日々上がったり下がったりする気分について、あるいは憂鬱(ゆううつ)の正体について、誰かに相談した経験はあるだろうか。
近年、メンタルヘルスについて話すことや、精神科やカウンセリングといった専門機関を訪れることのハードルを下げるための発信は増えている。しかし、実際に誰かに相談をするのは難しいと感じる人もいるだろう。その背景には、悩みや不安を人に話すのは弱い人だという誤解や根深いスティグマ(※1)の存在があるのではないか。
そこで、たとえば少しずつ、たとえば遠いところから、たとえば寄り道をしながら、メンタルヘルスの話をするきっかけをつくることが、スティグマのない、多くの人が少しでも生きやすい社会につながると信じて。精神科医でありながら音楽家、文筆家としても活動し、精神科やメンタルヘルスに対するイメージを豊かに広げている星野概念さんにお話を伺った。星野さんはどのような考えで精神科医という仕事に向き合っているのか、私たちが気負わずにメンタルヘルスについて話し始めるにはどうすればよいのだろうか。
※1 用語:精神疾患など個人の持つ特徴に対して、差別や偏見に基づいて否定的な意味づけや不当な扱いがされること。
紆余曲折を経て、辿り着いた現在
「絶対に医者になろうと思っていたわけではないんです」と話す星野さんは、現在進行形でよりよい精神科医としての在り方を模索している。
「精神科の仕事や心に関する仕事って、病院にいるだけではできることが限られてくると思うんですね。人の心は症状だけで捉えられるものではなく、むしろその人の生活やネットワーク、育ってきた環境などが大事だと思います。そういったことを大切にしたいと考えたときに、毎日病院にいるだけではできないことがあると思い、去年の3月に常勤ではない働き方に切り替えました」
「病院にいない時間はさまざまな場所で人と会っています」と付け足す星野さん。現在の働き方、そして精神科医と音楽家という職業に至るまではどのような経緯があったのだろうか。
「高校時代、理科のなかでも生物が得意でした。人体に関することにも興味があったので、これを続けるのは悪くないぞ、と思ったのが医学部に進学を決めたきっかけでしょうか。本や演劇も好きだったので、医学部の受験が大変そうだったら文学部に行こうと思っていたくらいゆるい感じだったのですが、最終的には医学部に進学しました」
医学のなかでも精神科に興味を持ったのは、海馬という脳の記憶に関わる部位について、脳科学者の池谷裕二さんとコピーライターの糸井重里さんの対談を記した『海馬ー脳は疲れないー』(2005年、新潮文庫)という本がきっかけだったという。
「脳は脳でも、脳外科だと目に見える脳を扱いますよね。出血しているとか、腫瘍があるからなるべく組織を残して手術しようとか。でもその本に書かれていたのは、目に見えない話も多くて。脳のことって分からないことだらけなので、さらに曖昧な人生の話や挫折の話などにも発展していくんですよ。それで、こういうことを考え続けられる医者の仕事ってなんだろうと人に聞いたり考えたりして、精神科に辿り着きました」
そうして精神科医を志すようになった星野さんだが、高校時代からバンドを始め、20歳の頃からはバンドで生活していきたいと考え始めたという。
「ミュージシャンは自由なんじゃないかと思っていたんです。業績とかノルマとか、何時に始業する、みたいなこともなく、作品を作って活動をするのは向いてるんじゃないかと思いました。あとは単純に活動が楽しかったのが1番ですね。
その後、医者になってからもしばらくは非常勤で、音楽活動を主軸にした暮らしをしていました。いま思えば井の中の蛙だったのですが、当時はすぐにバンドが売れるに違いないと思っていたんですよ(笑)。でも全然売れず、結局CDが何枚売れたか、チケットが売り切れたか、といったことに振り回されるようになって、赤字ばかりになって、いよいよバンドが休止、解散という流れになってしまって。いまは医者として仕事をするかたわら音楽活動をしているので、以前より柔軟にできている気がします」
曖昧さにはリアリティがある
精神科医も音楽家も、目に見えないことや曖昧なことに向き合うという意味では共通しているかもしれない。自身のSNSのプロフィールに「曖昧さや不安定さに向き合う仕事を愛す」と書かれている星野さんは、“曖昧さ”をどう捉えているのだろう。
「まず物事って、本来分からないことが多いと思うんですよ。むしろ、分からないのがデフォルトなんじゃないかくらいに思っているんですね。なので、『絶対に決めなきゃいけない』とか『白黒はっきりしたい』というよりも、『そもそも物事は曖昧だから』という構えでいるほうがリアリティがあるような気がします。『分かろう』、『決めよう』と曖昧さを避ける意識が強すぎると、よく考える前に強引に答えを出してしまう危うさがあるというか。たとえば、コミュニケーションがギクシャクしただけで『あの人は発達障害だよね』とすぐに決めつけてしまうより、『そうかもしれない、そうじゃないかもしれない、あるいはほかに何か要因があるかもしれない』と向き合い続けたほうが、その人のことやその場で起きていることをしっかり捉えられる可能性が高まるのではないかと思います」
“曖昧”ははっきりしない状態を示すことからマイナスのイメージを抱く人もいるかもしれないが、曖昧さを認めたほうが現実を捉えやすいという星野さん。そうした考え方は、患者さんと向き合う姿勢にも通ずるのだろう。患者さんと接する際、星野さんが心掛けているのは“分かった気にならないこと”だと言う。
「どうしても分かった気になってしまいがちなんですけどね。特に、忙しいと何かしら落とし所を見つけないと終われない、という思考になって決めつけてしまいそうになります。
でもたとえば、精神的につらくても働きたいという人に対して『いまは仕事は無理ですよ』と決めつけるのはすごく残酷なことだと思っています。やはり医療者は専門家なので、『あなたはこうだ』と言うと、実際はどうであれ相手は『そうなのか』と思ってしまう。でも本来、患者さんが聞き返せるような隙間があったほうがいいと思っています。『違う気がする』と感じたのだとしたら、なるべくその違和感を飲み込んで帰ってほしくない。でも専門家に聞く意味が分からなくなってしまうのは避けたいので、そのバランスが難しいですね」
編み込まれていく人生のなかで絡まったつらさを紐解く
具体的には、患者さんとどのようなやりとりをするのだろうか。
「まず挨拶をして、どんなことで困っているのかを聞きます。横軸で、いまどうつらいのか、どういう生活なのかを聞いて、縦軸で、育ってきた環境やこれまでの人生、友達付き合い、得意科目、部活はどんなだったのかなどを聞いて、『こういうつらさなのかなと思ったんですけど、どうですか』と伝えます。それから少しずつすり合わせていく流れですね。あとは体の診察もします。そして『じゃあまたお話聞かせてください』となったり、薬や漢方を処方したり。
医者という立場で決めつけずに、患者さんの立場の人が『自分はこれがつらいのかも』とか『こうやったらうまくいくかも』と紐解いていく手伝いをするような、試行錯誤の連続です。なにより患者さんの意思を尊重することを考えつつ、経験的に心配だと感じることは伝えたいと思っています」
つらい気持ちになったときや困りごとがあるとき、専門家を頼ったほうがよい基準については、「生活に支障が出てきたらそれがタイミングかもしれない」と言う。
「眠れていたのに眠れなくなってしまったとか、食事ができなくなってしまったとか、ハイテンションが続いて気づいたらお金や時間を浪費しすぎているとか、人間関係が崩れてきているとか。そういう場合は客観的な立場の人に相談できるといいかと思います」
星野さんご自身は、どのようにして心身の調子を整えているのだろう。
「心身の整え方は本当に難しいですよね。僕もカウンセリングに行きたいと思うことがあるんですが、いまは知り合いの整体師の施術を受けたり、趣味のことをしたりする時間を大切にしています。発酵がすごく好きなので発酵にまつわるどこかへ行ったり、なぜかバスケットボールがめちゃくちゃ好きなのでよく見たり。ものも人も場所も、自分にフィットする、なんか好きだな、という感覚がすごく大事だと思います」
「話しやすさ」のために、場をつくる側ができること、話す側ができること
心身のバランスがうまく取れないとき、あるいは好きなことをしても気分が晴れないときや、好きなことをする気力すら湧いてこないとき、身近な人や専門家に話すのも1つの方法だろう。
しかし、どのように相談すればよいのか分からないと感じる人もいるかもしれない。星野さんは、相談には「場の力」と「話す練習」が必要だと言う。
「人に自分のことを話すのってめちゃくちゃハードルが高いですよね。その上で、話し始めるために必要なことの1つとして、場の力があると思います。話しやすい場がもっと一般的に普及してほしいと考え、僕もいまオープンダイアローグ(※2)をしっかり学びたいと思っているんです。対話をどう深めていくか、対話をするための安全で安心な場所をどうやってつくるかを考えたい。発言しても否定されず、それでいて聞き手からの返答もある場だったら話しやすいと思うので、そんな場を探してみるといいと思います。
もう1つは、練習も必要ですね。実は僕も自分の話をするトレーニングを受けているんです。家族の話、友達の話、パートナーの話、物事がうまくいかない時の話などを5、6人のグループで1人ずつ90分ぐらい喋って、みんなに聞いてもらって、フィードバックをもらうという。いつも『悩みはなんですか』って聞いていますけど、いざ自分が聞かれる立場になると『え、悩み、うーん』みたいな反応になります。『でもなんか、たしかに考え込んでしまうときはあって……』みたいな感じで話し始めるんですけど、何がつらいのか最初はうまく言えないんですよね。でも慣れてくると、自分を客観視できるようになったり、自己開示することへの抵抗が減ったりして、話しやすくなります。安全だと思える機会があれば、相談をしたり自分の話をしたりするチャレンジをしてみるのがいいんじゃないかと思います」
「自分の話をする場」としてSNSという場もあるのが現代。しかし、特に若い世代にとっては、ずっと身近にあるSNSがむしろつらい気持ちの原因になることもあるのではないか。SNSとの向き合い方について、星野さんはどう考えているのだろう。
「SNSでは、誰かの情報を見ておきたいとか、何か発信していいねが欲しいとか、そういったことがあまりに簡単にできすぎるような気がします。簡単すぎると、すぐに頼りたくなってしまいますよね。たとえば人が依存しやすいものの1つであるお酒も、買いに行けば簡単に手に入ります。手の届きやすいものには依存しやすいので、SNSにもそんな危険性を感じます。依存すると、自分の考えを練る時間がなくなるほどに脳が情報で埋め尽くされてしまって、自分はこうしたい、これが心配だ、これが楽しかったといった考えが醸成されづらくなることが心配な点なんじゃないかと思いますね」
※2 用語:患者とその家族や友人、精神科医、臨床心理士といった関係者が集まり対話を重ねるフィンランド発祥の療法。治療目的以外にも、組織や家庭などあらゆる場面で対話の手法として注目されている。
馴染むには時間がかかる、光の当て方で気分は変わる
最後に、春から新生活が始まる人たちに向けて、新しい環境での変化やストレスに向き合う上で大切にできるとよい心構えを教えていただいた。
「1つ目に、人が新たな環境に馴染むには結構時間がかかると思っていてほしいです。月単位で、半年程はかかると思っていていいと思います。新しい人間関係に入ってからそこにいるのが当たり前だという状況になるまでは時間がかかるし、最初はどうしても、靴擦れみたいなことも起きるんですよ。慣れてないところでなんか嫌だなとか、あの人嫌だなとか、ここは合わないのかな、などと思うんだけど、時間が経てば馴染んでいくものや、ことのほうが多いと思うんですよね。だから最初に上手くいかないことがあってもあまり焦りすぎないでいいんじゃないかなと思います。ただあまりにも合わない環境だと話は別なんですけどね。
もう1つは、光の当て方で気分が変わるということ。たとえば今まで11時だった始業時間が急に8時になって馴染めないと思ったとして、『これから新しい自分の人生が始まる』という捉え方もできると思います。でもやりすぎると過剰適応になって、自分のつらさを見ないふりをして突き進んで息切れしてしまう場合もあるので、これも塩梅が難しいです。
やはり絶対的な方法はないのですが、なんにせよ新しい環境は誰にとっても難しいものだと思って肩の力を抜いてもよい、ということは言えると思います」
メンタルヘルスの話となると、どうしても身構えてしまう人も少なくないだろう。けれど、ちょっとした違和感や自分の物事の捉え方について話すことは、好きなミュージシャンの新譜が出たときに感想を言い合うように、日常の延長線上にあるはずだ。もちろん、話しをすることで解決に向かっていけることもあれば、そうでないこともあるかもしれない。けれど、メンタルヘルスの話は「してはいけないこと」、メンタルの不調を人に話すのは「恥ずかしい」といった風潮をなくしていくには、やはりできるだけフラットな気持ちで話し始めるのが大事なのではないか。「分からなさ」や「難しさ」からも目を逸らさない星野さんのお話から、1つの話し始め方を感じた。
星野 概念(ほしの がいねん)
精神科医として働くかたわら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』(2018)、『自由というサプリ』(2019)(ともにリトル・モア)、単著『ないようである、かもしれない〜発酵ラブな精神科医の妄言』(2021)(ミシマ社)がある。
文:日比楽那
取材・編集:柴崎真直
写真:服部芽生