「LGBTQ+」という表現は、いまでは社会に広く浸透した言葉だろう。幅広いセクシュアリティを総称する言葉で、それぞれ特徴の異なるセクシュアリティの頭文字を取った表現である。この記事では、このうちの「B」に当たるバイセクシュアルについて、ほかのセクシュアリティとの違い、その特性により抱かれやすい周囲からの印象やカルチャーでなされる表現等について紹介していく。
バイセクシュアルとは?
バイセクシュアルという言葉を聞いたことがある人は、多いのではないだろうか。日本では「両性愛者」と表記されることもある。
バイセクシュアルの定義
バイセクシュアル(Bisexual)とは、男女両方に魅力を感じ、性愛感情を抱くセクシュアリティの人を指す。LGBTQ+の「B」に該当し、性的対象が限定されないことが特徴である。また、本人の社会上の性別は問わない。
2023年に日本に居住する18~69歳の人たちから無作為に選ばれた18,000人を対象に実施された調査(※1)では、「バイセクシュアル・両性愛者」を自認している人の割合は1.8%という結果だった。また、国内の調査としては電通が2023年に全国20~59歳の計57,500人を対象に実施したLGBTQ+調査2023」も存在する。この調査では、回答者のうちバイセクシュアル/パンセクシュアルを自認する者が3.20%だった。
さらに、イプソスが2023年に実施した「LGBT+ Pride 2023調査」(※3)(2023年2~3月に75歳以下の成人を対象に30か国で調査)によると、調査対象30か国の平均で、成人の4%がバイセクシャルに属していることがわかった。
もちろん「両性に惹かれる人がみなバイセクシュアルである」と定義づけられるわけではない。両性に性的に惹かれる人が自身のことを述べる際、別のセクシュアリティを選ぶこともある。一方の性に対して他の性よりも強く惹かれる人もおり、その指向も個々人によってグラデーションがあると言える。
※1 参考:「性的指向と性自認の人口学ー全国無作為抽出調査の実施」研究チーム「家族と性と多様性にかんする全国アンケートの結果概要」
https://www.ipss.go.jp/projects/j/SOGI2/ZenkokuSOGISummary20231027.pdf
※2 電通「電通グループ、「LGBTQ+調査2023」を実施」
https://www.group.dentsu.com/jp/news/release/001046.html
※3 Ipsos「Pride month 2023: 成人の9%がLGBT+に属する」
https://www.ipsos.com/ja-jp/pride-month-2023-9-of-adults-identify-as-lgbt
ポリセクシュアルやパンセクシュアルとの違い
「性的指向が1つの性別に限られない」という点では、バイセクシュアル以外にも多様なセクシュアリティがある。たとえば「ポリセクシュアル」や「パンセクシュアル」がそうである。
ポリセクシュアル(Polysexual)とは、複数のセクシュアリティに惹かれる人のことを言い、日本語で「多性愛者」と訳される。複数のセクシュアリティを好きにはなるが、すべてのセクシュアリティを好きになるわけではなく、好きになるセクシュアリティに条件がある点が特徴だ。
パンセクシュアル(Pansexual)とは、人を愛することに相手の性の在り方が関係ない人のことを言う。男性・女性はもちろん、セクシュアリティに関係なく相手を好きになるため、すべてのセクシュアリティを好きになるとも捉えられる。バイセクシュアルやポリセクシュアルが相手の性を意識するのに対し、パンセクシュアルは相手の性を意識しないのが特徴である。
バイロマンティックやバイキュリアスとの違い
また、バイセクシュアルと類似しているとされるセクシュアリティもある。
1つはバイロマンティック(Bilomantic)だ。男性・女性両性に恋愛感情を抱く点はバイセクシュアルと類似しているが、性的感情を抱くとは限らない点がバイセクシュアルと異なっている。
バイキュリアス(Bicurious)も類似しているセクシュアリティだと言える。男性・女性両性に関心があり、恋愛感情を抱きうる状態を言うが、自分自身をバイセクシュアルと認識しているわけではない。バイセクシュアルを自認する前段階だというとらえ方もある。
h3:バイセクシャルの法的保護と権利
日本ではバイセクシャルを含む性的マイノリティに対する法的保護は十分とは言えないだろう。教育、労働、医療、結婚などの分野で不都合があった際に法的な拠り所がなく、権利が制限されている状況である。
権利向上に向けた動きとして、例えば同性婚の実現が挙げられる。また、性的指向・性自認に基づく差別を禁止する法律を制定することも重要だ。日本は先進7か国(G7)で唯一、同性婚を認めず、差別禁止法もない。彼ら・彼女らの権利を法的に保障することは、彼ら・彼女らに対する偏見や差別を取り除くことにつながる。
性的マイノリティの権利保障は国際的な人権の流れに沿ったものであり、日本でも今後さらなる取り組みが必要である。
バイセクシュアルの歴史
LGBTQ+という言葉が生活の中で身近に聞かれるようになったのは、この十数年の間ではないかと思う。しかしもちろん、多様なセクシュアリティは昔から存在しているはずだ。バイセクシュアルの存在も、歴史を遡るとかなり古くから記録が確認されているようだ。
世界的な歴史背景
国や地域に限らず、世界の歴史の中では古代からバイセクシュアルの存在が記録されている。古代ギリシャでは、一般的に男性は思春期に同性愛的な指向を、青年期には両性愛的な指向を示し、その後結婚し子どもを作る段階で異性愛的な指向を示すとされていたという。古代のローマ帝国でも男性同士の同性愛は隆盛を極め、同性婚の事例もあるようだ。
これらの時代には、異性愛も同時に存在していたと考えると、バイセクシュアルはかなりの人数存在していたのではないだろうか。
しかし、キリスト教やイスラム教の教えでは同性愛を禁止する方向にあり、その影響も受けながら法律等のルールとしても、各国で同性愛が認められない流れが生まれてきたのが現代社会である。その点、バイセクシュアルを自認する人が公的に認められるパートナーシップを誰かと結ぶことを考える場合には、異性のパートナーとの関係性を選ばざるを得ない環境が続いていたと言える。
現在は徐々に各国で同性婚を認める例も出てきており、多様なセクシュアリティの人が選択できる幅が広がりつつあるとも言える(とは言え、2023年9月現在でまだ35の国と地域(※4)に限られており、牛歩と言わざるをえない状況である)。
※4 参考:公益社団法人Marriage For All Japan「同性婚世界の状況」
https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/world/
日本におけるバイセクシュアルの歴史
日本では、古い時代の記録からも、バイセクシュアルの人の例は確認されている。有名な戦国武将には、ゲイやバイセクシュアルがいたそうだ。また、僧侶や武士、町人の間で男性同士の性愛関係も多々見られ、「男性のほとんどがバイセクシュアルであった」と言う研究結果もあるという。
少し観点は逸れるが、現代社会でいう「同性愛」については、江戸時代の人形浄瑠璃作者である井原西鶴が「男色大艦」という作品を著しており、様々な年代・身分間での男性同士の性愛が幅広く描かれている。江戸時代はそれほどまでに同性愛に対して寛容であり、むしろ武士道の中では、男色(男性同士の性愛)が“男らしいもの”として捉えられていたというから、現代社会との違いを感じざるを得ない。
偏見を持たれるようになったのはむしろその後。明治時代以降に西洋の文化がもたらされ、キリスト教や西洋医学の影響を受けるようになったところから、差別の対象とされる流れが生まれてきてしまったようだ(逆を言えば、欧米圏のように、宗教的に同性愛を禁止する要素などが日本には一切なかった)。江戸時代の方がよっぽど、多様なセクシュアリティを"当たり前のもの”として捉えられていたのかもしれない。
バイセクシュアルへの差別・偏見
両性に性愛感情を抱くバイセクシュアルは、その特徴ゆえの差別や偏見・誤解の対象となる場合もあるという。
他のセクシュアリティに当てはめようとされる傾向
その人のある時点のパートナーの性別によって、他人から性的嗜好が判断されてしまい、本人の自認と異なるセクシュアリティで周囲から捉えられてしまうことがある(例:自認するセクシュアリティがバイセクシュアルの男性で、その時点でのパートナーが男性である人に対し、パートナーの性別だけを見た他人が「あの人はゲイだ」と捉え、イメージが固定化してしまうなど)。
そのようなケースだと、仮にその後パートナーが女性に変わった場合に、その他人からは「ゲイなのになぜ?」と怪訝に見られるようなことがあるそうだ。ある時点のその人の行動やパートナーシップだけ取り上げて、「あの人はバイセクシュアルだ」と決めつけるようなことは、他人がすべきことではないと感じる。
また、同性愛者などから「バイセクシュアルは恋愛対象がまだ定まっていない人」と見なされたことがあるという人もいる。パートナーが同性から異性に変わった際に、「同性愛者ではない」という点からコミュニティ内でなんとなく居心地の悪さを感じることもあったようだ。「同性愛か異性愛か、どちらかを選ばなければならない」「バイセクシュアルを自認する人は、一時的に対象が定まっていないだけで、今後定まっていくはずだ」といった考えをする人も少なくないようだ。
もちろん、これらの例は、特定のセクシュアリティによる一義的な考え方があるということではなく、あくまで「個人」の例である。「セクシュアリティが⚪︎⚪︎の人は、バイセクシュアルに対して差別的な傾向があるらしい」など大きな主語で括り、誤解を持つことだけは避けたい。
性に奔放であるというイメージ
違った視点では、バイセクシュアルに限らず、ポリセクシュアルやパンセクシュアルの人にも共通して言えることだと思うが、1つの性ではなく複数の性に性愛感情を抱くという背景から「性に奔放な人」「誰でもよいから関係を楽しみたい人」といった捉え方をされる場合もある。複数の相手と関係を持つことの良し悪しも個人の価値観によると思うが、いまの社会ではネガティブに捉えられることが多いように思う。
カミングアウトへのハードル
その他にも、友人関係にあった相手がバイセクシュアルであることを聞いた際、「これまで友人だと思っていたが、自分も恋愛対象として見られていたのかもしれない」と感じ、それまでの関係が変化してしまう経験をした人もいるようだ。
これらの事例を踏まえると、周囲にカミングアウトをする際には「どのコミュニティで、誰に、どのように伝えるか」ということに、非常に繊細にならざるを得ないのではないかと想像してしまう。カミングアウトへのハードルの高さは、バイセクシュアルに限ったことではないが、自分の基準で相手を括ろうとすることをやめる、無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)に気づこうとする、といったところからそのハードルが下がっていくと良いと感じる。
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バイセクシュアルとアイデンティティ
自身のアイデンティティやセクシュアリティをどう捉えるかは、当たり前のことだが人によって様々だ。バイセクシュアルの人に限って考えると、まず自身をバイセクシュアルだと認識する前と後では、自分自身を捉えるアイデンティティは異なるものになると考えられる。さらに、バイセクシュアルであると自認した後も、自身が抱く性愛や恋愛感情の多面性を知っていくことで、また違うセクシュアリティを自認していく可能性もあるだろう。
自己認識と受け入れの経験談
ここでは、当事者数名のバイセクシュアルを自認した瞬間や、その後のアイデンティティの移り変わりといった経験談を紹介していきたい。セクシュアリティの自認や受け入れ方、その後の行動など、当たり前だが人それぞれ異なるのだということを、改めて理解できるのではないだろうか。
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自分がバイセクシュアルだと気付くことは、それを受け入れて、行動に反映するよりもずっと簡単でした。14歳の時に男の子を好きになって以来、ずっと気付いてはいたけれど、それをしっかりと受け入れて公の場で男性とデートできるようになったのは24歳になってからです。内密な付き合いはそれ以前にもありましたが、ゲイとストレートの「間のどこか」という曖昧な立ち位置に酷く困惑した時期もありました。どちらにもなれないことに苛立ったし、自分を受け入れるのに丸々10年も掛かりました。今は自分に満足しているし、自分のセクシュアリティは常にゲイとストレートの中間にあるものでもないと思っています。自分のセクシュアリティを気に入っているし、流動的なところも好きです。
(リアリティ番組スター) -
11歳の時点で自分はストレートではないんだって分かっていました。男性セレブや同じ年代の男の子に惹かれていたんです。でも私は「バイセクシュアル」って言葉を知らなかったんです。誰かがわざわざ教えてくれるようなこともありませんでした。17歳の時に他の人がバイセクシュアルをカミングアウトして、そこで知りました。でもそういう人たちは即座に否定されていったので、私も「自分がゲイな事を否定しているだけなんだ」って思っていたんです。「ゲイ」って言葉は、いろんなジェンダーの人に惹かれる私を説明するには不十分だったけれど、他の選択肢がなかったんです。
自分のセクシュアリティを拒む術も見つけました。「男性とセックスなんてできない」「男性と付き合ってる姿を想像なんてできない」と言い聞かせて。でもこれは、ストレートの親友を好きになるまでのことです。それ以来自分のセクシュアリティを拒むのが凄く難しくなってかなりしんどくなってしまったんです。自分を否定する術なんて無いんだと気付きました。それで25歳の時、バイセクシュアルだとカミングアウトしたんです。
(プロデューサー・ライター) -
テレビ番組に出ていた俳優が、バイセクシュアルだと気付くきっかけだったと思います。13歳の時、大好きなコメディ番組があって、そこに出演していた彼を見る度、彼のことをすごく好きだって思って、同時にその「好き」は私が当時大好きだった女優に抱いている気持ちと同じだと気がついたんです。10代を通して、男性ミュージシャンや同じ学校に通っていた男の子2人に恋をしましたが、この2人はストレートだったから特に関係が発展したりってことはありませんでした。いまだに空想したりしますけどね。それでもまだ、自分をバイセクシュアルだと説明することは躊躇していました。1つの理由は、LGBTQ に関する論説が出回り始めた頃、その主はゲイの人のみに焦点を当てていて、バイセクシュアルは付属的な立ち位置だった。2つ目は自分でも自分がバイセクシュアルなのか、単なる「そういう時期」なのか分からなかったんです。それで何年もの間、隠していたんです。
29歳の時に遂にカミングアウトをして、保守的なキリスト教徒の女性と婚約しました。その後、間も無く破綻してしまったんだけど、それから私は、彼女になかったもの全てを持ち合わせた男性と付き合い始めました。残念ながらその関係も9カ月で終わってしまったけれど、彼といると、月並みな言葉ではありますが、人生で初めて生きた心地がしました。
(ライター)
※5 参考:HUFFPOST「12人が教えてくれた、自分がバイセクシュアルと気づいた瞬間」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5db7d6f5e4b02aee7d355142
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バイセクシュアルのメンタルヘルス
様々な調査研究から、LGBTQ+の人はシスジェンダーの異性愛者に比べてメンタルヘルスに問題を抱える割合が高いことが分かっている。
その一例として、日本で2021年に実施された、バイセクシュアル男性とゲイを対象に実施した調査(※6)を挙げたい。この調査では、シスジェンダーで異性愛者の男性と比べて、バイセクシュアル男性・ゲイの人の方がメンタルヘルスの状態が悪いという結果が確認されている。また同様に自尊感情についても、バイセクシュアル男性・ゲイの人の方が低い傾向が確認されている。
同調査では、いじめ・ハラスメント経験についても聞いている。その結果、「被害経験あり」と回答したのはバイセクシュアル男性・ゲイが63.8%、シスジェンダーで異性愛者の男性では38.5%であった。メンタルヘルスに関する設問回答との相関性をみても、「被害経験あり」と回答した人の方がメンタルヘルスの状態が悪い傾向が見られたという。
この調査はあくまで一例でしかないが、社会的な立場や周辺環境等から、困難を抱えてしまう例は少なくないと考えられるだろう。
※6 参考:小森田龍生「日本におけるゲイ・バイセクシュアル男性のメンタルヘルスに関する調査報告(量的調査編2)」
https://senshu-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12744&item_no=1&attribute_id=32&file_no=1
社会生活におけるバイセクシュアルの表現
バイセクシュアルを含む、多様なセクシュアリティの人物が登場する映画やドラマなどの作品も、海外、日本国内ともに増えてきている。作品コンテンツに限らず、社会生活や文化のなかで表現されるものには、どんなものがあるのだろうか。
メディアや文化におけるバイセクシュアルの表現
「バイセクシュアル・フラッグ」として、プライドパレードの際などに掲げられる配色があるのをご存知だろうか。上から同性に惹かれることを表すピンク、どちらの性にも惹かれることを表すパープル、異性に惹かれることを表すブルーの3色で彩られるもので、1990年代に作られたとされている。
同様の配色を用いた、バイセクシュアル・ライティングと呼ばれる照明色調も存在する。様々な映画やドラマ、ミュージックビデオなどでも使用されているとされており、登場人物の秘めた感情を表す表現や、歌詞の背景を暗示する要素だとする考察も存在するようだ。(※7)
作品の登場人物という点では、2021年に米出版社DCコミックスが、漫画「スーパーマン」の最新号でスーパーマンがバイセクシュアルになると発表し、同性の相手との恋愛描写が描かれた。(※8)この発表は、性的マイノリティへの理解を啓発するカミングアウトデー(毎年10月11日)に合わせて発表されたという。作者もこの描写については、「現代のスーパーマンはどうあるべきかを考えた」というコメントを残しているそうだ。
Netflixではバイセクシュアルを含む、性的マイノリティが登場するコンテンツを積極的に制作している。2022年から配信が始まり、2024年の10月からシーズン3が配信予定の『ハートストッパー』は男子校に通う内気なチャーリーとラグビー部で人気者のニックの恋模様を中心に物語が進む学園青春ドラマである。本作は、ゲイであるチャーリーに惹かれ徐々にバイセクシャルであることに自覚的になっていくニックの葛藤や、カミングアウトの難しさなどの現実的な問題も描写する。しかし決して悲観的な展開にならず、前向きで、明るいクィアな登場人物たちが自分と他者に向き合いながら、成長していく展開は多くの視聴者から支持を得ている。
▼他の記事もチェックまた、9月23日は「バイセクシュアル・デー(両性愛を祝う日)」とされている。1990年代にアメリカの団体が始めたもので、Celebrate Bisexuality Day、Bisexual Pride Day、Bisexual Visibility Dayとも呼ばれる。この日に合わせてメッセージを発信したり、自身のセクシュアリティをカミングアウトしたりする著名人の例も見られるようだ。
※7 参考:BBC NEWS「Is 'bisexual lighting' a new cinematic phenomenon?」https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-43765856
※8 参考:BBC NEWS JAPAN「『スーパーマン』はバイセクシュアル 米出版社が最新号について発表」https://www.bbc.com/japanese/58880233
著名人によるカミングアウト
著名人によるカミングアウトは、社会に対してLGBTQ+の存在を改めて伝えることに繋がるだろう。バイセクシュアルをカミングアウトしている著名人も複数いる。
世界的に活躍する著名人という点では、レディー・ガガがバイセクシュアルを公言していることは有名である。彼女はLGBTQ+をエンパワーメントする数々のメッセージも発しており、まさに“社会の前進”を担っている存在であると言えよう。日本でも、お笑い芸人のカズレーザー、タレントの壇蜜などが自身がバイセクシュアルであることを公言している。その他にも元アイドルの最上もがも自身がバイセクシャルであることを公言している。
まとめ
この記事では、バイセクシュアルの特徴について紹介してきた。LGBTQ+という言葉が一般的なものとなり、差別や偏見をなくすべく社会が変わってきている現在ではあるが、今回のように多様なセクシュアリティそれぞれの特徴をみてみると、その特徴によって抱えている葛藤は違うことを改めて理解する。
同時に「このセクシュアリティはこうである」といった形で定義し、ある程度理解を浸透させることは、多様なセクシュアリティの存在が社会的に認知されていくために重要な過程ではあるが、その一義的な定義に固執してしまうことで、新たな偏見に繋がりうるという危険性もある。
どんな人間も一人ひとり違う。それと同じようにセクシュアリティも多様だ。そのことがもっと当たり前になっていくことが、改めてこれからの社会には必要なのではないだろうか。
文:大沼芙実子、安井一輝
編集: 吉岡葵