よりよい未来の話をしよう

お笑いに自粛が求められた時代と芸人としての原点|川西賢志郎が知りたい!“芸人・松元ヒロ”について(前編)

芸人・川西賢志郎さんの「いま知りたい!」に迫る、連載「川西賢志郎が知りたい!」。お笑いの世界で長く活躍してきた川西さんが、改めて“お笑い以外の世界”や見たことのなかった世界を覗いたとき、そこにはどんな気づきや発見があるのだろうか?あしたメディアでは、そんな川西さんの探検にご一緒させていただくことに。川西さんと、各回のテーマに造詣の深い方との対談形式でお届けする。

連載2回目の今回、川西さんが知りたいと話したのは、芸人・松元ヒロさんのこと。川西さんは、松元ヒロさんを尊敬する芸人の一人に挙げ、自身の書籍『はじまりと おわりと はじまりと ―まだ見ぬままになった弟子へ―』(KADOKAWA、2025)でも松元さんについて綴っている。

松元さんは、お笑いにおいてしばしばタブーとされ、切り離されがちな“政治”を中心にネタに取り入れながら、1人で舞台に立つ。世代も経歴もネタのテイストも違う二人だが、川西さんは松元さんの「お笑いに向き合う芸人としての姿勢」に共感し、感銘を受けたことから、もっと知りたいと思ったそう。

今回は、そんな松元ヒロさんへインタビューを実施。前後編の2回に分けてお届けする。本記事では前編として、松元ヒロさんがお笑いの道を進むことになったきっかけから“政治”をネタに取り入れるまでのお話を。

今回の対談相手
松元ヒロ:1952年鹿児島県生まれ。法政大学に入学し一時は教職の道を目指すが、その後、パントマイマーを志す。26歳から本格的に芸人の道に進み、コミックバンド「笑パーティー」として出場した『お笑いスター誕生!!』で優勝。後にコントグループ「ザ・ニュースペーパー」での活動を経て、1999年から現在まではピン芸人として活動中。

▼連載第1回目の記事はこちら

みんなが困っていたり疑問を持っていたりするけど言えないことを代わりに言う

川西:もともとヒロさんのお笑いに出会った経緯から話させてもらうと、自分が漫才をやりながらメディアにも出るようになって、『これってお笑いとしてどうなんだろう?』と疑問に思うことが生まれてきたんです。それは自分のお笑い観ができあがってきているからだと思うんですが、そうなると芸人として捨てていかなきゃいけない部分も増えていって。そこで、新しいものを取り込みたいと思うようになりました。

それまでは自分が漫才師だから漫才のことだけを重点的にやってきたけど、新たに落語を聞いてみようかなとか、古舘伊知郎さんのトークライブ『トーキングブルース』に行ってみようかなとか、いろいろなものに触れていったなかで出会ったのが、松元ヒロさんを追ったドキュメンタリー映画『テレビで会えない芸人』(2022)でした。

松元:仙台でステージをやった帰りに新幹線に乗ったら、同じくライブがあった川西さんが『松元ヒロさんですよね』と声をかけてくれて。その当時、僕は川西さんのことを知らなかったんだけど、『吉本の芸人なんです』と自己紹介してくれたから、名刺を渡して『あなたは吉本、私は松元』とか言いながら挨拶をして席に着いたんです。そうしたらたまたま前後の席だったものだから、車内販売で缶ビールを買って川西さんにも渡しました。

僕も一応グリーン車なんだけどね、川西さんのように若い人がグリーン車に乗ってるのは売れている証拠ですよ!だけどまさかM-1で3回も準優勝してるなんて!それならビールはロング缶にして、おつまみもつけてやればよかった!…という話をライブですると、もう爆笑なんですよね。

川西:ライブで話してくださったと聞いて、嬉しかったです。今日は、新幹線でお会いしたときには聞けなかった、“ヒロさんがお笑いの道に進むことになったきっかけ”から伺ってもいいですか?

松元:僕はもともと、役者になりたかったんですよ。でも大学生だった当時、鹿児島の訛りが抜けなくて。その頃チャールズ・チャップリン(※1)に感銘を受けたのと、パントマイムなら喋らないからいいだろうということで、パントマイマーになるんです。その後、コミックバンドやコントをやり始めて、営業で各地から呼ばれるようになりました。

川西:当時人気だったオーディション番組『お笑いスター誕生!!』(※2)でも優勝されてますよね!トントントンと結果を出されたという印象です。

松元:でも1988年に昭和天皇が病気になって、ライブは自粛と言われ、予定していたものは全部キャンセルに。

川西:天皇がご病気のときに陽気なことをやるな、ということですか。お笑いの存在自体が否定されたような時期だったんですね。

松元:そうそう。音楽も、歌ったり踊ったりも、コマーシャルも、お笑いも、笑えるようなものや娯楽は全部自粛を求められました。それで、普通はキャンセルになっても半分くらいはギャラが支払われるんですけど、国全体の自粛だからって支払われず、収入がなくなってしまったんです。代理店に「なんでキャンセルになったのに少しのギャラも出ないんですか」と尋ねたら「ご時世ですから」と。そのときに「ご時世ってなんだ!今はなに時代だ!」と思って、仲間たちとも「おかしいよね」という話になりました。

それで、仕事がなかったので、僕がやっていたコミックバンド「笑パーティー」ともう2組で何人くらい集客できる?と話してから「じゃあ合同で自分たちでライブを企画して、チケットを売ろう」と。そうして10人ほどで始めたのが「ザ・ニュースペーパー」です。天皇や社会のことをネタで取り上げた、なんでもありのコントライブでした。当時の世相を笑うべく、客席に向かってこそこそと「ちょっとお客さん、いい笑いがあるよ!」と言って、お客さんを笑わせては「シー!笑っちゃだめ!」とか言ってましたね。

川西:お笑いって、禁止されるほど、みんな求めたくなるし、芸人側も新たな活路を見出すんですね。

松元:そうですね。そのライブが好評で、作家の永六輔さんやニュースキャスターの筑紫哲也さんも観にきてくれたんです。それから当時筑紫さんが出演していた「ニュース23」に出させてもらったときに「ザ・ニュースペーパーの皆さんです」と紹介されたから、もともとイベント名だった「ザ・ニュースペーパー」をユニット名にして、活動していくことになりました。そのときはテレビでも天皇のネタをやったんですけど、直接的に天皇とは言えなかったので「さる高貴なご一家の皆さんです」と言いました。

川西:そういったモノマネをする芸人もなかなかいないですけど、それをさらにコントに落とし込んで、モノマネしている人物をボケさせる。その踏み込み方はやっぱりいまのテレビではできないし、そもそもやろうとする人がいないのもあるかもしれません。

松元:でも昔は「天皇家民営化計画」とか言って天皇ネタをやったらみんな笑ったけど、いまは天皇のネタをやっても当時と反応が違いますよね。

川西:確かに。当時は天皇の体調によって世の中が変わったけど、いまはそうじゃないですもんね。

松元:だから政治ネタでもその時々で対象を変えていて、みんなが困っていたり疑問を持っていたりするけど言えないことを代わりに言うようにしています。落語家の立川談志さんが僕に言ってくれて嬉しかったのは、「お前のことは芸人と呼ぶ。テレビに出てる芸人は、テレビにクビにされないようなことしか言えないサラリーマン芸人に成り下がった。お前みたいに代わりに言うやつが芸人なんだ」ということ。

ただ、「ザ・ニュースペーパー」としてやってたコントも、段々と言えることが狭まっていったんだよね。

川西:ちょっとずつ規制が入ってくるわけですか。

松元:うん。メンバーのなかでも意見の食い違いがあってね。初期はたとえば、僕が「そういうオチなら結局政府の言いなりじゃん」とかって意見を言うと「ヒロさんがそう言うならわかったよ」ってオチを変えるなんてこともあったけど、そのうちスタッフ含めて人数が増えて、時間もかけられないからと多数決になっていって。すると僕が少数派になっちゃって、じゃあもう1人で好きにやると言って独立したんです。

川西:それがヒロさんのいまのスタイルである、お1人でステージに立つことの始まりなんですね!

松元:そう。でも、実は辞める直前まで、家に帰る度に愚痴を妻に話してたら「家で愚痴を言うなら辞めてこいよ!なんでうちで言うんだよ」と叱られていました。それが後押しとなって実際に辞めたら、今度は「なんで辞めたんだよ!明日からどうするんだよ!」と叱られましたけど(笑)。

※1 チャールズ・チャップリン:1889年生まれ、イギリス出身。映画俳優、映画監督、コメディアンなどとして活躍し、社会風刺的な作品も多く手がけた
※2 『お笑いスター誕生!!』:1980年から1986年まで日本テレビ系列で放送されたお笑いオーディション番組

師匠がいないと言えばいないけれど、いっぱいいると言えばいっぱいいる

松元:1人になって、最初は言わば「1人ニュースペーパー」をやってたんです。ある人物になりきって、コントをするというような。ステージ上に楽屋を作って、そこでカツラや帽子を被って準備する姿を見せて。その形式は俳優でコメディアンのイッセー尾形さんの舞台をパクらせてもらったんですけど。

川西:コントベースで、キャラクターをどんどん変えていく形式ですね。

松元:そうです。ところが、あるとき落語家の立川志の輔さんが僕を舞台のゲストに呼んでくれるようになって、舞台袖から志の輔さんの落語を観ていると、なにも着替えないのに1人で何役もやっていて。それがすごいと思って「そうだ、こっちのほうがいい」ってカツラつけるのをやめたんです。結局僕は、いろんな人の芸を盗んでるんですよね。

川西:芸を盗むのはリスペクトの表れですもんね。

松元:川西さんのエッセイ本を読んだときにそう思いました!「まだ見ぬままになった弟子へ」ってサブタイトルがついてるじゃないですか。いつかその本を読んで「芸人とはこうだ!」「川西って芸人がいたんだ!」「こうなりたい!」って思う人がいるかもしれない。その人が川西さんの芸を盗んで活動するかもしれないというのが、まだ見ぬ弟子ということだと。

僕は談志さんから盗んで、志の輔さんから盗んで、いまは川西さんからも盗んでいる。僕たち芸人はそうやって、やってきたし、僕は芸人だけじゃなくて人間はみんなそうだと思うんです。

少年期に終戦を経験した談志さんの体験や「もう戦争したくない」と話す人たちの声を聞いて、体験した人たちが亡くなっていくなかで僕が代わりに「戦争反対」と言っている。川西さんのエッセイ本で、弟子がいないし師匠もいない、という話を読んで、あらためて思ったんです。

川西:そうですね。師匠がいないと言えばいないけれど、いっぱいいると言えばいっぱいいる、という。

「立場をはっきりさせる」ことの難しさ

松元:いま言いたいのは、やっぱり歴史やいまの社会のことを学び続ける必要があるということです。思想的に中立であろうとするような価値観の人も多いけれど、僕はそれはよくないと思う。真ん中が一番ふらふらして、社会が右寄りになっているときは右翼になるし、左寄りになっているときは左翼になる。

そういうふうにしたくない思いもあって「ザ・ニュースペーパー」を辞めて、すっきりしましたね。僕はよく左翼芸人と言われて、左翼は少数派だけど、あちこちに存在しているので、「こういう芸人がいるんだ!」と僕を呼んでくれるようになりました。

川西:立場をはっきり言うようにされたんですね。

松元:それに、やっぱり立場がはっきりしないとお客さんも観にくいんじゃないかと思います。マルセ太郎さんというとても尊敬している芸人がいて、一度「ザ・ニュースペーパー」のライブを観に来てくれたんですけど、それっきりで。

「また観に来てくださいよ」と言ったら、「立場がはっきりしてない」と言われました。「ちょっと待ってください。お笑いは、あれおかしいですよね、これおかしいですよねと言って、みんながわっと笑って、たしかにおかしいと思う人もいて、そうやってヒントを与えるだけでいんじゃないですか?」と言ったら、マルセさんは「立場がはっきりしないものは観たくない」と。

その当時はよくわからなかったけど、ピン芸人になってからもお客さんから「ヒロさんはどんな立場ですか?」と言われたこともあったので、明確に“左翼芸人”と立場をはっきり言うようになりました。

川西:“立場をはっきりさせる”ことにおいて、自分の思想を端的に表すことができる便利な言葉があればいいけど、うまく伝えられなければ、誤解を生むこともあるし、そこは難しいですよね。

松元:政治で言えば右か左かになるのかもしれないけど、それだけじゃないですもんね。僕も政治ネタ以外に「こんな人がいてね」って日常的なネタもやりますけど、その人をどう捉えている立場なのかっていうのはありますよね。

川西:お客さんは、それをいかに自分の言葉や表現で伝えられているか、ということを観ているんですかね。

松元:川西さんがコンビでやってた漫才を観て思ったのは、コンビ漫才は2人それぞれの立場が見えてくるからいいよね。

川西:そうですね、漫才とかコンビって最初から立場を抱えた2人ですもんね。その上で「俺はこうだ」「いや俺はこうだ」っていう掛け合いをするから、自然と立場がはっきりします。その点、1人で立場をはっきりさせることは、難易度が上がるし、観る側が要求されることも増えますよね。漫才だったらぼーっと観てても入ってくるわかりやすさがあるけど、1人で「こういう意見がある、でもこういう意見もある、そんななかで俺の意見はこうだ」と述べきったとしても、3つの意見を口にすることになるから、「結局、この人の立場は?」と正確に伝わりきらない場合もあるだろうし。

それに、政治的な右翼左翼もその間にグラデーションはあるし、そこに辿り着く道のりも人それぞれだろうし、右のなかの一番左の人と左のなかの一番右の人がいたら、一体どっちが右にいて左にいるかなんて正直わからない…。だからこそ「立場をはっきりさせる」ことの難しさを感じます。

松元:僕は立場をはっきりさせているつもりでいますが、たまに立場の異なる方にも「ネタ面白かったです」などと声をかけていただくこともあって嬉しいです。

川西:立場の異なる人にも好かれている理由は、ライブを観れば分かる気がします。ヒロさんは自民党批判のネタもやりますけど、結局、人として「あんたおかしくないか?」って問いかけているように聞こえるんですよね。人間味のあるお説教みたいでとてもあたたかい人だなと、ヒロさんの姿を見ていると感じます。だからこそ、考え方の異なる人にも届くものがあるんじゃないかなと。

松元:僕自身もとくにこの党の悪口を言いたいということではなくて、人としてどうかと思ったことをネタにしているだけなので。そう言っていただけて、とても嬉しいです。

▼後編はこちら

川西賢志郎(かわにし・けんしろう)
1984年1月29日生まれ、大阪府東大阪市出身。2006年から2024年3月までお笑いコンビ「和牛」として活動し、「M-1グランプリ」にて2016年から2018年の3年連続で準優勝を獲得。コンビ解散後は芸人活動を続け、ライブやテレビ番組、ドラマなどに出演。

 

文:日比楽那
編集:前田昌輝
写真:服部芽生

 

最新記事のお知らせは公式SNS(Instagram)でも配信しています。
こちらもぜひチェックしてください!

掲載されている文章、イラストおよび写真は、BIGLOBE又は第三者が著作権を有しており、権利者の許諾なく利用できません。