よりよい未来の話をしよう

お笑いも政治も、生活の一部。いま藤岡拓太郎さんと話したい、社会と関わること

シュールな短編漫画集『夏がとまらない』(ナナロク社、2017年)から、ほっこりと笑える『ぞうのマメパオ』(ナナロク社、2022年)まで、愛くるしいタッチでクスッと笑ってしまう漫画を書き続けるギャグ漫画家・藤岡拓太郎さん。

2014年頃からSNSで投稿され話題となった藤岡さんの漫画のファンだと話すアーティストやお笑い芸人も多い。そんなSNSを中心にギャグ漫画を届け続けていた藤岡さんが、それ以上に現在関心を呼びかけているのは、国内外の社会情勢や政治のことだ。

本当はギャグ漫画ばかり描いていたいと言う彼が、なぜいま戦争や、政治について話さなければならないのか。藤岡さんのこれまでついても紐解きながら、その想いについて、お話を伺った。

藤岡さんの著書

人と話すことは苦手だった

藤岡さんが絵を書き始めたのはいつ頃からですか?

漫画は小学生の頃からちょこちょこ描いていました。高校2年生あたりからはっきりと、人を笑わせるものをこの先の人生でずっと作っていきたいと思うようになって、ギャグ漫画やギャグ小説を雑誌などのコンテストに投稿し始めました。ギャグ漫画だけに集中して描き始めたのは19歳の頃です。

藤岡さんは関西出身ということで、吉本新喜劇など、お笑いに小さい頃から触れていたのでしょうか?

聴覚障がいを持っているためテレビでは字幕付きの番組を観ていたのですが、子どもの頃は吉本新喜劇をはじめお笑い番組に字幕がほとんど付いていなくて、そこまで身近なものではなかったんです。NHKの『コメディーお江戸でござる』には字幕が付いていたので観ていました。

高校生になった頃から一部のお笑い番組にも字幕が付き始めて、ダウンタウンの番組に夢中になりました。またその頃、自分の耳でもイヤホンを付ければ、字幕がなくてもわりと聴き取れることを知りました。聴覚障がい者のなかでも聞こえ方は様々で、自分の場合、映画やドラマは字幕がないと難しいのですが、漫才やコントは結構聴き取れます。

一方で小学生〜中学生のときに夢中になっていた漫画は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ONE PIECE』『世紀末リーダー伝たけし!』『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和』など。単行本の発売日当日に書店に買いに走っていました。あとはリアルタイムではないですが、『伝染るんです。』『あたしンち』なども好きでした。中学校の図書室では『はだしのゲン』『ブラック・ジャック』に夢中になった記憶があります。

藤岡さんが子どもの頃に夢中になった本や映画

当時は、どんな性格の子どもでしたか?

小学校の後半から大学時代までは、ひどい赤面症でした。聴覚障がいと赤面症のコンボというのは自分にとっては本当にきついものがあって、高校時代はまだ部活に打ち込んだり友達と遊ぶこともあったりしましたが、中学時代のことを思い返すと、できるだけ顔が赤くならなくてすむように、人と接する機会を減らすことに努める毎日でした。あの頃どうすれば毎日がもっと楽しくなっていたのかな、同じような状況にある子どもたちにはどういう助言ができるのかな、と、今でも時々考えます。

そんな経験がおありだったんですね。作品についても教えてください。藤岡さんの作品は、他人とのコミュニケーションが変わっているけれど、どこか優しくて愛嬌のあるキャラクターが多い印象です。登場人物のイメージはどのようにしてできるのでしょうか?

単行本の表紙にもなっている1ページ漫画「大丈夫マン」

先述のように人と接しないようにするうちに「自分は他人があまり好きではない」「ひとりでいるのが好きな人間だ」と思い込むようになっていったところがあるのですが、漫画や絵本を描くたびに、自分は人間というものにつくづく興味があって、好きで、そして一見わかりあえそうにない他者とのコミュニケーションもできるだけ諦めずにいたい、ということを感じます。

ギャグ漫画を作っている最中は、笑えるかどうかが第一で、あまりそういう真面目なことは頭にないのですが…。どんなに突飛な内容であれ、登場人物の実在感というか、この世界のどこかにいそうな感じ、は大事にしながら描いている気がします。

ギャグ漫画家、としての難しさ

ギャグ漫画での雑誌連載を目指していた藤岡さんですが、途中でそれを諦めSNSで投稿するようになったそうですね。その経緯は何だったのでしょうか?

こちらも単行本の表紙にもなっている1ページ漫画

ギャグ漫画を描いている人間が、自分のやろうとしている笑いを理解してくれる編集者に出会い、作品を描き続けられるというのは、奇跡のようなことだと思います。

笑いの感覚というのは人それぞれで、「笑い」「ギャグ漫画」という本当にとらえどころのないものを共同で作っていくというのは、かなり繊細で難しい作業です。

さらに自分の場合は、それ以前にあまりにもこちらの人間性を尊重してくれていないと感じる出来事が続いていて、よい編集者との出会いを待っていたらいつまで経っても世に出られない気がしていました。

SNSから投稿するほうがギャグ漫画の腕が磨かれ、読者も増えるのではと、編集も自分でやってやるという思いで投稿を始めましたね。実際、SNSでの反応を受けながら描き続けることで、ある段階まではひとりだけで到達できたと思います。

その後、SNSで藤岡さんの漫画は人気を博し、2017年にナナロク社から『夏がとまらない』という作品名で単行本を出されましたよね。

ナナロク社の村井さんという編集者と出会い、一緒に本を作ることになり、対話するなかで自分ひとりでは描けなかったものが描けるようになった感じがありました。信頼できる人からの言葉で新しい道が開けていくことはあるなと実感しています。

たとえば若手の漫才師にしても、自分のネタはもちろん、他のコンビのネタも含めて舞台でお客さんの反応を肌で感じたり、先輩からアドバイスをもらったりするたびに、どんどん磨かれているはずなんです。たった1人で机に向かっているだけでは、漫画の内容的にも心身的にも限界があると思います。

SNSに投稿するなかで、どのような反応を感じられましたか?

面白ければリポストやいいね、コメントの数が増え、つまらなければ増えないという、それこそ芸人にとっての舞台にも似た、シビアながらシンプルなSNSという場所で漫画を発表し続けたことで、ギャグ漫画の腕はかなり磨かれたと思います。

好意的なコメントが大半でしたが、ネガティブな言葉もありました。なかには作品内容とは関係のない誹謗中傷もあり、かなりダメージを食らいました。ギャグ漫画に限らず、SNSを使って表現を続けている人は多いと思いますが、自分の心を第一に、うまくSNSと付き合っていってほしいと思います。たとえば僕はここ数年、SNSについたコメントを見たいと思うときは、信頼できる人にチェックしてもらってから見るようにしています。

著書『夏がとまらない』と『たぷの里』のポスター

投稿した自身の境遇が話題に

ギャグ漫画を投稿されるなかで、2021年には、自身も難聴であることを伝えながら、字幕の映像作品について訴える短編漫画をSNSに投稿されていたのが印象に残っています。

この投稿をしたきっかけは、単純に、自分を含め聴覚障がいを持つ人たちにもっと映画やお笑いが楽しめる機会を増やしたいと思ったからです。

この投稿を受けて、聴覚障がい者からの共感の声が多くありましたが、そうではない方々からの「こういう問題があることを全く知らなかった。伝えてくれてありがとう」という声や、テレビの字幕制作をしていた方から頂いた「字幕を利用するかたのこうした生の声を初めて聞きました」というメッセージも印象的でした。

また、映画会社の方から「こうした問題を全く把握できていなかった」という声もありました。自分たちの存在はこんなにも認識されていなかったのだなとショックを受けたのも事実ですが、それよりも、障がいを感じる側がもっと声を上げ、知ってもらえさえすれば状況は改善していくはず、という希望のほうが自分のなかでは大きかったです。

以来、字幕に対する嬉しいニュースや課題など、藤岡さんは継続的に声を挙げ続けている

ちなみに自分が抱える聴覚障がいは軽度の感音性難聴というもので、聞こえにくさの程度は「軽度」だけれど、そのつらさは全く「軽度」ではないんです。聴者のコミュニティにも、ろう者のコミュニティにも属することが容易ではない、とても難しい障がいではないかと思っています。軽〜中度難聴を取り上げたものはまだまだ少ないので、機会があればいつか何かしらの形で発信できればと思います。

展示の際は、紙のメッセージや筆談対応の貼り紙をする工夫も(写真は長崎書店での個展)

「世界の人々を笑わせたい」という夢と現実

その後、絵本などの出版も経て、現在はSNSでのギャグ漫画投稿が少なくなったかと思います。ご自身の作品づくりへの姿勢はどのように変化していったのでしょうか。

SNS投稿を始めた頃は、「早く俺を見つけてくれ!」という良くも悪くも暴走気味だった熱意が、投稿数の多さにも表れていたと思います。最近は、以前より時間をかけながらもコンスタントに作品作りを続けていこうとしていたところだったのですが、パレスチナでの虐殺が始まって以降、ちょっと創作の手が止まってしまいました。

パレスチナで起こる虐殺・民族浄化に反対し即時停戦を求めるアクション「#withHandala 」に賛同し、藤岡さんも自身の絵本のキャラクターで参加している。

「パレスチナ あたたかい家」という展覧会にも出展をされていましたよね。参加に至る想いを教えていただけますか。

パレスチナに関しては、2023年10月にイスラエルによる侵攻が始まってから、ようやくその破壊と虐殺の歴史を知りました。僕は以前から「世界の人々を笑わせたい」という夢があったのですが、その「世界の人々」の中にパレスチナ人が入っていなかったことを強く反省しました。

パレスチナ以外にも、知らずにいた、もしくは知っているのに無視していた存在がありました。たとえば自分の絵本について「翻訳されて世界中の子供たちに読んでもらいたいです」などと喋っているとき、スーダンや北朝鮮の子供たちのことは全く頭になかった。パレスチナをきっかけに、以前よりも視野が広がりました。

展示会場の様子。100名以上のアーティストが参加した

藤岡さんが出展した作品

20代後半で、政治に関心を持ち始めた

現在藤岡さんはSNSで、パレスチナ・ガザの現状以外にも、社会的な問題を多くシェアされています。そのきっかけは何だったのでしょうか?

僕が選挙に初めて行ったのは20代後半でした。それまでは政治や社会に関心が無かった…というよりは、自分の生活や創作について考えることでいっぱいいっぱいで、社会に目を向ける余裕がなかったです。「難しいことは頭のいい人たちにお任せします」という態度で20代を過ごしていました。

30歳が近づいてきたあたりで金銭的にも気持ち的にもわりと安定してきて、社会のことを勉強する余裕が出てきました。そんなとき、ニュースからは政治家の耳を疑うような言動が飛び込んできて。総理大臣が自身の政権の反対派に対して「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない」と言ったり、東京都知事が関東大震災の朝鮮人虐殺の歴史に向き合わず追悼文送付を取りやめたり。最近、岸田首相による「(同性婚を認めると)社会が変わってしまう」という発言もありましたよね。政治家というのは自分より頭もよくて人権意識も高いに違いないと思っていましたが、そうとは限らないのだなと感じ始め、ようやく選挙にも行くようになりました。

SNSでフォローしているアーティストや有名人が、たまに政治のことをつぶやいたり、選挙のたびに「投票に行こう」と促しているのを見ていたことも、自分のなかでは大きいです。

藤岡さんもその後、ギャグ漫画を交えながら投票を呼びかけている

自分がフォローしている人たちからの呼びかけはきっかけとして大きいことかもしれません。

社会に目を向けるきっかけとしては、もうひとつ、お笑いが好きだったことも大きいかもしれません。

お笑いを見ていると、ネタや番組の中で発せられる言葉の取り扱い方や価値観について、しばしば議論や「炎上」が起こります。たとえば、性的マイノリティに関する笑いの取り方などです。

そこで「あ、そうか、これって駄目だよな…」と問題点に気づき、学んだことは多いと思います。子どものころはテレビでも映画でも漫画でも普通に今では差別用語と捉えられるような言葉が出てきて、僕もなんの違和感も抱かずに笑っていました。

自分も聴覚障がい者というマイノリティで、聞こえにくさをいじる笑いを見るとショックを受けるのに、他のマイノリティに対するいじりに違和感を持つのにはずいぶんと時間がかかりました。

SNSで怒ってる人のおかげで気づかされたことは本当に多いです。怒ってる人は煙たがられがちですが、怒ってる人がいるから人々の価値観がアップデートされ、社会や政治が改善されていくのだと思います。

そのときに起こってしまったことは良くないことですが、その間違いに気づき、考えを改めていくということも大切だと思います。

最近お笑い芸人が、「今は多様性の時代だから、やりたい笑いができない」「窮屈な時代」などと言っているのをよく耳にします。こういう言葉は、「私は差別がしたい」と言ってるのとほとんど変わりません。日本のお笑いはとんでもなく面白いし、何度も救われてきたので、がっかりさせないでくれと思います。

インターネットとSNSの発達によって、これまで見過ごされてきたマイノリティの声がかつてない規模で可視化され共有されるようになりました。この点においては今は本当に素晴らしい時代になったと思います。このことを、笑いを作る人も観る人も、もっと喜んでほしい。

さまざまな人や価値観に配慮をすると笑いのレベルが落ちるとも全く思わないです。それは芸人やギャグ漫画家がこれから証明していくことですが、そのためには人権について学び、歴史を知り、マイノリティの存在に目を向けるという意識が必要だと思います。

キム・ジヘさんの著書に『差別はたいてい悪意のない人がする』(大月書店、2021年)という本がありますが、このタイトルにある通り、それを心掛けて学び続けないと、いつか誰かを傷つけてしまいます。これまでのお笑いやコメディから、反省すべきところは反省しつつ歴史を受け継いで、より新しく面白いものを、僕も作っていきたいです。

政治に関心が持てるという特権

また、藤岡さんはSNSで「POPEYE」や「BRUTUS」といったカルチャー雑誌でも政治について特集してほしいと投稿されていましたよね。

政治特集、やってほしいですね。カルチャー誌が政治特集をすること自体、それだけで「映画も音楽も漫画も仕事も生活も全部政治とつながっている」というメッセージになると思います。報道番組や新聞では届かない層に届ける力があるんじゃないかなと。

この投稿に対して、反響はありましたか?

予想以上に大きな反応がありました。政治に興味はあるけど関わり方がいまいち分からず、もどかしさを感じている人も多いんだろうなと。有名人が政治関連の発言をすると引かれてしまうみたいな風潮もまだまだ強いし、早く空気が変わってほしいですね。

僕は2023年末あたりから、ガザ侵攻を受けてSNSで「虐殺反対」と投稿するようになったのですが、これまでにフォロワーが1500人ぐらい減りました。フォローを外す人のなかには、「虐殺」という文字を見るのもつらい状況の中で生活している人もいるはずなので、フォロワーが減ることはあまり気にしないようにしています。

それよりも、パレスチナで起こっている虐殺に関して、声を上げる市民の増えなさのほうにショックを感じています。影響力のある有名人たちに対しても、みんなどうしてしまったんだろう…という気持ちがずっと続いています。「虐殺反対」や「投票へ行こう」のひと言すら言えないのは、どうしてなんでしょうか。もっと声を上げてほしいです。

ご自身では政治の問題をどのように話したり、伝えたりしていくのが良いと感じられていますか。

シンプルに「みんなであらゆる人の人権を守ろう」ということですね。この「あしたメディア」でも先日、思い出野郎Aチームの高橋一さんが「人権」をベースに政治や社会のことをお話しされていて、とても共感しながら読みました。

▼高橋一さんのインタビュー記事

僕自身も、世の中で差別されている人や困っている人に目を向けることを強く意識し始めてから、自然と投票や署名やデモにも参加するようになりました。若いときは「人権」について深く考えることもないまま、いきなり「特定機密保護法」とかを調べ始めて「政治ってむちゃくちゃ難しいな…俺には分からん…」と落ち込んだりしていました。

でも「人権を守ろう」「困ってる人の力になろう」というシンプルなことから出発して勉強してみると、「なぜ選挙に行く必要があるのか」「どうしてこの法律が批判されているのか」といったことが理解しやすくなると思います。

これからは、「選挙に行く」ということだけでなく、「なんのために行くか」ということまで考え、伝えていくことも大事なのかもしれません。

そうですよね、僕もこれまでは「投票へ行こう!」とだけしか言っていませんでしたが、もっと具体的なところまで言っていこうと思っています。あと選挙の時だけでなく、やはり日常的にも話していきたいですね。

政治に関心を持てるというのは、特権のひとつだと思います。僕は政治や社会や歴史に関する本がほとんどない家庭で育ち、家族や友人とそういう話をしたことも少なく、政治について考えるきっかけがないまま大人になりました。

政治に無知、無関心な人を馬鹿にせず、その人たちが政治や社会に興味を持ちやすくなるような環境を作っていくことも、いま政治に関心を持っている人の役割のひとつだと思います。「NO YOUTH NO JAPAN」の活動などを見ると、初心者でも理解しやすい形の発信をされていて、とても心強く思います。

藤岡さんの本棚。最近読んでいる本・読み返している本が並ぶ

日常で、対話していくこと

私自身、藤岡さんの発信に共感する一方で、ギャグやお笑いという娯楽と、戦争や政治、同じように話す温度感の難しさがあるとも感じます。藤岡さんはそういったモヤモヤを感じることははありますか?

僕はこのインタビューで今まさに、そのモヤモヤと戦っています(笑)。戦争や政治の話をした直後に娯楽の話をすると、不謹慎なように感じてしまうというのも、分かります。僕は今では家族や知り合いと、政治の話も映画の話もフラットに話すようになりましたが…日常でも、コミュニティによっては政治の話をするのは緊張しますよね。でも一方で戦争や政治の話を一切しないことのほうが不謹慎というか、不自然だし、よくないことだよなと思います。

本当はくだらない漫画だけ描いて、しょうもない投稿だけしていたいです。でも世の中の人があまりにも政治や社会に無関心だと感じているので、少しでも流れを変えられたらなと。

お笑い芸人も、パレスチナのことを話題に出す人が本当に少なくて…。「虐殺」なんて笑いから一番遠いことだし、触れるのが難しいのも分かるんですが。でももし、「虐殺反対」と言うことでファンが引いてしまうと思っているとしたら、それはファンをなめすぎだと思います。エンタメ業界でも、日常でも、社会の話題も娯楽の話題もフラットに話せるような空気になってほしいです。社会との連帯を表明してくれたほうが、むしろ気持ちよく笑えますよね。

私もつい先日藤岡さんの漫画を読み返しましたが、変わらずゲラゲラと笑ってしまいました。自身の心の健やかさも保ちながら、社会や世界の一員だということを同時に自覚して、行動できたら良いですよね。

ありがとうございます(笑)。本当にそう思います。「映画を観に行ったあとにデモに行く」ことが日曜日の予定に入ってる、みたいなのが、もっと普通のことになればいいなと思います。いきなり「戦争が」とか「あの政党が」と話を始めるのではなくて、「今こういうことで困ってる人たちがいて、私はそこに心を寄せている」ということから話すと、聞いてもらいやすくなるかもしれません。

すべて日常に地続きな問題だからこそ、みんなが視野を広げて、対話していくことが必要だと思いました。その活動をされている藤岡さんが、心強いです。最後に、これから作っていきたい作品や、やってみたいお仕事はありますか?

この真面目なインタビューをしていたことも面白くなってくるぐらいの、くだらない作品を作り続けていきたいですね。

 

藤岡拓太郎(ふじおか・たくたろう)
1989年5月31日大阪生まれ、大阪在住。2014年頃からSNS(Twitter,Instagram)でギャグ漫画の発表を始める。2017年に初の書籍『藤岡拓太郎作品集 夏がとまらない』(ナナロク社)を刊行。その後絵本作品にも取り組み、2019年に『たぷの里』、2022年には『ぞうのマメパオ』(いずれもナナロク社)を刊行する。お笑い、映画、ラジオ、大相撲が好き。

 

取材、文:conomi matsuura
写真:藤岡拓太郎さんご提供