よりよい未来の話をしよう

俳優×起業 パラレルキャリアで見つける自分らしい働き方

就職時に“一生涯の職を選ぶ”人が大多数を占め、大手企業に入ることこそ「正解」と言われていた時代から、世の中は少しづつ変わってきた。

「リモートワークを主軸にした2拠点生活」「卒業してすぐの起業」コロナ禍を経て、キャリア形成の仕方や働き方がどんどん多様化していく社会のなかで、あなたの理想の「キャリア」はなんだろうか?

どんな「仕事」につき、どう「生きたい」だろうか。私自身も、俳優をしながら経営者でもあるという立場上、「パラレルキャリア」や「働き方」について問われる機会が増えた。また、趣味で始めた語学学習が、「キャリア」に繋がることもあった。これらの経験をもとに、改めて理想のキャリアや働き方について考えてみることにした。

キャリアとは

「働くこと」を語る上で必ず使われる「キャリア」。一般的に、経歴・就職のイメージで使われることが多い言葉だが、実は2つの意味の「キャリア」が存在する。

ひとつ目は、「ワークキャリア」という狭義のキャリア。
これは、いわゆる私たちのイメージするキャリアのことで、「職業」や「職務の連鎖」などと表現される。過去から未来への長期にわたる職務経験や、それに伴う計画的な能力開発の連鎖を指す。

そしてもうひとつのキャリアは、「ライフキャリア」という広義のキャリア。
「生き方」や「人生」、「経験」などと表現され、仕事のことだけではなく、その人の生涯や、個人の人生とその生き方そのものと定義される。(※1)

言われてみれば当たり前だが、「どんな風に生きたいか」、つまり「ライフ」について考える際には、必然的に1日8時間以上を費やす仕事「ワーク」について考えることになり、どちらのキャリアも切っても切り離せない関係にある。

ワークキャリア

私のワークキャリアの始まりは4歳。子役ブームの真っ只なか、子役をやっている友人のように私も可愛い服が着たいから、という単純な理由で子役の仕事を始めた。

順風満帆とはいかず、ドラマやCM、スーパーのチラシまで様々なオーディションを受けては落ち、受けては落ち、子どもながらにいわゆる「就活」に挑みまくり、エキストラとして撮影に参加することもあった。主に広告やバラエティに携わらせていただくなど、趣味や習い事程度の活動を続けていたが、中学校進学を機に1度芸能活動を終了した。

その後、愛情を注いだクラシックバレエの道でバレリーナを志すも、怪我で諦め、燃え尽き症候群になっていたが、芸能事務所にスカウトされたことをきっかけに、第2のワークキャリアをスタートさせた。

事務所へ入った当初、私はモデル志望だったが、思春期に背が思うように伸びなかったことから、当時のマネージャーさんに勧められて映画のオーディションを受け始めた。

芝居を始めてみると楽しくて、作品を重ねるうちにモデルと俳優どちらもできないだろうかと考えることが増えた。

今となっては、俳優業と並行してモデルやグラビアを始める方も増えて、少しづつ理解が広がり、モデルで俳優という肩書きの方も当たり前のように増えてきたが…。

私が俳優になった頃は、SNSもなく、役者と呼ばれる「芝居しかしない」、いわゆる「職人のような俳優」がかっこいいと言われていた時代だったこともあり、欲張りな私はなんだか中途半端なポジションだった。それでもフレッシュな10代は良い役に恵まれ、勢いで駆け抜けられたものの、個性が出せずに悩む暗黒時代の20代が待っていた。

※1 参考:厚生労働省「キャリア健診の概要」https://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/kyarikon/dl/kenshingaiyou.pdf

好きなことを仕事にする難しさ

撮影風景:ショートドラマ「今日も浮つくあなたは燃える」

就職時期を迎える周りの知人からは「好きなことを仕事にできて良いね」と言われ、私自身もはじめはそう思っていた。たしかに「演じること」は「好きなこと」であり、その「好きなこと」を仕事にできるのはごく一部の人だけ。本当に有り難く、恵まれていると思っていた。

しかし、それと同時に「好きなお仕事」の1つひとつ、全てのことを純度100%で「好き」と言えるだろうかと自分自身に問えば、簡単に「はい」とは答えられない自分がいることにも気づいてしまった。

「好きな仕事」を続けるためには、想像以上の努力が必要であり、「好きな仕事」のために我慢をすることも沢山あるのだ。この大変さを、仕事を選んだ時の夢いっぱいな私に、誰も教えてくれなかった。

理想と現実の間で挟まれ、オーディションに落ち続け、時には職を失う恐怖と向き合いながら、自分の「好き」という気持ちを、どうにか奮い立たせて働いていた。

就職のタイミングは、悩みながらも一大決心で職を選ぶだろう。しかし本当は、始めることよりも「続けていく」ことの方が何倍も大変で、自信なく揺らぐ心と向き合う決心が必要だ。

そんな多感な時期に、私の「ライフキャリア」が始まった。

ライフキャリアを見つめ直す

私の人生を見つめ直すと、仕事ばかりの日々だった。早くからワークキャリアを築き、学生時代も俳優として活動したことは大切な時間だったが、それ故に個人の人生やその生き方は全て「ワークキャリア」にすり替わってしまっていると気づいた。

そして、前回の連載でも少し触れたが、2014年から農業を始めた。

そこから7年ほどは、本当にただの趣味として農業を続け、土に触れて、太陽を浴び、風に吹かれ…新潟の家族の優しさに触れると深呼吸ができ、演じている役から抜けて、小林家の長女の涼子に戻れる気がした。

ライフキャリアとワークキャリアのグラデーションがつくられたきっかけの1つ「語学学習」

農業開始と同時期に、韓国語を学び始めた。以前、韓国ドラマのリメイクを演じたことをきっかけに韓国の広告に起用され、とても楽しい撮影だったものの、言葉が通じずもどかしい思いをした。そこで、持て余していた時間を使い、独学で韓国語の勉強を始めた。最初はなんとなく始めたものの、成果が見えるように検定を受けることを目指して勉強することで達成感があり、自分の自信にも繋がった。その後、その自信を糧に、過去10回も挫折した英語の勉強を始め、今でも続けている。

そして、習得した語学は、俳優業でも農業でも使うようになった。ワークキャリアの過程で抱いたもどかしさから、ライフキャリアとして語学学習を始め、その経験がワークキャリアにまた活かされる。語学学習は、ライフキャリアとワークキャリアのグラデーションをつくるきっかけの1つとなった。

パラレルキャリア

「パラレルキャリア」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「セカンドキャリア」(※3)や「副業」(※4)に比べると、まだ聞く機会が少なく、認知度も低いように感じる。

この「パラレルキャリア」は、「ワークキャリアとして本業を持ちながら、第2の活動をすること」という意味であり、この「第2の活動」は、職業としての活動以外にも、ボランティア活動のような収入を伴わない社会貢献活動など、幅広い活動が含まれている。

その点が「セカンドキャリア」や「副業」と大きく違うところである。

私がライフキャリアとして始めた農業は、最初は収入を伴わない趣味であったが、今では第2の職業として「ワークキャリア」にもなった。

また、習得した語学は、俳優業でも農業でも使っている。

まさに「ライフ」と「ワーク」を「パラレル=同時進行で、並行しながら」進める事で、どちらにもポジティブな反応があり、相乗効果を感じている。

キャリアへの思い込み

今でこそパラレルキャリアへの可能性を感じている私も、実は公言せず、こっそりと起業し、会社のことを進めていた。

それは、私程度の農業の携わり方で「職業」ということに対して、どこか自信がないと感じていたからだ。

農業に携わる中で、農業の厳しさや大変さにも触れ、「私が”仕事にしている”と言うには甘すぎる」、「お金を稼げないと恥ずかしい」と思っていた。

“キャリア”を今までの固定概念的に「職業」と捉えれば、確かに難しいだろう。突然、未経験のジャンルで仕事を始め、稼いでいくのはあまりにハードルが高いようにも感じてしまう。

しかし、「パラレルキャリア」として始めてみるとどうだろうか。最初は収入が伴わないかもしれないが、まず活動を始めてみることでいつの間にかそれぞれのキャリアが化学反応を起こし、相乗効果を生み、その結果、個性的な「独自のキャリア」を形成することに繋がる。

また、別の例でいうと、「子育て」は立派な「パラレルキャリア」であると思う。株式会社AGRIKOでは「お母さん」の雇用を推進している。

一般的に、女性が出産や育児で職場を離れることは”キャリアから外れた”と捉えられがちだ。しかし、言葉を話せない時期から、繊細で複雑な感情を持つ思春期…と365日変化だらけの子育てにおいて、子どもの状況や些細な変化に気づき、気を配り、そっと導く存在である親の存在は偉大だ。「ワークキャリア」ではないにせよ、「ライフキャリア」においては、素晴らしい「キャリア」の1つであり、尊敬している。

私は、お母さんの持つ洞察力や指導力は、チーム戦を進めていく会社経営においても必要不可欠な能力だと感じており、社会でもっと評価されるべき「パラレルキャリア」だと思っている。

※3 用語:言葉の通り、「第2の職業」を指す。育児や子育て後や定年退職後に従事する職業のこと
※4 用語:本業以外の職業で収入を得ること

パラレルキャリアの可能性

自分の知りたいことに簡単にアクセスでき、すぐに結論を出せる現代において、長い時間を掛けてキャリア形成をすることは、時に非効率な気もするだろう。

しかしながら、冒頭からお話してきたように、「ライフキャリア」と「ワークキャリア」は複雑に絡みあっており、一見無駄に見える経験は、新しい個性や自分らしい働き方を形成する一因になりうる。

私自身がそうであったように、今仕事について悩んでいることの解決策は、思わぬところにあるのかもしれない。

タイパやコスパ、全てにおいて効率的であることが求められる現代社会に反するようではあるが、「興味がないから」とよく知る前から判断し知る機会を逃すことは、自分自身のまだ見ぬ可能性を潰してしまうようなもの。

ワーク・ライフ全ての経験を多面的に活かすことで、自分らしい「パラレルキャリア」を作り出し、それをこの時代を生き抜く糧にしてみたらどうだろうか。

 

小林涼子
俳優・株式会社AGRIKO代表取締役
NHK夜ドラ「ワタシってサバサバしているから」やテレビ東京「ダ・カーポしませんか」にレギュラー出演中。 また2022年よりJ-WAVE「STEP ONE」火曜ナビゲーターを勤める。
俳優業の傍ら、家族の体調不良をきっかけに自身が代表の株式会社AGRIKOを設立。
世田谷区桜新町にて農福連携ファームを運営。

 

文:小林涼子
編集:たむらみゆ
写真:DRAWING AND MANUAL