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わたしの歴史と、インターネット|記者・藤島新也と、災害報道のいま

いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら「インターネット」との関わりについて紐解く。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?

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NHKの報道記者である藤島新也さん。彼は全国各地の災害リスクのデータを集めて掲載した『全国ハザードマップ』や、災害時に必要な情報を簡潔にデザイン化した『#NHK防災これだけは』の立ち上げに関わる。より多くの命を助けるために、彼はテレビだけでなくWebサイトやSNSを駆使して情報を発信する。災害報道におけるインターネットは、どのような役割を果たすのだろうか。

教師になる前に社会を知りたかった

この連載で皆さんにまずお聞きしている質問なのですが、インターネットに初めて触れたのはいつでしたか?

僕は周りよりもインターネットに触れ始めるのが本当に遅くて…大学生になって初めて携帯電話を持ちました。

それまでは、進学校だったこともあり、部活動や勉強に集中していて必要性も感じませんでした。彼女との連絡も、当時では珍しく、メールなどはせずに家の電話にかけていましたね(笑)。

珍しい!大学に入ってからは、どのように活用していましたか?

SNSはmixiを使っていました。学生時代は塾講師のアルバイトに打ち込んでいたので、教育に関するグループに入って情報交換をしていましたね。あとは、趣味のグループに入っていました。

その後、NHKに入社されていますが、報道の仕事を志したのはなぜですか?

大学では教員の免許を取っていて、教師になるという選択肢もありました。でも、教師になるとしても、一度社会に出る必要があると思ったんです。

塾でアルバイトをしていましたが、授業をしたときに自分が経験したことと経験していないことを話すときとで、生徒の目の輝きが違ったんです。当時私は社会を担当していましたが、生徒にとってその授業は週1回くらいしかありませんでした。そこで、授業で覚えてもらうことよりも、モチベーションをいかにあげるかがポイントだと考え、伝え方はかなり工夫していました。

そういった実感があって、職業として教師になる場合にも、まずはより社会のことを知り、経験を積む必要があると思ったんです。そこで、より多くのことを知ることが出来る報道の仕事を志しました。

東日本大震災が、報道の原点に

入社後はどのような仕事をしていたのですか?

新人記者はまず地方局を担当することが多く、僕は岩手県の配属になりました。裁判所や警察を担当し、足を使って色んな場所に通い詰め、いつ呼び出されるか分からない、という生活を2年くらいしていました。しんどいことも多かったですが、なかなかできない経験ができて、楽しかったですね。

その頃は、インターネットを使った取材はしていましたか?

今ほどオンライン取材が普及していなかったので基本的には電話か、会いに行くかでしたね。今はオンライン取材もできるようになり、取材効率が上がり便利になりましたが、対面だからこそ分かることもあるので、できるだけ会いに行くようにしています。取材に行ったときの雑談や、貼られていたポスターから新しい情報が得られることもありますし。

東日本大震災が報道の原点だと、Xのプロフィールで拝見しました。

そうですね。東日本大震災をきっかけに、何のために取材をするのか?ということをより強く考えるようになりました。

当時は、これまで見たこともない状況を目の当たりにして、被災された方々に何と声をかけて良いのかもわかりませんでした。震災が起きるまでは、様々な現場に行って経験を積む日々を、ただただ楽しいと思って過ごしていました。でも、震災をきっかけに、自分が何のためにこの仕事をしているのか、とても考えさせられました。

その時は入社してどれくらいだったんですか?

入社2年目ですね。地震が起きたのは、その日の仕事を終えて、ちょうど盛岡市内の自宅に帰宅したところでした。すぐに仕事に戻り、担当していた岩手県警の記者クラブに数日間泊まり込んで取材しました。

当時は、携帯電話をパソコンにつないで、原稿を送っていたのですが、インターネットの接続が繋がらなくなって。唯一使えた固定電話を通して、ひたすら入ってきた情報を会社に連絡していました。

それから「避難所に行って取材してきて」という指示があり、被災地に向かったんです。でも、先ほど話したように、被災した方々にうまく声をかけられず、役に立つような発信もなかなかできませんでした。自分の力の無さを痛感しました。それでも嫌な顔​をせず​お話を聞かせてくれた方や、お世話になった方のことが心に残っています。今でも、あのとき出会った方々を思い出しますし、その方々に恥ずかしくないような、役に立つ仕事ができているだろうかと思いながら仕事をしています。

情報をどのように伝えるのか

その後、大阪に配属されるまでは、どのようなお仕事をされていましたか?

岩手の局を担当したあとは、東京の社会部で災害担当として、気象庁や国土交通省に取材をしていました。その後、ネットワーク報道部という部署に異動しました。

それまでは、情報を集めることに力を注いでいましたが、その部署で、自社のニュースサイトに掲載する記事を作ったり、LINEで配信するラインナップを決めたり、公式SNSを運用したりしていました。

その後に大阪へ移るのですが、1年半の間ネットワーク報道部に身を置くなかで、情報をどのような人に、どう届けるか?ということを学んだ経験が今も活きていると思います。また、自身のXで発信を始めたのもこのころからですね。

個人でもXを始めたきっかけは何かありますか?

テレビの報道は、決められた時間のなかで的確に情報を伝える必要があるので、長年の経験から培われてきた「型」のようなものがあるんです。それは、いざという時にもしっかり情報を発信するために、とても大切なものです。

一方で、現場で取材している立場からすると、こういう話ももっと伝えたい、という気持ちも結構あって。それを何かしらのかたちで発信する方法がないか考えたときに、Xも選択肢のひとつじゃないかと思い始めました。

あとは、僕の周りでもそうなのですが、テレビを見ない人や、見る時間がない人も増えているなかで、そうした人たちにもしっかり防災の情報を届けたいなという思いもありました。

全国ハザードマップ』の記事を拝見しました。かなり膨大なデータを処理されたそうですが…大変ではなかったですか?


大変でした(笑)。社内で一緒にやっているメンバーがいたので、励ましあってやっていました。動き出してから、完成するのに1年半くらいかかりましたね。全国各地からのデータ収集、膨大なチェック作業を進めてくれた仲間には、感謝しかありません。

記事では、全国の自治体に散らばっていた34テラバイトもの河川氾濫情報のデータを1つにまとめたと読んで驚きました。

この記事は、相当マニアックなことも書いているのですが、インターネットだからできたことかなと。届けたい人に合わせて、情報の濃度を自由に決められることはインターネットの良いところですよね。

ハザードマップは、それぞれの自治体が作って公表することになっていますが、データを網羅的に収集して、簡単に見られるようにしたものはなかったんです。データの収集過程では、自治体に「PDFしかない」と言われて苦労したこともありましたが、多くの方の協力のおかげで、なんとか形にすることができました。これは公共メディアのNHKだからこそできたのではないかと思っています。

SNSだからこそ、届けられる情報がある

ほかの取り組みとして、『#NHK防災これだけは』というハッシュタグで見られる、簡潔に防災情報がまとまった『防災これだけは』を企画されていますよね。

僕はいま災害報道の現場に身を置いて10年くらい経ちますが、最大の悩みは、自分たちの発信する情報を見た人が、避難などの行動を起こしてくれているのか、ということなんです。それはすごく難しいことで、簡単にできることではないんですけど…ずっとどうすれば良いか試行錯誤しています。

そんななか、自分がSNSをやってみて、「これを読んで」「これを見て」という端的にパッとわかる情報が欲しいと感じました。

そうした情報は、災害が差し迫っている場合や、普段そこまで関心がない人に届ける場合にも役立つと思い『#NHK防災これだけは』の制作を始めました。

ふだん取材をして原稿を書くときには、いろんな情報を盛り込みたくなるのですが、『#NHK防災これだけは』の場合には、逆に情報を削ぎ落すことを意識しています。言葉ひとつとってみても、どういうワーディングをしたらいいのか、どんなイラストにしたらいいのかと議論しながら作っています。これまでの取材などに基づいた内容なので、情報の純度は高くなっていると思いますね。

その選択の基準はどのように持たれていますか。

やってほしいことはいっぱいあるんですけど、命に関わることから、優先順位をつけていますね。それも過去に取材をしてきたデータを参考にしています。

あとは、日頃の備えのための情報というよりも、この画像を目にした瞬間にすぐにやって欲しい!ということに絞って、情報を削ぎ落としています。そういう切り口にしたのは、ひとつの挑戦でしたね。

この『#NHK防災これだけは』は日々アップデートされているのですか?

そうですね。東京のネットワーク報道部にいた頃から始めましたが、大阪の報道部に配属された今も、制作チームで定期的に会話をして見直しています。


最近では、地域版を作っています。災害って、究極はローカル情報なんです。たとえば「高台に逃げてください!」と言っても、高台のない地域もあります。正解は人によって違います。

災害時、メディアをどう使い分ける?

様々な手法で情報を発信されている藤島さんですが、メディアによって使い分けられることはありますか?

テレビはより多くの人たちに向けて「皆さーん」と呼びかけるような発信をしています。また、映像で被害の様子が一目瞭然にわかったり、実際に体験した人の話を聞けたりすることが強みだと思っています。俯瞰で全体像を捉えるのに、本領を発揮するメディアだと思います。

一方で、テレビでは「私は今どこに逃げたらいいの?」という細かな情報までは伝えられない。その部分はインターネットの果たす役割が大きいと思います。全体像はテレビで、より詳しい部分はウェブサイトやSNSと、受け取る側も、使い分けていただけたらと思います。

藤島さん自身、SNS等で情報収集をすることはありますか?

僕も災害時には、どこで何が起きているか、SNSでチェックしています。能登半島地震のときは、孤立集落が多いことが問題になり、実際にNHKでもそれを伝えてほしいという連絡をいただきました。普段は行政に電話してその情報を聞き取る当局取材という手法を取るのですが、自治体自身が被災していて報告すらも集まらないという状況でした。そのため、SNSの孤立情報も拾い集め記事にするという取り組みを実施しました。

災害時、SNSなどではデマの投稿も問題になっています。そういった情報はどのように見分けるのが良いと思いますか?

見極めはとても大事ですよね。気をつけることとしては、見てすぐにシェアしないこと。僕が個人でSNSを使うときは、自分が100%正しいと思えること以外はシェアしないようにしています。

その次に、誰が投稿しているのかプロフィールを見に行くようにしています。能登半島地震のときには「助けて欲しい」と救助を求めるようなポストもありましたが、プロフィールを見ると、明らかに海外の方だったケースもありました。もちろん、旅行などで日本に来ている可能性もあります。ただ、そのアカウントの過去の投稿を確認すると、信頼できるポストか否かはわかると思います。

また「同じような投稿が他にもされていないか」も見極めるポイントです。大きな事件や事故、災害の場合は目撃者がたくさんいることが多いです。同じ現場を、別の角度から撮影した写真などが複数確認できれば、信憑性が上がりますよね。

悪意はなく、災害で困ってる人のために良かれと思ってシェアした内容が、結果的にデマだったり、誰かを傷つけたりする可能性がある。そのことは多くの方に意識していただきたいなと思います。

有事と平時で情報の取り方は変わると思うのですが、意識した方が良いことはありますか?

防災情報に関しては、平時からしっかり見ておいてほしいな、と思いますね。残酷に聞こえるかもしれませんが、災害は起きた時に結果が決まっているケースもあるんです。たった数秒で生死がわかれ、逃げる暇もないこともある。普段から、自分の住むエリアや通勤通学しているエリアのリスクを知ることが防災のスタートです。

今はインターネットを使うと、あらゆる情報が手に入ります。先ほど紹介した「全国ハザードマップ」もそうですし、自治体の出す避難情報、気象情報、過去の災害の履歴など、調べようと思えば実は情報はたくさんあるんです。いざという時に必要な情報をしっかりキャッチして使いこなせるように、今のうちから準備しておいて欲しいです。

僕はXを使っていますが、いざという時に備えて、信頼できる情報を発信してくれる人や機関の『リスト』を作っています。そうしておくことで、災害時にも慌てずに、必要な情報を確認することができるんです。

ここまで様々な防災への取り組みを聞いてきました。藤島さんが報道記者としてキャリアを歩んできたうえで感じることと、これからやっていきたいことはありますか?

インターネットの広がりで、誰もが簡単に、様々な情報にアクセスできるようになりましたよね。一方で、根拠のない情報やデマも出回るようになりました。いざという時にも信頼できて、わかりやすい防災情報や災害情報を発信していくのが、僕たちの大切な仕事だと感じています。

また、今は、NHKが持っている社会的な価値の高いデータや映像をどのように活かしていくかにも興味があります。以前、NHKでは「ハッカソン」というイベントを開催したことがありますが、多くの方がNHKのデータやコンテンツを活用できるようになれば、地域の困りごとや課題を解決するお手伝いできるのではないかと感じました。今後はそんなトライができたらと思っています。

そんな思いもあって、今は、NHKの持つアーカイブス映像を公開する取り組みを進めています。来年、2025年は、阪神・淡路大震災の発生からちょうど30年の節目です。現在「あのとき、ここで、何が」というサイトを立ち上げて、当時NHKが撮影していた映像を地図上にプロットして公開しています。

数年前からABC朝日放送も「激震の記録1995」というサイトでアーカイブス映像を公開していますが、当時を記録していたメディアとして取り組まなければならないことだと思っています。

30年が経過し、震災を経験した人はどんどん減っています。次の世代に記憶や教訓をつないでいくためにも、インターネット上に誰でも簡単にアクセスできる形で映像を公開することは意味があると思っています。映像を見て、今の自分や街とのつながりを感じてもらったり、防災について考えるきっかけが生まれれば嬉しいです。東日本大震災で目にしたような、災害で辛い思いをする人、悲しむ人を、1人でも減らせるように、今後も仕事をしていきたいと思っています。

ありがとうございます。藤島さんは、最初に目指されていた「経験を語ることでよりリアリティを以て伝える」ということを、職業は違えども、メディアを通じてより多くの人に伝えているんだな、と感じました。

<今回のインターネット・ポイント>

インターネットの普及は、災害時や防災面において、情報を早く、広く伝達することを可能にしました。これまでテレビ・ラジオが災害時の主要な情報源でしたが、2018年の調査ではインターネットと答える人も過半数にのぼっています。

一方で、災害時の停電や土砂崩れによる電波遮断は、喫緊の課題となっています。能登半島地震時は、民間事業者や自治体、政府が連携し、衛星通信サービス等も活用され、通信・放送の早期復旧に向けた取組が実施されました。またSNSの普及により、被災地の一次情報が伝えられやすくなりましたが、同時にデマの拡散なども問題となっています。

利用者ひとりひとりが、命を守るために気をつけて、紙やテレビ・ラジオ、インターネットを使い分け、情報を取捨選択することが求められています。

 

藤島 新也 (ふじしま・しんや)
NHK大阪放送局の記者。1986年静岡県生まれ。2009年にNHKに入局し、盛岡放送局、報道局社会部、ネットワーク報道部を経て、2022年から現所属。災害担当記者として緊急報道を担当。NHKスペシャル『南海トラフ巨大地震』などの番組制作のほか、『NHK全国ハザードマップ』『#NHK防災これだけは』の立ち上げ・制作も担当する。
X@shinyahoya

 

取材・文:conomi matsuura
編集:吉岡葵
写真:chisato ten

 

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