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クラーク志織×瀧波ユカリ(後編)|モヤモヤの原因は社会の構造や力の差?

2024年8月、クラーク志織さんによる初著書『ロンドンの片隅で、この世界のモヤモヤに日々クエスチョンしているよ。』(平凡社)が発売された。ロンドン在住12年目のクラークさんが、ロンドンで感じた自分の体験をベースに、社会のモヤモヤについて「一緒に話そう?」というような調子で綴られた文章と、見る人の目を釘付けにする綺麗な色遣いで描かれたイラストがまとまった、エッセイ集だ。

本著の刊行を記念してあしたメディアでは、社会のモヤモヤやフェミニズムを漫画に落とし込み、社会課題についても多くのメディアで発信されている漫画家・瀧波ユカリさんとクラークさんとの対談を実施。前後編の2回に分けてお届けする。

後編では、“思想が強い”と揶揄されること、近頃のSNSについて思うこと、家族や友人とモヤモヤについて話すことなど、身近なモヤモヤとの向き合い方を中心に伺った。

▼前編はこちら

なぜ強者目線の政治の話は、“思想が強い”とは揶揄されない?

日本では、政治的な話や社会課題について発信すると「思想が強い」「主張が激しい」と揶揄されることがあると思います。こういった状況に対するおふたりの考えを伺いたいです。

瀧波ユカリ(以下、瀧波):少し話がそれるんですけど、この前マッサージに行ったときのことを思い出しました。施術中にセラピストさんと海外旅行の話をしていたら、その流れで彼女が「韓国の人って何かにつけて『謝れ!』って言ってきますけど、あれいつまで言ってるんでしょうね」と軽い調子で言ったんです。日本による植民地支配の歴史を無視した聞き捨てならない発言だし、接客としても問題ですよね。私が韓国にルーツがある可能性だってあるし、そうではなくとも一緒に笑えるような話では到底ない。

結局、そのときは「たしかに日本と韓国の間には難しい歴史がありますよね。でも私は身近な韓国の方たちにとてもよくしてもらっていますよ」とだけ言って流したんですけど…。ここで私が真っ向から反論すると、“思想が強い人”だと思われるんだろうな、でも言い出した側は自分のことをそうは思わないんだろうな、と悶々としましたね。

この話を踏まえて何が言いたかったのかというと、「話している相手がどんな立場の人なのかを考えるなど、シチュエーションに合わせて行動するというところまで、全員が考えを進めるべき」ということです。もちろん、この考えを日常生活すべてに適用する必要はないと思います。ただ、クラークさんの本にも「キルジョイ(killjoy)」(※1)という言葉が出てきましたけど、あえて「ここは空気を壊してでも言わなくちゃ」っていうのは必要です。

クラーク志織(以下、クラーク):そういったケースで「主張が強い」と言うことは、視点を変えると、いまの政治や政策を支持する姿勢を表していますよね。なので、そういう発言をする人もある意味では政治的な人だと思うんです。

瀧波:政治を語るうえでいつも思っていることがあって、弱者の視点から政治を語ると「そういう話はやめよう」と言われがちです。でもそれとは逆で、ちょっと余裕がある感じで腕を組んで話すような、強者目線の政治の話は、なぜかOKとされている社会の風潮がある。

私はこれをすごく男性的な領域だと思っています。強者目線の政治の話をするときは「スーツを着た男性の識者が集められて、論壇で話す」みたいなことが多いと思うんです。なおかつ、これができるとかっこいいぐらいの空気感もある。ただ、これは思想が強いとは言われないんですよね…ここはいつも疑問に感じています。

※1 用語:その場の空気が気まずくなることを覚悟して、大事な話をすること。クラークさんはサラ・アーメッド著の『フェミニスト・キルジョイ』からこのコンセプトを学んだそうだ。

瀧波ユカリさん

批判される政治家は、可哀想なの…?

クラーク:強者やお金持ちへの絶対的な支持みたいなものが、日本はとくに強いかも?と感じます。イギリスでは、お金持ちや気取っている人を揶揄する風潮が割とあるんです。1つ前に政権を担っていた保守党は、お金持ちっぽく気取った感じの人たちが多かったので、テレビでもラジオでも、あるいは友達同士でも、割と普通に揶揄していましたね。

瀧波:イギリスは元々格差があって、「特権階級の人」と「そうでない人」がいることが前提にあるのかもしれないですね。ただ、日本でも格差はあるし、なおかつずっと特権を手放していない家柄の人もいます。

でも、そういう特権を持つ人たちの世界がないことになっていますよね。「生まれながらにしてみんな平等だ」という認識が刷り込まれてしまっているんです。

政治家のなかには、ずっとその席を譲らず、強固に守られている人たちがいます。けれど、そういう特権性を批判しても、「そんなこと言っても、結局は市民のなかから選ばれてる人たちだよね?」みたいな感じの空気がいまだに蔓延っているんです。あと、日本には強者にすごく同情的な人も多いですよね。

クラーク:政治家が批判されていると、「頑張ってるのに、かわいそう…」って意見も目にします。

瀧波:そこに対しては、「違うよ。彼らと私達とでは立場が違って、彼らには責任があるんだよ」ということを声を大にして言いたいです。ただ、こういう意見や疑問も抱かせないような社会の構造になってしまっているのだと思いますが。

クラーク:最近聞いてハッとした言葉があるんです。「多くの人はビリオネアに自分を重ね合わせて世間を見る節があるが、多くの人はビリオネアよりホームレスに立場が近い」という言葉です。少し成り行きが違えば、自分がホームレスになる可能性もあるのに、なぜか自分を強者側に置いて、社会を眺める人が多い気がするんですよね。

瀧波:社会の競争のなかで、ぼんやりしただけでお金がない側になることはあるけど、いきなりビリオネアになることはないですからね。

クラーク志織さん

“誰が言うか”によって炎上が起こる近頃のSNS

インターネットが社会のモヤモヤにもたらした功罪について、おふたりはどのように考えていますか?

瀧波:最近とくに思うことなんですけど、インターネット上では完全に意見が反対の人だけじゃなくて、主義主張が似ている人とも衝突する可能性があるんです。実際、そういうケースをSNS上でよく見かけます。ただ、これって対面で会話してるとあまり起きないことですよね。

たとえば、「日本の中年男性に対して思うところがあって…」と会話のなかで話すと、とくに中断されることもなく話が通じます。でもインターネットだと、「そうじゃない男性もいます!」みたいなリプライがすぐに飛んでくる(笑)。もちろんわたしも、そうじゃない人がいることは前提で発信してるんですけど…。こういう意見が、主義主張が似ている人からも飛んでくるんです。

立場や年齢、人種も関係なく、みんなが同じツールで言葉にできることがインターネットの良いところだったはずです。でも最近は、何でも言える場所ではなくなってきていて、むしろリアルの方が話が通じるなと感じます。

クラーク:SNSに対しては、日に日にギスギス感が増しているように感じますね。私はインターネットやソーシャルメディアのおかげで学んだことや、自分の考えを変えてくれた側面もあるんです。ただ最近、というよりもTwitterがXになって以降かもしれませんが、ビリオネアやテック系の人たちにとにかくハックされてしまってる印象を受けます。

アルゴリズムの影響を受けることなどから、平等に発言できる空間ではないと思うんです。

瀧波:人に意見を届けるために、アルゴリズムなどの知識がないとできないっていうのも変な話ですよね。

あと最近は、“誰が言ってるか”がすごく重視されるようになっているとも思います。若い、“無害そうな女性”が男性に意見して炎上してるところをたまに見かけますが、私が同じこと言ってもあんなに炎上しないだろうなというケースもあって。

ここから察するに炎上の原因は、彼女たちが勝手に世間から抱かれていた、“無害そうな女性”という規範を破ったことで、怒る人たちがいたからだと思うんです。誰が言うかでリアクションが分かれてしまう最近の風潮は、本当に嫌だなと思います。

クラーク:そろそろ社会が一度、ソーシャルメディアとの距離を見直し始める時期なのかもしれないですね。

瀧波:そうですね。ただ、「もういいや」と思うこともあるけど、そこと付き合いながらでも言わなければいけないこともありますよね。まだSNSを使っていて、ギリギリ楽しめることもあるのでいいんですが、どこかで無理だと感じてしまう日がくるかもしれないです。

誰にだって“100%の出力”で意見をぶつけていいわけじゃない

パートナーや家族、あるいは身近な友人と、社会のモヤモヤについて話すときに意識していることはありますか?

クラーク:パートナーに関しては考えが近いこともあって、素直にお互いの思ったことを言える安心感があります。一方で、会話をするなかで意見が違うなと感じる知人がいたり、マイクロアグレッションだなと感じる発言をされたりするときもあります。たとえばイギリスだと、必要以上にアジアのステレオタイプに当てはめて会話されることも。それに対して、普通に指摘をするのはすごく勇気がいることだと思うんです。

なので、私はそういうときに「それは違うよ」と口には出さず、わざとらしく会話の間を作ったり、一切笑わないようにしたりしています。相手を気まずくさせて「楽しい」という感情を与えないようにするわけです。そうすることで「自分がモヤモヤしているんだよ」ということを相手に分かってもらうように心がけています。

瀧波:最近分かったことなんですけど、人って“言われたことの内容”よりも、“言われたという事実”の方が、その人自身のメンタルに影響すると思うんです。

たとえば以前は、夫との話し合いがうまくいかないことがよくありました。最初は原因が分からなかったんですけど、日本では議論がまるでケンカや勝負事のようにとらえられがちなことや、女性から指摘を受けるシチュエーションが日本人男性には少なすぎることも関係しているのではないかと思うようになりました。

意見の違いでぶつかるのではなく、私の指摘や問題提起に対して夫が防衛的になり、衝突してしまう。私は言葉を使う職業ゆえの言葉の強さ、的確さを持っていて、指摘の出力が高めです。それが夫の防衛度を高めてしまう一因であったとも思います。

そういうこともあって、最近は何かを指摘するときは、30%ぐらいの出力で留めています。これは夫だけでなく、娘や友人でも同じです。それでも相手が防衛的になってしまった時は「あなたを否定したいわけじゃない」「別の問題はいまは持ち込まず、まず私がした問題提起について一緒に考えてほしい」と伝えるようにしています。

あと、モヤモヤを指摘できるかどうかには、力の差も関係していると思います。たとえば、中学生が大人に対して「それ、違います!」と言ってもまったく相手にされないか、もしくは異議の内容はさておきその態度だけ「ふむふむ、なかなか見どころのある若者だな」みたいに受け取られるんじゃないかと思うんです(笑)。

クラーク:相手が中学生なので、言われる側には心の余裕があることが関係しているのかもしれないですね。

瀧波:おっしゃる通りで、そういう心の余裕も力の差が関係して生まれていると思うんです。力を持つ側は、持たない側の言葉を切り捨てるか「認めてやる」かを選ぶことさえできる。「同じ人間なんだから対等に話し合いましょう」なんて言えるのは立場が強い側だけです。本当は、強い立場の人ほど、自分の立場性をわきまえる必要があります。これは、色々経験して立場が変わってきた私が、最近意識していることでもあります。あ、ただ自分より立場が強い中高年男性には120%のパワーでいく場合もありますが(笑)。

モヤモヤしていることを、自分のせいにしないでほしい

最後に、いま社会に対してモヤモヤしていたり、モヤモヤに向き合おうとしていたりする読者に向けてメッセージをお願いします。

クラーク:モヤモヤに悩む前に、全部自分のせいにしないでほしいと思います。そのモヤモヤを一歩引いたところで考えると、意外に自分のせいだけじゃなくて、この社会の構図とか、他のいろいろな要素が絡み合ってることを発見できれば心が楽になると思うんです。そうすることで、モヤモヤに対処できる方法も見つかるようになると思います。

瀧波:私はモヤモヤを、自分で整理がつかない痛みや、そもそもどういう痛みなのかが分からないことだと思っています。なので、まずは自分が感じている痛みについて考えること、あとは本を読んで人の考えを知ること、この両方が必要ではないでしょうか。

本を読むことで、本で使われている言葉を自分で扱えるようになるので、いままではできてなかった言語化ができるようになるんです。「学ぶことは大事!」ってあまりみんな言ってくれないですけど、学ぶことは本当に大事なんですよね。

クラーク:自分のモヤモヤを整理して、言葉にできるようになれば、いままで見えていなかった他の人が抱える悩みや、困難な立場の人の存在も見えるようになりますよね。結果的に、自分だけじゃなくて、他者にもよりやさしく寄り添えるようになる気がします。

瀧波:自分が言葉にできるようになると、その言葉を聞いて「そうなんだ」と他の人が気づくこともありますよね。ひいては、自分の言葉が誰かを救うことにも繋がるんです。

あとは、何かに傷つくときやモヤモヤするとき、そこには“力の差”があることを知って欲しいです。

友達に言われて傷つかないことでも、親に言われたら傷ついたとか。それって、親と自分では力の差があるからこそ起こっていることなんです。力の差を意識してみると、友達同士でも、知らず知らずのうちに“言っていい側”と“言われる側”のように力の差ができてたことや、彼氏とのいざこざで常に自分が受け入れる側になっていることにも気づけるかもしれないです。

なので、モヤモヤしたら「いま、このモヤモヤを作っているのは力の差という構造なんじゃないか?」ということはぜひ考えてみて欲しいですね。

今日、おふたりの話を伺って、知らず知らずのうちに当たり前になっている社会の構造、風潮に対しても疑問の目を持たなければいけないと思いました。また、自分がモヤモヤすることに対して、なぜモヤモヤしているのかを考えることや、モヤモヤの原因を知るために少しずつでも勉強することの大切さを、改めて理解できたような気がします。貴重な機会をいただきありがとうございました!

クラーク志織(くらーく・しおり)
1983年生まれ。イラストレーター。武蔵野美術大学を卒業。2012年にロンドンに移住。雑誌、WEBメディア、広告などで活動するとともに、最近はフェミニズムや気候危機などについて考える記事も執筆。ELLE デジタルで『ハロー!フェミニスト』、FRaU webで『イギリスのSDGs事情ってどうなのさ?』を連載中。

瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)
1980年生まれ。漫画に『臨死!! 江古田ちゃん』『モトカレマニア』(ともに講談社)、コミックエッセイに『はるまき日記』(文春文庫)、『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』『ありがとうって言えたなら』(ともに文藝春秋)など。現在は「&Sofa」(講談社)にて『私たちは無痛恋愛がしたい』を連載中。

 

取材・文:吉岡葵
編集:大沼芙実子
写真:服部芽生

 

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