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橋口幸生|生首、鮮血、ヘヴィ・メタル…パリ2024開会式に見る、欧米のクリエイティブ・パワー【広告はあしたを良くできるのか?】

先日開催されたパリオリンピック2024の開会式では、数多くの見どころのなかでもマリー・アントワネットが登場する演出が話題になった。ギロチンにかけられた自らの生首を抱え、フランス出身のバンドGojiraがヘヴィ・メタルを演奏するなか、実際にマリー・アントワネットが幽閉されていたコンシェルジュリーから鮮血のような赤いテープが爆発する様は壮絶ながら美しく、世界中に衝撃を与えた。日本人の平均的な「オリンピック」のイメージからは程遠い開会式だったのではないだろうか。平和の祭典なのに、なんて血なまぐさい演出だろうと、眉をひそめた人も多いと思う。

自国のクリエイティビティを世界に披露できる開会式で、なぜフランスはあのような演出をしたのか?その理由を紐解いていくことで、欧米のクリエイティビティについて考えてみたい。

オリンピックの根本原則は「人権」

そもそもオリンピックとは何なのかを振り返ってみたい。首都大学東京特任教授の舛本直文氏は、次のように説明している。

オリンピック・パラリンピックは、4年に1度のスポーツの祭典として、多くの人が選手のメダル争いに注目します。しかし、オリンピックはもともと、スポーツを通した教育や平和のために誕生した祭典で、人権と深い関わりがあるのです。

 「近代オリンピックの父」と呼ばれるフランスの教育家、ピエール・ド・クーベルタン男爵は、スポーツは体を鍛えるだけでなく、心身の調和のとれた人間を育成し、フェアプレーの精神や友情、道徳、連帯感を育むことができると考えました。さらに、国際的な競技会で他国の選手と親しくなり、多様な文化や芸術に触れることで、平和な社会の実現につながると考えたクーベルタンはオリンピックのあるべき姿として、「オリンピズム(オリンピック精神)」を提唱しました。

(中略)

 十九世紀末、ヨーロッパ列強による植民地争奪と勢力圏拡大が激しさを増していた時代に復興されたオリンピックは、こうしたクーベルタンの教育と平和の思想に基づいているのです。そして、1908年にはIOCにより「オリンピック憲章」が制定され、その後に定められた根本原則には、「人権の尊重」が謳われています。

(中略)

人が平和に生きるには、人権が満たされていなければなりません。平和をめざすオリンピックの根幹に人権が位置づけられているのは理にかなったことです。

(※1)

オリンピックの根本原則には「人権の尊重」が謳われている。そして、フランス革命を機に「人権」が誕生したことは、私たち日本人も学校の授業で習う歴史的事実だ。

※1 公益財団法人 東京都人権啓発センター 「特集 人権とスポーツ2020 人権の視点から見れば、オリンピック・パラリンピックはもっと感動する
https://www.tokyo-jinken.or.jp/site/tokyojinken/tj-71-feature.html

フランス革命と人権

フランス革命とは、一般的に1789年のバスチーユ牢獄襲撃から1799年のナポレオン戴冠までの期間を指す。数々のドラマを残したこの革命のもっとも重要なポイントは、社会の主役が「王族」から「市民」に交代したことにある。王族や貴族、聖職者の特権を否定するために、すべての人に人権があるという考えが打ち出されたのだ。1789年8月26日に採択されたフランス人権宣言は、人権の普遍的な理念を初めて明文化した文書として知られている。その第一条は

「人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する」

というものだ。国連で採択されている世界人権宣言 第一条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」も、ここから取られていることが分かる。人権をベースにした世界秩序の出発点がフランス革命なのだ。こうした背景を考えると、開会式のモチーフにフランス革命が選ばれたのは、極めてロジカルな判断だと言える。

それならなぜ生首やメタル、鮮血といった過激な演出になったのか?それはフランス革命の内実が、「人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する」という甘美な文章からはかけ離れたものだったからだ。

人権が流血を招いた皮肉

フランス革命の結果、市民の参政権が認められたが、それは非常に限定的なものだった。参政権を持つことができたのは25歳以上の男性市民であり、さらに一定の税金を納めるなどの条件を満たす者に限られていた。多くの男性市民に加えて、すべての女性は参政権を持つことができなかったのだ。また、植民地における奴隷制度が続いており、黒人奴隷の人権は無視されていた。

フランス人権宣言は「人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。ただし、女性と有色人種は除く」という、偽善と批判されても仕方のないものだったのだ。そして、その後のフランスは恐怖政治から対ヨーロッパ戦争、帝国主義へと、血塗られた歴史を歩むことになる。

フランス革命は私たちが生きる現代社会の出発点であり、フランス人が誇る輝かしい歴史だ。しかし、その負の側面も大きい。光と影の両方と向き合いつつ、全体としては革命をポジティブに評価したことが、開会式のあの演出で表現されているのだろう。

自己批評性こそクリエイティビティの源泉

「光と影の両方と向き合いつつ、全体としてはポジティブに評価する」という自己批評性は、フランスをはじめとした欧米クリエイティブの強みだ。最近この連載では、グローバルサウスやアジアの広告クリエイティブを取り上げ、評価してきた。しかし、自己批評性においては、欧米のほうがはるか先を進んでいるのは否めない。

パリ2024の開幕式を受けた「正直、世間知らずのお嬢さんの首を刎ねて良い気になってる革命より、遙かに穏当に政権委譲を行った我が国の維新の方がスゲーと思うのだ。」という投稿が、Xでバズになっていた。マリー・アントワネットを「世間知らずのお嬢さん」、明治維新を「穏当な政権移譲」とするファクト認識の誤りについては、ここでは掘り下げない。問題はすべてを「日本スゴイ」に回収しないと気が済まない自己批評性の欠如であり、これこそが日本の乗り越えるべき課題だ。

オリンピックのような国家的なイベントへの評価は全肯定か全否定の両極端に分かれがちだ。ソーシャルメディアによって肯定派と否定派が石を投げ合うようになり、分断はとどまるところを知らない。

しかし、そもそも世の中に完全に肯定もしくは否定できるものは少ない。現実的には、光と影の両方と向き合いながら、少しでも世界が良い方向に進むよう努力するしかないのだ。

実際、世界はフランス人権宣言の理想に向けて、少しずつではあるが前進している。「人は自由かつ平等」と宣言し、それをベースにした社会を築いた以上、「※ただし一部を除く」等というごまかしには無理が出てくるのだ。長い時間をかけてごまかしは批判され、是正されていくことになる。実際、フランスでは1848年に奴隷制が廃止された。そして、1946年には女性参政権が認められた後、1948年には世界人権宣言が国連で採択された。

フランス革命以降、人権の概念は拡張され続けてきた。それが働く女性やLGBTQ+、障害者、少数民族といったマイノリティにまで及ぶようになったのが現代だと、私はとらえている。

最後に余談を。開会式で演奏したGojiraを悪魔崇拝のメタルと批判する声を見かけたが、全く異なる。Gojiraの楽曲の主なテーマは環境破壊だ。欧米では環境破壊は生存権を脅かす人権問題としてとらえられている。

メタルバンドが人権を歌う時代だ。私たちビジネスパーソンも負けていられない。

 

 

橋口 幸生
クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作はNetflixシリーズ三体「お前たちは、虫けらだ」キャンペーン、ニデック「ニデックって、なんなのさ?」伊藤忠商事「キミのなりたいものっ展 with Barbie」、世界えん罪の日新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。
https://twitter.com/yukio8494

 

文:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi