奈良県の北東部にある人口わずか2万7千人の宇陀市が民間企業と連携し、全国で初めて自治体として海外に留学先を作るという。その国とは世界最先端のデジタル先進国と言われるエストニアだ。
宇陀市の歴史は古く『日本書紀』や『万葉集』の舞台にもなっており、江戸時代には伊勢街道の宿場町としても栄えていた。しかし現在は過疎地域に指定され、高齢化が進んでいる。そんななか2024年1月、宇陀市がエストニアでロボット工学の専門家を養成する留学プログラムを開校するために、現地の学校や企業と合意書の締結を行ったと報じられた。
小さな自治体が、なぜ最先端の国へ留学支援を行うことになったのだろうか?企画する奈良県宇陀市 市長公室の方に話を伺うことにした。そこには、持続可能なまちづくりへの展望が隠されていた。
きっかけは、民間と自治体の連携
2024年1月にロボット工学の教育施設開校に向けて基本合意書を締結したというニュースがありました。改めて今回の取り組みの概要を教えていただけますか?
今回、以下の四者で基本合意書を締結しました。
- 奈良県宇陀市
- エストニアのロボット開発企業「Clevon(クレボン)」
- エストニアの大学「エストニアアントレプレナーシップ応用科学大学」
- エストニアの人材育成企業「Next innovation OÜ(ネクストイノベーション)」
目的は、ロボット工学分野のスペシャリストを育成するための留学プログラムの開校と、エストニアの企業・クレボンの日本支社を宇陀市内に新設すること。今はそれぞれ協力して、カリキュラムづくりなど留学のための基盤や体制づくりを行なっているところです。
宇陀市はこれまでエストニアとの関わりがなかったそうですが、どうして留学先の新設に至ったのでしょうか?
疑問に思いますよね。まず、もう少し前段の話からさせてください。
2022年から宇陀市は「公民連携まちづくりプラットフォーム」というものを立ち上げました。企業等と協力することで、地域資源を活用した経済活動やサービスを創出し、より良い課題解決に繋げることが目的です。宇陀市にゆかりがある企業からそうでない企業まで、積極的に意見交換をしています。現在は大小様々な約60社が参加しています。
そのプラットフォームで設定しているテーマは大きく4つ。
1.オーガニックビレッジの取組を起点とした農と食の活性化
2.ウエルネスシティの推進(観光)
3.新たな学びの機会の創出
4.地場産業の活性化地域ブランディング
1つめのオーガニックビレッジでは、有機農業が盛んな宇陀市が農業法人等と協力して有機農業促進のイベントをしたり、企業の知見を活かした循環型農業の体制づくりをしたりしています。また2つめのウェルネスシティでは、古くから薬草の街として栄えていた宇陀市の特徴を活かしたリトリート観光の活性化や、e-bikeを利用した自然体験ツアーなどの取り組みを行なっています。そして3つめの新たな学びの機会の創出として始まったのが、エストニアへの留学支援です。4つめは、この3つを整えることで実現していくと考えています。
「新たな学びの機会の創出」をテーマに入れようと思ったのはなぜですか?
正解がないこれからの社会に対応する力をつけることが大切だと考えているからです。
高度経済成長期は、物を作ったら売れるという時代でした。しかし、多様な生き方を選択していく社会へと環境が変わっています。最近では、リカレント教育やリスキリングなど、社会人になってから学び直しをする機会の必要性が重視されていますよね。子どもの時からも、柔軟でグローバルな思考を育ていくことが大切です。
答えのない問いに向き合う力を養ってほしい。そういった想いがあり「新たな学びの機会の創出」をテーマにしました。
そんななか前述の「公民連携まちづくりプラットフォーム」に参加していた企業が、今回エストニアの留学に関する合意書を締結した人材育成企業「ネクストイノベーション」を繋いでくれました。
そしてエストニアへ視察に行った際に、エストニアで行われているアントレプレナーシップ教育の現場を見せていただきました。
アントレプレナーシップ教育とは様々な困難や変化に対し、自ら枠を超えて行動を起こし、新たな価値を生み出していく精神を養う教育のこと。アントレプレナーシップは起業家精神と訳されることが多いですが、起業家を目指す人だけでなく、どんな職業においても必要な精神だと思います。
キーワードは、アントレプレナーシップ教育
具体的にエストニアでの視察はどんな発見がありましたか?
エストニアは、まだ独立して30年ほどの国。その約30年間でデジタル最先端の国だと言われるまでになった理由は、独立当時に教育に力を入れたからだということを知りました。教育において、日本ではあらかじめ用意した答えに導いていくことが多いですが、エストニアでは、自分たちで答えを考えるように誘導していくそうです。
いま活躍しているエストニアの人たちは、ゼロからイチを作り出すことに長けている、アントレプレナーシップが養われている人たち。話を聞いていると、良い意味で丁寧すぎない、挑戦の多い事業づくりをされている印象でした。
2023年の視察では、幼小中高、専門学校など、あらゆる教育機関を見に行きましたが、そのなかで一番印象に残ったのが、今回の締結に参加しているクレボンという企業が運営する「クレボンアカデミー」でした。クレボンは、ヨーロッパで初めて公道で無人車両の走行ライセンスを取得した企業。会社のなかに教育機関があることで、学生たちは間近で最先端の技術から学ぶことができていました。
こんな場所で宇陀市の学生にも学んでほしい。そこから、企業の皆様の協力もあって、まずは宇陀市の学生を対象に短期留学支援を実施しました。
さっそく短期留学に踏み切られたのはすごいですね!でも、いきなり留学してアントレプレナーシップを身に付けることは、なんだか難しそうに思えます…。
そうなんです。参加してくれた生徒達もみんな最初はとってもシャイで。留学前に何度か宇陀市で事前学習を開きました。そこで、自己紹介をする際にお互いがお互いに質問をするという時間を設けたのですが、別の学校から集まってきた生徒達は人見知りをして全く手が挙がりませんでした。でも見ている周りの大人達も声をかけずに我慢して、生徒達から自発的に声が上がることをずっと待っていました。
こうして少しずつ慣れていってもらいながら、実際にエストニアに行って様々なプログラムをするなかで、だんだん学生たちにもアントレプレナーシップが芽生えていきました。帰ってきてから実施した報告会では、司会なども自発的に学生から進めていましたね。
全国初。自治体による留学制度創出の理由
短期留学の支援を経て、次は学位の取れる長期(3年)の留学プログラムを進めているそうですが、対象を大学にしたのはなぜですか?
もともと、宇陀市には大学がないんです。だから宇陀市の学生たちは外に出ていくしかない。でも宇陀市に大学を作ったり誘致したりするとなると、莫大な費用がかかります。今回の留学制度は、留学中の3年間は学位が取れるようにする予定。留学制度を通して、宇陀市から大学にいくための道筋を提供できるのではと考えています。
ただ、宇陀市の学生人口が限られていることもあり、留学制度は宇陀市の学生だけではなく全国から募る予定です。もちろん宇陀市の学生が応募しやすくなる仕組みは作りたいですが、より広く募集することで、宇陀市の関係人口が増えていけばいいなと考えています。
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自治体が留学先を作ることは全国初のようですね。障壁はなかったのですか?
エストニアはIT先進国ということもあり、日本から視察に行く企業や行政も多いそうです。一方で視察の際に現地の方から聞いた言葉は「日本は見に来るけど、見て帰るだけ」ということ。これまで視察に来られても、その後の発展に繋がることは多くなかったようです。
でもエストニアの人たちは、何か困ったことがあれば解決しようと親身になってくれます。私たちが今回の取り組みについて話す際は、宇陀市の課題をまず伝えて、その上で協力してほしいことや、解決していきたいことを話し合いました。共に課題解決に向けて進むことで、建設的な取り組みになっていると思います。
また、前述した人材育成の企業「ネクストイノベーション」の協力のもと進められたことも大きかったですね。
具体的には長期留学制度はどのようなものになるのでしょうか。
留学先は、クレボンの企業が実施する「クレボンアカデミー」です。このクレボンアカデミーのいいところは、企業の技術を間近で見られること。普通の大学なら設備投資にもかなりコストがかかるため、最先端の技術を体験することにも制限があると思いますが、ここでは企業が事業を行なっていく上で投資した技術を間近に体感できます。
現在はエストニアの学生が20名ほど通っていますが、新たに日本からの留学枠を創設し20名程度を受け入れていただく予定です。今は秋〜冬頃を目指してカリキュラムを作っています。実はこの留学制度は他の国もまだ実施したことがなく、宇陀市が初めて。現在のカリキュラムはすべてエストニア語です。今回、英語のカリキュラムを作ることで、今後他の国からも受け入れが進むかもしれません。
留学支援のための予算を確保していく上では、きちんと議会でも納得して貰えるような仕組みづくりを行なっていかなくてはなりません。現在、各所と連携して検討を進めています。
留学から、関係人口を広げる
留学制度を作る一方で、クレボンを宇陀市へ誘致する計画も同時に進んでいますよね。
宇陀市は、このまま人口減少が続くと生産人口も減ってしまいます。今いる人たちが宇陀に残ってくれることが大事。学生が帰ってきたときに、宇陀市で雇用に繋げられる体制を作っていきたいと思っています。
また高齢化によって交通弱者が増えることなど、課題をたくさん抱えています。クレボンと協力することで、その課題を解決し、住み続けたい場所を作ることも必要だと感じています。
正直、宇陀市は自然が豊かな場所ということであまりITのイメージがないのですが、そこに最先端のIT企業が来ると考えると、ワクワクしますね!
宇陀市の森林面積は76%と、緑に囲まれた街です。でも実は、エストニアの森林面積も約50%で、緑が多い国なんです。最先端の技術革新を行いながら、自然も大事にされています。視察で訪れた際も、森が多く広がっている印象を受けました。そういった意味では、宇陀市と似ているな、というイメージもありました。
今は場所を限定せずにインターネットさえつながればどこでも仕事ができる時代。エストニアへ留学派遣するだけではなく、宇陀市にいながら、エストニアとインターネットで繋がって会話をしたり情報交換をしたりできる機会を創出していきたいと考えています。
エストニアだけでなく、全国や全世界で働く人たちが、気軽に宇陀市で仕事ができるような場所を作れたらいいですよね。エストニアでも、パソコンひとつ持って、様々な国を転々としながら働いているノマドワーカーの人たちに出会いました。そんな人たちも、今度は宇陀市に来て仕事をしてほしいと思います(笑)。
持続可能な街づくりのために
変わりゆく街の姿を認め、より良い未来に繋げるための答えを模索している宇陀市。地元の人たちに養ってほしいというアントレプレナーシップを、まさに自治体が見本となって導いているように感じられた。この取り組みを通じて、世界へ向けて学びの新たな可能性を切り拓いていくのだろう。
また宇陀市では、2024年夏至の日にエストニアの音楽家を呼んでコンサートを実施予定。IT分野だけでなく、芸術文化としての交流も活発化していくようだ。持続可能性のある街づくりは、持続可能な関係性づくりから始まっていく。
▼イベント詳細
森と音楽「エストニアと宇陀の夏至祭」
日程:6/21(金)、6/22(土)
Webサイト:https://moritoongaku.studio.site
Instagram:https://www.instagram.com/moritoongaku_uda/
クラウドファンディングページ:https://camp-fire.jp/projects/view/757611?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show
取材、文:conomi matsuura
編集:日比楽那
写真提供:宇陀市