
インターネットやSNSを通じて情報が溢れた社会で、いま、若者は政治にどう関わり、政治をどう見ているのだろうかーー。
そんな疑問からはじまった連載「若者が見る“政治のいま”」。選挙権を持つ若者がどのように政治を捉え、関わっているのか、様々な角度から深掘りしていく。
最終回となる今回は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」でパーソナリティを務め、2024年10月に編著書『選挙との対話』(2024年、青弓社)を発売した評論家の荻上チキさんと、モデルとして活動しながら、政治への関心も高く報道番組でも活躍する藤井サチさんとの対談を実施。
長らく政治について発信してきた荻上さんと、若者当事者で、この数年で政治への関心がぐっと高まったという藤井さんに、若者が政治に対して無関心な理由や、インターネット時代の政治や情報との向き合い方などを伺った。対談は前後編の2回に分けてお届けする。
前編では、身近な人と政治の話をすることの重要さや、現代社会における自己責任論などについて伺った。
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インターネットの情報に惑わされないために、身近な人と政治の話を
お2人は政治に関して、友人や家族などと話すことはありますか。
荻上チキ(以下、荻上):私は日常生活のなかで、政治の話をする方だと思います。周りの人にも、社会問題に関心がある友人が多いので、お茶を飲みながら政治の話をすることもあります。
ただ、あえて政治の話をしない時間も好きです。どうしても「荻上チキ」として友達になることが多いので、役に立つことや教えてもらうことを期待されたり、対等に政治の話ができることを求められたりすると感じる瞬間があるんです。なので、ただただ友達とパフェを食べに行ったり、バッティングセンターに行ったりする時間も好きですね。

藤井サチ(以下、藤井):最近、テレビなどの報道番組に出ることも増えたので「あの報道番組観たよ。頑張ってるね」と言ってもらうことが多くなりました。そのときに「政治に対してどんなことを思ってるの?」と聞いても、「私は政治のことは分からないから、そういう仕事ができるのがすごい」と言われるんです。それって、すごくリアルな声なのかなと感じます。
やっぱり、政治に興味を持っていない人の方が周りには圧倒的に多いので、日常で政治の話をすることは、正直あんまりないですね…。

荻上:この質問、実はすごく大事だと思っていて。SNSなどで情報環境が分極化していくなかで、自分の立場が硬直することがあります。そんな状況だからこそ、身近な人と会って政治の話をすることも、とても大事なことだと思います。
インターネットでは、情報が有象無象に飛び交います。そんなインターネットを重要な情報源にしてしまうなかで、「これが世論なんだな」というイメージを自分の中で育て上げたり、異なる意見の人とは話ができないかのように感じたりします。
「日常生活が政治と関わっている」とちゃんと認識して、政治的意見が異なる人も身近にいることを感じる。「この人を含めた社会なんだな」ということを意識する機会は、ますます貴重でしょう。
インターネット上で見ている情報が分極化することは、当面は止められない。「それは一体どんな背景によって起きているのか?」という現状を、まずは社会全体で認識することも必要だとは思いますね。

日常における選挙の話のしづらさについても触れている
日常で政治の話をするのが難しいのは、なぜだろう?
それでもやっぱり、身近な友人と政治の話をすることはハードルが高いように感じています。それはどうしてだと思いますか。
荻上:私はもう趣味のレベルなのでハードルは低いのですが、そう感じる人は多いと思います。無理に政治の話をしてほしい、とは思いません。
90年代以降は、とりわけ若者の投票率が下降傾向になりました。55年体制(※1)の崩壊や、労働組合の減少が背景にあります。それ以前は、社会人になったら自然と就職先が支持する政党に所属したり、労働組合などの組合に所属したりと、政治的なコミュニティに参加することが多かったんです。それが、政治に動員されていく手段だったんですね。
その後、20代から30代が、義務的に政治集団へ参加する回路も少なくなりました。第3次産業従事者が増え、雇用流動化を経たことで、特定の利害集団でグループを作ることも停滞しました。
また、不景気で非正規の労働者が増加し、近年では個人事業主も増えているので、労働者内でも様々な属性に分かれてきています。そのため、そもそも労働組合などで労働者が連帯して政府などに向けて活動することが少なくなってきました。
このような背景から、政治的な集団との関わりを持つ人が少ない現代では、日常的に政治の話をすることも少なくなっているのではないか、と考えています。そこに、政治的議論に巻き込まれない、という開放感を覚える人もいるかもしれません。

なるほど。かつては就職先で政党と繋がりを持っていたため、政治と関わる機会が生まれていたのですね。藤井さんはいかがですか?
藤井:政治の話をしづらい理由には、日本の教育の影響もあると思っています。中学生のとき、アメリカから来た留学生に「日本の政治ってどんな感じなの?」と聞かれたことがあったんですが、誰も返答できませんでした。「そういえば、総理大臣って誰だっけ…?」って友達と顔を見合わせたくらい。いま振り返ると、やはり小さい頃から学校の場で、政治について話す機会がなかったなと思いました。
なので、いきなり大人になってから、「政治に興味を持って」と言われても、話し方も分からないし、情報収集の仕方も分からないと思います。
荻上:確かに、自分の意見を言うことより秩序にならうことを求めるのは、小学校以降の日本の教育風土の特徴ですよね。なので、自分が主権者である感覚を持ちづらいのかなと思いますね。
※1 用語 55年体制:保守勢力の自由民主党と革新勢力の日本社会党という、2大政党が対立した政党政治体制。成立後、自民党が単独で政権を握った。1955年に成立したため「55年体制」と呼ばれ、1993年まで継続した
主権者としての実感を、いつから持てるようになった?
藤井:日本の教育が、子どもに主権者である感覚を持ちづらくしてしまっているという意味では、やっぱり主権者教育が重要なんでしょうか?
荻上:そうですね。ただ、主権者教育よりも、日常生活のなかで主権者である体験をしながら、その声をどう届けるのかを実感できる、主権者「体験」が重要だと思っています。
主権者教育では、選挙権を持つ18歳のときに、清き一票を投じることができるように、新聞を読み比べ、投票する政党を判断する重要さを学びます。ただ、学生の間は学校の校則も決められず、ルールに逆らってはいけないと教えられているので、そもそも学生は学校教育の「主権者」じゃない状態です。そんな環境で過ごしているので、いざ18歳になって、「選挙権があるので社会を変える権利があります」と言われても、信じられないと思います。
藤井:なるほど。私はずっと日本の学校に在籍していましたが、自分の意見について聞かれた記憶はあまりないです。答えを探す前に「あなたはどう思うの?」と考える機会を与えるだけでも、社会に対する意識が変わりそうですよね。

確かに、学生時代に校則や学校のカリキュラムなどを作る・変えるといった経験をする人は、かなり少数だと思います。学生のときから自分たちの声で問題提起する、何かを変える実体験を持つことは、政治に関心を持つ上でとても重要だと思いました。
荻上:そうですね。現状の学校教育では、主権者としての実感を得にくいと思います。
ちなみに、藤井さんが主権者である実感を得たのはいつ頃ですか?
藤井:え、どうだろう…正直、いまでも主権者としての実感はないかもしれません。
政治に興味を持ち始めたのは、正直ここ最近なんです。友達と話してるときに「いまの給料のままでは結婚できないな…」といったリアルな悩みを聞くようになり、「どうしてこんなことになっているんだろう?」と調べてみたら、日本は30年間賃金がほとんど上がっていないことを知ったんです。
なので、私は主権者であることを実感し、政治に興味を持つステップとして、自分や周りの人が困っていることは政治に結びつけられるんだ、という意識を持つことが必要かなと思っています。
荻上:年を重ねていくと、病気になったり、家族ができたり、家族を失ったり、給料がなかなか上がらなかったりと、政策に関連した事情の「当事者」になる機会も増えます。自分の日常生活の困りごとが、望まなくても政治に繋がりやすくなると思います。
その困りごとに対して様々な解決策が社会には存在し、その解決策を実現するために、政治に対する自分の賛同の声が必要だと実感できる状況になれば、社会は変化していくと思いますね。

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自己責任論の風潮は解消できる?
自分の身近な困りごとが政治に結びつきにくい理由の1つに、社会に「自己責任」という考え方が根強いこともあると感じます。お2人は自己責任論について、どう捉えていますか。
藤井:自己責任論って、社会的な風潮としてはありますよね。どう頑張っても給料が上がらない状況を、自分のせいだと思ってしまう人もいると思います。そういうときは、一度全てを政治のせいにしてみるのもありなのかな?と思っています。たとえば「学校行きたくないな」と思うことも、一度政治と結びつけて考えてみてもいいかもしれません。
実際に調べてみると、自己責任ではなく、意外と制度の問題だったんだなと気づくことも多いと思います。「こんな理由で、政策が進まないのか」ということも知る機会になります。
荻上:確かに道具的知識が不足している状態の方が、「自己責任だ」と感じやすいんですよね。
どういうことでしょうか?
荻上:他人の行動に対して冷笑的な態度を示す「シニシズム」という考え方があります。シニシズムの持ち主=シニシストは、人間は本質的に利己的であり、だからこそこの社会は「どうせ」変わらない、という信念を持っている。「政治家はどうせ自分の議席のことしか考えてないんでしょ」とか、「メディアは数字が取れればそれでいいんでしょ」など、自分と異なる他者や集団を、特定の損得のみに基づいて行動すると考える。他者の行動を疑う一方で、現状の維持を好むという権威的な側面もあります。

荻上:ただ、こうした信念が何に発揮されるかは、道具的なレパートリーの状況によっても変わります。たとえば街中で怪我をしている人を見たら、119に電話をかけますよね。「怪我をしたのは自己責任」とかいう前に、なすべき対処法を身につけているので、冷笑による傍観よりも、ひとまずの援助を行いやすい。
数十年前は、親が子どもを殴ることは当たり前と考えられていました。いまは児童虐待に対して行政の対応も整備されつつあるので、「189」に通報する、という手段が知られつつあります。こうした状況は、児童虐待への社会意識にも影響を与えるでしょう。
こんなふうに、対象とする物事に対する解像度が共有されつつ、道具的な手段が整うことで、シニシズムはある程度まで緩和します。
ただ、シニシズムはなくなりません。そこには「個人の性格」も関係しているからです。いまのインターネット空間で起きていることは、ある種「性格闘争」という面があります。
「性格闘争」ですか。
荻上:どの思想の人にも、色々な性格の人がいる。一方で、それぞれの「場所」は、特定の性格の人が使いやすいようになっている面があります。静かに座っているような「場所」もあれば、飛び回って大声を出すような「場所」もある。性格ごとに、「場所」の向き不向きがありますね。
攻撃抑制がされないプラットフォームでは、手段を選ばず攻撃的な人が目立ち、覇権を持つということが起こるでしょう。そして、それに眉をひそめる人がいたら、「自分たちは自由に振舞っていいはずなのに、おかしな性格の奴らに邪魔されている」と捉えられてしまう。
藤井:そういう状況を見ているのは、ちょっとしんどいですよね…。
荻上:プラットフォームの経営者自身が、手段を選ばないマキャベリストであったりして、その「場所」がさらに、特定の性格や行動を優遇することにもなります。場合によっては、シニシズムを強化する「場所」や、シニシズムの持ち主を繋げやすい「場所」にもなりえますね。

勉強することで身近な態度が少しずつ変わる
ソーシャルアクションとして、Z世代のViViモデルと語る「多様性」のリアル【プライド月間】という、藤井さんがviviモデルの方々と多様性やLGBTQ+への偏見について話している記事が印象的でした。1つのテーマを自分に引き寄せて話をしていて良いなと思いました。
荻上:私も読みましたが、良い記事だなと思っていました。
藤井:読んでくださりありがとうございます!
最近、女性の友達と痴漢の話をしていた際に、痴漢をされたことがあるかを聞いたら、そこにいた友達は全員被害経験があったんです。私自身も以前は「痴漢は仕方がないことだから、自分が気をつければいいんだ」と、電車に乗るときは短いスカートを履かないように対策していました。
ただ、フェミニズムについて勉強してからは、痴漢する人が悪いということがよく分かり、仕方ないことだという認識が無くなったんです。それを友達に話したときに、その子が「私も対策するのが当たり前と思っていたので、考えが変わった」と話してくれて。自分自身の経験を話して、すごい良かったなという体験がありました。
このような話を友人や家族などで自然とできるようになれば、政治について知る雰囲気が醸成されていきそうですね。
荻上:特定のテーマについて理解を深めていくことが、新たな判断やコミュニケーションに繋がりますよね。たとえば、性暴力を受けた友人に対して、「それはあなたのせいじゃないよ」と掛ける言葉が変わるなど、身近な態度が少しずつ変わることも、「政治的」なことですよね。
藤井:そうですね。そういうことから、少しずつ日常生活と政治が繋がっていきそうですね。
日本では、よく若者の政治無関心が語られる。しかしお2人の話から、それは決して「その人のせい」ではなく、歴史や教育など様々な背景があることや、社会の変化によって市民と政治との距離感も変わってきている状況が見えてきた。
確かな足場がない状態で「政治について話して!」と言われても、確かに私たちは迷ってしまうだろう。そのためにも、ただインターネットに依存するのではなく、日常の困りごとが政治につながっていると捉えて、もっとラフに身近な人と政治の話をしていきたい。そう思った。
後編では、インターネット時代の政治や情報との向き合い方を、もう一段深く伺っていく。
▼後編はこちらから

荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年生まれ、兵庫県出身。評論家、編集者。メディア論を中心に、政治経済、社会問題、文化現象まで幅広く論じる。NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表、「社会調査支援機構チキラボ」所長。著書『こんな世界でギリギリ生きています みらいめがね3』(暮しの手帖社、2024年)、『社会問題のつくり方 困った世界を直すには?』(翔泳社、2023年)など。
X:@torakare
Instagram: @ogichiki
藤井サチ(ふじい・さち)
1997年生まれ、東京都出身。モデル。これまで『Seventeen』や『ViVi』の専属モデルを務めるほか、報道番組をはじめテレビ・ネット番組等にも多数出演。
X:@sachi_fujii_
Instagram:@sachi_fujii_official
▼連載「『わたしと選挙』を考える」はこちら
取材・文:前田昌輝
編集:大沼芙実子
写真:服部芽生
