誤解が生じている場合があると言えよう。
※7 参考:松浦 優「アセクシュアル研究におけるセクシュアルノーマティヴィティ(Sexualnormativity)概念の理論的意義と日本社会への適用可能性」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sswj/18/0/18_89/_pdf/-char/ja
アセクシュアルが直面する課題と困難
恋愛は、社会生活の中でも話題になりやすいトピックである。友達との会話の中でも何気なく「恋人はできたか」「どんな人がタイプか」など恋愛の話に発展することがある。アセクシュアル当事者へのインタビュー記事では以下のような葛藤が記載されていた。
恋愛に興味がなくても、学校やバイト先など日常生活のあらゆる場面で「恋愛するのが当然」という空気に晒されるのが心底嫌でした。
久しぶりに会う友達からの「彼氏作らないの?」や、親戚からの「いつ結婚するの?」、月1の美容院での「彼氏いますか?」...とほぼ100%の確率で投げかけられるこの言葉。これらに対して、あやふやな返事や自分を偽った返事をすることにいつも虚しい気持ちを感じていました。
(※8)
アセクシュアルの中には、性的欲求を持たないだけではなく恋愛感情を抱かない場合も多い。そのため、恋愛の話や結婚の話などはアセクシュアルにとって負担となることがある。
また、相手がアセクシュアルとわかっていて交際した場合も片方がアセクシュアルではない場合、性的関係を求めるに至ったり、交際を始めたのちに自身がアセクシュアルと認知したりする場合などもあるためアセクシュアルが直面する課題は多数存在している。
※8 引用:HUFFPOST「恋愛しなくちゃいけないの? アセクシュアルの私が感じる生きづらさ」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/asexual_jp_5c5be608e4b0e3ab95b3b312
アセクシュアルの理解と認知の促進
誤解も生まれやすいアセクシュアルだが、その理解と認知の促進にはどのような方法があるのだろうか。この章ではアセクシュアルへの誤解や偏見を解消する方法、アセクシュアル当事者の声などを紹介していく。
アセクシュアルへの誤解と偏見を解消する方法
アセクシュアルへの誤解や偏見を解消する方法としては、ジュリー・ソンドラ・デッカー著、上田勢子訳の『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて――誰にも性的魅力を感じない私たちについて』という書籍で丁寧に説明されている。
書籍の中では、様々なアセクシュアルへの誤解・偏見と、その解消方法が紹介されている。
例えば以下のような記載がある。
アセクシュアルの人はよく、いつか「ぴったりな人」と出会えば性的魅力を感じられるようになるし、それによって一般社会の価値観も備わってくると言われるものです。私たちの仲間は、何度も繰り返して同じことを言われ、未熟者という烙印を押されてしまいます。
(※9 24ページ)
性的経験や、性的な関心度によって人の成熟度を測るような風潮があるが、それを否定する意見だ。そもそも、成熟度は個人の主観的な判断に基づくものであり、性的関心とは関係がないことが述べられている。
また、次のような記述もある。
性衝動や性欲や自慰をしたい気持ちがあるのなら、アセクシュアルと言う資格がないのでは?自慰をするかどうかによって、人の性的指向が決まるわけではありません。また、こうした行為の意味を誤解する他者から、勝手に性的指向を押し付けられ中傷されるものでもありません。
(※9 52ページ)
性的興奮(身体の反応)と、性欲があるかどうか、また性的に誰かに惹かれることはそれぞれ別のことであると解説されている。また、アセクシュアルの人の中でも程度にグラデーションがあり、自慰や性衝動に関しては人それぞれであるともされている。
さらに、よくある誤解として以下のようなものも挙げられていた。
性的指向としてのアセクシュアリティは病気ではありませんし、症状でもありません。治療できる、あるいは治療すべき問題として扱ってはならないのです。ホモセクシュアリティがそうでないように。
(※9 29ページ)
アセクシュアルであることは全く問題ではなく、本人がアセクシュアルであることを受け入れている場合に、無理矢理に性的な体験を勧めるのは避けるべきだと説明されている。
このようなアセクシュアルへの偏見や誤解を解くためには、アセクシュアルを適切に理解することが鍵となってくる。
アセクシュアル当事者の声:個人の体験談と見解
ビッグイシューオンラインにおいて、アセクシュアル当事者の記事が掲載されている。
23歳のバフィーは人生でセックスの経験がない。今後セックスをしたいとも全く思っていない。彼女は人口の少数派である無性愛者に属しているのだ。人口の1%ほどである彼らへの人々の理解度は、決して満足できるものではない。
この文章で始まる記事には、アセクシュアル当事者の女性(バフィー/仮名)の話が赤裸々に綴(つづ)られている。
彼女は無性愛者だが、子どもが欲しいと考えている。将来的には養子縁組を考えるつもりだと彼女は語る。無性愛者のコミュニティの中で、バフィーのこの願いは珍しいものではない。子どもを欲する人もいれば、欲しない人もいる。中には、子どもを持つ願いをかなえるために、我慢してセックスをする人もいる。
インタビューの終わりに、バフィーは「性的な感情や欲望を持たなくても、いつか、愛するパートナーと親密な関係になれると思う」と言った。そして、「セックスだけが良い関係を作る要素ではないわ」と付け加えた。
(※10)
アセクシュアルは、周囲の人々の理解を得られないという苦しみも抱えている。また、性的欲求を持たないアセクシュアルであっても子どもを望む人たちもいる。アセクシュアル当事者の話や経験を聞かないと、当事者以外がその現状を知ることは難しい。当事者に直接話を聞くことは、当事者に負担を与えることにもなりかねないため、このような記事を読んでみるのもアセクシュアルを理解する1歩になるだろう。
※9 引用:ジュリー・ソンドラ・デッカー『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて――誰にも性的魅力を感じない私たちについて』明石書店
※10 引用:THE BIG ISSUE Online「セックスのない愛:人口の1〜3%程度存在すると言われる『無性愛者(アセクシュアル)』が直面する困難」
https://bigissue-online.jp/archives/1023856330.html
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メディアにおけるアセクシュアル表象
本記事内でも言及したように、邦画の分野でもアセクシュアルを取り上げる動きは進んでいる。
また、本文内でも取り上げたNHKドラマ「恋せぬふたり」のアロマンティック・アセクシュアル考証をつとめたAs Loopという団体メンバーは、アロマンティック・アセクシュアルを題材とした対談記事にて以下のように述べている。
2015年頃から、同性パートナーシップの開始とともに「LGBT」の認知が広がり、2018年頃からアセクシュアルに関するメディアの取材が増え始めたように思いますね。
(※11)
また、以下のような発言もある。
これまで「アロマンティック」や「アセクシュアル」については、本や新聞等にあまり載っておらず、インターネットを中心にしか情報が得られなかったため、若い層に偏る傾向があったように感じます。しかしここ最近、講演会などの参加者アンケートを見ていると30代以上の方も多くみられ、さまざまな年代の方に広がっている印象があります。
(※11)
まだ、テレビでアセクシュアルという単語を耳にすることは少ないものの、幅広い世代にその単語の意味や当事者の経験がシェアされていることがわかる。
※11 引用:ステラnet「ドラマから社会へ――広がる『アロマンティック』や『アセクシュアル』など多様なあり方の輪」
https://steranet.jp/articles/-/1306
アセクシュアルと社会的包括
アセクシュアルはまだ認知が進んでいない部分や誤解なども存在しているものの、アセクシュアルを包括する社会はどのように作られていくべきだろうか。
学校や職場でのアセクシュアルの包括
まず、学校や職場では相手のセクシュアリティに配慮した言動が必要となってくる。相手に「恋人はいるのか」と尋ねることや「好きなタイプ」を聞くことはアセクシュアルの負担になる場合がある。
また、学校ではもしかすると性体験の話をすることもあるかもしれない。性的欲求を持たないアセクシュアルに対してこの質問は答えることが難しい質問となる。
個人のセクシュアリティはセンシティブな問題であるため、関係を構築することを重要視するべきと言えるだろう。特に、学校や職場で場の雰囲気を作る側となる教師や上司などはアセクシュアルというセクシュアリティが存在していることを認知し、理解していくことがチームや集団の心理的安全性を高める重要な方法になるだろう。
LGBTQ+コミュニティとアセクシュアル
LGBTQ+と近年では表記されることが多いが、より包括的なLGBTQIA+という単語も使われるようになってきている。「A」の部分がAsexual=アセクシュアルである。
セクシュアルマイノリティといっても、その形は多様である。まだまだ、LGBTの4文字が使われることが多いが、性のあり方が多様になっていくことでLGBTQA+も浸透していくだろう。
まとめ
アセクシュアルは、そのセクシュアリティを公表しても信じてもらえない場合も多いという。
せっかく打ち明けたとしても、「まだいい人に出会っていないから」と、好きな人ができたり性的欲求を感じたりしないと捉えられてしまうことが、しばしばあるのだ。
同じ理由から当事者も、自身がアセクシュアルであることを自覚するまでに時間がかかることもある「見えにくい」セクシュアリティだ。
周囲の人から強要されたり、焦らされたりすることなく、自身のセクシュアリティについて探せる社会を私たちは作っていかなければならない。誰にも干渉されることなく自身のセクシュアリティを認知しありのままで生きていく社会ができたとき、やっと落ち着いて息が吸えると感じる人もいるだろう。誰かがどこかで息を潜めて苦しみながら回っている社会よりも、みんながゆっくり落ち着いて呼吸ができる社会で生きたいと筆者は感じる。
文:小野里 涼
編集:三浦 永