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漫画家・魚豊に聞く「漫画だから社会に成せること」とは?

漫画『ひゃくえむ。』『チ。ー地球の運動についてー』の作者・魚豊(うおと)さんの新作『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』が面白い。工場で非正規雇用として勤務する19歳の主人公・渡辺くんが、大学生の飯山さんとの「恋」と、“先生”と呼ばれる謎の人物に導かれ巡り合った「陰謀論」に翻弄されながらも成長する姿を描いた物語だ。

言葉と社会に向き合い、自らの作品に昇華する魚豊さん。その魅力が色濃く反映される本作からは、分かり合えない思想を持つ人同士でも「対話することで相手と向き合うことができるのではないか」というメッセージを強く感じる。

そこで今回、あしたメディアでは魚豊さんにインタビューを行った。過去には100m走、地動説を題材にしてきた魚豊さんが本作で「恋愛と陰謀論」を題材にした訳。また本作にいまの社会の流れを色濃く反映している理由や、いまの時代の言葉、さらには今後描きたい題材についても伺った。

「陰謀論と恋愛」は似ている?

さっそくですが、本作の題材に「陰謀論」と「恋愛」を選んだ理由を伺いたいです。

元々、陰謀論に興味があり扱ってみたいテーマの1つでした。ただそれを題材にできるほど自分の中で腑に落ちてはなかったんです。

そんなときに『現代思想』の陰謀論特集(※1)に掲載されている、石戸諭さんの論考を目にしました。内容は、陰謀論者は認知バイアスの根本的帰属の誤りに陥っているという話で、ようは「深読みしすぎている」って話です。

この話を読んだ時に、これって別に陰謀論だけに限った話じゃないなと思って。何かに対して思いを寄せたとき、その対象が自分の中で絶対的な存在になり、対象の一挙手一投足を深読みしちゃう。これは多くの人に経験があると思っていて、そのなかでも1番深読みしがちなのが“恋愛”だなと。なので、恋愛という回路を通せば陰謀論を身近に感じやすいかなと思い、これらを組み合わせて題材にしました。

過去の魚豊さんの作品はいわゆるラブコメから遠い位置に存在していると感じていたのですが、理由を聞いて納得できました。

そうですね、個人的にはそもそもあまりラブコメを読んできませんでしたから(笑)。ただ『チ。』の連載中に担当の方が毎週恋愛の話をしていて、案外その話を楽しめたんです。そのおかげで、“ラブコメを面白く思える器官”が自分の中に存在していることに気付けました。もしかしたら自分次第で面白い作品が描けるぞと。あと、絶対にやらないと思っていたラブコメだからこそ、作家として挑戦したかったということも1つありますね。

※1 参考:『現代思想 2021年5月号 特集=「陰謀論」の時代』(2021年、青土社)

「渡辺くん」と「飯山さん」で描く「いまの社会」

本作の登場人物についても教えてください。主人公の渡辺くんは非正規雇用で働く、いわゆる社会的弱者に区分される存在です。このような設定にしたのはなぜでしょうか?

渡辺くんは「いまの社会において人々が抱える不安」を体現していて、読者がどこか自分と照らし合わせられる存在にしたかったんです。

いまの社会のテーマとして「自分がどうすればいいのかわからない」ことが長らく存在していると思っています。自分が置かれている状況に兆しが見えず、何をすればいいのかわからなくなって、“大きいこと”を言ういわゆる“カリスマ”に魅力を感じる人が多いと思うんですよ。作中では渡辺くんも、最初は情報商材系の人に飛び付きますし。

先行きが不透明な不安、薄給の辛い仕事をこなしてまで生き続ける意味を見出せない人たちの不安は多かれ少なかれ、今を生きる人たちに共通するところがある。もちろん僕もそういう人間なので、この設定にしました。ただ、それだとしても、「何かに飛び込む」事自体は肯定的に描きたかった。そこのバランスは意識したつもりです。

主人公・渡辺くん

そんな渡辺くんと対極に位置するのが、経済的にも恵まれており、社会課題に対して関心が高い、飯山さんです。飯山さんは社会に対して敏感な、いわゆる“いまの若者像”をわかりやすく反映していると感じました。

もちろん、そういった要素を書きたいという意図がありました。というのも、すごい戯画化していますが、それぞれのキャラクターにいまの社会を生きる人たちを反映したかったんです。

飯山さんで描きたかったことの1つに、「渡辺くんとの出会いで飯山さんも成長する」ということがあります。出会いによる相互作用は、立場が違えど社会的な格差があれど起こると思っていて。本作では、渡辺くんと出会えたことで飯山さんが自身の課題に気付けるという流れにしました。

あと、飯山さんのように社会に対してポジティブなアクションを起こす人間が魅力的に映るような漫画でありたいというのは意識していて、いわゆる「意識高い系」みたいな感じで冷笑される対象にはしたくなかったんです。

飯山さん

飯山さんは渡辺くんと違い、登場のたびに服装が違いますよね。意識して描き分けていたのでしょうか。

おっしゃる通りです。飯山さんはたくさん洋服を持っているので、無自覚に「服を選べる」。言い換えると、あらゆる年代、あらゆる文化、あらゆるスタイルに簡単に触れることができるんです。一方、渡辺くんは1つの服しか着ていません。

僕は「親ガチャ」的に、生まれた時に全てが決定しているとはあまり思わないし、自分次第でなんでも切り開けると思っています。しかし、一方では当然ですが生まれ持っての選択肢の多さは、あらゆる意味での“資本”として少なからずその後の人生にも影響を及ぼします。そういった“出自”のスタートダッシュが、社会に出たときに「センスの良さ」みたいなものと結びつき、構造的な問題として格差のある社会にも繋がる可能性がある。服は1つの象徴に過ぎませんが、衣装を通してそういう面を表わせればなと思い描きました。

渡辺くんと飯山さんで靴の汚さも描き分けている。

“いまある問題”も結局は“いまに始まった問題ではない”

「出会い」の相互作用についてお話しいただきましたが、過去作の『ひゃくえむ。』や『チ。』でも、物語の大きな転機に、出会いがありますよね。 

人や本、動画でもいいんですけど、何かに「出会う」ことで「人生が変わる」ことは、豊かな人生を歩むために100%必要だと思っています。ただ、これっていまの社会ではなかなか難しいことだと思うんです。

動画配信やWeb漫画など「出会い」の機会自体は増えていますが、そう感じるのはなぜなのでしょうか?

1つ言えるのはあまりにも情報が溢れすぎていて「何を選べばいいかわからない」からです。だからこそ自分が何を選択できるかは、ある程度“運”も関係しているはずで。本作でいうと、渡辺くんにとって分かりやすく1本の筋を見出してくれたのが、たまたま出会った陰謀論だった。

現代では「複雑性の中で生きなければならない」っていうことは言われ尽くされたし、そういう言葉に対して乗れない人も増えていると思います。そうなると、乗れる範囲で自分の大切なものをどう作るか、しかもそれが、最悪な形のコミュニティやカルトに回収されないためにどうすればいいかは、考え続けなければならないことだと思いますね。

いまの社会の流れや、価値観を漫画に反映するために意識したことはありますか。 

漫画を描くうえで「普遍性を目指すこと」ですかね。“いまある問題”を掘っていったら結局は“いまに始まった問題ではない”事に辿り着きます。だから、普遍性と現代性は両立出来るはずで、そういうものは目指しています。あとは、漫画を描く時に僕が重視しているのは問題提起です。その作品が「何の問題を提起しているのか」ということと、「その方向性と重み」は意識してます。

漫画だからこそ社会に成せること

魚豊作品を読むと、いままで面白いと思えていなかったことが「面白い!」と思えるようになることが多いです。

それは大変光栄です。そう受け取ってくれる人がいるのは嬉しいです。

魚豊さんが考える「面白さ」に共通点はありますか。

人間にとって本質的なものや普遍的なもの、それでいて自分に対して思想的・哲学的に問題提起してくるものは面白いと思います。ただこれはいわばメタレベルの話で、ベタレベルでは普通に面白いエンタメやギミックの数々は必要だと思います。

自分が面白いと思ったことを読者に伝えるうえで、何か工夫はされていますか?

本作のテーマでもあるんですけど、「本音で言うこと」は意識してます。背伸びせずに本音で語れば、どんな人にでも伝わるし、大なり小なり人の心が動くんじゃないかなと。それは、知識、身体や資本などの格差がある人同士でも可能だと思ってます。

あとは、愛とか希望みたいな「シンプルな言葉」は大切だと思っています。いまの社会ではシンプルな言葉そのものが、「臭くて手垢がついたもの」という認識で覆われているような気がしているんですが、これってすごく不幸なことだと思っていて。というのも、やっぱりそういう言葉しか持ち得ない力もあるし、その言葉だからこそ伝えられることもあるんですよ。

例えば、誰かのことを「愛してる」と思ったときに、その言葉を臭く感じて別のフレーズに言い換える、つまりは1回ブレーキが入ると「言葉が持つ最大出力」が削がれる気がしています。

だからこそ、いかにしてそういう「シンプルな言葉の重みを取り戻せるか」が漫画や物語が社会に成せる、挑戦しがいがあることだと思います。

「SNS」と「言葉」と「人間」がそれぞれちょっとだけ噛み合ってなかった

「時代性」と「言葉の価値」の両方を見つめる魚豊さんにお聞きしたいのですが、SNSで使われる言葉について何か思うことはありますか?

その点ではミハイル・バフチンの『小説の言葉』という本に気になることが書いてありました。ざっくり僕の要約で言うと「言葉は過去から作られるのではなく、未来の相手の反応を含めて言っている」という内容なんですけど、本来、言葉は聞き手の反応という「未来からの制約」を受けて作られてる、ある種のタイムマシン的なものというか、時間を遡ってできてるものっていう指摘です。これこう思って欲しいという期待込みで言葉は生まれてくるし、「あれ、このままいくと滑りそう?」というような状況がいい例で、リアルのコミュニケーションだと誰かの反応を受けて、それを予測しながら無意識に自分の言葉を調整するはずなんです。

これをSNSに置き換えて考えると、相手のリアクションは見えないし、想像しないまま言葉を書き出す訳です。つまり、未来からの制約を無視してるので、SNS上の言葉はすべて“過去からの言葉”なんですよね。さらにそれらがどこに行くかわからず、いろんな人が無限の解釈をしてしまう。ここが、昨今巻き起こっている喧騒の原因の1つなんじゃないかと個人的には思っています。

言葉が他者のリアクションという制限を受けず、全方位に行き交ってしまうSNSのような言論空間を人類が手にしたのはおそらく初めてで、つまるところ、「SNS」と「言葉」と「人間」がそれぞれちょっとだけ噛み合ってなかったんじゃないでしょうか。いつでも誰でも声を上げることができる場は必要だと思いますが、独り言や本音を全人類誰でも聞ける環境が良いかと聞かれるとそれは難しい。「本音と建前」の重要性を改めて認識する時なのかもしれません。

 

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次回作のテーマは「人間に対して大きな影響があり本質的に重要なこと」

今までの題材を並べてみると、「100m走」「地動説」「陰謀論と恋愛」と一見すると共通項がないように感じます。題材はどのように選ばれているのでしょうか?

デビュー作の『ひゃくえむ。』は、自分が思っていたことをすべてを描きました。『ひゃくえむ。』はそういう意味で“個人”の話になったので、次の『チ。』では“世界”の話にしたいなと思って描きました。個人と世界をやったから、次は“社会”かなっていうことで、社会の話を描いたのが本作になっています。

なので、自分なりに一旦1周した感覚があって、次はどうしようと思っていたんですけど、描きたいテーマが何個か見つかりました。

ちなみに、次は何を題材にする予定なのでしょうか?

「個人」「社会」「世界」以外で、人間に対して大きな影響があり本質的に重要だと思えるカテゴリーを見つけたので、それに因んだ漫画を何本か描ければなと考えています。

魚豊作品は、自分の知らなかった世界の面白さを教えてくれる。それだけでなく、人生をかけたくなるほどの熱量、暴力への恐怖、未知への探究心、人との出会いの相互作用など、読後に自分の心に残り続ける何かがある。

それはきっと魚豊さん自身が“面白い”と思うこと、社会の価値観や歴史的背景、言葉の重さなどを咀嚼し、自分なりの解釈で作品に昇華しているからではないだろうか。

ぜひとも『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』を読んだ人は誰かと本作について語り合ってほしい。1人ひとりの“解釈”を知ることで、本作の面白さ、渡辺くんや飯山さんの魅力、言葉が持つ力について改めて実感できるのではないだろうか。

 

取材・文:吉岡葵
編集:篠ゆりえ
写真提供:小学館マンガワン編集部