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『HAPPYEND』空音央監督インタビュー 「時にはルールを破ってでも、やるべきことがある」

坂本龍一氏が自ら選曲した20曲による、最後のピアノ・ソロ演奏を記録したコンサートドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』。静謐な同作により、坂本龍一氏の芸術は、映画として永遠に生き続けている。同作の監督は、空音央(そら ねお)。まだ国内では多くを知られていない、若き才能だった。そんな空音央監督が、自身初の長編劇映画を撮った。それが2024年10月4日公開の『HAPPYEND』である。この鮮烈で特異な青春映画は、第81回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門に選出され、彼の名を轟かせている。

社会を前進させる情報発信を行う「あしたメディア」では、注目の映画『HAPPYEND』の公開にあわせ、空音央監督へのインタビューを、映画解説者・中井圭との対談形式でお届けする。

本文中に一部結末に触れる箇所がありますので、鑑賞前の方はご注意ください

『HAPPYEND』

排外主義的な空気が漂う近未来の日本。高校生3年のユウタとコウは仲間たちと学校に忍び込み、軽い気持ちで校長に思いもよらないイタズラを仕掛ける。そのイタズラに激怒した校長は、学校内に生徒監視システムを導入。社会の締め付けが楽しかった学校生活にも及んできたことをきっかけに、仲良く過ごしてきた仲間たちとの間で少しずつ溝が生まれ始める。

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出演:栗原颯人 日高由起刀 林裕太 シナ・ペン ARAZI 
   祷キララ 中島歩 矢作マサル PUSHIM 渡辺真起子/佐野史郎
監督・脚本:空 音央 
撮影:ビル・キルスタイン 
美術:安宅紀史
音楽:リア・オユヤン・ルスリ
サウンドスーパーバイザー:野村みき                  
プロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー アンソニー・チェン
製作・制作: ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile 
配給:ビターズ・エンド 
日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1 【PG12】

10月4日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
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巨匠たちに触れた若き日々と、映画への目覚め

中井:映画に限らず様々な表現活動をされている空さんですが、そもそも表現に興味を持ったのはいつ頃ですか?

空:ぼくが色々やり始めたのは子どもの頃で、小学生から高校生くらいまで絵にはまっていました。当時は、漫画や映画、音楽を聴くのも好きで、高校から自主的にベースを弾いたり写真も撮ったり、たくさん趣味がありました。ただ、どれも中途半端で、高校では上手いほうだけど一番ではなく、大学になるともっと上手い人がいましたね。高校の頃に友だちと動画を作って楽しかったので、大学では映画の授業を取りました。すると自分がたくさん映画を観てきたことに気付きました。映画はこれまでの自分の趣味が全部含まれているようなメディアだったから、ぼくにもできるんじゃないかと思い、映画を撮りました。大学を卒業してから今に至るまで、映画だけではなくインスタレーション作品やPVなどもやっていますね。

中井:そんな多岐に渡る活動をされてきた空さんが考える「映画の特性」について、いま感じていることを教えてください。

空:以前であれば「編集がある」というのが映画の一番の特性だと思っていました。しかし、最近、濱口竜介さんの著書「他なる映画と」(2024年、インスクリプト)を読んで、考え方が変わってきています。濱口さんの本を読んでいると、映画の最小単位は「ショット」と定義していました。そのショットの特性として、記録性と断片性があると論じられていて、本当に面白いと思いました。ただ、写真にも記録性と断片性があるので、そこに時間軸と編集を加えると、映画特有のものができるんじゃないかなと感じています。

中井:様々なジャンルを横断しながら、ご自身には映画が合っていると感じていますか?

空:そうですね。物語を組み立ててショットに置き換えていくプロセスを論理的に考えるのが好きで、映画は自分の好みに合っていると思います。でも、映画を感性で撮っているような人もたまにいて、それが素晴らしい作品だと羨ましいですね。その人にはその人なりのロジックがあるんだろうけど、天才的な感性を持っている人の作品を観ると、打ちひしがれます(笑)。

中井:ちなみに、空さんが感性を持っていると感じる方はどなたでしょうか。

空:小田香さんですね。ドキュメンタリー的な手法も含め、小田さんなりの方法が存在しているのだと思いますが、ぼくにはまだ理解できていないロジックだと感じます。あとは、最近見たベトナムの監督Trương Minh Quý(チュオン・ミン・クイ)さん。

中井:先ほどのお話の中で、ご自身がたくさん映画を観てきたことに気づいたとおっしゃっていましたが、どういう映画を観てきたのでしょうか。

空:親が映画好きというのもあって、何でも観ていましたね。ぼくは覚えていないんですが、2歳の時に『2001年宇宙の旅』(1968年)を無理やり観させられたらしいです。15歳ぐらいでゴダールの映画を観せられて「なんだこれは?!」みたいな気持ちになったのも覚えています。家に黒澤明のDVDボックスも置いてありました。中学や高校の頃には、帰り道に自分でシネコンに寄っていました。途中から忍び込む方法も見つけて(笑)。だから、クラシック作品からブロックバスター映画まで幅広く観てきました。

心に残り続け、形にしたかった「友情の崩壊」

中井:空さんの新作『HAPPYEND』を拝見して、まず脚本作りに興味を持ちました。どうしてこの物語にしようと思ったのでしょうか。

空:3.11(東日本大震災)の時にアメリカの大学にいましたが、その頃から政治性が芽生え始めてきました。そして歴史を調べていくうちに、関東大震災とそれに伴う朝鮮人虐殺という事件を知って衝撃を受けました。日本人なのに自分がなぜ知らなかったんだろう、なぜ教えてもらえなかったんだろうという裏切りも感じました。地震の後、普通はお互い助け合うはずなのに、どうして人を殺すのかと考え、この事件に至った要因を考えるうちに、植民地主義と大日本帝国の支配が見えてきました。それが2014年頃で、日本で韓国人や中国人に対するヘイトスピーチのデモが盛んに行われていました。現代でも差別意識は根強く残っているんだと知って、植民地主義や差別の歴史に対して反省していないと思いました。

今後、南海トラフ地震が起こる確率が高いと言われていますが、まったく反省していない状態でまた大地震が来たら再び虐殺が起こる可能性もある。そんな状態だと近未来はどうなっていくんだろうということから、この映画を考え始めました。その背景は映画で色濃く出ているわけではないかもしれませんが、過去の虐殺のことをよく知っている人であれば、気づくのではないかと思います。

中井:この映画には、社会を覆う排外主義の気配が強く出ていると感じましたが、一方で明確に青春劇というスタイルをとっています。この内容を青春劇で描きたいと思った理由はなんですか?

空:「友情の崩壊」が、この映画のテーマです。そして、友情が崩壊する理由が、コウというキャラクターの政治的な目覚めだったので、その政治的な背景も描く必要がありました。だから、この映画の政治性は主題ではなく、副題的な位置付けですね。ぼくが、この映画で形にしたいと思ったのは、自分が高校と大学で経験した友情関係の出来事です。特に、大学時代に政治性が芽生えて、それが理由で友人たちを突き放したこともあるし、ぼくも友人に突き放された経験がありました。友情はぼくにとってものすごく大事なものでしたが、政治的な理由で崩れてしまう経験をしたときに、仕方がないと思ったし、その理由には正当性があると頭では理解していましたが、すごく悲しかった。その気持ちが自分の心をずっと支配していて、溢れ出て、形にし始めました。

中井:ぼくがこの作品が稀有だと思っているひとつのポイントはそこなんですよね。従来の青春劇って定型化しているものがいくらでもあるけど、この映画は全然違います。その違いが何かというと、空さんがおっしゃった「政治的な思想の違いで友情が崩れていく」という点です。これって現代社会が内包してる話だと思います。ぼく自身、特にコロナ以降、友情関係が危うくなる瞬間というのは、政治的な思考の違いが大きかった。すごく仲が良くてもそこがズレちゃうとやりづらくなると感じています。そして、若年層は政治性を帯びている人がより多くなっている気がするので、潜在的に思考のズレを実感している若者たちがすごく多いんじゃないかと思っています。

一方、これまで作られた青春劇のモチーフの代表例は恋愛ですが、もちろん重要ではあるものの、この苛烈な時代に我々が最も向き合わなきゃいけないことではないんじゃないか、と思っていたんです。だから、ぼくは友情の現代的なズレを描いたこの映画がとても面白いと思いました。この映画が公開されたら、日本の若者たちの間で話題になるんじゃないかと思います。

空:そうなったら嬉しいですね。

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世界にもピントが合ってほしいと願う、引きの画面

中井:作品の詳細も話していきたいのですが、この映画では、あまり表情を寄りで撮らずに、引きの画とバックショットを多用しています。引きの画面や影の中で重要な会話が行われているのは象徴的だと思いましたが、そういう画を撮った理由を教えてください。

空:まず、背中が好きなんですよ。背中って実はすごく表現が豊かで、顔を背けられると、人は背中の形や空間、顔以外の表情に目を向けて、そこから感情を読み取ろうとします。それにエモーショナルになる時って、人によっては相手に顔を見せたくない、という気持ちもあると思います。

引き画については、この映画はキャラクターたちの物語ではあるけど、同時に個人たちに作用する社会の物語でもあるので、キャラクターたちと同じくらい世界にピントが合ってほしいという意図がありました。ぼくは、本当に必要な時しかアップを使いたくないですね。たとえば、引きのショットで喧嘩しているシーンだと、アップで撮らなくても叫んでるから喧嘩しているのが分かる、という理由があります。逆に、アップで寄らないと分からないぐらい繊細な何かが起こっている時は、ちゃんとアップにしています。必要に応じて使い分けていますが、自分が描きたい物語で必要だったのは引きでした。

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中井:バックショットの話を聞いて、すごく理にかなっていると思っています。映画館で映画を観ることの意味合いとは何かというと、もちろん大きい画面で観ることができるのは当然ですが、個人的には、画面を観る行為以外を封じることなんじゃないかと思っています。背中や引きの画は、観客がきちんと観ようとしない限り、読み取れない部分がたくさんあります。だから、映画館では観客はより集中して観て、セリフでは語られていないものを読もうとする。

空:この映画も、観客が作品の中に入っていかないと読み取れなくしています。

中井:そうですよね。それをすごく感じていました。この作品を観たとき、自分の集中力が違いました。そして、引き画によってキャラクター以外に社会を映しているのは、この映画の狙いだろうと思いました。逆にクロースアップにする、つまり画を狭くする行為とは、画面の中心に置いたキャラクターに焦点をあてて、観客の視線を中心へ誘導することだと思います。この作品のポスタービジュアルでも使われている象徴的な引きのショットも、真ん中に標識の柱が入ることで、このふたりが物語において分岐することを示唆しています。でも、それはキャラクターだけに寄せて撮っていると分かりません。

空:そうですね。今回描きたかったことのひとつに近未来の考察がありますが、たとえば教室を引きで映した時に、多様な人種の日本人がたくさんいることが分かります。ぼくの中ですごく大事だったのは、そのことを特別なものとして映すのではなく、当たり前に映したかったんです。それを特別視する人は、寄りで撮ると思います。

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ルールがあってもおかしいと思ったら壊していい、という自覚の必要性

中井:シーンの意図についても伺いたいです。劇中、総理が会見中に襲撃され、校長も校長室に閉じ込められます。それは、権力者たちがファシズム的な行動をとったことに対する市民のリアクションですが、その権力者のふたりに共通している箇所がとても印象的でした。それは、総理が弁当を投げつけられ、校長が手配したお寿司を捨てられるシーンで、両者ともに「もったいない」と言いますよね。

ぼくは、あのセリフが日本社会の問題点を内包したものだと思いました。確かに、投げられた弁当も捨てられたお寿司も「もったいない」んです。だけど、その背景にある文脈を無視して、「もったいない」という一見すると良識ある正論に聞こえる言葉を使った、本質的な問題への批判を回避しようとするアプローチは、我々が日常よく見かける悪質なものだと感じました。

空:まさに、その通りです。この「もったいない」に加えて、日本社会を反映している代表的なワードが「迷惑」だと思っています。そのふたつは、本質をはぐらかすために用いられることがすごく多い。もったいないと思うことは良いことだと思うし、他人にあまり迷惑をかけないのも基本的に良いことだと思うんですけど、時には迷惑をかけてでもやらなきゃいけないことがあります。

映画で描いたように、問題に対してデモで声を上げなければいけない時に、警察は「迷惑なので」と言うんですが、「いや、それどころじゃないだろう」という話なんですよ。たとえば、60年代や70年代だと、ベトナムにアメリカが使うためのミサイルが輸送される時に、座り込みをして鉄道を止めようとした人たちがいました。でも、今の世論だと「そんなの迷惑じゃないか」と言うと思います。ベトナム人を殺すためのミサイルを止めるための迷惑より、日常生活をスムーズにすることのほうがあなたたちは重要なんですか、とぼくは疑問に思います。

アメリカだと「合法=道徳的に正しい」という図式は、歴史的に正しくないと何回も証明されています。かつて奴隷制があり、そして公民権運動があった。制度的差別に抗うために、実力行使したり、違法ギリギリだったり、すごく迷惑をかけたりする事件もたくさんありました。この「声を上げることは正しい」というのは、アメリカでは内面化されています。一方、日本にはそれがないような気がします。「違法=悪い」になっています。ぼくはイスラエルによる虐殺に抗議しに大使館に行ったりしますが、なんで「子どもを殺すな。ジェノサイドやめろ。」って叫ぶのがそんなに迷惑がられるのか、疑問なんですよ。子どもを殺しちゃいけないっていうことなんか、誰でも分かるのに。それを主張しているデモ参加者の方がバッシングされる風潮は、本当に良くないです。崩していかないといけないなと思います。

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中井:日本において、ぼくがすごく強く感じているのは、自分で考えることなく、ルールを絶対視する傾向です。どんなルールでも逸脱しようとすると、社会的に完全にアウトになっていく。この映画の中でも、生徒たちは学校内にいきなり設置されたカメラで監視されて、学校が勝手に定めたルールに違反をすると減点されるじゃないですか。これは今の日本社会をデフォルメしています。現実の世の中でも同じようなことが起きていて、常識的あるいはルール的に是とされていないことをした瞬間に、たとえ表立って言われなくても、確実にマイナス評価になる。それが日本社会を覆っている現実で、それは大人だけじゃなく若者の間でもそういう傾向があるんじゃないかと思っていますが、空さんはどう考えますか?

空:それはあると思います。ぼくが聞いた話ですが、イスラエルの虐殺にずっと抗議をしている人たちが広島にいます。それに参加している高校の教師が、自分の生徒たちに対して「アメリカでは高速道路を止めるようなデモがあるけど、どう思う?」と聞いたら、「いや、言ってることは分かるけど、迷惑ですよね」という反応だったそうです。「じゃあ、広島に向かう原爆が積まれたトラックが走ってたらどう思う?自分がそれを止めることだって可能なんだよ」と話すと、「それでも、やり方が違う」という回答が返ってきた。それを聞いた時に、やばいなって思いました。

そう答えたのはその子たちだけかもしれないけど、時にはルールを破ってでもやるべきことがある、という判断は今後もっと必要になってくることだと思うんですよ。今後、仮に徴兵制が日本で法制化されたとして、「お国のために死ね」と言われたときに、ぼくは「絶対に死ぬな」って言いたいんです。法律があってルールがあったとしても、おかしいと思ったら従わなくていいんだっていう自覚がないと、いざという時に壊すことができなくなるんじゃないかと。だからぼくは日頃から「壊す運動」をしていかなきゃいけないと思っています。自分できちんと考えて、本当に害だと思ったルールは、むしろ積極的に無視してどんどん壊していったほうがいい、ということをぼくは提唱したいです。

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この映画を違う考えを持った人たちに届ける価値

中井:アメリカって、個として考えていく思想があると思うんですよ。日本は考えそのものが組織化されていて、集団の中における自分という立ち位置で、周囲とのバランスをとることを異様に重視しています。その背景には学校教育が大きな影響を及ぼしていると思うんですけど、ルールを守らない者は何がどうあってもダメなんだ、という基準があります。それを踏まえて、この作品でぼくがすごく良いなと思っているのは、現状に対して「若年層も諦めているんじゃないか」ということにきちんと言及し、鼓舞している点です。そのやりとりを入れた理由はなんだったのでしょうか。

空:先ほどの広島の話を聞いてやばいなと思う反面、パレスチナ連帯のデモに行くと、いちばん声を上げているのは20代前半の人たちだったりする現実も知っています。「今の若い子は」っていう大人たちの言葉をたくさん聞いてきましたが、確かに全体的にそういう傾向かもしれないと思ったとしても、必ず例外はあるんです。むしろ、積極的に例外を見ることが大事なんじゃないかと思っています。劇中、(教師の)岡田が「希望を持たなきゃダメだ」って生徒たちに言うんですけど、ぼくも自分より若い世代に希望を持つことが多いですね。

中井:この作品が描いているテーマや社会性は、現代の多くの若者たちに響くと思っています。ただ、一方でソーシャルメディアを見ていると、もう大きく分断してしまっている。この場で我々の間で語られ、この作品の中で語られているようなメッセージは、それを理解できない人たちにこそ届けないと、ますます両者の伝わらなさが大きくなっていくんじゃないかと思うんです。

空:その通りです。都会は自分と違う思想を持った人と関わらずに済む場所だと思うんです。ある程度、距離を置いて、自分のバブルに閉じ籠ることができる。ただ、それだと何も変わっていかない。本当に戦争が起きたり、アメリカの戦争に日本が加担したり、日本が戦争を起こしたりする時に、それを止められるのは若者や労働者、日常を生きる普通の人たちだと思います。だから、この映画のユウタや、クラスの他の子たちのような人々も巻き込まないといけないのではないかと思っています。

そして、田舎や小さい町では、自分の思想の中だけに閉じこもれません。例えば、スーパーを経営するおじさんが男尊女卑的な考え方を持っていたからといって、その店しかなければスーパーに行かないという選択肢はありません。だったら、そういう考えの違う人と話し合ったり、付き合い方を考えなければいけない。そして本当に大事な時に、考えの違う人とも一緒にやっていく局面があると思うんですよね。これはぼく自身にも自戒を込めて言っていて、ぼくが考え方の違う人たちと積極的に話し合っているかと聞かれたら、そうでもないんです。だから、この映画も違う考えを持った人たちに届けていかなきゃいけない。もっと話し合っていかなきゃいけないんじゃないかなと思っています。

中井:その意味で、本作は青春映画というフォーマットを持っているので、間口が広くなっているのは間違いないと思います。それに、ちょっと語弊があるかもしれないですけど、この映画はエンターテイメントとしても面白いと思っているので、自分とは考え方が違っても観ることができるし、それぞれのキャラクターの心情として理解することができる。だから、映画って価値があるし、面白いです。

空:そうですね。可能性があるなってすごく思うんです。だからぼくにとって重要なのは、誰も切り捨ててないことで、いろんな考え方を持ったキャラクターたちが存在するっていうのは、すごく大切ですね。

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政治性を感じさせない青春映画に対する違和感

中井:ちなみに、この映画のタイトルって『HAPPYEND』じゃないですか。どういう意味で、このタイトルをつけましたか。

空:HAPPYとENDの語感が、映画の終わりに感じる、若者の生き生きとしたエネルギーと、でもそれが終わっていく、どこか黙示録的な世界観を表してるんじゃないかという感じがあって、このタイトルをつけました。

中井:この映画の終わり方がすごく秀逸だなと思ったのは、ふたりの関係性はこれで切れてしまったわけではないけど、以前のような状態とはもう違うこと。仲は悪くないんだけど、お互いがそれぞれ成長しているがゆえに、誰も同じ場所にいない。

空:まさにそうです。

中井:青春劇って、そもそもそういうものだと思うんです。多感な時期にみんな成長し、変化していくから、以前と同じようにはいられないことが描かれる。でも、それは必ずしも悲観的ではない。この『HAPPYEND』というタイトルには、一抹の寂しさがあるじゃないですか。だから映画もあの終わり方なのであって、それがぼくの中ではグッときました。

空:ありがとうございます。まさにそれを狙ってました。

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空:あと、ぼくにとっては青春劇に政治性が入っているから特別だ、とは思っていなくて、むしろ政治性が入ることは当たり前じゃないかと思います。政治性があまりにもない青春映画とか恋愛劇の方が、よほど政治的だと思います。本当だったら日常を描くにあたって、絶対に政治性や社会性みたいなものは関わってくるのに、それが存在しないかのように描くことほど政治的なものはない。

中井:その通りですね。映画も音楽でもそうですけど「政治を持ち込むな」みたいな言説って、「いや、我々はどこに生きてる?今立ってる場所ってどこだ?」という話でしかない。社会に属して息するだけで政治の中にいるわけで、無理に脱色しようとするとおかしなことになると思うんです。映画では大きな資本が動くという理由もあると思いますが、政治性が不自然に抜かれたものをクロースアップで捉え続けるというのは、観客に「それしか見ちゃダメだよ」と示唆する行為です。だからぼくはこの政治性を真正面に据えた青春映画は重要だと思っています。こういう作品が存在していて、若い子たちが自分で考えていくことがたくさんあるはずだから、それによって少しでも明日がよくなると良いなと思います。

空:そうですね。明日をよくしていきたいですね。

当たり前の人権が軽んじられている現代社会に対する鋭い視点を、劇中はもちろん、取材中にも感じさせた空音央監督だったが、その語り口は極めて穏やかで、慈愛に満ちた人柄を垣間見ることができた。今回の取材でも繰り返し述べられた「ルールを壊してでも、やるべきことがある」という彼の主張の根底には、明日を少しでもよくしたい、という強い願いがこめられている。本作は友情を主題にした青春劇だが、引きの画で撮られた意図を噛み締めながら、作品と、そして我々が生きる現実と対峙していきたい。

 

取材・文・編集:中井圭(映画解説者)
撮影:服部芽生