いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら「インターネット」との関わりについて紐解く。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?
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誰もが様々な動画を楽しめる動画共有プラットフォームは、インターネットの魅力を享受できるツールの1つだろう。そのなかでもYouTubeは、いまや芸能人から一般の人まで、多くの人が自身を表現するツールとして活用し、職業にまでなっている。
そんなYouTubeを使って、日々の在宅介護の様子を配信するのが、お笑い芸人・あしなっすこと芦名秀介(あしな・しゅうすけ)さん。2024年9月7日で101歳になる祖父、廣喜(ひろき)さんとふたり暮らしの生活を配信する「あしなっすの1週間」は、40万人近いチャンネル登録者を抱える。介護という「閉ざされた家庭内の話」とされがちな状況を、インターネットを通じて配信するなかで、芦名さんは何を感じているのだろうか。
音楽・動画編集に出会った中高時代
最初にインターネットに触れたのはいつでしたか?
小学校5年生のとき、父がパソコンを買ってきたのが最初です。父に「これを使って、いろいろ調べられるんだぞ」と言われて、家族で取り合いながらインターネットを使いました。履歴が残るので、父や兄が何を調べているのか、お互いにバレてましたね(笑)。僕は、そのとき流行っていたフラッシュ動画(※1)がたまらなく好きで、そればっかり見ていました。
また、母が独学でエクセルやワードを習得して、そのスキルを使える仕事に就いたんです。僕もその影響を受けて、だんだんとパソコンのソフトを色々使ってみることが好きになりました。
芦名さんは1991年生まれですよね。中高生くらいから携帯電話を持ち始め、インターネットに触れていく人が多い世代だったのではないかと思います。
携帯電話を持ったのは中1のとき。着うたフル(※2)には感動しましたね。だって、それまでの着メロは和音みたいな音しかなくて、音質が良くても64和音(※3)とかでしたから。最初にダウンロードした音楽は、ORANGE RANGEの「花」です。同世代の人には分かるかもしれませんが、当時よく流れていた、携帯電話の音楽配信サービス「LISMO」(※4)のCMで流れていた曲です(笑)。
パソコンを触るのもお好きだったとのことですが、どんな使い方をしていましたか?
中学生の頃から、音楽編集をやっていました。他にも編集をやっている子がいたので、インターネットで見つけた音楽について「あの曲聴いた?」みたいな会話をしてましたね。
高校生からは動画編集もやるようになりました。小学生のときにハマったフラッシュ動画が自分のなかにすごく残っていたので、動画や音楽をいじって「こんなの作ったよ」と友達に見せていました。
あとテレビ番組の「アメトーーク!」が好きすぎて、内藤という友達をずっとゲストに呼ぶ「ナイトーーク!」というしょうもない番組を、友達と3人でやっていました(笑)。昼休みに10分で飯食って、30分で撮影して、それをmixi(※5)にアップして…。結構人気で嬉しかったです。「俺、編集やるよ」っていうやつも出てきて、青春でしたね。
いまの仕事につながる動画編集は、高校時代から始まっていたのですね。
通っていた私立高校にはインターネットに詳しい人から、パソコンをゼロから作る人まで、いろんな人がいたんです。だから僕が動画編集をしているのも、結構普通のことでした。ただ手を動かすのが好きで、部活の合間の息抜きにやっていた感じでしたね。
※1 用語:YouTubeなどの動画共有サービスが開始する前に、インターネット上で流行っていた動画規格。Macromedia(現・Adobe systems)によるwebコンテンツ開発ツールである”Flash Video”を用いて、静止画をぱらぱら漫画のように動かしアニメーションを作成することができ、様々な人気動画が生まれた
※2 用語:2004年にauブランドで開始した、携帯電話で従来の着うたを1曲全てダウンロードできる音楽配信サービス。その後、Softbankやdocomoでもサービスが開始された。当時は1曲200円〜400円程で、中高生の間でも流行した。2021年、全てのサービスが終了した
※3 補足:着うた配信がなされる前は、「着メロ」という歌詞なしのサウンドをダウンロードし携帯の着信音にする人が多かった。このサウンドは性能が上がるにつれ和音数が増え、32和音から64和音や128和音の携帯電話が発売されていた。各楽曲のメロディーラインだけでなく、伴奏やコーラス和音なども再現されるようになっていった
※4 用語:2006年から2019年にかけて提供された、auブランド展開の音楽配信および電子書籍閲覧の総合サービス
※5 用語:「mixi(ミクシィ)」は、2004年に株式会社MIXIが開始した紹介制のSNSコミュニティ
SNS投票を勝ち抜き、CMに出演
2010年前後には、SNSが流行り始めましたが、芦名さんも利用していましたか?
それこそ、Twitter(現X)やFacebook、Instagramがその頃から日本で始まりましたよね。
大学時代はダンスサークルに所属していて、ひたすら「目立ちたい!」と思っていた時期でした。あるとき、イベントの協賛を募る必要があって、ガムのCMに応募することになりました。Facebook投票で上位5人に入ると、賞金とCM出演権が得られるというコンテストです。
Facebookのアカウントを作って、Twitterで告知して、Instagramでも告知して…。でも、全然投票が増えないんですよ。当時江頭2:50さんも出ていて、ぶっちぎり1位だったんですが、僕はどうしても1位になりたくて。何を思ったか、僕は大学の授業で「僕に投票してください!」ってお願いしたんです。
そうしたら、「みんなにも共有して投票するよ!」と言ってくれたり、サークルのメンバーも家族に頼んでくれたりして、途中1回だけ江頭さんを抜いたんです!(笑)最終的には江頭さんには勝てなかったですが、3位か4位になれて、賞金を協賛金に充てることもできました。
みんなに注目されたくて選んだ、吉本興業
大学卒業後、お笑いの道に進んだのはどうしてでしょう?
お笑い芸人には、小学生の頃からなりたかったんです。小学生のとき、嫌がらせをしてくる子がいて、気持ちが暗くなっていた時期があったんですよね。でも、勇気を出してその子に対抗してみんなの笑いを取ったことがあり、そのときの気持ちよさがもう、とんでもなくて。そこからお笑い芸人になることが目標になりました。
そんななか、大学2年生の頃、サークルで面白いと思われる人間の頂点を叩き出したんです。
サークルで「自分が1番面白い」という状態に達した、ということですか?(笑)
ええ。痛い話ですが(笑)。
周りに笑ってもらうとすごく気持ちがいいし、もっとみんなに僕のことを見てもらいたい…!と考えたときに、一旦サークルをやめて、吉本に入るというアイデアがポン、と浮かんだんです。そしたら注目されるだろうなって(笑)。翌年には就活もしようと思っていたので、そのときまでに吉本で成績を残していれば、就活でも強いんじゃないかという思いもありました。
で、実際に吉本に入ってみると、しょっぱなは1番下のクラス。そう、僕、実は全然面白くなかったみたいです(笑)。打ちのめされましたね。
初めてコンビを組んだ相手とはうまくいかなかったのですが、2回目にコンビを組んだ相方が天才的に面白くて。なんと、数ヶ月後には同級生の中で1位になりました。
吉本の同期のなかでも頂点を取ったんですね!それでそのまま、お笑い芸人になられたと。
いや、就職しようと思ってたんですよ。やっぱり面白いことがやりたかったので、テレビ局とか、広告代理店とか、面白いことができそうな会社を選んで受けていました。でもなかなかうまくいかなくて、ちょうど家のことでも色々あったので、「もう普通の道はいいや」と思い、お笑い芸人になることを決めました。
「バズりたい」欲のおかげで知った祖父の好み
お笑い芸人として活動されるなか、コロナ禍でアップしたおじいさんとの生活動画がバズり、動画配信を始められましたよね。そのときはどう感じましたか?
当時から僕はおじいちゃんとふたり暮らしをしていたのですが、その生活風景は、誰も求めてないと思っていました。それまでも自分のダンス動画などはアップしていましたが、おじいちゃんの存在はどちらかというと「自分の要素じゃない」という認識だったというか。でも当時コンビを組んでいた相方に勧められ、とくに期待もなくアップしたんです。
@190cm_ashina 祖父との昼食#97歳 #祖父と2人暮らし #おじいちゃん ♬ オリジナル楽曲 - あしなっす👇 - あしなっすの1週間👇
そこで、最初に配信した動画に、数字の横にKという文字が出てきたんですよ。その意味が分からなくて「なんのKだろう?お金もらえるのか?(笑)よく分からないな」と思っていたら、途中でそれがMに変わって。「マネーのM?え、本当にお金もらえる?!(笑)」と思ってたんですけど、友達から連絡が来て「TikTokすげえな。100万回再生いってんじゃん!」って言われて。そこで「このMは1ミリオンということなのか!」と意味が分かりました。
最初の動画は、おじいちゃんと僕がテレビを見ながらご飯を食べていて、おじいちゃんが口に運んだご飯を落としているのに気づかず、口に入ったと思い込んでもぐもぐしているもの。僕はそれに一瞬で気づいて、「落ちたよ、ほら」とすごくぶっきらぼうに言う…そのアンバランスさが良かったのか、ただおじちゃんがかわいかったのか…バズりましたね。
全く意図しない反響だったんですね。
その後もすごかったです。一度SNSで話題になっても以降はどんどん数字が下がっていく事例をたくさん見ていたので、「自分もこの一発だけだろうな」と思っていましたが、そこから上げた数本の動画も同じくらい再生されて。
僕もそれに応えようと、いろんなことをやりました。全然良くないけど「普通のご飯でバズったんだから、もっと意外なもの食べさせてみたら…」と、おじいちゃんにドクターペッパーを飲ませたことも…。いまは後悔しています。
でもそのチャレンジのおかげで、おじいちゃんがマックシェイクを好きなことや、ご飯よりもパンの方が食べやすいことが分かりました。おじいちゃんの好みを知れたことは、いまの介護生活でもすごく活きてますね。
介護をしている方や、ご家族との関係をよくしたいと思っている方に、食事風景を動画で撮ってみることはすごくおすすめですよ。自分がどれだけ嫌な態度で家族に接しているか、喋り方や態度でいかに家族に甘えてるか、よく分かります。僕もそうでした。
視聴者との交流で気付いた、「リアル」を発信する価値
YouTubeのコメント欄では視聴者同士が経験談を共有しあうなど、大切なコミュニティの場にもなっていると感じます。お互いに情報共有ができる場をつくることも、意識しているのでしょうか?
そうですね。以前、視聴者の方に祖父の命を救われたんです。
おじいちゃんが98歳で倒れたときに、大きい病院ではCT撮って「もう大丈夫ですよ」と言われたことをそのままYouTubeのコミュニティに書き込んだら、100件以上「MRIも撮ってください!」っていうコメントがきたんです。
これだけ言われてるんだから撮らなきゃと思い、一緒に介護をしている叔母に「俺はいまからMRIを撮ってくる!」と頑なに言って病院に行きました。その結果、おじいちゃんの脳梗塞が見つかりました。
視聴者さんのおかげ、そして僕のこの目立ちたがりな性格のおかげでおじいちゃんの命が助かったと思っています。本当に良かったですし、皆さんにとても感謝しています。そのときから、正直に情報発信して損することはないと思うようになりました。
まさに情報発信が、命につながったんですね。
情報発信は僕自身のためでもあるんです。
一度、おじいちゃんがコロナになってしまって、トイレも1人で行けない。でも「行ける」と言い張って勝手に行こうとして、転んで。「もう行かないで!」と言ってもいうことを聞いてくれなくて…。結構僕自身も参ってしまって、おじいちゃんに手を上げそうになったんです。
そんなこともちろんしたくないし、そういう状況に陥ってしまうのは絶対に嫌だと思い、もう手を出さないように、半ば「逃げ」の気持ちで生配信をして全てを正直に話したんです。
そうしたら「いままで芦名さんの動画を見て、こんな介護できたらいいけど、私にはできない…と思っていたけれど、芦名さんも苦労していると分かりました」といった感想をいただいて。そのときに初めて「あ、どっちも発信するのは超大事だな」と思いました。
楽しいときももちろん発信する。でもつらいとき「つらい」とちゃんと発信することで、自分だけじゃなく周りを救うこともあるんだなと思って。その頃から、自分の状況を率直に共有し始めましたね。
ありのままを伝えることの価値を、視聴者さんから教わったのですね。
僕が在宅介護でつらかったことの1つに、外に出ないことで身なりに気を遣わなくなることがありました。
これは僕だけが感じていることだと思っていたのですが、オフ会に来てくださった在宅介護をしている方にも「こういう機会がないと綺麗な格好で外に出ることがないので、嬉しい」と言われたことがありました。そのときにも「自分と同じ人がいるんだな。ありのまま発信することで、なにかできるんじゃないかな」と思いました。
つらかったことを共有することで、ポジティブな発見に繋がることもあるんじゃないかなと。「何かを共有する」という意味においては、インターネットは本当に便利ですよね。
芦名さんの動画に救われている人はたくさんいると、改めて感じました。
ただ、僕が世間一般の介護かと言われたら、いろいろ状況が違うと思っています。言ってしまえば、僕は介護生活を配信して、お金をもらっています。おじいちゃんがベッドを汚したり、夜中に急にご飯作り始めたり、「これは大変だぞ…」と思う瞬間もありますが、同時に「…いや、でも動画にしよう…」っていう思いも正直ありますよ。そこで介護の大変さに対するストレス解消ができるという点は、すごく大きいと思うんです。
状況を全部包み隠さず発信しよう、と思ったのと同じで、僕の場合は動画のモチベーションになっているからこんなふうに楽しめているということは、綺麗事ではなく皆さんに伝えたいと思うことの1つです。
動画配信をきっかけに、「おじいちゃんという個人」と出会えた
おじいさんとの関係について、インターネットでの配信を通じて変わったことはありますか?
おじいちゃんを、改めて1人の人間として、すごく対等だと思えるようになりましたね。
以前、おじいちゃんを宮城県に連れて行くと配信をしたら、ファンの方が会いたいと言ってくれたんです。待ち合わせの仙台駅で降りたら、なんとそこにいたのが88歳のおばあちゃん。おじいちゃんのTシャツを勝手に作って、着てるんですよ(笑)。「YouTube見てるんですか?」って言ったら「はい、めっちゃ元気もらってます!」って。
僕の同世代がアイドルを推す気持ちと全く変わらず、おじいちゃんを推してくれてるんだな、と。そのときに、おじいちゃんも改めて「個人」だなって思ったんですよね。だから「おじいちゃん扱い」みたいにするのは逆に失礼だなって。おじいちゃんも言わないだけで、やりたいことも好きなこともいっぱいあるだろうなと、気づく機会をもらいました。
「介護が必要な人」ではもちろんなく、「廣喜おじいちゃん」という個人と対峙する感覚を改めて感じたと。
そうですね。あと、おじいちゃんが人に言われて嫌な言葉があるんですって。それが「100歳なのに元気ですね」という言葉。「元気なことに歳は関係ねえだろ!」と思うらしいです(笑)。めっちゃかっこいいですよね。
これを聞いたときも、改めておじいちゃんはいち個人であって対等なんだなって感じましたね。インターネット配信をやっていなかったら、知らなかったおじいちゃんの一面でした。
配信を続けるなかでは、応援だけでなく攻撃的なコメントに出くわすこともあると思います。芦名さんはそういった声に対しても、しっかりとコメントを出していますよね。
これまでYouTube配信をしてきて、嫌な思いをしたことは何回もあります。配信をやめた時期もありました。
でも正直言うと、批判してくる人はあまり気にしたくなくて、本当に在宅介護で大変な思いをされていて僕の配信まで辿り着き、配信やコメントを見て「いろいろ助かっています」と言ってくださる方に幸せになって欲しいんです。そういう人たちのためにも、自分の姿勢は一貫していたいと思うので、伝えるべきことはちゃんと言うようにしています。
とはいえ、メンタル的にきついときもあります。でも以前、友人に「道を歩いていて、直接配信について暴言を言ってくる人はいないから。たとえネット上で批判のコメントが多くついても、一度そこから距離をとってしまえば何も変わらないよ」と言われ、その言葉にとても救われました。配信媒体と少し距離を取ることで、状況を少し冷静に見られて、否定的な人よりも褒めてくれる人たちを大切にしなきゃ、と気づけました。
いろんなコメントはありますが、アンチコメントに被せてちょっと面白いことをしてくる人もいて、「ネット界隈にはまだ面白いやついるな」と思えることもありますしね(笑)。
「インターネットだけ」で留まらず、リアルへ繋ぎたい
いまはご自身の配信に加え、他の芸人さんのチャンネルをプロデュースするなど、動画配信を仕事の軸にされています。ご自身の中で、インターネットはどのような存在なのでしょうか。
生活の中心であり、経済的な支えであることは間違いないです。
一方で、インターネットだけで終わるのはすごく嫌なんです。そこで留まらず、リアルな体験まで持っていきたい。動画配信で稼いだ分、おじいちゃんをリアルの旅行に連れて行ったり、美味しいものをご馳走したりしたいです。生配信で出会った高校生に「ラーメンご馳走してください」って言われ、札幌まで行ったこともあります(笑)。最近やっている、介護に関するトークライブも同じです。
自分がつらかったときに励ましてくれた人が、インターネット上にたくさんいらっしゃるので、その1人1人に恩返しをするのは難しいけれど、インターネット上でSOSを出してくれる人には良いことをしたいんです。
そうしないと、自分でもやりがいを見失うというか、「インターネットだけの人」になっちゃいそうで。YouTubeを始めて数年はリアルのイベントもやっていなかったので、インターネットの世界だけになってしまって、逃げ場がなくなったこともありました。その経験から、インターネットとリアルを繋げていくことが自分には合うと分かったので、そこを大切にしています。
最後に、今後芦名さんが取り組みたいと考えていることを教えてください。
1つは、おじいちゃんを究極的に喜ばせたいです。いつか亡くなっても、おじいちゃんが天国で胸張って「いや、うちの孫がすごいんだ」って言えるような活動を、まっすぐやれるような人間でありたいと思います。
もう1つは、介護が原因で起こる無理心中を、1件でも減らしたいです。いま、日本だけでも100歳以上って、10万人いるんですよ。それが2050年には30万人になると言われていて、老老介護が増えると思うんですよね。
僕は革新的な仕組みは生み出せないけれど、僕の配信を見たりトークライブに参加したりすることで、介護をされている方の心が少しでも軽くなり、「明日も頑張ろう!」って思ってもらえたら嬉しいですね。
<今回のインターネット・ポイント>
芦名さんが小学生の頃にハマっていたという「フラッシュ動画(Flash Video)」は、2000年初期にMacromedia(現・Adobe systems)が開発した動画規格で、インターネットの動画文化形成に大きく寄与しました。当時、面白い動画を集めた「おもしろフラッシュ倉庫」が密かにブームを呼んでいました。その背景には、電話回線を使用したダイヤルアップ接続から、ブロードバンドと呼ばれる大容量通信の「ADSL」が普及したことにより、動画がスムーズに見られるようになったことがあります。
その後、2001年には光回線が普及し、さらに動画視聴が手軽なものとなりました。そのなかでYouTubeが、2007年に日本でサービスを開始。2011年から一定条件を満たしたものは誰でも広告収入を得られるようになり、YouTubeでの動画配信を職業とする「YouTuber」が誕生します。また2017年からはTikTokのサービスが開始し、誰もがより簡単に、自作動画を発信できるようになりました。
一方、動画発信が容易になったことで、誰しもが匿名のアンチコメントに誹謗中傷されたり、個人情報の特定やストーカー被害に遭ったりと、危険に晒される可能性も高まっています。インターネットを介した情報発信とどのように向き合うかは、現代社会における論点の1つと言えるでしょう。
他の連載記事はこちら。
芦名秀介(あしな・しゅうすけ)
お笑い芸人。1991年神奈川県生まれ。2012年に東京NSCに入学し、2021年からコンビで活動、2023年11月にお笑いコンビ「デカダンス」を解散。YouTubeチャンネル「あしなっすの1週間」にて祖父・廣喜さんとの日常を配信している。著書に『僕のおじいちゃんは99歳。』(2023年、KADOKAWA)がある。
取材、文:大沼芙実子
編集:conomi matsuura
写真:服部芽生