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児玉美月|「安楽死」に賛成ですか?祖母の死から考える「安楽死」【言葉で紡ぐ、いま・ここにある社会】

※本記事は自死のニュースに触れるため、ご懸念のある方は閲覧をお控えください。

母の哀しみは母だけのもの

2024年9月21日は、祖母の三回忌だった。2年前、母方の祖母は86歳で旅立った。それはセリーヌ・シアマ監督の『秘密の森の、その向こう』が公開される、2日前の出来事だった。

『秘密の森の、その向こう』は、祖母が亡くなったことを哀しむ母に眼差しを向ける幼い娘の物語が描かれている。

わたしの母は祖母の棺に寄り添いながら、「幸せな人生だったのだろうか」と小さく呟いた。人は誰かがこの世を去ったとき、その人の物語を語りはじめる。『秘密の森の、その向こう』が教えてくれるように、母の哀しみは母だけのものだった。わたしは母の口から紡がれる祖母の物語に、ただ耳を傾けた。

祖母は亡くなる前の数年間、もうほとんど言葉も発せずに寝たきりの生活だった。お金がないため祖母の棺を取り囲む供花は使い回しを申し込むしかなく、葬儀が終わればすぐに返さなければいけなかった。その刹那の鮮やかさが祖母にだけ捧げられたのではないと知って、少しだけ淋しくなった。

「先進的」だった『ミリオンダラー・ベイビー』

このごく個人的な死を経験するわずか1週間ほど前、映画史にとっての大きな死があった。

9月13日、「ヌーヴェルヴァーグ」(※1)を代表する映画作家ジャン=リュック・ゴダールが、スイスで自殺幇助を受けて逝去したと報道された。91歳だったゴダールは複数の病気を抱えていたとも、人生に疲れていただけだったとも報じられていた。

しかし映画界には、ゴダールの年齢を超えてもまだ精力的に撮り続けている映画作家がいる。アメリカの巨匠クリント・イーストウッドは現在94歳でありながら、新作『Juror No. 2(原題)』が控えている。

かつて、男性中心に語られてきたイーストウッド映画を女性たちで語り直すべく企画されたイベント「黄色い肌の異常な夜」が大久保のバーで開催された。評論家の佐々木敦さんを司会に迎え、放送作家の町山広美さん、文筆家の五所純子さんとともに登壇したわたしは、その日初めて映画批評家として表舞台に立った。極度の緊張でほとんど記憶が抜け落ちているものの、その場で唯一明確に覚えている言葉がある。それはイーストウッド映画でもっとも好きな作品を挙げていく流れで、わたしが『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)と答えたときのことだった。

ボクシングジムを営むイーストウッド演じるフランキーが、貧しい生活を送っていたマギーを弟子にし、ボクシングを通じて、やがて擬似親子のような紐帯を築いてゆく。しかしマギーは試合中の事故で脊髄を損傷し、寝たきりの状態を余儀なくされてしまう。マギーは自らの舌を噛み切って自殺を試みるものの、血まみれになるだけで失敗。凄惨な状況を見兼ねたフランキーは苦渋の選択で自死の手助けを決意し、深夜の病室に忍び込む。マギーに繋がれた呼吸装置を外したうえで一本の注射を打ち、マギーは安堵のような笑みを一瞬浮かべる。フランキーは役目を果たしたあと、ただ闇の中に消えてゆく……。

この『ミリオンダラー・ベイビー』を初めて観たのは、おそらく10代後半だった。五所さんはその人生の一時代を、「死にたがりの季節」と表現した。当時、どれだけの困難に見舞われたとしても最後まで負けずに試練を乗り越えてゆくのがハリウッドの大作、あるいはスポーツ映画のセオリーだと信じていたわたしは、『ミリオンダラー・ベイビー』の結末に衝撃を受けた。「先進的な映画だと思いました」とわたしが口に出したとき、五所さんは「“先進的”というのは、どういうことでしょう」とすかさず問いを投げかけた。とっさに適切な返答ができず、その場の議論は別の話題へと移っていったものの、その鋭い指摘はわたしの心のどこかに繋留していた。

『ミリオンダラー・ベイビー』は、しばしば「安楽死」を1つのテーマにした映画としても評される。ちなみに、「安楽死」の確固たる定義は存在せず、使われる文脈や個人によって意味合いが異なる。一般的な傾向を整理しておくと、まず、医師が致死薬を注射するなどの医療手段によって死なせる「積極的安楽死」、医師が致死薬を処方して患者が自らそれを服用する「医療的幇助自殺」、いわゆる延命治療と言われる生命維持治療・措置の差し控えと中止によって死なせる「消極的安楽死」がある。日本では、このうち生命維持治療・措置の差し控えと中止を指して「尊厳死」と言う場合が多い。また、これらを厳密に区別せず、広義に「安楽死」が使われてもいる。

周知の通り、日本では「安楽死」は合法化されていない。世界でもっとも早く「安楽死」を条件付きで合法化したのはオランダで、2001年のことだった。アメリカでは1997年にオレゴン州が初めて「尊厳死法」で医師による幇助自殺を合法化した。その後、一部の州でも「死ぬ権利」が広がった。そして現在は、主に社会福祉先進国が「安楽死」制度を牽引している印象がある。

こうした国際的な動向の中で、『ミリオンダラー・ベイビー』が2004年に製作された背景を踏まえると、「安楽死」を肯定しているとも解釈でき、時代に先駆けていたと言っていいかもしれない。ゆえに、当時のわたしは「先進的」だと感じたのだろう。

※1 用語:フランスで1950年代末から約10年間続いた映画運動。「ヌーヴェルヴァーグ」とは「新しい波」を意味する

マイノリティ表象は属性全体の代表性を帯びやすい

そのトークイベントでは、「先進的」と同時に「リベラル」とも表現した記憶がある。「積極的安楽死や医師による自殺幇助に賛成するのは、伝統的な価値観に異を唱え、個人主義と多様な価値観を擁護する革新的でリベラルな勢力であり、保守派のほうが死ぬ権利に批判的である」(※2)とも言われるように、「死ぬ権利」に賛成するのは往々にしてリベラルな思想の持ち主であったり、自分の身体における自己決定権を重んじるフェミニストであったりする。

「安楽死」の議論における「自分がいつどこで死ぬかを自分で決めたい」という主張もまた、自己決定権の一種にほかならない。よって、マギーの「死ぬ権利」の行使を作り手であるイーストウッド自身が完遂してみせる『ミリオンダラー・ベイビー』は、保守的な映画というよりはリベラルな映画と見做したほうが妥当だろうと判断したのだった。

とはいえ、「死にたがりの季節」を生きていたわたしと同じくらい『ミリオンダラー・ベイビー』をいま好意的に受け止められるかと問われれば、自信を持って首肯できない部分もある。公開当時、全米脊髄損傷協会の事務局長は、「脊髄損傷が死ぬほど悲惨なことだとメッセージを送る懸念すべき作品であり、半身不随の息子を持つある母親は『ミリオンダラー・ベイビー』が希望を持ち続けることを難しくしてしまった」と語った。さらに、「安楽死」合法化運動に反対し、障害者の権利を守る草の根活動団体「Not Dead Yet」は、ロマンティックなファンタジーとしての殺人が「障害者になるくらいなら死んだほうがマシ」という典型的な健常者の観客の心に潜む考えを助長すると抗議した。

マギーの母親はお金のことしか考えておらず、貧しい暮らしで慎ましく生きていたマギーにとって、ボクシングはたった1つの生きる希望であり、よすがであったに違いない。映画を観れば、死を望むほど絶望したのはそれを奪われてしまったことが理由であって、決して障害を負ったことではない、とも捉えられるだろう。あるいは、こうした批判が起きると、それは個人の選択に過ぎないのであって、実際に現実でもそういう選択をする人はいるのだから、仮に映画で描かれたとしてもおかしくないといった擁護が寄せられる。

それでも、現実でなされる個人の選択と、不特定多数の目に晒されるメディアでなされる表象では、社会に対する影響がまったく異なる。とくにジェンダー、人種、セクシュアリティ、障害といったマイノリティ表象は、圧倒的にメインストリームにおいて数が少ないがゆえに、その表象が属性全体の代表性を不可避的に帯びてしまうことも、ときに免れない。そもそも映画を含むあらゆる映像表現には公共性があり、発信者たるもの、受信者になんらかのメッセージを読み取られる可能性に自覚的でなければならない。

※2 引用:小松美彦、市野川容孝、堀江宗正編著 『〈反延命〉主義の時代:安楽死・透析中止・トリアージ』(現代書館、2021年)p.265

「安楽死」を描いた映画に見る力学

「安楽死」のテーマに関わる映画は2000年代以降、積極的に世に送り出されてゆく。

たとえば、『海を飛ぶ夢』(2004)、『半落ち』(2004)、『死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実』(2010)、『終の信託』(2012)、『母の身終い』(2012)、『ハッピーエンドの選び方』(2014)、『君がくれたグッドライフ』(2014)、『92歳のパリジェンヌ』(2015)、『あなたの腕で抱きしめて』(2015)、『世界一キライなあなたに』(2016)、『ブレス しあわせの呼吸』(2017)、『ブラックバード 家族が家族であるうちに』(2019)、『スーパーノヴァ』(2020)、『すべてうまくいきますように』(2021)など……。

過去に観たこれらの世界各国の映画群は、それぞれ種々の細部があるにせよ、同じような力学によって物語が駆動してゆく。難病「CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)」の著者が日本からスイスに渡って自殺幇助を試みようとするノンフィクション著書「私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年」(※3)では、直前になって翻意し、生きて帰国するまでの心境が詳らかに綴られる。

しかし、ここに挙げた映画では、そうした可能性がはなから排除されているように感じられる。

たとえば、映画『世界一キライなあなたに』は事故で四肢麻痺となった実業家のウィルと介護役として雇われたルーの恋愛映画で、ウィルは恵まれた生活から一変した人生に納得できず、スイスで自らの人生を終わらせることを望む。レビューサイトでは、「感動した」といった感想が数多く並ぶ。しかしここには、『ミリオンダラー・ベイビー』にも通じる構造的な問題を孕んでおり、その「感動」は別の側面から見れば、四肢麻痺の身体を「生きるに値しない命」と了解することによってしか成立せず、健常主義的な文化に依拠したものかもしれない。

※3 著書:くらんけ著『私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年』(彩図社、2022年)

火葬炉の前での叔父の姿

祖母の前に、もう1つ記憶に深く刻まれている身近な死がある。

祖母は叔父の一家と同居していたが、叔父の子どもには障害があり、生まれたときから寝たきりだった。わたしも祖母の家を訪れたときには、その子がいる部屋に顔を見に行っていたが、言葉を発することができないので話したことは一度もない。その子は歩いたことも、食事をしたことも、家の外に出たこともない。そうして、たしか10歳になったくらいで静かに息を引き取った。

忘れられないのは、火葬場で小さな棺が火葬炉に入っていく瞬間に起きた出来事だった。

代表者としてわたしたち家族一同の先頭に立っていた叔父が、火葬炉の扉が閉められようとしたまさにそのとき、前に一歩踏み出したのだった。

もちろん、棺は止まることなく、扉は滞りなく閉められた。その後、「死んだ人を見送るというのは、きっとあの一歩のことなんだと思う」と母が言った。もうどうにもならないと頭では分かっていながらも、それでも身体が勝手に動いてしまう。とっさに後を追ってしまう。手を伸ばしてしまう。人間がこの世に生まれて死んでゆく、その深淵を、いまだに理解できない。

ただ、あの無意識的な身体の反応を、わたしはきっとこれからどんな死に遭遇しても繰り返し想起するだろう。叔父含め障害を持って生まれてきたその子を見守った家族は、少なくともわたしが知る限りでは誰一人として、その子の生の意味を問わなかった。ただただ、その子は天寿を全うするまでこの世界を生きた。

日本で「安楽死」制度が実現されたら

この7月にも、3,000円ほど支払えばボタンを押してから5分もすれば死に至れる「安楽死カプセル」がスイスで近い将来に実用化されるというニュースが流れ、ソーシャルメディア上では「日本でも導入してほしい」「最高」「スイスが羨ましい」といった投稿が多数の同意をともなって拡散されていた。

8月末には、横浜駅で飛び降り自殺をした高校生が見ず知らずの会社員を巻き込み、両者が死亡したニュースが話題になった。高校生に対しては、若くして自殺へと追い込んだ辛苦を慮るような同情の声より、他人を巻き込んだことへの叱責の声で溢れた。警察庁の報告では、2023年の自殺者数はゆうに2万人を越えている。(※4)人身事故で電車が止まっている事態などが日常茶飯事の日本では、そうした声が増幅するのも無理はないのかもしれない。

『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』(※5)によれば、「駅のホームドア設置には自殺対策としての効果が実証されている」という。ホームドアのない駅に移動して実行すればいいだけなのではないかと疑問が湧くかもしれないが、研究によると実際にはあまりそうはならず、自殺自体を諦めてしまうことが多いらしい。また、「サッカーワールドカップやオリンピックのような国際的なスポーツイベントが実施される期間は、自殺率が低くなるという現象」が確認されている。(※6)「安楽死」について考えるとき、自殺願望のそうした衝動性、流動性もまた置き去りにはできない。

長らく続く自民党政権下においてますます苦しくなる生活のなか、日本で「安楽死」制度が実現されたとしたら、その言葉が含む「安楽」なニュアンスに誘引されて歯止めが利かなくなりそうな恐ろしさも禁じえない。かつて2016年には、文藝春秋に当時90歳を越えていた脚本家の橋田壽賀子による「社会の役に立てなくなったら、迷惑をかけないように安楽死で死にたい」という趣旨の手記が掲載され、世間から大きな共感を得たこともあった。

※4 参照:警察庁『令和5年中における自殺の状況』 (2024年3月29日)p.5
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R06/R5jisatsunojoukyou.pdf
※5 参照:末木新著『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』(筑摩書房、2023年) p.24-25
※6 引用:同上 p.70

日本映画が描く「安楽死」

2024年11月8日に石井裕也が監督を務める『本心』が公開される。この映画が舞台とする近未来の日本では、自死を選択した国民に対して税金を優遇する「自由死」が施行され、主人公は弱者を追い込む制度だと懸念を露わにする。「安楽死」も「尊厳死」も、そして「自由死」も、善い印象を与える言葉が施されて「自殺」の持つ負のイメージが掻き消されている。

 

また、早川千絵監督による『PLAN 75』(2022)では、超高齢社会が進む近未来の日本において、75歳以上の国民に死を推奨する「プラン75」が施行されたディストピアが仮構される。そこでも高齢者の「自殺システム」は、ポジティブな「自由意志」の様相を呈している。まさに高齢化や「人に迷惑をかけたくない」という日本的な価値観、息苦しい同調圧力の文化などが互いに手を結んだ作品だが、そこにはいかなる危険が孕むかを丹念に炙り出していた。

 

高齢者を支える予算を賄うために下の世代が逼迫されていると、市民間の分断が過剰に煽られるとき、誰もが生きられる社会を目指すための医療、福祉、社会保障を、本来担わなければならないはずの政府の責任は不問にされてしまう。

「安楽死」についての議論に際して、生命倫理学の領域における「滑り坂」という概念が援用される。「滑り坂」とは、「安楽死」がひとたび合法化されると、なし崩し的に対象者が拡大されるなど、取り返しのつかないところまで行ってしまうことを指す。こうした「安楽死」が変奏されて物語に組み込まれた日本映画は、社会に重要な問題提起をしているように思える。

プリンをほおばる祖母を想像して

母は祖母と最期の時間を過ごすなか、看護師が弱っている祖母に「もう最後だから大好きなお酒飲んじゃおうか」と笑いながら日本酒を差し出したことに怒りを覚えたと語った。

「人間がいつ死ぬのかは、誰にもわからない。もう最後だと決めつけ、病人にアルコールを飲ませようとするなんて」と母は憤ったのだった。祖母は何も口にできなかったが、プリンだけは拒絶しなかったらしい。母は祖母の死後、看病に追われて近くのコンビニの硬いプリンしか食べさせてあげられなかったことを悔やんでいた。「もう少し歩けば、人気のパン屋さんでやわらかいプリンを買ってあげられたのに」と。祖母はやがて呼吸ができなくなり、苦しみながら逝った。

もし「安楽死」が法制度化され、それがひとつの選択肢として普及した社会だったなら、わたしが経験したいくつかの死は、果たしてどんな物語だったのだろう。

祖母が雲の上で美味しいプリンをほおばっているところを、今はただここから想像してみる。母がやわらかいプリンを食べさせてあげられた「次の日」がもしもあったなら、きっとその日には意味があったはずだと、信じながら。

 


©︎ポニーキャニオン映画部

児玉美月
映画文筆家。大学で映画を学び、その後パンフレットや雑誌などに多数寄稿。共著に『彼女たちのまなざし』『反=恋愛映画論』『「百合映画」完全ガイド』がある。
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Instagram:https://www.instagram.com/mizuki.kodama73?igsh=MjhlcjB2dGE5bDli&utm_source=qr

 

寄稿:児玉美月
編集:前田昌輝

 

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