
日本のラップ史において実は多く現れてきたフィメールラッパー、その音楽とそれらが生まれた時代/文化を回想しながら、彼女たちが確かに存在した事実を記す。
これは、筆者が2022年1月に刊行した書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)のまえがきにて記した一文である。日本語ラップやJ-POPの歴史において、女性のラッパー、あるいはラップする女性シンガーは実のところ数多く存在したものの、積極的に顧みられてきたとは言い難い。男性中心主義の価値観が根強いヒップホップというカルチャーにおいては、女性というのは常に周縁化されてきた存在であるがゆえになおさらだ。
だからこそ、その歴史を一度総ざらいし、「彼女たちが確かに存在した事実」を記したのが本書の役割だった。それからちょうど丸3年が経ち、状況は刻一刻と変化している。女性のラップ史を振り返った際に最も変化に富んだ期間だったと言っても過言ではないが、本稿では、書籍でまとめた歴史の「その先」として、この3年間で起きた状況変化をまとめておきたい。
また、本記事とともに聴いてもらえるよう、以下に<Japanese female rap 2022-2025>と題したプレイリストを作成した。1人のアーティストにつき1曲という形でピックアップした結果、150人(組)を超える女性ラッパー/シンガーが集まっている。たった3年間で、この人数だ。それだけラップが現代のポップミュージックに根づいたとも言えるし、女性の演者が圧倒的に増えたとも言える。
※プレイリストはジェンダー・アイデンティティに配慮の上でキュレーションしていますが、「female」という括りに違和感や抵抗感のあるアーティストの方がいましたらお知らせください
多種多様なラッパー/シンガーの増加。サブジャンルを脱した「フィメールラップ」
今となっては信じられないかもしれないが、2010年代半ばまで、女性が発するラップのバリエーションというのは限られた種類しかなかった。男勝りの強いキャラクターでまくしたてるラッパー、等身大の日常を素朴に歌うシンガー、あるいはアイドル。“ラップする女性”についての類型化を生んだのは、業界やメディア、リスナー側にも原因があるはずだ。
けれども2010年代後半になると、自分が惚れた“かわいい”をまっすぐに表現するラッパーが現れた。男性中心の価値観では歌われなかった(あるいはすでに歌っていたが理解されなかった)心情をストレートに表現する傾向も生まれた。
さらに、ストロングなラップスタイルを採用せずとも、歌い手が持っている声のテクスチャを素直に提示できるようにもなった。ラップと歌の境界がなくなり、オートチューンが流行したことで、ヒップホップの真正性が流動化したから、という背景もあるだろう。もっと俯瞰して見ると、2010年代という時代とともに声を大きくしていった第4波フェミニズムの流れもあるはずだ。女性の声を可視化し、個人の表現を重視する価値観が拡大したことで、そもそも女性アーティストが自らの経験や主張を語る手法としてラップを選択する機会が増えた。
そのような時代背景のなかで、特にこの3年間は、決定的な変化を感じた期間だった。2010年代後半から徐々に広がっていた女性ラッパーの表現の解放が、実を結んだタイミングとして捉えて良いはずだ。
象徴的な事例として、筆者が現場レベルで大きな変化を実感した出来事が2つある。ひとつは、2023年~2024年のPOP YOURSやワンマンライブにおけるElle Teresaのステージ。ラップコミュニティの女性ファンが、彼女のファッションに影響を受けたスタイルでライブに押しかけ、異様な熱量の盛り上がりを生んだ。インスピレーションを与えあっているラッパー・PLNADOLLとの共鳴といった出来事も含めて、昨今のElle Teresaはヒップホップにおける新たなギャルの定義を確立したといってよいのではないか。
もうひとつは、2024年に開催されたvalkneeのワンマンライブや、彼女主催の<Crash Summer>といったイベント。文化系ラッパーとしてのvalkneeの諸活動はもちろんのこと、コロナ期からアンダーグラウンドで同時多発的に勃興したハイパー・ミュージックやオルタナティヴ・ヒップホップの波が合流し可視化された瞬間として、鮮烈な輝きを放っていた。リスナーは「ラップは好きだがこれまでのラップコミュニティには居場所を見つけられなかった」層が多く、従来のヒップホップ的価値観に対する批評性も(半ば自覚的に)持ち合わせている。
過去のZooomgalsでの展開をはじめとして、Elle Teresaとはまた異なる形のギャルを表現してきたvalkneeだが、そう考えると、フィメール・ラップ史においてやはり“ギャル”というテーマは非常に大きな意味を持っているように思う。日本独自のギャル文化は、ビジュアル面にしろマインド面にしろ社会規範への挑戦や自己表現としてラップ/ヒップホップと結びつき、独自のウェーブを形成しつつある。
他にも、女性ラッパーとリスナーの劇的な増加によって、あらゆる多様性が顕在化してきている。トラップミュージックやハイパーミュージック、ボカロミュージック、邦楽ロックといった全てを前提としながら、あえてラップと歌の違いを意識せずとも素直に表現するアーティスト——yuraやMinty、sheidA、mezz、Littyなどが挙げられるだろうか――は新たな世代として位置づけられよう。また、若手ラッパーの登竜門として視聴者を拡大している『ラップスタア』によって、Charluや7、麻凛亜女や5Leafといった才能にもスポットが当たった。他方、従来のアイドル文脈とは異なる流れとして、卓越したスキルでラップを操るK-POP由来のダンス&ボーカルグループから影響を受けたシンガー/ラッパーも増えた。XG、あるいはf5veやIS:SUEといったグループがそれに当たる。oozashをはじめとして、韓国カルチャーから受けた影響をパフォーマンスに反映するDIYなソロラッパーも現れている。
と、そういった近年の活況を俯瞰した時に気づくのは、女性ラッパーの動向が、そもそも現在のシーン全体の動きとほぼ連動しているということだ。つまり、類型化された形ではなく、現行のラップシーンと地続きの動きが女性ラッパーにも観察されるというわけで、それはもはやフィメール・ラップが一つのサブジャンルから脱したことを証明している。
USとは異なる、ジャパニーズ・フィメール・ラップならではの個性
アメリカの現況も確認しておくべきだろう。女性ラッパーの数が急激に増え存在感を高めているのは、USラップも同様だ。実際のところ、彼女たちが生み出す音楽作品としての個性は非常に研ぎすまされてきており、従来の批評軸でも十分に評価されるようになってきた。2024年もGloRillaやDoechii、Megan Thee Stallionといったラッパーがクラシックと呼んでいいほどのすばらしい作品を作り上げ、大きな称賛を受けている。Queen Latifahが、男性ラッパーによる表面的な女性像の描写を拒んだ80年代から比較すると隔世の感がある。
同時に、メディアもさかんに動いている。2023年にはGRAMMY AWARDSを運営する Recording Academyのオフィシャルサイトが、<14 New Female Hip-Hop Artists To Know In 2023>を公開し、盛り上がる状況について特集した。AP通信社は、ヒップホップ50周年を祝うサイトで<THE WOMEN TAKE THE MIC>と題して歴史の重要な1つとして女性ラッパーを位置づけた。同様に、Netflixはドキュメンタリー『Ladies First:ヒップホップ界の女性たち』を公開し話題となった。
また、アカデミアでの研究も進行中だ。Joan Morganのヒップホップ・フェミニズム論をベースに南部ヒップホップについて分析したAdeerya Johnsonの"Dirty South Feminism: The Girlies Got Somethin’ to Say Too! Southern Hip-Hop Women, Fighting Respectability, Talking Mess, and Twerking Up the Dirty South"といった論文をはじめ、近年様々な角度から研究アプローチが試みられるようになった。
USラップは巨大なマーケットを有しており、そもそもヒップホップ自体がメインストリームのジャンルだ。だからこそ「声なき者の声」を掬いあげる文化として、ジェンダー抑圧を受けてきた女性ラッパーの表現は、多くが人種差別も含めた二重構造の中で極めて社会的な試みとして世の中へと接続される。
対してジャパニーズ・ラップ、なかでも女性のラップは、恋愛や友人関係、日常といったパーソナルな出来事を個人的な美意識のもとで綴っていく傾向が強い。アメリカと日本の大きな違いだろうが、その点で、例えば昨今バイラルしているLitty「Pull Up」の「好きでいてくれてもI’m sorry/あなたは彼氏にできない/今は音楽が彼氏で最高に沼ってるから/邪魔しないでよね」というラインは象徴的である。まさしく「私」と「恋人」と「音楽」という三者の関係性の中で揺れる心情を、現代的な言葉づかいとともに、ジャパニーズ・フィメール・ラップならではのパーソナルな美意識のもと表現している例のひとつと言える。
また、“横のつながり”についても、近年の顕著な傾向として触れておきたい。Zoomgals以降、Awichが中心となって打ち出した「Bad Bitch美学」のように、女性ラッパー同士でつながる動きが多数見られている。「V.A.N.I.L.L.A.」でコラボした麻凛亜女、Henny K、Tomiko Wasabiや、解散後もライブで共演している嚩HAKU、p°nika、e5によるDr.Anon、さらに7とLizaの関係性など、以前よりも横の連帯が活性化しているのは確かだろう。pinponpanponや妖艶金魚といったグループ、毎回多彩なメンバーが集っているGALFYシリーズなどの展開も近いものがある。そういった親密さもまた、ジャパニーズ・フィメール・ラップに顕著な傾向に挙げられるはずだ。そのような中にあって、神出鬼没の振る舞いで様々なコラボのハブになっているなかむらみなみの存在感についても、特筆すべきものがあろう。
抑圧に対して声を上げる勇気―フィメール・ラップにはヒップホップの本質が詰まっている
以上のように、ジャパニーズ・フィメール・ラップならではの個性によって独自の展開が拡大しているなか、「女性とラップ」というテーマでの問題提起は、ますますラップやヒップホップの在り方そのものと符合する形でリアリティを増している。抑圧された者が世の中に対して声をあげる文化である以上、同様の環境を長らく強いられてきた女性のラップというのは、女性に限らずとも、居場所を失った者すべてに救いの手を差しのべるものになっているのではないか。
その点で、『ユリイカ』2023年5月号の「特集=〈フィメールラップ〉の現在」は画期的な取り組みであったし、その後も2024年6月にパリで「Real Japanese Hip Hop」が開催した中條千晴氏による公演「ジャパニーズヒップホップにおける女性~その変遷と現在の影響」、さらにCOMA-CHIとなみちえによるライブパフォーマンスは、海外にもジャパニーズ・フィメール・ラップを伝える貴重な機会となったと言える。また、「女性とラップ」をテーマにした映画『雪子a.k.a.』がちょうど2025年1月現在上映されていたりと、さまざまな局面で題材になることも増えた。女性だけにとどまらず、抑圧された全ての者に対し、決心し奮い立つことの大切さを訴える――まさしくそのような状況について切々と、特定の誰かに届くような願いとともに歌われた重要なアンセムを紹介して本稿の結びとしよう。いつの時代も、フィメール・ラップにはヒップホップの本質が詰まっているのだ。
ねえ! Over seaあたしのはなし/目泳がし騒がしい街並みで/全世界中いないことになってる/ペンで描いた居たことの証
ちっさい声が伝わる/バカなミームみたいに/誰かしらに繋がる/点が線になってる/誰か誰か!じゃない/ないならつくる/輪になんかなんないでも/You stand out飛ぶ
つやちゃん
文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿。メディアでの企画プロデュースやアーティストのコンセプトメイキングなども多数。著書に、女性ラッパーの功績に光をあてた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)、『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(アルテスパブリッシング)等
文:つやちゃん
編集:Mizuki Takeuchi
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