【大人のための“シン・動物学”】と題して、実は知られていない動物たちの生態を深掘りしていく。動物たちの世界を覗くことは、人間社会の問題を考える1つの側面として、私たちに新しい発見や面白い気づきを与えてくれるかもしれない。
動物にも「食欲の秋」ってあるの?
“食欲の秋”って何だ?
どうやら日本独自の感性らしい。そもそもヒトの場合、周年安定して食料が手に入るので、季節変化がトリガーになって、食欲増進する生理的なメカニズムは、初期人類ならともかく、今となってはもう退化していて、存在しない。だから食欲の秋は、わりと最近、飽食時代の何かキャッチコピーが由来だろう。ちなみに猛暑や残暑で食欲が減退するのは、暑さが直接の原因ではなく、水分の過剰摂取で胃酸が薄まって、消化能力が鈍っているからだ。
だが、人間の“なんちゃって食欲の秋”に対し、動物の“食欲の秋”は本気のやつだ。
その前に、少し動物の食性をおさらいしておこう。
動物たちの食性カテゴリー
動物の食性は、大別すると草食と肉食の2種類になる。最近は“草食”ではなく、わざわざ“植物食”と言い直す人もいるが、それはおかしい。“草食”という字面に引っぱられて草を食べる動物限定の意味と極解している人の着想だが、もちろん『草食』の単語には、もともと草以外の植物質がすべて内包されている意味なので、わざわざ植物食と言い直すのは誤り。“肉食”も同じだ。肉以外、昆虫、魚、死骸などを専食するものがいるが、『肉食』という単語にはすべてそれらが内包されている。
そもそも生物学的な食性とは、“何を食べているか”ではなく、“何が食べられるか”で分類されるものだ。すなわち、植物には細胞の外に硬いカプセル=細胞壁があり、肉食動物はこれを上手に分解することができない。一方、肉食動物より消化システムが進化している草食動物は、この細胞壁の硬いセルロースを分解できる。それには、彼らの腸や胃に飼っている共生微生物の力を借りているのだ。哺乳類の消化システムの中で最も進化しているウシの仲間などに見られる“反芻(はんすう)”は、この硬い植物繊維を確実に消化して高いエネルギーに変換するための高性能な仕組みなのだ。
反芻行動のメリットは、消化システムだけでは無く、行動的なメリットも大きい。つまり草を本気で食べずに、一旦さっさと丸飲みして体内にしまっておき、安全な場所に移動したあとで、ゆっくり噛み直して消化することができるわけだ。だから反芻ができない奇蹄類(ウマ、バク、サイの仲間)は、古いタイプのグループで、新型消化装置の反芻を搭載したウシの仲間(偶蹄類)とは、生息環境の競合に完敗で、奇蹄類はアウトレットとして只今全員絶滅に瀕している。
また、図鑑でクマやタヌキの食性に『雑食』と書いてあるものがあるが、これは誤り。前述のように植物の細胞壁の分解システムを持っているかが食性の分類のポイントなので、原則は肉食か草食かの2択しかないので、じつは3つ目の雑食動物という分類はない。雑食動物と呼ばれている動物は、じつはすべてグループ分けすると肉食動物になる。
ちなみにパンダは竹を専食するが、分類的には肉食動物のグループ。内臓や歯の形態も肉を食べる動物の仕様だ。狩りという効率の悪い方法でしか食料が口に入らない肉食動物は、エサが枯渇している時に、消化効率が悪かろうが、とりあえず何でも口に入れて飢えをしのぐ戦略をとっている動物が雑食と呼ばれているものだ。本気の“食欲の秋”と言えば、冬眠する前のクマで、満腹になっても食べ続け、通常の4倍近いカロリーを摂取して、半年間の冬眠の絶食に備える。
話を戻して、逆に草食動物が植物と併用して肉を食べることはないので、草食ベースの“雑食”動物はいない。ただ有蹄類など多くの草食動物が、一瞬、肉食動物的になる瞬間がある。それは出産時で、自分の胎盤などを食べる。しかしながら、これは栄養吸収の目的と言うよりは、血肉の痕跡を早く消さないと肉食動物が臭いで集まってくるため、“痕跡隠し”として無理矢理食べて証拠を隠そうとする母親の涙ぐましい母性愛なわけだ。だから肉があればいつでも好んで食べるわけではないので、これを食性としての“肉食”や“雑食”とは言わない。
要は、口に入れたものを“食性”とする誤用が流布しているわけで、仮にそのルールで言うならば、例えばゴリラは暇つぶしに鼻クソを食べるので“鼻クソ食”という食性カテゴリーになってしまうわけだ…。
では、肉しか食べない肉食動物は、なぜ栄養不足で病気にならないのか?
それは、草食動物を食べることで、間接的に植物を食べていることになるからだ。その場合、問題は動物園だ。肉食動物のエサは、我々が食用にしている肉屋の肉と同じで血抜きをしている加工肉だ。これはタンパク質としては充分だが、微量だが不可欠な栄養素は、生きた草食動物の血液や肝臓に含まれているものからしか摂取できない。だから動物園のライオンなどの大型肉食動物には、休園日やバックヤードで、生き餌としてエサ用のウサギをたまに与えている。かわいそうだが、ライオンも野生と同じで、これがないと病気になって死んでしまうわけだ。
野生動物にも、フードロスは存在するのか?
さて、いよいよ本題。人間社会の飽食時代、過剰生産などで余って捨てることになるフードロス問題。こんなことは無いに越したことはないが、野生動物にはフードロスが無いのかどうか見てみよう。
はじめに百獣の王ライオン。王と呼ばれるくらいだから、さぞかし徳の高い食べ方かと思いきや、然に非ず。王は王でも暴君系なので、食い散らかしのフードロス野郎だ。ネコ科の中でも特にヒドい。食べるための空腹の狩りではなく、ムシの居所が悪いだけで、手当たり次第に殺戮をするので、フードロスどころか、オーバーキル問題だ。食べる気ないのに殺す…。群れの食べる順番は狩りの功労に関わらずオスからだ。暴君ぶりが目に余ると思いきや、少し違う。離乳後くらいのコドモが食べに来るのは許している。仕留めたシマウマやヌーといえども、あの毛皮を咬んで切り裂くのはライオンでも簡単ではない。意図的にやっているかどうかはともかく、そういう食べ口をはじめにオスが作っているようにも見える。
寒冷地では、厳冬期にシカなどの死体があると、はじめにクマ、オオカミ、クズリなどの咬合力が大きい動物が食べる。氷点下では、キツネ以下の小さな肉食動物では、凍った死体を噛み切ることができない。だから、厳しい生態系には、調理人である大型最強動物と、彼らが食べ散らかしたフードロスが冬には欠かせない。冷凍食品の食べ口を開けてくれる最強動物たちのまわりには、小型肉食動物や小鳥たちが、食べやすくしてくれるのを、今か今かと順番待ちをしている光景がよく見られる。それは、まるで結婚式のケーキ入刀を見つめる出席者のように、皆が距離を置いてお行儀良く待つ…。
リスなどの貯蔵行動をする動物もフードロスがすぎる。欲張って食べきれないほどのドングリを貯蔵し、その大半の隠し場所を忘れてしまうのだ。しかし、そのマヌケで無駄に思えるフードロスの行動は、じつは図らずも種子散布の効果があり、フードロス種が発芽して、次世代の未来のために豊かな森を作っていることになる。
珍獣オオアリクイは、アリしか食べない偏食くんだ。1日に3万匹のアリやシロアリを食べる大食漢。爪で大きなアリ塚をゴジラがビルを破壊するようにぶっ壊して、出てきたアリをペロペロして食べる。体重比では、哺乳類の中で脳が1番小さい動物なので、何も考えていなさそうだが、然に非ず。広範囲のアリ塚のある場所をしっかり把握していて、1つのアリ塚で捕食する食事の時間は1分程度とし、次のアリ塚へとハシゴする。つまり無計画に暴食して食べつくす事が無いように、ダメージを与えたアリのコロニーが回復する頃に再び来店する、自分で決めた長期献立のグルメマップに沿って生活しているのだ。接着剤のような粘性を持った唾液と高速ペロペロで、アリを1匹たりとも食べ散らかすことが無い、まさに脱フードロスの鑑だ。ついでにアリクイは哺乳類で唯一胃酸をもたない。アリが怒ったときに分泌する化学兵器=蟻酸をアリ自身の消化に利用している。まさに完璧なエコ動物だ。
生態系でフードロス問題を解決しているのは、スカベンジャー(死肉食動物)たちだ。掃除屋とも呼ばれているが、畑正憲(※1)はスカベンジャーを“医者”に例えていた。つまりサバンナで動物の死体や狩りで食べ残したフードロスが放置されたままになると、そこから病原菌が蔓延して生態系に悪い影響を及ぼすので、それを処理する行為が生態系の予防医学だというのだ。実にうまい例えだ。
スカベンジャーと言えばハイエナで、彼らの咬合力は、ライオンより大きいので、骨も食べるし、腐肉を食べても病気にならず、信じられないことに硬くて不味そうな角や蹄(ひづめ)もペロリと食べる。脱フードロスの神だ…。
さらにハゲワシはスゴい。猛禽類なのに狩りをするのをやめて、死肉を専食とした鳥に進化した。内臓に頭を突っ込んで食べるので、死体の体液で雑菌が繁殖しないよう、日光消毒しやすいように頭部や首の羽毛がない。そして腐肉の雑菌もはね除ける強い胃酸。さらに最近の研究では種間の社会性の高さが明らかに。ハゲワシ類の種間で、骨を専食するもの、内臓を専食するもの、筋肉を専食するものなどに種ごとに分業されて、大型動物の死体を完璧に解体処理していくのだ。その際、きちんと順番を守って待つなど、テーブルマナーもエレガント。漫画では下品に描かれがちなハゲワシだが、実像とは異なる。知能が高く、鳥類では珍しく亜社会性(※2)のようで、仲間との協働や気遣いに富んでいる。フードロス問題に卑しさがチラつくと、下品になってしまうので、そこはハゲワシに学ぶべきポイントかもしれない。
ヒトの食性について、考えてみる
さて、ヒトの食性について。
霊長類ヒト科の近縁は類人猿なので、基本の食性は彼らと同じ草食だった。ヒト化の過程で、知能化によって脳のカロリー消費が高まり、消化に時間がかかる植物ではまかないきれず、死肉などの肉を食べてエネルギー源をカバーしたのがヒトの肉食の起源というのが、ざっくりした概要だ。長らく飢餓との戦いが続いたが、農業や家畜の発明から、食料が初期人類の頃から格段に安定し、今日では余るほど生産するようになった。
今、たとえ無神論者であっても、食べ物を無駄にすることは、なんだか罪深いものに感じる時代だ。だから多くの人が、贖罪や救いを何かに求めるようになる。
たとえば、菜食主義にその答えを求める人は少なくない。ただ、肉を食べることは、本質的には罪では無いし、地球上の肉食動物が罪を犯しているわけでも無い。だから菜食主義は“肉を食べない人”以上でも以下でもない。もちろん思想信条は自由だ。
また、害獣駆除などを“食べて供養する”とよく聞くが、供養とは日頃から信仰心がないと、都合のいい時だけ言っても意味がない。何か理屈を付けなくても“食べたいから”で私はいいような気もする…。
また命のありがたさを学ぶ学校の食育教育の事例で、自分たちで名前を付けて育てた動物を殺して食べるのが一時期少し流行った。畜産業者ですら、肉用に出荷する個体には名前を着けずに、あえて番号などで管理するようにして、感情移入しないように配慮するほど、気持ちの整理が最も難しい特殊な飼育管理。それを愛玩動物の動物愛護教育と畜産・水産の職業疑似体験を、ひとつの食育教育に集約させて、教育的にうまく着地できるのか、私にはわからない。命を扱った教育であり、子どもたちの情操に大きく影響するので、教育的失敗は許されない難しい取り組みだろう。
いずれも“食べる”という行為は、楽しみのジャンルに入れて良いものであって、嫌々食べたり、無理矢理泣きながら食べるものでもない。お刺身やお肉の正体がどんな形をしている生き物か、知らなくても私は良いと思っている。残さずに食べることは2番目に大事なことで、時にはそれが達成されなくても良いだろう。1番大事なのは美味しく食べることであり、かわいそうとか、もったいないとか、世界には食べられない子もいるという類のメッセージのウエイトが重すぎると、食事が喉を通らない繊細な子も出てくるだろう。私がそうだった。
ヒトと動物の食事の違いは、養分を取る目的だけで無く、どんな気分で食べたかが直接“心の栄養”になる、いうなれば面倒くさい動物だ。食べられない時は、残したっていいんだよ。野生動物だって、自分が好きなものしか食べていないし、気まぐれに食い散らかして残しているんだから…。何事もほどほどに。
まぁ、動物を手本にする必要は無いが、動物の中にヒントが隠れていることもある。
おしまい。
P.S.
昔から食糧自給率の低い我が国では、お米一粒も残してはいけないというのが伝統のテーブルマナー。ところ変わって食料自給率の高い中国では、おもてなしに対して、残したり、食べ散らかした方が、出された食事に満足したことになる。残さずキレイに食べると『足りなかった?美味しくなかった?』とホストに心配される…。また、私が好きな中国人の自虐ジョーク『四つ足で食べないのは椅子だけ、空を飛んでいるもので食べないのは飛行機だけ。』
食を楽しむ文化の違いはオモシロい。秋を楽しみましょう!
※1 参考:作家、動物行動学者。東京大学理学部動物学科卒。K.ローレンツやD.アッテンボローの影響を受けて、野生動物を飼育観察することで数々の動物の生態を解明。動物番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』は昭和の人気テレビ番組
※2 用語:血縁以外の集団もつくり、原始的な社会行動が見られる動物
新宅 広二
生態科学研究機構理事長。専門は動物行動学と教育工学。大学院修了後、上野動物園勤務。その後、世界各地のフィールドワークを含め400種類以上の野生動物の生態や捕獲・飼育方法を修得。大学・専門学校などの教員・研究歴も20余年。監修業では国内外のネイチャー・ドキュメンタリー映画や科学番組など300作品以上手掛ける他、国内外の動物園・水族館・博物館のプロデュースを行う。著書は教科書から図鑑、児童書、洋書翻訳まで多数。
X: @Koji_Shintaku
寄稿・写真:新宅広二
編集:篠ゆりえ