よりよい未来の話をしよう

「温泉異能セッション」vol.1 辻愛沙子さん×水野祐さん

社会にインパクトを与える異才を持つ、異業種のゲストを2名迎えて、温泉宿で社会を前進させるヒントを語り合う「あの人の温泉ワーケーション」から派生した不定期連載企画「温泉異能セッション」。初回となる今回は、神戸の中心地「三宮」から車で5分ほどのところにある天然温泉旅館「神戸みなと温泉 蓮」で、クリエイティブディレクターの辻愛沙子さんと法律家の水野祐さんをゲストに迎えた。

今回初めて対面するという異業種のお2人は、温泉という非日常的な環境でどんな化学反応を起こすのだろうか?(関連記事:「あの人の温泉ワーケーション」vol.1 辻愛沙子さんvol.2 水野祐さん

どこまでも社会軸の人、「好き」が出発点の人

水野:辻さんは、どのようにして今のキャリアにたどり着いたのですか?

辻:私はキャリアを逆算して行動したことがあまりありません。「これを発言することが私にとってどう影響するか」というより、私という人間が今の日本社会で発言をすることの意味や、担う役割を考えています。
今、社会はあまりにも経済合理性とコストパフォーマンスを重視しすぎていて、多くの人は、何者かにならなければいけないというプレッシャーを感じているように思います。なので、現状を見ると私が自己ブランディングしているように見えるかもしれませんが、実際にはその真逆なんです。目の前のことに全力で向き合ったり、その時に社会に必要だと思うことを一生懸命作っていたら、少しずつ今のキャリアに近づいていったような感覚なんです。この先もあえて戦略的になりすぎず、今はまだ想像もできないような、“変化”が起こり続ける人生でありたいなと思っています。水野さんのキャリアの変遷は?

水野:昔から映画、音楽とかのサブカルチャーが好きだったので、そういうものに関わる仕事をしたいなと思っていました。大学ではたまたま法学部に在籍していたのですが、弁護士の資格で、自分の好きなカルチャーに携わる人たちのサポートをしたいと思いついたのがスタートです。
なので、弁護士になりたいというよりは、アーティストやクリエイターのサポートがしたかったというのが最初の動機だったんです。それで、弁護士の資格を取って仕事を始めたら、発想さえ柔軟にやれば「やれること沢山あるじゃん」と。それでどんどん仕事の幅が広がっていったという感じです。今の時代、インターネットを使って新しいアイディアや事業を社会実装させていく人たちはみんな、クリエイターだと思っています。

多くの人を巻き込むために大事な「越境」って?

それぞれのフィールドで社会と向き合うお2人ですが、社会課題の解決に向けて、これから特に重要になってくる点を1つ挙げるとすれば、どのような事でしょうか?

辻:今の日本社会には、「越境」もしくは「連帯」が足りていない気がするんです。どんな人でも1日は等しく24時間だし、1人だけでできることには限界があります。だからこそ役割分担をしたり手を取り合いながら共生していくことが必要ですよね。ですが、仕事や地位、名誉、今で言うとSNSのフォロワー数などの"数値化できる"ものをその人の絶対的な"価値"として評価しすぎているように思うんです。
"価値"のある人に光が当たりがちですが、社会を構成しているのはその人たちだけではありません。人々が壁を作らず連帯していくことや、個人が複数の主語を持つこと、主語の中にもグラデーションがあると知ること、民主主義的に社会を変えていくことが希望なのではないかと思っています。
私が声を上げ続ける理由は、多くの人が心の中に元々持っていた「違和感」や「痛み」を可視化して、変化を起こしていくためです。「声をあげていいんだ」「ひとりじゃないんだ」と思う人がひとりでも増えればと思っています。「声を上げるための種を植えていきたい」という感覚ですね。

水野:つまり人々のリテラシーを上げるということだと思うのですが、「頑張ってリテラシーを上げよう」と呼びかけることの次の段階は、辻さんはどのように考えているのですか?

辻:私は、非言語的な領域が大事なのではないかと思っています。感情や情緒には、リテラシーでは絶対に越えられない壁を、ゆうに越えていく力があると思っています。
たとえば、アーティストが作品でメッセージを届けたり、課題を可視化する映像作品などを届けることで、それまでは社会問題に対して距離を保っていた層の人たちが、声を上げてくれることがありました。ロジックを超えて、「その方が素敵だと思った」「黙っているよりかっこいいよね」というような感覚を起点にするからこそ、社会を変えられる場合もあるんです。なので、異なる領域に属しつつ同じ方向を向いている人たちが越境して集うことのできる場所が、もっと必要なのではないかと思います。

弁護士が支える、クリエイティブの可能性って?

弁護士としての水野さんの立ち位置は、かなり異色だと感じています。法は基本的に守るべきものであるという点を前提にしながらも、法律のグレーゾーンを有用に使っていくという弁護士像は、どのように作られてきたのでしょうか?

水野:私もまだ模索の日々ですが、「人のクリエイティビティやその可能性が法によって阻害されているのではないか」という疑問は、自分の中にも業界全体にもあると思うんです。なので、法律を使って、できるだけクリエイティブの可能性を広げたいと常に思っています。
たとえば、新規事業のアイディアに関する相談が来ると、多くの弁護士は、法的に何かしら問題を抱える可能性を感じた場合、そのリスクを指摘します。そうすると、特に大企業だと事業がストップしてしまい、そのアイディアは世の中に出て行かなくなってしまうんです。まだ起こっていないリスク回避による機会損失をすごくもったいなく感じます。
事業の違うやり方の可能性やリスクに対するフォロー方法など、できるだけアイディアが生き残る可能性が高い方向を考えるのが、法律の領域におけるクリエイティビティなのではないかと思います。
でも、私から見ると、それに取り組まずにサボっている法律家が日本では多いように感じています。だから、良いアイディアがどんどん死蔵していく。そのことによって面白い事業や表現が減ってしまっているのではないかと思います。

社会を動かす原動力はどこから生まれるのか?

おふたりの社会問題に取り組む原動力は、どのようなところにあるのでしょうか?

辻:私はすごく主観的なタイプで、自分の「中」に情熱があり、常に沸々と熱が沸いている感覚です。水野さんは情熱が「外」にあるタイプのような気がします。その人の外側に情熱の向く先があって、「目の前にある可能性が消えることがおかしいと思う」という感じというか......。水野さんご自身はどんなタイプだと思いますか?

水野:私は基本的には自分のことしか考えていない利己的な人間で、誰かのために動くというのは苦手ですね。結果的に他人のためになることでも、自分が楽しいから、自分がそうなってほしいから行動しているという思考を徹底しているところがあります。

水野さんのおっしゃっている、「誰かのためにということはあまり考えずに、利己的にやる」というアプローチが、結果的に社会に与えるインパクトや、それがもたらす社会の進展を考えると、結果的に利他に直結している場合はあるのではないでしょうか?

水野:結果的にそうなったらラッキーだとは思います。最近では「効果的な利他主義」なんていう言葉も広がってきていますが、ただ唯一私が警戒してしまうのは、利他的になることを目的化してしまうことなんです。あんまり人間ができていないので、利他を目的とすると見返りを求めてしまうような気がするんです。

辻:その感覚もすごくわかります。私は、あらゆることの主語を「社会」にして捉える習慣があります。たとえば、パートナーと将来について話すときも、自分のライフプランとして結婚の話が出たとして、それと同時に選択的夫婦別姓や同性婚がなかなか実現しない現状など、"婚姻にまつわる社会の不均衡"の話がセットで出ます。日常のあらゆることが社会と結びついているんです。
私が社会に向き合うのは「自分にとって居心地の良い社会になって欲しいから」という自分軸でのモチベーションより、誰かが踏みつけられている現状を「社会はそういうものだから」と放置したくない、という思いからきているように思います。利他的のように聞こえるかもしれませんが、むしろ"他者の痛みを無かったことにする社会で生きたくない"という自分自身の欲求が根底にあるなと。

水野:次の世代にバトンを引き継ぎたいというイメージですか?

辻:そうですね。自分の人生を全うして、バトンを渡したい感覚に近いです。ただ、バトンを渡す領域を1ミリでも広くしたい点だけは、多分自分のエゴだと思います。社会に対して自分の果たせる役割にはいろんな選択肢がありますが、「自分に与えられた役を全部やり尽くしたい。社会にとって自分が1番寄与できるであろう役割を全うする」という感覚に近いです。だからか、自己ブランディングや自己実現といった、矢印が自分に向いている欲望のようなものにはあまり関心が無いように思います。やってみたい企画や、解決したい課題は山のようにあるのですが。

水野:面白いですね。もはや利他や利己といった概念でもないように思えます。

社会にとって、必要な事だからする。
そこに迷いは無い

辻:社会との向き合い方1つをとっても、いろんなタイプがいて面白いですね。自分たちの強みを提供して、より便利なものやワクワクするものだけではなく、人々の人生の可能性を広げるものも提供したい。
たとえば選択的夫婦別姓や同性婚のように、それがある場合と無い場合で、その人の人生の可能性が大きく変わることはあると思うんです。でもそういった事は、食べていくための仕事に繋がりにくく、ジレンマを感じます。水野さんは、それについてはどのように考えていますか?

水野:自分の場合は、食べていくための仕事があるので、お金になるかどうかは気にせず活動できる状態にいるので、必要だと思った事は基本的にはやれます。ただ、これまでも、お金がついてこなくても、社会にとって必要なことで、自分がやりたいことをまずやってみる、ということが、自分のアイデンティティ的にも、弁護士としてのビジネスの生存戦略的にも、最終的にはお金になってるという感覚があります。なので、仕事になるかどうかを考えず、必要性を感じた事で、他の人がやらない事だったらやるという姿勢に対して、あまり違和感は無いですね。

辻:私も、経済合理性だけで考えると一見非効率な事でも、自分の直感に従ってやってきました。なので、すごく安心しました。

社会との向き合い方について、熱く語ってくださった辻さんと水野さん。社会を良くしたいという「炎」が、語る言葉からひしひしと伝わってきた。人生の全てをかけて利他的であろうとすることは、なかなか難しいかもしれない。では、自分にできるやり方は何だろうか。もしかしたら、そのヒントは身近なところにあるかもしれない。自分の好きなものに対して抱く「こうあって欲しい」「これはおかしいと思う」という想いには、社会を良くするヒントが隠されているかもしれない。だからこそ、心の声を素直に聞いてみよう。あしたを良くするヒントは、今日のあなたの中にありそうだ。


取材・文:髙山佳乃子
編集:篠ゆりえ
写真:服部芽生