日本は、人口のうち65歳以上の人が28%以上を占める超高齢化社会に突入した。このままいけば、2036年には3人に1人が65歳以上の高齢者になるとされている。
その先に待ち受けるのが、「多死社会」だ。日本における死亡者数は1975年頃から増え始め、2021年には年間約144万人に到達した。(※1)団塊の世代が90歳前後になる2040年には、年間160万人以上が死亡するという推計(※2)もある。さらに、死は高齢者だけが迎えるものではない。病気や事故などのほか、近年の日本の15歳〜30歳代の若者の死因としては自殺が最も多い。(※3)
この「多死社会」において、どんな問題が起こるだろうか。火葬が追いつかない、墓地が足りない、看取り場所に困る、遺品や遺産の扱いに迷う…。そして何よりも、死別を経験した時、その悲しみや戸惑いはどうケアすればいいのか。死に関する議論を積極的にしてきたという人は少ないだろう。だから、私たちはいざ、身近な人や自分の死に直面した時にどうすればいいのかわからない。
そんな課題に着目し、「死のリデザイン」を掲げて活動している女性たちがいる。団体名は「さだまらないオバケ」。ミレニアル世代・Z世代の彼女たちが「死」について、どんなことを考え、どんな活動をしているのか。コアメンバーとして活動するKoudoさん、Choさん、Sakumaさんの3人に話を聞いた。
※1 参照:厚生労働省「令和3年(2021) 人口動態統計月報年計(概数)の概況」p.8
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai21/dl/gaikyouR3.pdf
※2 参照:厚生労働省「令和2 年版 厚生労働白書」p.5
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/19/dl/1-01.pdf
※3 参照:厚生労働省「令和3年(2021) 人口動態統計月報年計(概数)の概況」p.12
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai21/dl/gaikyouR3.pdf
「死別」の悲しみに蓋をするだけでいいのか
そもそも、なぜ「死」をテーマにしたプロジェクトを立ち上げたのですか?
Koudo:もともと、このプロジェクトを立ち上げたメンバーは、みんな東京デザインプレックス研究所というデザインの専門学校に通っていました。その中に、フューチャーデザインラボというラボがあります。そのラボの中で数人ずつの班を作って、社会課題をデザインで解決する企画を立てる活動をしていました。たくさん案を出して、結果的に集まった4人のメンバー全員が当事者として課題感を持てたのが「死」だったので、現在の活動に繋がりました。今は、みんな別の仕事を持ちながらも、副業のような形で活動しています。
具体的には、どんな課題を感じていたのでしょう。
Koudo:私は、ラボの先生から「亡くなった母親の遺品をどう整理したらいいのかわからない」と言われて、「死」について深く向き合うきっかけができました。お寺などに行って、お坊さんに話を聞いたりしているうちに、単に遺品の処分方法に困っているのではなくて、簡単には遺品を整理できない「心のモヤモヤ」のような部分に課題があるなと気づきました。
近いタイミングで、自分のおばあちゃんの家に行って同じように遺品整理をしていた時におばあちゃんの日記を見つけたんですね。日記の中を見たら、おばあちゃんが1番仲の良かった兄弟が亡くなって以降の数年、「寂しい」「なんで死んじゃったんだろう」とつらい気持ちばかりがつづられていたんです。私はおばあちゃんがそんな気持ちを抱えていたことを全然知らなかったので、もっと死別に関する気持ちやモヤモヤを吐き出せるところがあったら、楽になったのかもしれないと考えるようになりました。
Cho:私は、身近な人が自死してしまったことがあります。私自身もつらかったので、自分の中で蓋をして思い出さないようにしていたのですが、ラボの活動の中で改めて向き合う機会ができました。蓋をしてしまった自分にも、いなくなってしまった人のことをなかなか周りとも話せなくなっている現状にもなんだか悔しい気持ちが湧いてきました。死別の経験によって抱えたわだかまりを放置するのではなく、今後を生きる人がどうにかポジティブになれるようなものを作れたらいいなと思い始めました。
なぜ「死」はタブー視されるのか
実際に死別を経験した人のなかには、同じような感情になったことのある人も多いかもしれないですね。一方で、「死」はタブー視されがちで、グリーフケア(※4)に関する話題も含めてあまり人と話す機会がないように感じます。それは、なぜだと思いますか?
Sakuma:日本では特に、カルチャーとして言葉ではなくて空気でお互いを理解し合うような部分がありますよね。言葉にして話すという文化がなくて、その延長上で「死」についてもあまり語られないんじゃないかなと感じています。過去にデンマークに留学した時に、日本と違って、身内の死のことや性のことなど、日本だとタブーとされるような話題もあっけらかんと話されていて驚きました。
Koudo:私も、生まれてから最近まで「死」に関する話は周りの人が全然しないから、自然としちゃいけないものだと思ってきた節があります。
Cho:私は、日本における宗教への無関心さも関係があるのかなと感じています。仏教をしっかり伝えようとする家も減っていると思いますし、結果として葬儀の縮小や墓仕舞いも進んでいます。その無関心さが「タブー」という言葉とも相まって「死」について考えることを遠ざけているのではないでしょうか。なので、昔から「死」がタブー視されていたというよりも、どんどん進行しているような気もします。
お盆や、お葬式などは故人を弔う場でもあり、死別を経験した人たちが集まって対話できる場所でもあったと思うんですよね。それがなくなると、死別を乗り越えてポジティブになるためのきっかけを得にくくなってしまうようにも思います。
確かに、「タブー」という言葉のもとに対話せずに、死別した悲しみやわだかまりをスルーしてしまっているのかもしれないですね。「さだまらないオバケ」のプロダクトは語りの場を作ってくれるものだと思いますが、どんなものがあるのでしょうか。
Koudo:これまで「ひきだしプロジェクト」という名前で、2022年の2月に商品化したひきだしカードゲーム「ソラがハレるまで」と「ひきだしノート」の2点があります。「ひきだし」というのは、故人への思いを引き出し、今を生きる希望を引き出すという意味合いを込めています。
Cho:生きていれば誰もが死別を経験するので、故人のことを考えないようにするのではなく、きちんと向き合って、考えて、語り合える機会を作れるようにこの2つを作りました。とはいえ、死別はいろんな状況、時間、年齢で訪れてしまうので、誰か1人に寄り添ったらOKというわけではありません。なので、個人で向き合うことのできるノートと、複数人で語るために使えるカードゲームを作ることにしました。
Koudo:具体的には、ノートにはお題が書かれています。前半は故人に対して抱えてる想いを吐き出すパートで、故人との思い出や故人からの学びを振り返ります。後半はそれらの思い出を今後の自分の人生にどう生かしていくのか、自分はどうしていきたいのかと、未来のことを考えるパートです。カードゲームの方も30個のお題が用意されていて、みんなでそのお題に沿って故人のことを話し合えるようになっています。
死をただ悲しい出来事として捉えるのではなくて、今後の自分の未来を考えてもらって、少しでも前向きになれるようなプロダクトとして使ってもらいたいなと思っています。
カラフルなデザインが、既存のプロダクトとは異なっていて印象的です。デザインの面ではどんなことを意識されていますか?
Cho:今の日本では、死に関するものはパステルカラーなどのセンシティブすぎるデザインや、黒と白のモノトーンで静かな世界観のものが多いですよね。もちろん静寂感があって心地よい、適していると思う方も多いかと思います。でも一方で、嫌な方向に重々しくなってしまったり、気分が落ち込んでしまう人もいるのではないでしょうか。そういった観点から、より前向きなイメージに近づけられるように、これまでの葬儀社や仏具品店などの「デス業界」ではあまりないようなデザインにしました。ミレニアル世代やZ世代の若い人たちが興味を持ってくれるように、死という重いテーマを感じさせないポップさをプラスしつつ、悲しみに寄り添えるやさしいデザインを意識しています。ただ、「死」という内容がセンシティブであることには変わりはないので、その点は注意して制作しました。
※4 用語:死別による喪失感や悲嘆(グリーフ)を抱える人が、回復できるように寄り添い、支援すること。
https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2022/11/28/110000
多様な死生観を受け止める場所
プロダクト以外に、スナックやワークショップなどの場所作りの活動もされていると伺いました。
Koudo:最近は「死」についてカジュアルに語れる場として「デススナック」というイベントも開催しています。堅苦しいものではなく「もし明日世界が終わるとしたら、最後に何食べたい?」とか、それぐらいのみんなが考えられるような話を緩く話す場としてやっています。
プロダクトでも、イベントでも、やはり「死」というテーマはいろんな価値観があるので、扱うには色々な配慮が必要かと思います。安全なモノ・場所作りのためにはどんな工夫が必要なのでしょうか。
Koudo:人の死生観を否定しないことを第一に考えています。例えばイベントをやる時も、参加者の方には「たとえ、相手のいっていることが理解できないとしても、すぐに否定せずに一回受け止めてください」とお願いするようにしています。深刻な雰囲気で「死について議論しよう」「正解を決めよう」というよりは、「色々な意見を否定せず、まずはみんなで死について考えてみよう」といい意味でゆるい雰囲気で運営できているのがいいところかもしれないですね。
Sakuma:また、やさしいコミュニケーションで始めることもすごく大事だなと思います。今まで考えたことがなかったことや議論の土壌が整っていない場面において、他者から強い言葉で否定されると拒否反応が生まれてしまい、そのコミュニティや議論には戻って来にくくなってしまいます。だから、ビジュアル選びでも言葉選びでも、柔らかいコミュニケーションで、ハードルを下げるように意識しています。
Cho:カードなどのプロダクトについては、精神科医の先生や大学の先生にも確認していただくようにしています。私たちは専門家ではないので、専門家の意見も聞きながら、NGな表現や人を傷つける表現がないかという点には細心の注意を払っています。
この4月からは、新たなプロダクトの商品化に向けてクラウドファンディングも開催されるんですよね。今度はどんなプロダクトを作るのでしょうか?
Koudo:新しく作ったのは「49日のひきだしもなか」というプロダクトです。食用の7色の粉と白あん、雲の形をした最中が入っていて、自分であんこに色をつけて食べられます。元々は葬儀用品などを作られているメーカーの三和物産にお声がけいただいて作り始めたプロダクトです。49日の文化が形だけのものになっているという感覚があって、せっかくなら49日ももう少し故人に想いを馳せる時間として使ってほしいというところからスタートしました。色をつけて食べるので、少し作業が発生するのですが、その作業時間が「故人に思いを馳せる時間」に変わるように、弔いの体験をデザインしました。色をつけながらみんなで故人について話してみるとか、気持ちを色で表現したりして使ってほしいです。
クラウドファンディングは、2023年4月9日から5月28日までの49日間を予定しています。
クラウドファンディングはこちら:
https://camp-fire.jp/projects/view/660847?utm_campaign=cp_po_share_mypage_projects_show
ひきだしもなかも含めて、次々にプロダクトを作られていますが、今後はどのような活動の展開を予定していますか?
Koudo:いずれは法人化したいなと考えています。今やっている場作りやプロダクト作りも続けつつ、もっといろんな人が「死」について考えるきっかけを得られるようなコミュニティ作りもやっていきたいです。
それから、他社さんからご依頼いただいてお仕事することもあるのですが、それらの活動を発展させて「デス業界」全体のリデザインに取り組みたいとも思っています。既存の葬儀やグリーフケアなどの考え方を変えていくことにプラスして、デザインの力でプロデュースできる存在になっていきたいです。
終わりに
彼女たちの活動のターゲットはZ世代やミレニアル世代だという。まだまだ死に遠い若い世代をターゲットにするのはなぜなのかと聞くと、Choさんは「少ない人数で、たくさんの人を弔うことになるから」だという。今後、若い世代は自分たちよりも母数の多い上の世代との死別を数多く迎える。そう考えると、いま、このタイミングで「死」について考えておくべきだというのも納得だ。
大切なのは「死」そのものへの対処だけではなく、死別によって残された者へのケアである。「タブー」という言葉の元に、傷つきや悲しみをスルーし続けるのには限界がある。そんなとき、さだまらないオバケの作る場やプロダクトが必要とされているのだろう。
49日のひきだしもなか クラウドファンディング
期間:2023年4月9日(日)〜5月28日(日)
URL:https://camp-fire.jp/projects/view/660847
概要:美味しいもなかをつくりながら、 "故人への想いをひきだし、今を生きる希望をひきだす”「49日のひきだしもなか」
49日はもちろん、そのほかの法事や葬儀、お盆などの家族や親戚・友人知人が集まる場の真ん中に、ひきだしもなかが雲のようにふわりとあることによって、一人一人の故人への想いをひきだしてくれる、そんな体験を含めた手づくりもなかをつくりました。
これまでの49日のカタチに囚われずに、故人を大切に想うすべての人が、それぞれにあったカタチで弔いをする、「新しい49日」を提案します。
取材・文:白鳥菜都
編集:三浦永
写真:さだまらないオバケ提供