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わたしの歴史と、インターネット|カベポスター・永見大吾と、インターネットとお笑いの関係

いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら、その人の歴史における「インターネット」との関わりについても聞いてみた。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?

今回お話を伺うのは、お笑いコンビ・カベポスターの永見大吾さん。「M-1グランプリ」では2022年・2023年と2年連続で決勝戦進出。さらに個人でも2023年の「R-1グランプリ」で決勝に進出している。現在は大阪のよしもと漫才劇場を中心にテレビやラジオなど多方面で活躍中だ。主にネタ作成を担う永見さんは、大喜利が得意。インターネットの大喜利サイトに積極的に投稿してその技を磨いていたという。学生時代はプログラミングを学んでいたという彼に、自身のルーツとインターネットとの関係性ついて伺う。

インターネットの原体験

永見さんが初めてインターネットに触れたと思う体験はいつですか?

小学4年生のとき転校した学校にパソコン室があって、そこで初めて授業でインターネットを触った気がします。植物の観察日記か何かで、写真を撮ってアップして簡単なホームページを作ろうという授業でした。そこで作ったものがインターネットの世界に載っているという感覚は、当時まだなかったと思います。

自分からインターネットを利用するようになったのはいつ頃ですか?

高校で情報科に進学して、授業でも使うからと親に自分用のパソコンを買ってもらったときですかね。同時に携帯電話も持たせてもらって。2つ折りのアンテナが付いたタイプの携帯電話を使ってました。

ちなみに、高校で情報科を選んだのはなぜですか?

家の近くにあった高校のオープンキャンパスに参加して、そのときに初めて情報科の存在を知りました。僕は数学などの理系科目が得意だったんですが、情報科のプログラミングの授業を体験したときに数学っぽいなと思いました。それに、これからの社会はパソコンの時代だという空気感がなんとなくあったので、この学科に行ってみようかなと情報科を受験しました。ちょうど『電車男』(※1)が流行りはじめた時期だったと思います。

※1 『電車男』:インターネットの掲示板「2ちゃんねる」での書き込みを元にした恋愛ストーリー。2004年に新潮社から単行本化され、その後2005年に映画化された。それまでは一部の層だけが知っていた独特なオタク文化の言い回しや、ネット用語がお茶の間に紹介され、社会現象となった。

パソコンに向かい続けた学生時代

情報科では、どんなことを学んでいたんですか?

まずプログラミングが何なのか、何の為にあるのか、というような考え方の基礎から教えてもらいましたね。でも最初は法則など聞いても何がどうなってるのか全然分からなくて。手を動かしているうちに、この作業をすることで、こういう風に画面が動くのか、ということが段々分かってきました。

そこから大学でもプログラミングを学ぶ工学部に進学されていますよね。

高校では成績が優秀な方だったので、AO入試で地元・三重大学の工学部に進学しました。でも進学してからはついていけなくなりました…。より専門的で高度なテクニックが必要になったことと、ずっと机に座り続けることが、ちょっときついなと。最初はそういった作業が苦ではないほうでしたが、続けるうちに流石にずっとは無理かも、と思いました。そこから、お笑いの世界に行きましたね。

インターネットで大喜利を鍛える

プログラミングを学ぶ一方で、永見さんは学生時代から大喜利サイトに投稿されていたそうですが、そのきっかけは何でしたか?

中学生のときに、深夜にテレビでバラエティ番組を見るようになって。そこでさまぁ〜ずさんたちが大喜利をしているのを見て、こんな面白いジャンルがあるんや、と知りました。

その後たまたま、テレビで「着信御礼ケータイ大喜利」(※2)という番組の第1回目を見たんです。番組が提示する大喜利のお題の回答を視聴者が携帯電話で送って、面白いものが紹介されるという内容でした。そこで一般の人でもテレビで答えてるやん!と思って、自分も携帯電話を手にしたら投稿してみたいと思っていました。

※2「着信御礼!ケータイ大喜利」:2005年よりNHKで放送された生放送のバラエティ番組。千原ジュニア、今田耕司、板尾創路などが出演した。当時の投稿者には、霜降り明星の粗品や、お笑いタレントのおほしんたろうなど、のちに有名になった芸人も多い。

その後、永見さんの回答は同番組で何度も紹介されていますよね。高校生で携帯電話をゲットしてから、投稿を始めたんですか?

そうですね。携帯電話でインターネットに繋がるようになってからは、テレビの大喜利番組は欠かさずチェックして投稿していました。同時に、大喜利の掲示板や、個人が運営している大喜利サイトでもよく回答を投稿をするようになりましたね。顔も知らない大喜利が好きな人たちが集まったコミュニティができていて、管理人がお題を出したり、評価したりするサイトがあったんです。僕もそのひとつとして大喜利サイトを作っていました。

永見さんもご自身のサイトを運営されていたんですね!

とにかく大喜利をしたい人たちが集まっていたので、色んなサイトがありました。たまにそのサイトの掲示板でも交流していましたね。リアルな友人と繋がるようなSNSを始めたのは、もっと後。大学4年生くらいのときでした。

プログラミングと漫才の共通点

学生時代の経験で、今に活きていると思うことはありますか?

プログラミングは、結構漫才のネタ作りに活きている気がしますね。僕自身、見ている人に分かりやすいネタを作りたいと思っているのですが、プログラミングは機械に分かりやすく伝える為に作られたものなので、共通している部分があるんです。実際にプログラミングをやっている方が僕たちのネタを観たら、あのプログラミングのアルゴリズムっぽいな、と思うかもしれません。

私はプログラミングには詳しくないのですが…たとえば、どんな部分ですか?

なんやろう…めちゃくちゃ分かりやすく言ったら、プログラミング用語でいうループ処理という機能がそうかもしれません。たとえば、1〜10の箱に、ものを入れたいとします。でも機械はランダムな動きができないので、一気にものを入れるのではなく、1つずつ目の前の箱からものを入れていくという指示を出さないといけない。まず1つ目の箱に入れてくださいという命令文を出して、次は2つ目、3つ目…と繰り返し作業の指示をします。

それがネタのなかでも、同じ流れのことを何回もやっていって、でも言ってることが少しずつ違う…というくだりになったりします。毎回机に座ってネタを考えているので、当時のプログラミングをしていた感覚が蘇るのかも(笑)。

なるほど…。気づかなくても、世の中のネタや作品でプログラミングの要素が入っているものは多いのかもしれません。

僕も毎回は思わないですけど、たまにアニメなどで、プログラミング用語を使っているな、とか、ちょっとネタのエッセンスに入っているな、と気づくことはありますね。ほかのプログラミングのお仕事をされている方もそう思っているのか、話を聞いてみたいです。

SNSは、感想を見るときに使う

今は顔を出して表舞台に立たれている永見さんですが、インターネットやSNSとの向き合い方は、当時と変わりましたか?

いま、エゴサーチは欠かさずしていますね。舞台上でお客さんは拍手したり、笑ったりして反応を伝えてくれますけど、実際にどう思っていたのかは分からないので、本当に面白かったかな?と気になってしまうんです。

このボケめっちゃ良かったなと自分で思っているときに「あのときの永見さん最高でした!」とか誰か書いていないかなと探して。で、「誰も言ってないんかい!」となるときもあります(笑)。反応を見られる手段を知ってしまったから見てしまうだけで、SNSが無かったら気にしていないのかもしれないですけど…。

ファンの方の反応もダイレクトに見えてしまうのは、今の時代だからこそですね。

もちろん直接面白かったと伝えてくれることは嬉しいですが、僕宛に送られてくるメッセージというよりは、誰に伝えるでもなく投稿されている感想などを見ることが楽しいですね。たとえ「それは言わんでも良いやん」ということを投稿されていたとしても、僕が見なければ良いものを見に行っているだけなので。どっちも悪くないなという、適度な距離感でいろんな意見を見ることができるのは、良いなと思います。

電波を通して、ネタを伝えていく

今ではSNSや動画配信もお笑いの接点として欠かせないものですが、永見さん自身はそれぞれをどう捉えていますか?

僕自身は、XやInstagramでの投稿については、あんまり細かく気にしていないですね。告知はもちろんしますし、それで目に入ったら嬉しいですが、楽しくできたら良いな、という感じですね。

オンライン配信が増えたことに関しては、インターネットとお笑いが良い感じに繋がってきたなと思います。自分が学生の頃はお笑いといえばテレビのバラエティのイメージしかなく、ライブを見に行くという発想も無かった。それが今や、大阪や東京の劇場でやっているお笑いライブが配信でどこでも見られるようになっています。配信でライブを見て、そこから足を運んでみようかな、というきっかけにもなる。もし今学生時代の僕がいたら、いろんなお笑いに触れる機会がもっと多かったのかなと感じます。

コロナ禍を経て、オンライン配信はかなり増えましたよね。コロナ禍前後で、変化を感じる点はありますか?

自分自身の気持ちが一度リセットされたように思いますね。それまでは、劇場で日々舞台に立って、どこかプレッシャーを感じていたんです。芸人になる前は、ただ面白いことをやったらええやんと思っていたのが、来てもらうお客さんにウケなかったら仕事がなくなるかもしれない、とだんだん気にするようになってしまって。

でも、コロナ禍で無観客の配信になったとき、悟りの境地に入ったような気がしたんです(笑)。お客さんが目の前に見えないからこそ、僕たち自身が単純に面白いということをやらないといけない。そう思えたのは良かったです。

同じ大阪の劇場で活動されていたさや香さんも、コロナ禍の無観客ライブで「見せ算」(※3)のネタができたそうですよね。

じゃあ…無観客配信の悪い一面もあるかぁ(笑)。

※3「見せ算」:2023年の「M-1グランプリ」の決勝戦で最終決戦に進出したさや香が披露し、1本目と全く違うテイストと初見では理解困難な世界観で、観客や審査員が唖然とし伝説となったネタ。「見せ算」は無観客ライブでできたネタで、さや香の新山さんが芸人仲間を笑わせるために作ったと言われている。

大阪出身の先輩芸人が東京進出されるなか、大阪の劇場を引っ張る役となってきた実感や、今後の目標はありますか?

うーん、思いすぎると、あれもしないとこれもしないと、と考えてしまうので、自分たちの活動をまず大事にしていきたいですね。自分自身がテレビで見て芸人を始めるきっかけとなったネタや漫才を、自分たちもテレビやいろんなメディアに出ていろんな人に伝えられたらと思っています。劇場だけではなく、家から出たくない人や、斜に構えて見ている人にまで届けたいですし、ネタを見てもらうことでそんな人の考え方が変わったら良いな、と思います。

ありがとうございました。色んなメディアを通じてカベポスターさんのネタが届けばいいなと思います!

商店街のみんな、サイバーウィルスのセキュリティはしっかりしろよな!

<今回のインターネット・ポイント>

永見さんがインターネットデビューを果たした2000年代初頭は、インターネットの高速通信ができる光回線がスタートし、個人サイトを開設する人が激増した時代。同時に携帯電話でのインターネットサービスが開始され、誰もが同時にネットにアクセスできるようになりました。

そこから少し時を経て、コロナ禍では外出自粛期間により、自宅でインターネットを通じてライブや舞台などの動画配信を見る人が増加。永見さんの所属する吉本興業株式会社も、2021年4月にオンライン配信をより楽しめる「FANY」サービスを開始しました。コロナ禍が落ち着いた今でも、引き続き多くの人がお笑いライブの配信チケットをインターネット上で購入・視聴する機会が増えています。

 

永見大吾(ながみ・だいご)
1989年、奈良県生まれ。2014年に浜田順平とお笑いコンビ・カベポスターを結成。2022年「第43回ABCお笑いグランプリ」 優勝、2023年「第58回上方漫才大賞」新人賞など、数多くの賞レースで結果を残す。2022年と2023年の2年連続で「M-1グランプリ」決勝進出。個人で2023年の「R-1グランプリ」に決勝進出。また現在は劇場のほかラジオ「カベポスターのMBSヤングタウン」出演。テレビ「探偵!ナイトスクープ」や「せやねん!」でも準レギュラーとして活躍中。

 

取材・文:conomi matsuura
編集:白鳥菜都
写真:Ayaka Onishi