霜降り明星・せいやさんの初著書『人生を変えたコント』(ワニブックス)が、2024年11月25日に発売された。「いじめを笑いで跳ね返した」という高校生時代の経験をもとに、半自伝で描かれる本著は、読む人に笑いと、感動と、生きる活力を与える。
テレビ、舞台、YouTubeなどさまざまなメディアで笑いを届けるせいやさん。本著についても、「とにかく読んで笑って欲しいんですよ。悲しい話とは思わんといてもらえれば」と語る。そこで今回は、自身の過去を本にしようと思った理由や、本著をどんな人たちに読んで欲しいか、また自分の人生を変えた“笑い”についても話を伺った。
悲しい話ではなく、「いじめを笑いで跳ね返す」話
初めに、ご自身の過去を題材にした本を書こうと思った理由を教えてください。
芸人になって有名になったからとかではなく、高校生の時から思ってたことだったんですよ。高校生活の初っ端にいじめが始まったせいで、“あるはず”だった普通の高校生活が僕にはなかったんです。そのときに、この体験はいつか本にするぞということを決めました。
本にも書いた通りで、昔は芸人になるか、教師になるかで迷ってたんですけど、どちらの道を選ぼうとも、本は出したかったんです。当時から、家族にはこの話をしてたみたいで、妹が最近、「お兄ちゃん、本を出したいって昔から言ってたよな」と言ってくれましたね。
本を読んでもらって、誰かに伝えたいことがあったのでしょうか。
いや、そんな大義みたいなものはとくに感じてないですね。やっぱり自分からするときつい体験でもあったので、これをちゃんとエンタメとして昇華したくて、本にすることで“完成するな”という気持ちがあったんです。
なので、この本は別に「壮絶いじめ体験」とかの悲しい話ではなくて、辛い過去をどう乗り越えたか、「いじめになんか負けへん、笑いで跳ね返す!」って話として書いてます。
本を読んでいて、せいやさんは「強い人」だなという印象を受けました。あんなに辛い経験をすれば、学校に行くことを辞めてしまう人も多いと思います。
小学生の時からテレビに出たり、中学生ぐらいからネタもずっと書いたりしてたので、周りからちやほやされてたんですよね。それもあって、良い意味でも悪い意味でも、若干天狗になってましたね。それがいじめにも繋がってしまうわけなんですけど。でも、笑いには自信があったし、笑いで始まったいじめなんで、笑いでどうにかするしかないなっていう。
なので、別に自分では「強い」と感じたことはないですね。もしかしたら、「強い」よりも「鈍い」って表現が正しいかもしれません。
「鈍い」とは具体的にどういうことでしょうか?
お笑いが好きすぎて、普通の子どもより価値観がずれてたんですよね。だからいじめを受けても、「これをどう笑いにしたろかな?」って考えてたし、悲壮感を出したら終わりやなと思ってました。
それもあって、「いじめ」をずっと「いじられすぎ」に変換してたんです。やっぱり、「いじめ」と認識してしまうと僕もきつかったと思うんですよ。だから自分のなかで直視せずに、ちょっとだけ変換してましたね。ただ、いま思うと、それが原因で、いじめがどんどん酷くなるっていう悪循環だったのかもしれないですけど。
いじめは「おもんない奴」がするもん
いじめてる側が、いじめを「面白い」と思うことが、いじめの始まりになる可能性もあると思うのですが、いかがでしょうか?
たしかに、僕のケースはそれに該当しますね。実際、僕をいじめてる奴らは笑ってました。ただ、「笑いとは関係が無いいじめ」も、当然ありますよね。例えば、見た目や喋り方、着てる服、使ってる道具とかが、いじめのきっかけになる場合です。これは本でも伝えたかったことなんですけど、「誰にでも起こり得ること」が、いじめの恐ろしいところなんですよ。いじめは、周囲の人たちも含めた空気が原因なので。
しかもいじめを体験した身としても、いじめはすごく複雑に入り組んでるから無くすのは限りなく難しいと思ってます。その理由の一つは加害者がいじめてる意識がないことが大半で。仮にいじめをしている人に、「あなたはいじめをしていますか?」と聞いても、何も考えずに「してない」って言う人が多いと思います。
「いじめと笑いの関係性」についてはどのように考えていますか。
いじめてる側は「おもんない」し、人の気持ちが分かってない。もっと言うと分かろうとしてないですよね。特定の人をいじめて優越感に浸るっていうのはまだまだ精神が未熟な集団だと思いますし。だから僕は案外、いじめられてる人の方が個性があって「おもろい奴」がいるんじゃないかと思うんです。
そもそも、人を笑かすのが上手い人は、いじめないですよ。いじめは全く面白くないですし、おもんない奴がするものなんで。
“ヤマイ”と“お笑い”
本を読んだ人のなかにはきっと、「いま、いじめを受けている人」もいると思います。いじめを受けたことから気付けたことや、いまの人生に繋がっていることがあれば教えてください。
いざ、自分がいじめを受けて思ったことは「これは抜け出されへんわ」ってことでした。ただ、そんな状況だからこそ、友達、家族とかの「自分のことを本当に大切にしてくれる人の存在」にも気付けたんです。
僕で言うと、いじめの経験がなければ本に出てきたヤマイとは、いまのようには仲良くなってなかったかもしれません。あの時に友達でいてくれたヤマイは、いまでも仲良いですし、クラスや部活が一緒という関係性とはまた違う、“生涯の友達”って感じですね。
本を読んでくれた人の中には「周りにそんな人がおらん」という人もいると思うんですけど、自分にとって大切な存在は、人じゃなくてもいいんですよ。歌でも本でも漫画でも、なんでもいいんで、“自分を変えてくれるなにか”が絶対にあるはずです。めちゃくちゃ辛い状況だと思うんですけど、その可能性を探ってほしいですね。
せいやさんにとっては、それがヤマイであり、お笑いだったわけですね。
そうですね。いじめに対してまっすぐ向き合わなくていいと思うんですよ。いまの状況をただただ悲しく思わずに、本当に大切なことに気づけるかもしれないチャンスだということを知ってもらえたらと思います。
せいやさんの“お笑い”に対する想い
本書を読んで、せいやさんの“お笑い”に対する強い気持ちは、小さい頃から培われたものなんだと思いました。
笑いに対する意識は小さい時からありましたね。それこそ、小学生ぐらいの年頃は、テレビで流行っていることを真似すると思うんですけど、僕はそのときから自分でネタを書いてたので、笑いにおいては人よりリードしてる意識があったと思います。
その想いは、いじめられてる頃にも失ってなかったので、円形脱毛症になったときも「こっちのほうがおもろいやろ」と思って帽子を被らなかったですね。街中で写真を撮られることもあったんですけど、それに対してもピースしてました。どんな状況でもおもろいことに対する気持ちは消えなかったんですよね。
ちょっと話は変わりますけど、さんまさんのような上の世代の人たちには、「人生=笑い」みたいなイメージがあるじゃないですか。そういうイメージを平成生まれの芸人にも、そろそろ持って欲しいんですよ。産まれてからずっと笑いが好きだし、笑いが人生を変えてくれた経験をしたこともある。だから「人生=笑い」という認識は僕にもありますね。
上の世代でいくと、小さい時にテレビで見てた“笑い”といまの時代の“笑い”は違う点も多いように感じますが、それについてはどう思いますか?
「いまのテレビはつまらん」とか「やりたいことできなくなってる」とか定説みたいな感じで流れてますけど、僕はそうは思ってないんですよね。別に現場では好きなことを言うてますし。
せいやさん出演の「有吉弘行の脱法TV」(フジテレビ系列)はまさしく、令和の時代だからこそ産まれた笑いだと感じました。
そういう良い意味の抜け穴みたいなのも使う人たちもいっぱいいるし、おもろいことはいまでもできるんですよ。例えばVTRを見てワイプで反応する番組とかも、コメントの質で番組を面白くすることはできる。だから、昔と比べること自体が全然意味ないことやと思っていて。昔のテレビぐらいおもろい現場も全然あるし、っていう感覚ですね。
「昔はよかった」って言う人がいますけど、生きてる限りはそれの連続だと思うんです。これは年配の人だけでなく、若い人でも、「平成のアニメはよかった」とか言うことあると思うんです。いまの時代のコンテンツにネガティブな言葉を投げ続けても、“新しいおもろいもの”が生まれないだけじゃないですかね。
「あ、こいつも上手くいってないんやな」と思ってくれれば
本書は学生時代を終えた人たちにも多く読まれていると思います。そういう人たちに、本書を通して知って欲しいことや考えて欲しいことはありますか?
ありがたいことに、SNSやAmazonのレビューとかで読み切れないほど感想が届くんですけど、それらを見て分かることは「みんな人生のなかで少しは嫌な思いをしてる」ということなんです。ただそういう人たちには、嫌な奴を恨み続けるとか、辛い過去に縛られるとかはしなくていい、と言いたいです。実際、僕も文劇祭の準備が始まってからは、いじめてくる奴らのことをほとんど無視してました。
ただ、普通に生活を送ってると、人間誰しもが「なんで生きてんねやろ?」とか考えることがあると思うんです。それに対しては、本のエピローグにも書きましたけど、「生きてることに意味はなくて、どんな人でも産まれてきた瞬間に誰か一人を幸せにしてる。人間の使命はそこで終わってる」と考えてるんです。
思い切った考えだとは思うんですけど、そう考えることで、いまの毎日は“産まれたことに対してのご褒美”ぐらいの軽い気持ちで考えることもできるはずです。ときには「悩む必要がなく過ごす日」があってもいいんじゃないかな。
YouTubeでも「この本は学生たちにこそ読んで欲しい」と発言されていました。最後に、この本を読んだ学生に感じて欲しいことを教えてください!
この本は、いじめられてるイシカワの視点だけではなく、いろんな立場の人の気持ちがわかるように書いたので、「いじめられている人に向けて」とかではなく、複雑な「いじめ」自体を色んなアングルから書いた本になってます。
いじめは、いじめてる側といじめられてる側の関係性だけでなく、「傍観してる人たち」が関係していることも、書きました。いじめを実際に受けた僕やからこそ、リアルに書けたんじゃないかと思いますね。
最初にも言いましたが「誰にでも起こり得ることが、いじめの恐ろしいところ」です。だからこそ、自分の立場がいつ変わってもおかしくない学生にこそ読んで欲しいんです。例えば、いじめてる奴にはこの本を読んで自分がいじめをしてることに気付いて欲しい。いじめられてる人は、「こんな奴らに人生変えられたらあかん」と思ってもらえれば嬉しいです。
あとは、その周りにいる傍観者たちにも、この本を読んでもらって、いま自分の目の前で起こってることが、「イシカワが置かれていた状況と同じ」だということに気付くきっかけにしてほしいですね。もしできるなら自分が助けようという気持ちになってもらえればと思います。
もちろん「いじめてるやつが100%悪い」っていうのは大前提ですけど、いじめてる奴らも、親から愛されてないとかでなにかしらのコンプレックスを抱えているかもしれないんですよ。その反動がいじめにつながってることもあると思うんで、本を書くならそこまで踏み込みたかったんです。
この本で「社会を変える」とは思ってないですが、この本がきっかけで、“イシカワ”のような辛い状況に置かれる子たちが「あ、“いじめてる奴ら”も上手くいってないんやな」と思ってくれて、少しでも気持ちが楽になってくれたら嬉しいですね。
取材・文:吉岡葵
編集:安井一輝
写真:服部芽生
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