
『続・続・最後から二番目の恋』の最終回に安堵した視聴者も多かったことだろう。2人の主人公・千明(小泉今日子)と和平(中井貴一)は近づきながらもやはり絶妙な距離感を保った。
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垣間見えた「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」と「異性愛ファシズム」からの意識的なスライド
過去のプロポーズの記憶は行き違いと曖昧さのなかに紛れていた。「あなたと一緒に暮らしたりしたら楽しいだろうし素敵だなと思うんです。結構ちゃんと大好きです」と仕切り直す千明。そこから「当たり前なんですけど、私、今まで付き合ってきた人全員と別れてるんですよね」「誰かと別れるとか、そういうことがちょっと怖いなって思います」と正直に漏らす千明に和平は「でも、ひとつ約束しません?」「いつか心が解けて怖さが薄くなったら一緒に暮らしましょう。起きた時、すっぴんのあなたがいる暮らしがしてみたい」と酒の力を借りずに再プロポーズをした。
2人の関係には結局、明確な名前がつかないまま、未来に開かれた。付かず離れずの関係をついに貫いた2人だが、互いへの理解と遠慮のなさは間違いなく深まった。この距離感に憧れる時、視聴者は恋愛と友情の丁度良い両立に憧れる。
月9という枠に引っ越し、大人の恋愛ドラマとしてのとろみを存分に楽しませてくれたが、そこには恋愛物語が当たり前にしてきたマジョリティの恋愛観から少しの譲歩が見えた。もっと言えば多様な人間関係の形への確かなリスペクトがこのシーズンで前景化してきた。燃え上がるような、交際や結婚をゴールとする、異性愛的な性愛感情を正義とした「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」と「異性愛ファシズム」(筆者の造語)からの意識的なスライド。広義の「好意」へのリスペクトが随所に見られて、開かれた風通しを感じた。

お互いを妖怪に喩えるほど仲が良い
シーズン3で初登場した「丁度よく」手強そうな恋敵たちは、都合の良いタイミングでお行儀よく退場した。和平に近づく律子(石田ひかり)、千明に近づく成瀬(三浦友和)が自主的にそれぞれ失恋し、千明と和平の「二人っきり」をお膳立てする。まるで演舞のようなスマートさだ。
実父が「律子」という名前に込めたやや邪な真の由来を和平から聞くことで、その呪縛から解放される律子。成瀬は妻とそっくりな千明の容姿に惹かれたが「大人だから」と撤退し「ちょっと目の毒なんですよね、あなたは。あなたみたいないい女が独身でいると気になって仕方がない」「独身はいつでも恋できるっていうこと」と恋心と配慮を同時に投げつける。本音を一線にする、独特な引き際だ。2人とも和平、千明との恋愛の入り口を楽しんで、後腐れなく爽やかに日常に帰っていく。
2人が自主的に失恋して手を引いた理由。千明と和平だけがピンときていないかもしれないが、視聴者の私たちにはもちろんわかる。第3シーズンで私が最も掴まれた、とあるシークエンスに大きなヒントがあった。
改札で定期券をなくしてバタバタする千明に和平がアドバイスをするのは第1シーズンからのお決まりの流れだ。改札の外を通りかかって立ち往生する千明を見つけた成瀬は「今は自分じゃない」と機転を効かせて和平を電話で呼び出す。グレーのジャージ上下の和平が駆けつける。「ネズミ男」「猫娘」「砂かけばばあ」「子泣き爺」と、お互いを「ゲゲゲの鬼太郎」のレギュラー妖怪に喩えてやり合う丁々発止の会話。岡田惠和脚本の名人芸だ。
律子と和平の間にも、成瀬と千明の間にも、お互いを妖怪に喩えて甘噛みし合うようなエイジズムとルッキズムに容赦がない失礼ないちゃつき口喧嘩は生まれ得ない。「喧嘩するほど仲が良い」は歳を重ねると「お互いを妖怪に喩えるほど仲が良い」ということになるのだ。結局、千明と和平の勝ち、と思わされる勝利の美酒のようなカウンター席の一幕だった。

物語後半で描かれた、未来への光たち
本稿の前編で述べたように、死の匂いから始まったシーズンだったが、後半は未来への光がこれでもかとばかりに差し込んだ。第8話では、真平(坂口憲二)が病気が完治した報告をみんなの前でする。感極まった和平が乾杯の音頭で「さあ、カッ、カップって言うかコップ持って」と言い淀み慌てるアドリブ感に、まるで本物の家族を見ているような気持ちになって泣かされた。
子どもの頃から冒険が好きだったが兄の病気が発覚してから控えてきた双子。腫瘍から解放された人生に戸惑いながらも万理子(内田有紀)との念願の遠出に行く、というアクティブな展開が続く。
和平の娘・えりな(白本彩奈)は順調で、彼氏の優斗(西垣匠)の特性も理解した上で天職らしきライフワークも見つけ、父にそれを説明する能力もある。このドラマの世界にいるには優秀すぎるくらいの人生のスピード感が、還暦を過ぎた父の焦りの目線に我々も共感させてくれる。
全てが好転していくようだが、老いによる影も一掃される世界ではない。「今からじゃ家が借りれない」という中年独身人生のリアル。シリーズの端緒、そもそも千明が一人暮らしするきっかけになったのは親友二人の不義理だが「何かあったときは、鎌倉よ!」と話が戻ってくる。13年越しのゆるい円環構造が、時の流れと3人の仲の安心感を思わせる。

「老害」と呼ばれる世代の葛藤と、やるせなさ
千明の親友・祥子(渡辺真起子)は職場のグループLINEで自分が「老害」と言われているのを見てしまう。いつもの楽しい酒席が一瞬でいたたまれない空気になる。胸が痛む。しかし彼女らも年長者に同じことを言ってきた以上、巡る輪廻のように飲み込まざるを得ない。今回の部下も脇が甘かったことには違いないが、きっと彼らが特別に性悪だったとか祥子を憎んでいた、などという話ではない。上にかけられる圧をガス抜きする構造が生む、ほとんど必然的な愚痴だ。その圧を減らそうと気を砕くしか千明の世代にできることはないのか。
千明は「世代」に甘えない努力と配慮を人一倍してきた。月9の企画をチームで提出した後も、企画の成否を審査する自分より年下の局員(ドラマ制作部と編成部)に対して「あいつらに時代読めんのかって話だよね。だってこの低迷期作っちゃったのあの人たちじゃない?張本人だよね?」と毒付く(第10話冒頭)テレビ局や業界全体への自己批評のスタンスだ。
一方で自分のキャリアの長さと権力性にも敏感だからこそ、 部下の飲み会には顔を出さず、徹底して同世代・他業種の2人と飲み続けている。2025年の今、一定の「理想の上司」像にも見える。
和平のちょっと面倒臭いムーブに対していつもの喧嘩がエスカレートして「時代遅れ」と言い放つ。「時代遅れで結構」と開き直る和平に「ムカつくわあ」「(自分は)時代遅れになるわけにはいかないんですよね、職業柄。だからいつも一生懸命、時代ってものを吸収してるわけですよ」とマウントを取る。2周回って部下に気を遣われるほど配慮を重ねている千明だからこそ、親友の食らった被弾がやるせない。
そんな時に親友と住むはずだったのに住めなかった鎌倉の改札に1人帰って来た千明を待っていたのが成瀬であり、代わりに呼び出されたのが和平というわけだ。祥子・啓子(森口博子)→成瀬→和平と、千明を取り巻く流れるような人間関係が心地良いが、これもまた千明が築いてきた年輪のような配置であり、彼女のコミュニケーションの賜物たる感情のセーフティネットになっている。
この場面では具体的になんという言葉が「誤爆」されたのかは描かれない。一言だったのか、長文だったのか、取り消されたのか、視聴者の想像に委ねられる。XなどのSNSやLINEなどのトークアプリの仕様をドラマ用に手作りした画面は、現代のドラマでは避け難い。どうしてもチープに見えて興が一瞬でも削がれやすいところ、見せずに済むに越したことはない。細かいテクニック論のようだが、このドラマにおいては特に大事なことだと思う。還暦前後のお喋りなW主人公の今シーズン。モノローグであれ、スピーチであれ、1人の人物が人生について長く語る場面が多い。そんな中での大胆な省略は視聴者の負担を軽くする熟練のサービスだ。

万理子が幸せになれるドラマでよかった
和平が娘・えりなに「大事な話」をされる場面もごっそりカットされて、和平の口から回想のように視聴者と千明に向けて語られる。和平の鎌倉市長選のくだりも呆気なく飛ばされ、落選しているのも笑ってしまう。チーム千明の月9枠企画も通らず、別途あり得ない無茶振り依頼が来る展開もスピーディだ。会話劇でじっくり聞かせる場面とあらすじを圧縮して加速する緩急が自在に操られる。これも熟練の操縦。
そんな手際の咲き乱れる後編、私が特筆したいのがやはり万理子の人生だ。
愛に貴賤はないが、テレビドラマという不特定多数に向けられた世界で、見過ごされてきた愛の形は間違いなくある。万理子と千明の関係は珍しく描かれた一つの理想形だ。1人の女性を愛した自分についての物語で企画書を書き、千明側の登場人物の心情描写まで千明自身にもに誉められる。チームメンバーに協力を頼むときも、世代や時代ではなく自分代表として、とお願いする千明だから、万理子の属するカテゴリを要素として評価したわけではなく、あくまでパーソナルな物語として感動したことがわかる。
創作を通じた往復書簡形式の脚本執筆によって万理子から千明への愛は昇華される。千明への恋心をきっかけに進んだ道で万理子は生計を立て、他のプロデューサーの作品にも呼ばれたり、脚本セミナーの講師の仕事も務めるなど、立派に独り立ちしている。「成長は止められない」と万理子の独り立ちを後押しする千明。いつも二人三脚のようにいることだけが仕事の交流ではない、という当たり前の自由さがそこにはある。

13年描いてきたオリジナルドラマのキャラクターには均しく愛着はあろうが、万理子は特に脚本家の岡田惠和氏が自身を投影しているキャラクターだと思える。彼は20代半ば過ぎ、書店でシナリオ雑誌を何となく手に取ったことで脚本家という「天職」に出逢ったと述懐する。(『なぜ私はこの仕事を選んだのか』2001年、岩波書店)。体が弱くて悔しい思いをした暗黒の小学校6年間を経て、中学の部活で「アシストする美学」を学び、それが脚本業の「1人で勝負する場もあるし、でも、孤独ではないという感じ」の楽しさに繋がったという。うまく行かない時期もとにかく脚本の「勉強が楽しかった」「天職に違いないと思うほど、楽しかった」とまで言う。万理子の言葉と同じだ。
これは第1シーズンから登場する、職業脚本家として既に忙しい栗山ハルカ(益若つばさ)はもう見せることのできない、天職の入り口の充実と快楽だ。スペシャルドラマでは千明は男性脚本家(リリー・フランキー)に万理子を着飾って会わせようとしたりなど、随分配慮が足りないが、今や「仕事ではパートナーになれる」という幸福に着陸した。
第1シーズンからリフレインされる「さみしくない大人なんていない」への回答として、家族や擬似恋愛だけでない、幅広い人間関係を提示してきたこのドラマが、創作の快楽で溶け合う関係を片思いの果てに見せてくれたことに喝采を贈りたい。
続編を作れる構造は残された。もちろん、観られることなら観たい。が、あってもなくてもいい。それは彼らの人生をいつでも感じられるから、という以上に、長倉万理子のこれからの人生にもう安心できたから、というところが私にとっては大きい。
成瀬や律子は大人だから恋愛感情にゴールの線を引いた。千明と和平くらい相性が良ければずっといちゃいちゃしていていい。でも、心はティーンエイジャーのまま、宙ぶらりんになる恋愛感情も世の中には無数に浮遊している。そんな時はせめて、仕事をしているお互いを好きになって、歩んでいけばいい、という回答は面白いし有益だしリアルだ。
恋焦がれたその人に「溶け合いたい」「作品を通して一つになりたい」とまで言われる人生は輝いている。ラブが第一希望でリスペクトが第二希望、という話ではなく、どちらも今の第一希望の人生であり、関係性だ、と万理子を見て私は感じる。万理子が幸せになれるドラマでよかった、と心から思う。


大島育宙(おおしま・やすおき)
1992年生。東京大学法学部卒業。テレビ、ラジオ、YouTube、Podcastでエンタメ時評を展開する。2017年、お笑いコンビ「XXCLUB(チョメチョメクラブ)」でデビュー。フジテレビ「週刊フジテレビ批評」にコメンテーターとしてレギュラー出演中。Eテレ「太田光のつぶやき英語」では毎週映画監督などへの英語インタビューを担当。「5時に夢中!」他にコメンテーターとして不定期出演。J-WAVE「GRAND MARQUEE」水曜コラム、TBSラジオ「こねくと!」火曜日レギュラー。ドラマアカデミー賞審査員も務める。
寄稿:大島育宙
編集:吉岡葵
素材提供:フジテレビ
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