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わたしの歴史と、インターネット|岡本真帆がSNSで紡いだ「言葉」のリズム

いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら「インターネット」との関わりについて紐解く。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?

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今回お話を伺うのは、会社員でありながら、歌人としても活動する岡本真帆さん。2022年3月に第1歌集『水上バス浅草行き』をナナロク社から出版、重版が続き、2024年5月で2万2千部を突破した。2024年3月には第2歌集『あかるい花束』(ナナロク社)を発売し、話題を集めている。

Twitter(現X)に投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」をきっかけに、短歌のコミカルな一面や、親しみやすさを世間に浸透させた彼女に、短歌創作とインターネットの関係性を伺った。

インターネットの原体験

初めてインターネットに触れたのはいつでしたか?

家にパソコンがあって、小学校の頃からダイヤルアップ接続(※1)をして漫画の掲示板を見たり、漫画の感想を書き込んだりしていました。

他にも、小学校のクラブ活動にパソコンクラブがあって、パソコンゲームの『アメリカ横断ウルトラクイズ』(※2)のCD‐ROM(※3)を読み込ませて遊んでいましたね。「おもしろフラッシュ倉庫」(※4)もすごく見ていましたし、高校生の頃には「ニコニコ動画」(※5)に入り浸っていました(笑)。

ハンドルネームを使いながら、全然知らない人と交流したこともありました。返事が来るか分からないけど、知らない人とやり取りをすることが面白いと思った記憶があります。そこで仲良くなった人とメールでやり取りをしたり、中学生の頃にはゲームを通じて仲良くなった人とディズニーランドに行ったりして、いわゆるオフ会みたいなものをやっていましたね。

インターネットで知り合った人と会うことに、恐怖心はなかったのですか?

長い間メールやチャットでやり取りをしていたので、警戒心はそれほどなかったです。いま思うと少し怖いことをしているなと思いますけど、当時は何事もなく楽しんでいました(笑)。

高校生のころはどんな風に使っていたのでしょう?

高校のときは、友達と一緒に日記サイトを作ることが流行っていたんですよね。パスワードを入れて、サイトにある日記を読む文化が局所的に存在していたんです。でも、私のいたクラスは進学クラスで、あんまりそういうことをやる雰囲気もなくて。「いいなあ、みんなああいうことやって…」と言いながら、やっていなかったです。

その頃から学年全体ではmixiも流行っていました。私は大学生になった2008年ごろにやっと始めたものの、みんながやっているからやるのではなく、やりたいようにやるんだと思って、さらにTwitterというSNSの大海原に1人で飛び出しました(笑)。

Twitterの文字制限のなかで表現することが、私には合っていたのかもしれません。その後、コピーライティングに興味を持ち、新卒で入社した会社ではコピーライターの仕事をしていました。

「言葉が好き」という感覚は、Twitterを始める前からあったのですか?

言葉遊びや短い言葉での表現を見たり、それらを自分で考えたりするのは好きでした。ただ「言葉が好き」という表現はあまりしっくりこないです。言葉は伝えるためのツールで、自分のなかで1番ハードルが低い表現方法でした。Twitterにはまっていたのも、短い言葉で考えをまとめたり、くだらないことを言ったりするのを見るのが面白かったんだと思います。

※1 用語「ダイヤルアップ接続」:1990年代に主流であったインターネットの接続方法。電話回線を使用していたため、現在主流の光回線よりも通信速度が遅く、通信料等のコストも高かった
※2 用語『アメリカウルトラ横断クイズ』:日本テレビ系列で1977年〜1992年、1998年に開催されていた、一般人参加型の超大規模クイズ番組「アメリカウルトラ横断クイズ」のパソコンゲーム作品
※3 用語「CD‐ROM」:Compact Disk Read Only Memoryの略称。CDの規格の1つで、データ記録に使用される
※4用語「おもしろフラッシュ倉庫」:2000年頃から、Macromedia(現・Adobe systems)によるwebコンテンツ開発ツールである”Flash Video”を用いて、静止画をぱらぱら漫画のように動かすアニメーションが流行した。「フラッシュ動画」として作成されたそれらのおもしろ動画を集めたサイト
※5用語「ニコニコ動画」:2006年にサービスが開始した、動画再生中にリアルタイムでコメントできる動画を閲覧・共有・投稿できるサービス

SNSと短歌の関係性

当時Twitter(現X)に短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」を投稿して大きく反響があったと思いますが、投稿した理由はなんだったのでしょうか?

短歌を始めたのが社会人3年目の25歳くらいのときで、最初は新聞やネットに短歌を投稿していました。当時「うたらば」というメディアが「傘」というテーマで短歌を募集している時期があって、それに応募したのがきっかけです。

この短歌は岡本さんのご経験を詠んだものなのでしょうか?

短歌は全部真実とは限らなくて、本当の部分もあるし、作り話の部分もあります。この歌について言うと、外出するために傘をたくさん買ってしまって、玄関にビニール傘が多くあるのは自分の体験から来ています。

投稿への反響の大きさの理由を、岡本さん自身はどのように感じていらっしゃいますか?

投稿したアカウントは、短歌を知らない人たちともたくさん繋がっていたので、「短歌ってこんな感じでいいんだ」という反応や、「短い言葉ですごく情景が浮かんだ」と感動してくれる方も多かった印象です。

日頃短歌に触れていない人だと、短歌一首だけではどういう解釈をしたら良いのか迷ってしまうと思うんですけど、このとき広まった短歌には歌人の谷川電話さんの丁寧な評が添えられていました。理解の補助線が引かれ、「こういう風に読んだらいいんだ」と面白がれる形になっていたことも大きかったと思っています。

インターネットとの距離感

最近は、SNSとどのような向き合い方をされていますか?

実は、SNSは最近あまり好きじゃないんです。「X」になってから、いわゆる「インプレゾンビ」(※6)と呼ばれるような、インプレッション稼ぎを目的とした人の書き込みがすごく増えてきていて。

私が好きだったのは、自分が大学生3年、4年の頃の、無駄なことをみんなで面白がるTwitterの雰囲気でした。当時はまだ短歌を始める前で、ただの大学生でしたけど、1000人くらいフォロワーがいました。しょうもないことばかりつぶやいていたと思うんですけど、そういうしょうもなさに惹かれ合って相互フォローしたりしていて。会ったことはなくても、親しく、身近に感じる人がたくさんいましたね。

本名でやるのも変なので、ニックネームにした方がいいなと思って、小学校から高校時代までの地元でのあだ名をもとに「まほぴ」という名前でアカウントを作ったら、大学の友達にもまほぴって呼ばれるようになって。そのアカウントはいまはもう削除してしまったんですが、あの頃の空気感が懐かしくなることがたびたびあります。

たしかに、Twitterが始まった初期は、気楽な投稿ややりとりが流行った印象があります。

当時は面白いTwitterer(ツイッタラー)がいっぱいいたと思うんですけど、いま何かをつぶやくといろんな角度から批判されて、完全に遊びに振れない感覚があって。

アルゴリズムが変わって、炎上しているものが見えたり、不安を煽られるような刺激の強いコンテンツが回ってきたり、見たくないものも目に入ってきてしまうし、面白がれる余地が減ってきたと感じています。

SNSが好きだった大学生の頃は、ずっと張り付いて面白がっていたんですけど、いまはノイズが多く心配なことが増えてきたので、つぶやきたいことがあるときだけ使うようにしていて、向き合うことを減らしています。

SNSに書き込まれる言葉は無防備でむき出しのままかもしれませんね。

SNSでは、発信する本人も気持ちを整理できていないまま、「つらい」という気持ちを爆発させてしまうケースもありますよね。私も軽い気持ちで感情を吐露したら、それが広がって大きな騒動になってしまったことがありました。

SNSとの付き合い方や自身の発信の仕方を改めなくてはと、大変反省した出来事になったのですが、SNSに書かれているものは、その多くが呻きや叫びのような、感情の発散であるような気がしています。誰かを攻撃するつもりがなくても、別の立場から見れば心に傷を残すような発言になっていたり、みんなが盛り上がっている話題の「解釈」をつぶやいてみただけだとしても、それは当事者からは悪口に見えたり、意地悪に感じたりする。

それもあって、そういう無防備でむき出しな感情を浴び続けるのではなく、「作品」に触れる時間を増やそうと思いました。「つらい」という感情が出発点だとしても、「作品」は整えていく過程で、人が受け取れる形に編集されていくので、受け手も心して受け取れます。ちゃんと人に届く形で渡してもらうものが、本や映画、詩や音楽かなと思います。

いまはSNS自体、あまり利用されていないのですか?

使ってはいるのですが、Xに関しては見る時間を少しずつ減らしています。最近は「Bluesky」(※7)も発信の場として活用するようになりました。

現時点ではおすすめやトレンドが存在しないので、フォローしている人のつぶやきしか流れてきません。そこが平和な感じがして落ち着きます。私が好きだったインターネットに近いものがここにあるなって。最近はSNSとは適度な距離を保ちながら、意味のないことや個人的なことはBlueskyでつぶやくようにしています。

※6 用語「インプレゾンビ」:「インプレッションゾンビ」の略称。XなどのSNS で広告収益を得ることを目的に、ポスト(投稿)の表示回数を稼ぐため、迷惑投稿を行うアカウントのこと
※7 用語「Bluesky」:2019年にTwitterの共同創業者が発案した分散型SNSプロジェクトで、ユーザーが自分のアカウントを自由に移動できる、新しいタイプのソーシャルネットワーク。イーロン・マスク氏買収後のXの方針について、不安を抱く層が代替SNSとして注目し、話題になった

短歌の「型」が持つ独自性

『水上バス浅草行き』『あかるい花束』を拝見しました。日々の暮らしの様子や、季節の移り変わりを切り取った歌が多く、素晴らしい歌集でした。なかでも「防弾着、かならず買って。街中の銃はスマホのかたちをしてる」は、インターネットにいつでもアクセスできるスマホによって、見たくないものを不用意に見てしまい、傷ついてしまうことへの忠告だと私は解釈しました。この歌を詠んだ背景や思いをお聞かせください。

ありがとうございます。なるほど、そんな風に受け止めてくださったんですね。

私はSF小説や映画も好きなので、普段の生活をしているなかで、「ここにパラレルワールドがありそうだな」とか「ここで違う選択をしたら、まったく別の人生になるのかな」とか想像することがよくあります。作った当時のことを鮮明には覚えていないのですが、日常の延長線上にあるSFに想いを馳せるようにこの歌を作ったのではないかと思います。

2冊の歌集のなかでも印象的なのが「恋」の歌です。直接的で大胆な表現が魅力的だなと感じました。当事者性の高い「恋」を歌にすることへの葛藤などはありましたか。

「5・7・5・7・7」という定型の器に言葉を入れて、作品に昇華させる過程で、自分と切り離して仕上げていくので、自分の感情や体験が事実としてあったとしても、作品になっていく上ではそこまでの葛藤はないです。

自分の柔らかい部分を全部晒している感覚はなくて、それは「5・7・5・7・7」という歌の定型が守ってくれているからじゃないかな、と思います。

「5・7・5・7・7」という定型があることで、短歌にどのような効果がもたらされると感じますか?

私の歌の作り方は大きく分けると2つあって。1つは伝えたい内容から発想して短歌を作るやり方。メモ帳に歌にしたい内容を書き留めて、どうすればそれが短歌の定型に当てはまるか、言葉を推敲していきます。もう1つは、パズルを組み立てるように「5・7・5・7・7」に言葉を当てはめてみて、精査していくやり方。言葉の組み合わせを試していくうちに、自分の言いたいことや表現したい光景が見えてくることがあります。それは定型があってこそで、散文ではなかなか掴めない感覚かもしれません。短歌が持つ独特のリズムに合わせて言葉を選んでいくうちに、音の気持ちよさが際立っていって、韻律が自然と洗練されていくこともあります。そういうとき、短歌が「短い歌」であることを感じますね。

歌集を読むとき、黙読する方が多いと思うのですが、音読するとまた違った味わいが楽しめると思います。口に出してみることで、「この歌ってサ音が多いんだな」とか、「母音の『あ』の音が多いから明るく感じるんだな」とか。音とのつながりが分かり、短歌が「歌」であることを感じられるはずです。

面白いですね。今度、音読もやってみます!

はい。もしご興味があれば、作ることもぜひチャレンジしてみてください!私の場合は、個人の体験や過去の記憶から、自分の温度感を感じられる部分を探って言葉にしています。

秘訣としては、自分がいいなと思う歌を増やして、それをお手本として真似ようとすることですね。そうしているうちに、自分のスタイルができていくと思います。まず「型」を身に着けると、そこから自分らしさが出てくると思いますよ。

歌人としての覚悟

短歌を歌集として出版することを決意した理由も伺いたいです。

もともと歌集はいつか出したいなと思っていました。あるとき、とある出版社から歌集出版の打診があって、でもその条件が自費出版だったんです。出すなら自費出版ではなく商業出版がしたい。そこで、いくつかの出版社に企画を持ち込んで、「歌集を出したい」というご相談をして。ご縁があったのがナナロク社さんでした。いつか死ぬまでには自分の名前で本が出せたらいいな、という気持ちでいましたが、まさか、こんなに早く叶うとは思っていなかったですね。

出版されてすぐの頃は、書店に自分の本が並んで、自分の名前がいろんな人の前に晒されている怖さがありました。徐々に慣れてきて、いまでは自分の名前でやっていくぞという覚悟が持てるようになりました。

覚悟が生まれるターニングポイントがあったのですか?

SNSで短歌がバズってからも、自信はなかったんですよ。自分は常にホームラン級の歌を作れるわけじゃないし、スランプ気味の時期もありました。周囲が思っている自分と、実際の自分の状況が違うことがすごく不安だったんですけど、いざ『水上バス浅草行き』を出してみると、読み手の方にすごく好意的に受け入れてもらえた感覚がありました。

読者はがきでも、中学生の方から90代のおじいちゃん、おばあちゃんまで、いろんな人が感想をくれて。そのときに「表現をやっていてよかったな」と思いましたし、自分の伝えたいことが誰かに届いて、反応が返ってくるって本当に幸せなことだなと思いました。

『水上バス浅草行き』が話題になって色々な仕事が増えていくなかで、じわじわと「よし、胸を張ってやっていくぞ」という覚悟が生まれていきました。

「短歌」のその先

いま、短歌以外にやってみたいことはありますか?

小説を書きたいなと思っています。短歌は型がある一方、エッセイや小説には型がなく、どうやって書いたらいいか分からないと思っていました。でも、散文にも型があるということが最近少しずつ分かってきて。自分の気持ちを「型」でどう表現するか、ということには、短歌で向き合ってきたので、エッセイや小説でもできるかもしれないなと思っています。

最近はエッセイを書いています。近いうちにエッセイの書籍が出る予定で、それが落ち着いたら小説に挑戦していけるといいなと思っています。

小説だと自分が言いたいことを物語の中に隠して伝えることができるので、それはそれですごく自由なんじゃないかなと。自分の生身の体で言うにはちょっとはばかられるようなことも、物語の形で伝えることで表現できるし、受け取ってもらえるんじゃないかと思っています。

<今回のインターネット・ポイント>
インターネットとSNSの普及は、誰もが自作の創作物や表現を自由に発信することを可能にしました。岡本さんのように、SNSをきっかけに自身のキャリアをスタートする人も増えています。

岡本さんが大学時代から利用しているSNS、Twitterは2006年にアメリカでサービスを開始し、2008年に日本でも利用が始まりました(2023年にXと改称)。性別や年齢の垣根を超えて気軽に繋がることができる利便性から、多くのユーザーを集め、2024年1月時点で日本の月間利用者は6000万人を超えると言われています。一方で、SNSでは偽情報の拡散や誹謗中傷のコメントが寄せられるなどの懸念もあります。2020年以降、Threadsや、岡本さんが利用するBlueskyなど、新たなSNSサービスが日本で開始され、それぞれが心地よいSNSを選んで利用する様相も生まれています。

 

岡本真帆(おかもと・まほ)
1989年、高知県出身。2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』、2024年に第二歌集『あかるい花束』をいずれもナナロク社から刊行。東京と高知の二拠点生活をしながら、会社員と文筆業を兼業中。
X:@mhpokmt
Instagram:@mhpokmt

 

取材、文:安井一輝
編集:大沼芙実子
写真:中本光

 

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