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『この夏の星を見る』山元環監督&松井俊之総合プロデューサーインタビュー 「失われた青春ではなく、得たものを描きたかった」

コロナ禍の2020年から2021年にかけて、映画界は未曾有の困難に直面した。映画館の休業、制作現場の混乱、そして何より人々の生活様式の激変——。そんな時代の只中で青春時代を過ごした高校生たちの体験を、映画はどのように描くことができるのか。

映画『この夏の星を見る』は、この問いへの真摯な応答である。全編にわたってマスクを着用した学生たちが織りなす群像劇は、制約を逆手に取った革新的な演出と、望遠鏡を通じて星空を見つめる行為に込められた深い人間洞察によって、単なる時代の記録を超えた普遍的な物語へと昇華されている。

山元環監督と松井俊之総合プロデューサーが手がけた本作は、映画と広告的アプローチの融合という新しい制作スタイルを取り入れながら、「コロナによって失われた青春」という既成概念に安易に寄りかかることなく、離れていても心はつながることができる新しい関係性のあり方を提示している。

社会を前進させる情報発信を行う「あしたメディア by BIGLOBE」では、この注目作の制作背景と込められた想いを、映画解説者・中井圭との鼎談形式で深く掘り下げていく。

※本インタビューは、作り手の意図を深く問いかける目的で、具体的内容に触れているため、ネタバレに注意したい方は、映画本編をご覧になってから閲覧されることを推奨します。

2020年、コロナ禍で青春期を奪われた高校生たち。茨城の亜紗は、失われた夏を取り戻すため、〈スターキャッチコンテスト〉開催を決意する。東京では孤独な中学生・真宙が、同級生の天音に巻き込まれその大会に関わることに。長崎・五島では実家の観光業に苦悩する円華が、新たな出会いを通じて空を見上げる。手作り望遠鏡で星を探す全国の学生たちが、オンライン上で画面越しに繋がり、夜空に交差した彼らの思いは、奇跡の光景をキャッチする――。

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7⽉4⽇(⾦)全国公開

原作 ︓ 辻村深⽉「この夏の星を⾒る」(⾓川⽂庫/KADOKAWA刊)
出演 ︓ 桜⽥ひより
⽔沢林太郎 ⿊川想⽮ 中野有紗 早瀬憩 星乃あんな
河村花 和⽥庵 萩原護 秋⾕郁甫 増井湖々 安達⽊乃 蒼井旬 中原果南 ⼯藤遥 ⼩林涼⼦
上川周作 朝倉あき 堀⽥茜 近藤芳正
岡部たかし
監督 ︓ ⼭元環
脚本 ︓ 森野マッシュ
⾳楽 ︓ haruka nakamura
企画 ︓ FLARE CREATORS
総合プロデューサー ︓ 松井俊之(FLARE CREATORS)
プロデューサー ︓ 島⽥薫(東映)
配給 ︓ 東映
©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

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一気通貫で取り組む「総合プロデューサー」という役割

中井:まず、松井さんの「総合プロデューサー」という肩書きが気になりました。映画界のクレジットでこの名称を見ることは、ほとんどありませんが、どのような意図で作られたのでしょうか?

松井:昔の独立系プロデューサーは映画の企画、制作、宣伝、配給まで全部やっていたんです。ぼくも配給業務の一部は自分でやってきましたし、宣伝も一通り経験している。それを今回の作品でもやりたいという目標があったんですね。

これからはみんながそういうことを目指せるようになった方が、映画業界も面白く変えられるんじゃないかと思いました。こういう肩書きを名乗るのも権威主義的だと思いましたが、発明的にやってみた、という感じです。

中井:今回、クレジットを見ると「宣伝クリエイティブプロデューサー」など、通常の映画の肩書きとは違う名称が多かったですね。

松井:宣伝の仕組みも従来の映画とは少し違うトライアルをしているんです。『THE FIRST SLAM DUNK』(2022)の時にやってみて学んだことを、この作品で活かそうと思いました。宣伝チームには、映画界で宣伝のプロとして長年やってきた方もいれば、広告業界から来ていただいた方もいます。

具体的には、広告業界の人たちにも脚本を読んでもらって、どんなコピーやビジュアルを考えるか、ということをディスカッションするところから始めました。コピーライターに関しては、作品の撮影中から、作品における本質的な要素も相談していました。

この映画を観ていただいた方から「セリフが刺さる」や「画面が美しい」と言っていただいていますが、そういうところは、制作時から明確に狙って作っています。ただ、広告に寄りかかって映画を作っているわけではありません。方法論として、広告の作り方の良いところを適宜採用しているんです。

中井:この作品全体を包む雰囲気で印象的だったのは、従来のクラシカルな日本映画とはちょっと違うスタイルを感じたことでした。90年代後半から2000年代初頭にかけて、『鮫肌男と桃尻女』(1999)や『PARTY7』(2000)の石井克人監督など、広告系のクリエイターが勢いのある映画を撮っていた時代がありますが、作風のベクトルはまったく違えど、どこかその頃のエッセンスが感じられました。

山元:『鮫肌男と桃尻女』は個人的に好きな映画で、11歳くらいに観て以来、かなり影響を受けていますね。

NHK「18祭」に着想を得た「喪失と再生」の物語

中井:今回、辻村深月さんの原作を映画化されていますが、なぜこの作品を作ろうと思ったのでしょうか?

松井:ぼくが監督に提案して、監督がやりたいと言ってくださって実現したんです。もともと探していたイメージがぼくの中にあって、テーマとしては「喪失と再生」というものを描きたいと思っていました。

具体的なイメージは、NHKの「18祭」という番組にありました。千人の高校生が一人のアーティストが作った歌を合唱できるようにアレンジしたものを、みんながそれぞれのパートを練習して、最後にアーティストも含めて一緒に歌うという構造です。2020年にコロナがあって、番組が中止になり、2021年に再開した時は全部リモートになったんです。千人のリモートという、すごい画だったんですよ。あいみょんさんだけがスタジオに来て、みんなで一緒に歌う。これは映画にできないかなと思ったんです。

そうしているうちに辻村さんの原作に出会ったのが、この映画を作った経緯です。原作には、ぼくが探していた喪失と再生というテーマがちゃんとあり、失ったものばかりじゃなくて、残ったもの、あるいは得たものがある。その得たものをどうやって自分の今の人生をより良くするために還元できるかを考えることは、簡単なことじゃないけれど、いつの時代にも、戦争や災害など、思いがけない苦難に陥った時に、そういう考え方ができたら前向きに生きられる。それを映画にしたら、たくさんの人に伝わるんじゃないかと思いました。

コロナは誰もが経験しているから、世界的にみんなが自分ごとになる。5年ぐらい時間が経てば、みんなにとって受け入れられるもの、検証できるものになっているんじゃないかというのが、企画の発想でした。

中井:その企画を山元監督に託そうと思った理由は何だったのでしょうか。

松井:若くて、これからの人たちと一緒に映画を作ろうと思っていました。そして、山元監督を早い段階でピックアップしました。ひとまず実際に会って話をしてみて、イメージと違っていたらやめようと思っていたんです。そしたらぼくが山元監督にドはまりしちゃったんですね。

彼は若いんだけれど、過去の作品をたくさん勉強していて、理論が自分の中でしっかりしている。撮ってきた深夜のテレビドラマや縦型動画の中に、予算も時間も期間もないという中で、これだけはっきり自分のビジョンを持って撮れるというのは、才能じゃないかなという、直感ですね。

山元:自分に賭けていただいた、という気持ちが一番大きいですね。そもそも映画監督になりたくて映像の世界に入ってきたので、すごく嬉しかったです。同時に、それまでは不倫モノのドラマを撮っていたのですが、今回は辻村深月先生の文章表現のみずみずしさが溢れている原作だったので、これを映像化する時に自分が得意か不得意かというと、まったくの未知数だったんです。

松井さんから「18祭」の話も聞いていたので、求められているのは「ものすごく純度の高い青」だなということは、お話をいただいた時から思っていました。そしてキャストが全員マスクというのが、一番頭を悩ませたポイントでしたね。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

全編マスクという制約を「動き」で乗り越える演出術

中井:全編において、かなりの時間、登場人物たちがみんなマスクをしている映画は、これまでほとんどないですね。演者も目だけで感情を表現しなければいけない部分が大きく、ハードルが相当高いと思いましたが、演出的にはどのように取り組まれたのでしょうか。

山元:原作では、心理描写や気持ちの吐露を読み手側に伝える文章表現が多いんですけど、映像化する時にこれらをすべてセリフに起こしていくと、途端にその表現したかった世界が嘘になってしまう。だから、できるだけみんながマスクをしているという状況で、能動的にシークエンスを動かしていくということを意識しました。

映画全体を通して、キャラクターの誰かが動き続けている。「静」と「動」でいうと、「動」でずっとシークエンスをつなげていく連なりで、2時間ちゃんと観せきる映画にしようと決めていました。キャラクターたちがただ座って、面と向かって話をするだけという状況は、本当に大事なシーン以外なく、基本的には連続的にスイッチするように動いたりしています。

中井:この映画で特に興味深いと思ったのは、まさにそのキャラクターの動き、編集、そしてルックです。編集では例えば、抽象度の高い映像が差し込まれるのが目を引きました。通常、映画で心情や状況を表現するには、引き算的に間合いや行間で見せることが多いと思うのですが、この作品は振り子や線香花火などのちょっと唐突感のある印象的なショットを足し算的に差し込んでいく形で表現していましたね。

山元:この映画では、地上はコロナでみんな移動ができなくて閉塞感があります。片や宇宙は広がっていて、どこにも隔たりがない。でも、ただカメラを地上や空に向けるだけでは、この対比が映像としては生まれないと思ったんです。

天人合一という中国の考え方があります。これは、人の体内で起こることは宇宙につながっているという考え方なんです。例えば、細胞分裂の様子と銀河団の星の連なりは、コンピューターのシミュレーションで見ていくと構造が似ている。人が町を作り、生活の営みを行う様子も、マクロの世界で見ると細胞の構造と似ている。

この映画で、亜紗の中で起こっている化学反応と、最終的に空に望遠鏡を向けた時に、そのふたつがつながっていく感覚を、映像表現の中でリンクさせたかったんです。正直、これは観客に伝えるためのものかというとちょっと違っていて、ぼくがやってみたかったというのが大きいですね。

クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』(2023)を観て、影響されたというのもあります。あの映画を観た時に「こういうことをやっていいんだ」と思って。この映画は、青春映画なのにコロナでみんなマスクをしている。そして、望遠鏡で夜空を見る人たちを撮る、という様々な挑戦がありました。表現として、もうひとつ挑戦を乗せて、映画として表現したいと思いました。

中井:この話を聞いていて、山元監督はやはり面白い新世代の作り手だと感じました。旧来的な映画文法や演出法を優先させるなら、おそらくあのショットは差し込まず、もっとクラシカルな作りになっていたでしょう。

松井:群像劇なので、一人ずつの持ち時間は少ないけれど、ちゃんとその解像度が伝わるようにしなければいけない。中心人物は(桜田ひよりさん演じる)亜紗で、彼女の周りを(水沢林太郎さん演じる)凛久が回っていて、それを取り巻く人たちもみんな巻き込まれていって、その輪が広がっていくということを、説明的表現になり過ぎずに抽象表現できるのがいいなと思いました。

中井:映画を観ている間に、各キャストはそれぞれ星なんだな、という認識がありました。亜紗は太陽であり、凛久は月。それを裏付けるように、劇中で「スターキャッチ」という星探しゲームのルールをみんなに説明するシーンでは、亜紗は太陽を担当し、凛久は月を担当している。そして、亜紗を演じた桜田ひよりさんのこの映画での佇まいは、現実に存在する高校生よりも、意図的に少し堂々として大きく見えます。きっと、彼女がこの映画における太陽だからだろうな、と思って観ていました。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

令和的な握手が示す恋愛映画からの意図的逸脱

中井:キャラクターの動きも特徴的です。序盤、天文部に入部するシーンの亜紗と凛久の握手はその典型でした。通常の握手ではなく、相手を見て低い位置で握手をするという、一般的な恋愛映画から逸脱するような、同志のような位置づけの握手であると感じました。

山元:おっしゃる通りです。亜紗と凛久のふたりが並んだ時に恋愛映画に見えてしまう、ということを極力避けたいという意図がありました。何も言わないで、握手というアクションだけで、キャラクターの関係性を表現できるように動きを工夫していました。後半に(星乃あんなさん演じる)天音と(黒川想矢さん演じる)真宙が肘タッチをする構図と、一番最初の亜紗と凛久が握手をする構図も、ほぼ同じような構図にしています。

コロナの時代に移行する作品の構成上、コロナ前の冒頭10分間でふたりの関係性を明確に見せないといけないし、このふたりは友情関係で最後まで走りたい。最後に泣きの芝居がありますが、それが恋愛的な寂しさに見えてほしくない、と考えていました。

この映画では、その距離感を通じて「あなたのことを人間的に尊重しています」と伝えたい。そのアプローチが令和的だと思ったんです。あの関係を恋愛にすると、途端に令和から離れてしまって、今までに観たことある恋愛映画のひとつになってしまう。それは避けたかったので、冒頭、何も言わないで握手という選択が、最適解だと思いました。

スターキャッチが映し出す、映画的連続性

中井:この映画で反復して登場するのが、指定された星を探して望遠鏡にできるだけ素早く正確に収めることを競い合う「スターキャッチ」ですが、この行為自体が、映画のメタファーになっていると思いました。つまり、暗闇の中でみんなが同時に同じ星を見ようとする行為は、映画館の暗闇の中でひとつの画面をみんなで見つめる行為と類似します。この映画では、全国各地にいる人たちがひとつの星を見ますが、全国のいろんな映画館でも、同じ作品を見つめるという行為が行われています。

山元:使い古された表現ですが「夜空はつながっていて、みんなもつながっている」という状況を映像で分かるようにするのは、すごく難しいです。それを映画で伝えていくにはどうすればいいのかを考えた結果、カットのつながりが重要でした。つまり「一方、その頃」を圧倒的に消していく。全部が連続する「動」でつながって、シーンごとに段差がないように見せる。スターキャッチのシーンは、望遠鏡の向きを変えた瞬間に場所自体が切り替わる、みたいな。その段差のなさで、あたかも全員で同じところに集まって、全員でひとつのものを見上げているような感覚を、7分間かけてやっていくアクション性で意識しました。それと、『ちはやふる』シリーズのように、観ている側の気持ちがぐっとあがったり、ワクワクする感覚を、観ている人に味わってほしいというのが一番の狙いでした。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

中井:映画における運動性を考えたときに、この映画ではスターキャッチが運動である、ということをすごく感じました。天文部というのは基本的には文系の部活ですが、『ちはやふる』シリーズや、同じ小泉徳宏監督の『線は、僕を描く』(2022)のように、文系要素が強く静的なものをどれだけ動的に見せるかは重要だったと思いました。

また、非常に細やかな描写だと思ったのは、スターキャッチの中で、はくちょう座のアルビレオを探すシーンで、天音とコンビを組んだ真宙がミスをします。アルビレオは隣り合う二重星という性質があり、ふたりの関係性を表しています。スターキャッチを通じて星を見るという行為が象徴するのは、他者とつながることと相手を知ることだと思うのですが、「知ること」よりも「知ろうとすること」が重要だと示すシーンだと感じました。不完全さも肯定し、重要なのは勝ち負けではないと描かれているのが感動的です。

松井:その通りですね。あと、付け加えるならば、星を見るという行為は、自分を知るということでもあります。そこは脚本段階で、脚本家や監督とも大事にしたいと話していました。

山元:望遠鏡を覗くという行為が自分の心を覗くことにつながるんじゃないかと考えていましたし、それがこの映画の根幹になると思っていました。望遠鏡を覗いて自分の心に素直になることによって、キャラクターたちが他者を尊重できるようになります。コロナの時代になってみんな困惑するけど、他者への尊重を通じて自分たちを癒すコミュニティを作ることができる。それが令和の青春映画の重要なポイントだと思いますし、望遠鏡と星空を通じて他者とのつながりを生むことが、この映画ですごく大事にしたことです。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

色彩で語る世界——東京、茨城、五島列島の空気感

中井:ロケーションも素晴らしかったと思います。特に五島列島が美しい。五島を舞台にした圧巻の映画では、三木孝浩監督の『くちびるに歌を』(2015)という傑作もありましたが、今回、五島というロケーションをどのように使いたいと思っていましたか。演出的な工夫を教えてください。

山元:それぞれのキャラクターがいる場所が離れている物語であり、その世界がつながっていく物語でもあるので、違いが伝わるように色分けを意識しました。東京の街はコンクリートジャングルなので灰色っぽく、グレーディングで色を抑えました。

また、茨城は田園風景が広がっているんですけど、鉄塔があったり、青々とした緑というより深緑のような感覚がありました。岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』(2001)のようなイメージですね。

そして、五島列島は、現地の風土で感じた豊かさみたいなものを無視できなかったんです。すごく色鮮やかな気持ちになるというか。島に行くとオレンジ色の服とかを着たくなる気持ちがよく分かるんです。その感覚を映画の中では表現したいと思ったので、新芽のような緑色だったりとか、五島の美しい海もよりダイレクトに青さを際立たせています。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

中井:この映画は夜空を見るシーンが多いですが、同じ夜だけど、ロケーションがそれぞれ違う状況で、デイ・フォー・ナイト(日中に夜間シーンを撮影すること)で撮って表現するのは、難易度が高いと思いました。夜空の撮影について教えてください。

山元:ロケハンで各地に行った時に、星空のあり方が全然違ったんです。東京の空は、街灯のせいで黒々としている。茨城は、星空が結構見えますが、その向こう側には都市があってふわっと街の光が漏れています。空にグラデーションがあって、目線が上に行けば行くほど星がきれいに見えてきます。それに対して、五島列島は空が始まるところから星が全部見えているんです。

デイ・フォー・ナイトでは、すべての場所の昼に撮った空は消していません。昼の空を残した状態で、ナイトカメラマンの竹本さんが大曲の夜空など、レンズのミリ数に合わせて撮った美しい星空の素材を載せることで、現地で撮った素材の中にある空気感を活かしています。それをやるだけでも、それぞれの空にその土地らしいキャラクター性が出ました。

あと、東京編はデイ・フォー・ナイトではなく、ナイターで撮っています。東京の暗さは、作ろうと思えば思うほど作り物っぽくなっちゃうんですよ。東京の夜空は、ぼくらが普段見慣れているものであるべきだと思います。周りに街灯がすごく多いので、屋上にいてもキャラクターたちがその光でしっかり見えてくる。そこは活かした状態で撮った方がメリハリがつくと思いました。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

「かわいそう」ではない——当事者が語るべきコロナ時代の青春

中井:オリヴィエ・アサイヤス監督の『季節はこのまま』(2024)のように、近年、コロナの体験を物語にした作品はありますが、この映画はそれらとも違って「コロナによって失われた青春」が描かれているけれど、それが必ずしもただ悲しいものに終わるわけではない、ということも伝えています。

山元:ぼくらも原作を読んだ時に、当時のニュースを思い出したんです。社会に「かわいそう」なムードがすごかったな、と。でも、本を読み終わった時に「いや、かわいそうかどうかをぼくら大人が判断することではないな」と思ったんです。

当時の彼らにとって、その青春がどうであったか、どのように生きていたかなんて、誰かに判断されるべきものではないと思うんです。ただ、コロナによってできないことが増えていく中で、何ができるかを模索した子たちは絶対にいるし、そこでどうしようもなくて諦めてしまった子たちも大勢いると思うんです。

でも、どちらの場合でも、「失った」というひとつの言葉で括るには、単純化しすぎています。思いも寄らぬ、様々なことが彼らの心の中で起きているはずだと思ったんです。その時間を一生懸命過ごそうとする彼らをまっすぐ撮る、というのが、この映画のゴールになるんだろうと思いながら、そこを信じて作りました。

確かに彼らは喪失しているように見えるけれども、この子たちにとってのこの青春が、「自分たちはやりきった」という青春の大事な1ページになると思っています。

コロナが社会に与えた影響は本当に大きかったけど、あまり説教くさくならずに、単純に突き抜けるような青春の青さをやってみたい、というのがぼくの中にあったので、コロナに負けない映画を作りたいなということを大事にしました。

中井:この映画の中で描かれている生徒たちが、離れた場所からオンラインでつながって、みんなで星を見るという行為と、コロナ禍のミニシアターの連帯がすごく似ています。映画がコロナを乗り越えていった軌跡と、この映画でそれぞれの青春がコロナを乗り越えていく軌跡が重なって見えて、そこも心に響きました。

©2025「この夏の星を⾒る」製作委員会

作品完成は観客との出会いから

中井:最後に、この映画の今後の展開についてお聞かせください。

松井:映画って、作って公開したら終わりというイメージがありますが、この作品はそこでは終わりだと思っていません。映画を届けるという作業に加えて、お客さんがどうそれを受け取っていただけているか、までを通して作品の完成だと思うんです。

今、この映画を観た様々な方々が、自発的に応援してくださっている。そして、その声がぼくらに届いている。ぼくらももっといい状況を作らなきゃいけないなと思っています。たとえば「うちの地域では上映してないから、うちでもやってください」という声もあるし、「もっと見やすい時間に上映してください」という声もあります。応えられるようにしたいですね。

あと、名古屋の興行会社の方がおっしゃっていたんですが、2020年に高校生、中学生だった子たちが、2020年のコロナを境に映画館で観られなくなったことをきっかけに、もう映画館で映画を観なくていいと考えている、と聞いたそうです。その世代が大学生になり、今後、映画館で映画を観るという体験をしないまま大人になってしまうことに、強い危機感を覚えてらっしゃいました。

自分たちが中高生の時に良い映画を観て、友だちと話し合って、あるいは大人になった時に振り返って、という様々な思い出ができたように、大学生にもどうしても見ていただきたい、あるいは高校生に観ていただきたいから独自に活動している、という話をお聞きして、感動しました。その方に「映画館で映画体験をするという火を消さないよう、頑張ってほしい」と励まされました。頑張らないといけないなと思います。

松井俊之総合プロデューサーの映画制作への真摯な取り組みと、山元環監督の若き才能が見事に融合した『この夏の星を見る』。この作品が単なるコロナ時代の青春映画に留まらず、希望の物語として機能していることを、今回の対談を通じて深く理解することができた。

特に印象的だったのは、監督の「かわいそうかどうかをぼくら大人が判断することではない」という言葉だ。これは、当事者の体験を尊重し、外部からの憐憫の目線を拒否する、極めて現代的で重要な視点である。映画は常に社会に対して何らかのメッセージを発信するメディアだが、本作はそのメッセージを説教的に押し付けるのではなく、観る者の心の中に静かに宿る星の光のような希望として描き出している。

また、松井プロデューサーが提示する「総合プロデューサー」という概念は、これからの映画制作のあり方を示唆する重要な試みだ。企画から配給まで一貫して関わることで、作品の本質を損なうことなく観客に届ける——そんな映画人としての矜持を見ることができた。

山元監督の映像表現に対する探究心と理論的な裏付け、そして何より若い世代ならではの感性が、この作品を単なる青春映画の枠を超えた普遍的な物語へと昇華させている。マスク演技という制約を逆手に取った動的な演出、抽象的映像の効果的な使用、そして何より「つながり」というテーマを映画的に表現する手腕は、間違いなく注目すべき才能の証明だろう。

コロナ時代の青春を生きた世代にとって、この映画は単なる娯楽ではなく、自分たちの体験を肯定し、他者への理解を深める貴重な機会となるだろう。山元監督の「自分たちで癒せるコミュニティを作る」という視点は、映画制作のみならず、これからの社会のあり方を示唆している。離れていてもつながることができる、違いを認め合いながら共に歩むことができる——そんな希望に満ちた未来への道筋を、この作品は静かに、しかし確実に指し示している。

 

取材・文:中井圭(映画解説者)
編集:大沼芙実子
撮影:服部芽生

 

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