2024年元日、令和6年能登半島地震が発生した。1月末時点での避難者数は14,000人を超え、住宅被害は計46,294棟(※1)、ライフラインの完全復旧もいまだに見通しが立っていない状況だ。1日でも早く復興し、被災者の方々が心身ともに休める日が訪れて欲しいと願うばかりだ。
輪島市の1月の平均気温は3.3度。体育館などでの避難所生活は体力をも奪われ、心身ともに疲労が蓄積されていくことだろう。そんななか、1月31日に「ムービングハウス」と呼ばれる仮設住宅が輪島市に設置された。ムービングハウスとは、その名の通り「動く家」だ。すでに完成された家をトレーラーで運び込み現場に設置する。
東日本大震災の際には、震災発生から31日後に仮設住宅建設事業者の公募が始まり、そこから実際に仮設住宅が建設され入居が可能になったのはその2ヶ月後。約3ヶ月で仮設住宅が建つというのは非常に早い対応で、震災発生当時はそのスピード感が話題になった。(※2)
しかしムービングハウスは着工から2週間あまりで完成した。そもそもムービングハウスとは具体的にどのようなものなのだろうか、余震が続き、地盤も不安定な被災地に2週間あまりで建てることができたのはなぜなのだろうか。
そこで今回は輪島市で支援に当たっている、ムービングハウスを製造するムービングハウス協会加盟企業で北海道千歳市に本社を構える株式会社アーキビジョン21の岸田さんに話を伺った。いまでも支援に当たっているため、石川県内の支援先に向かう車中からオンラインインタビューに応じてくださった。
※1 参考:朝日新聞デジタル「死者238人、避難者1.4万人 能登半島地震1カ月、被害の状況は」
https://www.asahi.com/articles/ASS1076J8S10OXIE024.html
※2 参考:スーモジャーナル「福島ではなぜ、6000戸以上の木造仮設住宅を建てることができたのか?」
https://suumo.jp/journal/2017/08/31/140043/
そもそもムービングハウスって?
ムービングハウスとは「移動式木造建築物」。“戸建が移動する”と言えばイメージしやすいだろうか。仮設住宅といえば、プレハブのイメージが強いかもしれないが、ムービングハウスは木造だ。また北海道に本社を構える会社が建築していることもあり、全国どこに設置しても問題ないように、ドアや窓にはトリプルガラス構造を採用しており、寒さや音に対して防ぎやすい構造になっている。
大きさは縦は共通して2.5m、横が6mと12mの2種類だ。これらの規格は海上輸送コンテナと同じ規格になっているので、工場での製造後、トレーラーを用いて現地まで運び、クレーンで吊り上げて設置を行う。またムービングハウス同士を付け足すことで簡単に増築もできる。
中にはキッチンやお手洗い、浴室が設置されている。またガスや電気、水道、インターネットなども接続次第で利用可能で生活に必要なものが揃っている。
アーキビジョン21は40年以上前から木造の注文住宅の建築をメインで行っていることもあり、ムービングハウスの耐久性や耐熱性、省エネ構造には自信がある。そのため災害時だけでなく平時に利用する一般の建築物としても使われているそうだ。
「宿泊施設や店舗、町の集会所、あとは個別住宅としての活用事例があります。一般的な建築物の法律に則り建築しているので、平時問題なく利用できます。震災後は大きな余震に注意しなければなりませんが、ムービングハウスの場合は震度6、7程度であれば耐え得る設計になっています」
ムービングハウスが生まれたきっかけは“2011年”
元々は注文住宅の建築を行っていたアーキビジョン21が、ムービングハウスの開発を始めたのはなぜなのだろうか。
「きっかけは2011年に発生した東日本大震災です。その頃弊社にはムービングハウスの前進となる“モデューロ”という技術がありました。家を構造単位(ユニット)ごとに製造し、トレーラーで現場で運びクレーンで組み立てるというものです。当時は主に個人向けの住宅を扱っていたこともあり、被災した人たちに何かできることはないかと考え現地を訪れました。
そこで目にしたのは、決して住み心地が良いとは言えない仮設住宅の現状でした。結露はひどく、東北特有の寒さを凌げる構造にもなっていない、また建物の換気も満足に行えないといった状態です。被災した上に避難先の環境も十分でないとなると、心身がなかなか休まらないのではないかと感じました。
そこで我々の持っている技術を仮設住宅に転用し、少しでも住居環境を整えられないだろうかと考えました。そこから生まれたのが今のムービングハウスです」
2013年から試作を始め2016年に販売を開始した。足掛け4年で完成したムービングハウスが初めて仮設住宅としての役割を果たすのは、そこから2年後の2018年の夏、西日本を襲った豪雨災害であった。
「その時被害を受けた岡山県倉敷市に約40世帯分のムービングハウスを提供しました。当時はまだムービングハウスを仮設住宅に使用した前例がなかったので支援要請があったわけではなく、ニュースで被害を目にしたことをきっかけに弊社から自治体にコンタクトを取り提供することが決まりました」
その後は震災が日本を襲うたびに国内で幅広くムービングハウスが活用されることになる。事例を挙げると2018年の北海道胆振東部地震、2019年の東日本台風、2020年に熊本を襲った豪雨など、今回の能登への提供を含めこれまで計6回に渡り被災地で活用されてきた。
過去6回の支援経験から進化するムービングハウス
自治体の支援要請を受けた直後からスピード感を持って提供されるムービングハウスだが、迅速に提供できる今の体制は最初の倉敷市での経験が大きいそうだ。
「初めての支援経験だったので、必要最低限の仕様を整えムービングハウスを提供しました。そこから倉敷での経験を踏まえてより速く提供するために、国が出している統一基準に沿って災害用のムービングハウスの型を決めました。型を決めると生産スピードは速くなりますし、コストも低く抑えられる」
より速く、より低コストでの提供を目指したムービングハウス。しかし、進化したのはそこだけではない。
「震災時にどのような方が仮設住宅を優先的に利用できるのかというと、高齢者や障がい者など生活の支援が必要な方達が中心になります。そうするとバリアフリー対応が必要になる。そこでムービングハウスは入り口にはスロープ、玄関やお手洗いには手すりをつけた仕様を基本形にしています。これらのバリアフリー対応も過去の被災地での支援の経験から生まれたことの1つです」
2週間あまりでムービングハウスが能登に設置された理由
今回、アーキビジョン21が石川県から支援要請を受け整備に取り掛かったのは1月12日。そこからムービングハウスが完成したのは1月31日。つまりその期間は2週間あまりだ。なぜこんなにも早くムービングハウスを建てることができたのだろうか。
「理由は2つあります。1つは有事の際に備えてすでに建てられたムービングハウスをストックしているということ。現在、およそ300〜500のストックがあります。そんなにもの大量のストックをどこに置いてるんだと思われるかもしれませんが、北海道、高知県、茨城県などの国内計7箇所に“防災・家バンク展示場”を設けてストックしています。今回は北海道、高知県、茨城県の3箇所から運びました。
もう1つの理由はあまり大それたことではないのですが、とにかく“気合い”です(笑)。
ムービングハウスを建てるためには、ライフラインや地盤の状況など普通に家を建てる時のような調査や工事の段取りが必要になります。調査は現地の状況をこの目で見る必要がある。なので支援要請をもらってからキャンピングカーに乗り込み、チームですぐに現地に入りました。
そこから完成までは車中泊の日々なのですが、現地に入ることでさらに建設までの時間を短縮できるんです。例えば、ムービングハウスを建てるための土地を探すのですが、駐車場のようなしっかりした土地を見つけることができれば地盤造成という作業を省略することができるわけです」
1つの作業を省略することで数時間の短縮に繋がり、それらの積み重ねが3日、4日の短縮になるそうだ。またこれらの現地作業に欠かせないものとして、岸田さんが挙げたのは“インターネット”だ。
「現地に入ると断水などでライフラインが止まっていることが往々にしてあります。ただインターネットは割と早い段階で使えるようになる。工事の段取りや関係各所とのやり取りにはインターネットが欠かせないのでこれは非常にありがたいです。今のインターネット技術であれば速度がはやく仕事がスムーズにできる。技術の進歩に感謝ですね」
2つ目の理由について岸田さんは笑いながら語ってくれたが、ライフラインが途絶えた町で3週間キャンピングカーに泊まり作業することは誰にでもできることではないはずだ。事前に備えられていた連携体制やムービングハウスのストック、そして岸田さんたちの1日でも早くハウスを設置したいという気合いや“少しでも役に立てれば”という想いがあってこそ、ムービングハウスは2週間あまりで能登に届いたのだ。
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広がるムービングハウスの可能性
今回、輪島市と珠洲市に提供された計60世帯分のムービングハウスにはある共通点があるそうだ。
「実は今回利用したムービングハウスはすべて過去6回の震災支援で使われたものです。基本的に仮設住宅に住めるのは2年間と国の方針で決まっているので、期間満了後に仮設住宅は無人になる。そのため被災地に支援する際はレンタル形式にします。不要になったタイミングでもう1度ストックに移し、有事の際に再び支援できるように保管しておくわけです。
レンタル形式にすることで購入するよりもコストを抑えらるので一石二鳥。こうしてムービングハウスの循環サイクルを構築しています」
また当初はレンタルの想定だったが、支援後に購入し多目的スペースとして活用された事例もあるそうだ。耐震性や断熱性を兼ね備え快適に利用できるムービングハウスならではの活用方法だろう。
今後、ムービングハウスの平時利用が多くの自治体で普及してくれればと岸田さんは語る。
「自治体が食料や飲料を備蓄するように、ムービングハウスも備蓄してもらえないかと検討しています。例えば平時は集会場や移住体験住宅として活用してもらい、有事の際には避難所として利用するのです」
有事の際と言うのは震災だけを指すのではない。例えばコロナ禍の隔離施設などでも利用可能だ。実際に茨城県や千葉県ではムービングハウスを隔離施設として利用した実績があるそうだ。
自分たちの技術が世の中の役に立つのであれば本望、それでビジネスとしても成立するのであればなおよし、と岸田さんは語る。ムービングハウスが今後どのように日本で広がっていくのか引き続き注目したい。
大きな震災に立ち向かうために、小さな気持ちの積み重ね
日本は震災と切っても切り離せない関係にある。そのためムービングハウスのような技術で被害の影響を小さくし、被災した人たちの心身が少しでも休まればと思う。
甚大な被害を及ぼした令和6年能登半島地震。復興にはまだまだ時間がかかるだろう。大変な状況だからこそ、日本各地から様々な支援が行われている。ボランティアの他にも、大分から温泉が運ばれたり宮崎からランドリー車が派遣されたりと、1つ1つの支援が被災者を暖かく包む。
また個人の場合は募金などで復興を助けることもできるだろうし、自分の行動が回り回って誰かを勇気づける可能性もある。“少しでも自分のできることを”、この小さな気持ちの積み重ねこそが、大きな震災に立ち向かうために必要なことなのかもしれない。
文・取材:吉岡葵
編集:おのれい
写真提供:株式会社アーキビジョン21