妊娠・出産は、女性の人生においてもっとも大きなライフステージの転換期と言える。新しい家族を迎える喜びの一方で、身体面の大きな変化や、育児へのプレッシャーなどから精神面でも不安を抱える場合が多い。特に、コロナ禍で産後うつとなる女性が3人に1人まで増えている(※1)。そんな産後女性の心身をケアし、新しい家族の始まりを支援する「産後ケアリゾート」が、続々とオープンしている。首都圏では2021年12月に神奈川県・葉山に「産後ケアホテル マームガーデン葉山」が、2022年3月に神奈川県・川崎キングスカイフロント東急REIホテル川崎内に「HOTEL CAFUNE」などが開業した。
※1 参考:株式会社カラダノート 「妊産婦のメンタルヘルス調査(2022年3月4日~3月13日実施)」(2022年)
https://corp.karadanote.jp/archives/4871(2022年8月8日閲覧)
出産は女性の心身に大きな変化をもたらす
出産によって、女性の身体が受ける影響をご存じだろうか。
出産が与える身体へのダメージは、「全治数か月の怪我を負ったのと同じ」と言われる。産褥期(さんじょくき、出産直後から6〜8週間目)は、妊娠・出産で変化した身体が元に戻ろうとする期間である。それに伴い、ホルモン変化による心身の状態悪化や悪露(おろ)、歩けないほどの骨盤の痛み・腰痛、座れないほどの会陰部の痛みなどが発生する。
この時期には、身体の変化にとどまらず精神面でもこれまでの自分と母親としての自分の間に葛藤が生まれやすい。「子どもをちゃんと育てられるか」という育児への不安やプレッシャー、子どもの夜泣きによる睡眠不足などから、産後うつとなる女性が多い。2022年3月に株式会社カラダノートと松島みどり筑波大学准教授が実施した調査によると、産後うつ状態の女性は妊産婦合計で32%であった(※1)。2020年10月の調査では産褥期で約24%、妊娠期で15%であった(※2)。一般的には、産後うつの発症率は15%程度である(※3)ため、単純に比較するとコロナ前の倍以上の水準になったことが分かる。このような精神状態の悪化により、産後1年以内の女性の死因で最も多いのが自殺だという(※4)。精神的な落ち込みは、家族や生まれた子どもとの関係悪化にもつながる恐れがある。
※1 参考:株式会社カラダノート「妊産婦のメンタルヘルスに関する調査(2022年3月4日~3月13日実施)」(2022年)
https://corp.karadanote.jp/archives/4871(2022年8月8日閲覧)
※2 参考: 株式会社カラダノート「新型コロナウイルス禍における心身の健康の変化(2020年10月8日~10月12日実施)」(2020年)
https://corp.karadanote.jp/archives/3580 (2022年8月8日閲覧)
※3 参考:精神神経学雑誌 第124巻(2022年)別冊Web版「精神疾患を合併した、或いは合併の可能性のある妊産婦の診療ガイド 各論編」(2021年4月)
https://fa.kyorin.co.jp/jspn/guideline/kALL_s.pdf (2022年8月19日閲覧)
※4 参考: 国立研究開発法人 国立成育医療研究センター「人口動態統計(死亡・出生・死産)から見る妊娠中・産後の死亡の現状」(2018年)
https://www.ncchd.go.jp/press/2018/maternal-deaths.html (2022年8月8日閲覧)
産後の女性へのケアは不足している
上記のように、出産は女性の心身に大きな影響を与える。しかし、妊娠中や出産直後の女性へのケアは十分でない。産後、退院してすぐに家事や育児が求められることも多い。さらには周囲からは「無痛分娩による出産だと、身体を痛めて産んでいないので大切にできない」「母乳育児でないと子どもの発達に影響がある」など思い込みによる、出産や育児に関するアドバイスを受けることもある。こうした迷信やアドバイスが、女性へのプレッシャーとなる例も少なくない。
このような状況は、妊娠・出産が女性の心身へ与える影響が歴史的に軽視されてきたことを示唆しているだろう。コミュニティの解体や核家族化、そして女性の身体的・精神的影響の軽視が引き起こしてきた現代の産後女性への過大な負担を、ケアする必要がある。
「産後ケア」で出産直後の女性の心身の回復を促す
そんななか、出産を経てダメージを受けた女性の心身をケアし、生まれた子どもや新しい家族の出発をサポートする「産後ケア」を重視する動きが生まれ始めている。「産後ケア」とはどのようなものか。また、産後の女性とその家族はどのようなサービスを受けられるのだろうか。
産後ケアは産褥期から産後1年間にわたり母親と、その家族をサポートすることを指す。産後ケアの歴史を遡ると、日本でもコミュニティ内で産後の女性をサポートする仕組みがあった。その後、核家族化や過疎化が進んだことで、家族やコミュニティによる産後女性のケアは姿を消したものの、近年までは里帰り出産をする女性も多かった。出産を控えた女性が出産直前から実家に帰り、実母の協力を得つつ育児をスタートさせる。これにより、女性は産後の心身をケアし、余裕をもって育児をスタートすることができていた。しかし新型コロナウイルス感染症の影響や高齢出産が増えたことで里帰り出産は難しくなっている(※5)。
このような状況で、活用できるのが「産後ケア」である。サービスの提供主体は様々だ。自治体や病院が行うものに加え、産後ケアを専門的に行う施設も登場している。形態も、オンライン相談から訪問型や通所型、宿泊型などがある。サービス内容は、基本的に女性の心身のケア(子どもの一時預かりや食事の提供)、乳児のケア、育児指導などが多い。そのほか、施設によってはマッサージやエステ、母子参加型のイベントなどを提供する場合もある。
上記のような機能をもつ「産後ケア」だが、厚生労働省が2019年に公表したレポートによると、日本における宿泊型の産後ケアの利用率は、0.88%であった(※6)。産後ケアサービスが普及しているとは言えない現状に対し、2021年4月に改正母子保健法が施行された。厚生労働省は各自治体に対し、産後女性の心身や育児のサポートなどのケアを行う努力義務を求めている(※7)。
自治体における「産後ケア」の取り組みが強化される一方で、民間における取り組みも増えつつある。その中のひとつ、「産後ケアリゾート」とはどのようなものか。また、利用者はどのようなサービスを受けることができるのだろうか。
※5 参考:市川香織.「産後ケアの文化的背景と現代の課題についての一考察」(文京学院大学保健医療技術学部紀要 第8巻 2015:23-30)
https://www.u-bunkyo.ac.jp/center/library/hst2015_023-030.pdf (2022年8月7日閲覧)
※6 参考:厚生労働省 「産後ケア事業の利用者の実態に関する調査研究事業 報告書」(2020年9月)
https://www.mhlw.go.jp/content/000694012.pdf (2022年8月8日閲覧)
※7 参考:厚生労働省子ども家庭局長 「母子保健法の一部を改正する法律の施行について(通知)」(2020年8月5日)
https://www.mhlw.go.jp/content/000657398.pdf (2022年8月8日閲覧)
産後ケアリゾートが続々とオープン
病院や自治体によって提供される産後ケアは、病院や助産院などでの母子支援であることが多い。それに対し、民間企業が提供する産後ケアリゾートは、母親や家族がホテルに宿泊しながら包括的にケアを受ける場合が多い。
産後ケアリゾートは、数日間の宿泊を前提に女性の身体面のケアと育児のスタートのための支援を行う。母子だけでなく家族も宿泊することができるため、家族全員がリラックスした状態で新生児を迎えることができる。
2021年から2022年にかけてオープンした「産後ケアホテル マームガーデン葉山」と「HOTEL CAFUNE」を例に挙げる。
「産後ケアホテル マームガーデン葉山」は2021年12月に神奈川県・葉山に誕生した産後ケア施設である。同施設を運営するのは企業保育園を手掛ける株式会社マムズだ。出産で疲労した女性の心身の回復のため24時間体制で乳児を預かるほか、専門家による育児サポートや相談、産後の身体回復を重視した食事、産後SPAなどのサービスを提供する。オプションとして利用できるサービスには、よもぎ蒸しやエステ(有料)などもある。母親は、海の見えるリゾートホテルでしっかりと心身を休め、育児サポートを受けながら余裕を持った育児生活をスタートさせることができる。また、家族(出産女性のパートナーや子ども)も滞在することができ、家族全員が育児指導を受けながら育児の準備を行うことができる。カラオケルームや読書スペースなどもあり、まるでリゾートホテルに旅行に来ているかのようにリラックスして過ごすことができる(※8)。
「HOTEL CAFUNE」は2022年5月に神奈川県・川崎の川崎キングスカイフロント東急REIホテル内で提供が始まった産後ケアサービスだ。運営するのは金沢の「香林居」や関西に展開する「HOTEL SHE」などを手掛ける株式会社水星とその子会社である株式会社3ミリ。新しい家族の始まりの瞬間を、パートナーシップをより強めるためのかけがえのない時間にする「ファミリーハネムーン」というコンセプトでサービスを提供する。育児相談やサポートに加え、コミュニティ形成のためのプログラムなども提供することで、安心して育児を始められるよう支援する(※9)。
産後ケアリゾートでは、母親が心身の回復に集中できるだけでなく、スパやエステなど美容の面でもリラックスし、自身を整えることができる。母親自身が自分を大切にし、自信を取り戻すことができるのは産後リゾートに滞在することで得られる大きなメリットだろう。
※8 参考:産後ケアホテル マームガーデン葉山ホームページ
https://www.mom-garden.jp/
※9 参考:HOTEL CAFUNEホームページ
https://www.hotelcafune.com/
海外では産後ケア施設が普及している
海外においては、産後の女性とその家族をケアするためにどのような仕組みがあるのだろうか。
韓国では、産後21日間は「三七(サムチルイル)」という養生期で、「産後女性は身体を休めるべき」と言われている。1990年代後半以降、この期間には産後女性の多くが「産後調理院(韓国における産後ケアホテル)」に滞在するようになった。一般に、産後ケアの専門施設として運営されている。サービスの内容は、母親の休養のためのプログラムを中心に、エステやマッサージ、育児指導などである(※10)。この施設は『パンドラの世界〜産後ケアセンター〜』(2020)というドラマでも題材として取り上げられている。ドラマ内では母親たちが食事や育児ケアなどのサービスを受けながら、母親同士で情報交換をしたり交流する姿が描かれている。産後ケアリゾートは、出産直後で孤独を感じやすい母親同士のコミュニティを形成するという重要な機能も期待できる。
中国でも、出産後1か月は「坐月子(ズオユエズ)」という養生期間があり、母親は休養を取るための様々な決まりごとがあった。現在は、産後の女性は「月子センター」「月子中心」という産後ケア施設で、身体回復のための産後ケアや子どもの世話を受けながら滞在する場合が多い(※11)。
このように、アジアの一部の国々では日本よりも産後ケア施設や産後ケアホテルの利用が普及している国が多い。国内における産後ケア施設の普及やサービス設計などの参考にすることができるだろう。
※10 参考:勝川由美,大賀明子,永井祥子,坂梨薫.「韓国の出産と産後ケアの現状 - 産後ケア施設の誕生の背景と課題に関する文献検討」,「Yokohama Journal of Nursing」Vol1,No.1,pp.1-9,2018
https://core.ac.uk/download/pdf/228456953.pdf (2022年8月8日閲覧)
※11 参考:安, 姍姍. 「現代中国都市部における産後の養生「坐月子(ズオユエズ)」 -近代と伝統の葛藤. コンタクト・ゾーン」 2015, 7(2014): 134-158
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/209806/1/ctz_7_134.pdf (2022年8月8日閲覧)
まとめ
出産は、新しい家族を迎える人生の大きな節目であり、多くの人にとっては幸せな瞬間だろう。一方で、子育てはこれまでの生活とはまったく異なる困難の連続でもある。女性は妊娠・出産という人生でもっとも大きな身体の変化を経験する。妊娠前の身体とは違い、自分の身体なのにコントロールが効かない。心身の回復途上で一晩中夜泣きに対応し、授乳や沐浴など慣れない育児をする。子どもの命を一手に背負うプレッシャーははかり知れない。退院して自宅に戻ると、まったく知らない世界に1人取り残されたようで孤独を感じる女性も多いだろう。
これからは、母親は産後の不安や、身体面の大きな変化を1人で抱える必要はない。産後ケアを受け、家族がそろって育児に備えることは新しい家族の始まりに、当たり前であるべきだろう。
※ 参考文献
1.市川香織.「産後ケアの文化的背景と現代の課題についての一考察」,「文京学院大学保健医療技術学部紀要」第8巻(2015):23-30看護学科
2.福島富士子,みついひろみ.「産後ケア なぜ必要か なにができるか」(岩波ブックレットNo.896)
文:Natsuki Arii
編集:白鳥 菜都
本記事に記載された見解は各ライターの見解であり、BIGLOBEまたはその関連会社、「あしたメディア」の見解ではありません。