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「挑戦が“大きな1歩”である必要はない」聞こえる人が中心の世界で自分らしい選択を続ける デフサポ代表・牧野友香子インタビュー

全国の難聴未就学児の教育支援や、その親のカウンセリング事業を行う『デフサポ』。代表の牧野友香子さんは、難聴当事者の子どもたちの「ことば」のサポートと、社会に難聴の理解を広めるためのYouTubeチャンネル『デフサポちゃんねる』を運営している。

牧野さんは難聴当事者の子どもたちやご家族への情報提供はもちろんのこと、ハンディや失敗を恐れずに人生を歩むご自身の姿を通して、難聴当事者ではない人たちにも多くの気づきを与えており、2024年2月時点のYouTube登録者は12万人を超える。常に挑戦を続ける牧野さんが、これまで「聞こえる人が中心の世界」で自分らしい選択を続けられた理由について、話を伺った。

「聞こえる人が中心の世界」を選んできた理由

牧野さんのYouTubeを拝見してまず驚いたのが相手の口の形を読んで発言を理解し、ご自身も発声して話す「口話」で会話されていることでした。本日もオンラインでインタビューさせていただいていますが、口の動きは問題なく読めますでしょうか?

はい、見えています!

移住先のアメリカからオンライン取材を受けてくださった牧野さん

おっしゃる通り、私自身は口話で話していますが、耳が聞こえないので相手の方の「口を読んで」発言を理解しています。耳が聞こえない私にとって、自分自身が正しく発音できているかは分かりません。なので幼稚園の頃から発音の訓練を受けてきました。1つ1つの単語を家族や友達に聞いてもらって、違うところを指摘してもらいながら何度も発音を練習しました。「口を読む」ことに関しては、誰かに教わったわけではなく自然と覚えていった感じでしたね。

牧野さんのご経歴も印象的です。学生時代は一般校に通われ、大学卒業後には一般採用枠でソニー株式会社に就職されています。これまで「聞こえる人が中心の環境」を選ばれることが多かったと思いますが、このスタンスに至る理由があったのでしょうか?

実は「一般校に通いたい」という特別な思いはなかったんです。地元の友達と幼稚園の頃からずっと一緒に育ったので、仲の良い友達がいるから私も地域の学校に通いたいな、くらいの思いでした。なので「聞こえる人が中心の環境」を意識して選んでいるつもりは全くなく、「みんなの一員に当然私も入っているよね!」という気持ちでした。

幼少期の牧野さん

牧野さんにとってはごく自然な選択だったのですね。

友達のなかにはテンションが高い子もいれば大人しい子もいるし、身長の高い子や低い子もいる。それと同じような感覚で、周りの友達は「ユカコには自分の口を見せて話す」という行動を当たり前のようにしてくれていたんです。たとえ喧嘩しても、必ず口を見せて話してくれました。いま思えば、私が「耳が聞こえない」ということを頭で理解している子は少なかったかもしれません。行動として理解しているというか。でも、こうした周囲の理解や助けがあって、私にとっては友達と同じ地元の学校に通うことがごく自然な選択に感じられました。

ただ、高校受験のときに少し状況が変わりました。私が受験した学校はいわゆる進学校だったのですが、併願受験しようと思った私立高校で「耳の聞こえない学生は受け入れたことがない」「聞こえないのに進学校を受験するのは無謀ではないか」といった嫌味のあるニュアンスの言葉をかけられました。そのとき人生ではじめて、耳が聞こえないことに対する「社会の目」というものを意識しました。

適した環境を選ぶ基準は聴力や口話の能力だけではない

実際に地域の一般高校に進学して苦労された部分はあったのでしょうか?

あくまで私の場合ですが、地域の一般校に通うという選択が自分の性格にはとても合っていました。たとえば授業中に先生が黒板を向いて板書しながら話すと、口が読めず何も分からないのですが、私は先生の言っていることが正確に分からなくても「まあ、40%分かればいいか」と思える性格です。なので、勉強が難しくても自習で補って、友達との学生生活を存分に楽しむことができました。

中学時代の牧野さん

お話を伺っていると、一般校かろう学校かを選ぶ基準は聴力だけではないように感じます。

そうですね。難聴当事者の学生のなかには、先生が言ってることを90%理解したいと思う人もいます。その場合、ある程度聴力があったり口話で話すことができたりしても、ろう学校に通ってその人にとって理解しやすい授業を受けた方が気が楽ですよね。

逆に、聴力や口話の能力はそこまで高くないけれど、そんなことは気にせず友達がサッカーをしている輪に飛び込んで楽しめるような、言葉以外のコミュニケーションが得意な学生が、一般校に通って楽しく過ごすようなケースもあります。

また、周りの環境も大きいと思います。私の運営している『デフサポ』に通うお子さんのなかにも、実際に一般校で周りの友達がみんなで手話を覚えてくれたというケースもあるんです。どちらの学校が適しているかは、その学生の聞こえの能力だけではなく、彼らの性格や周りの環境によると思っています。その子にとって本当に合う環境を選ぶことが1番大切だと思います。

難病の子どもが生まれたことが『デフサポ』設立のきっかけに

牧野さんはいま、全国の難聴の未就学児の教育支援や親御さんのカウンセリング事業を行う『デフサポ』を経営されています。改めて、会社を設立した経緯について教えてください。

私には2人の娘がいるのですが、長女は生まれながら骨の難病を持っていました。それまでの自分の人生を振り返ると、その時々で苦労はあったものの、行きたかった学校や会社で勉強や仕事に打ち込み、プライベートも充実していて、人生に対して「楽しい!」という感情を持つことができていました。しかし長女が難病を患っていることを知ってからは、これからの人生の見通しが立てられず、とても不安に感じられたのです。

彼女の難病は「50万人に1人の病気」とも呼ばれていて、当事者として病気のことを発信しているロールモデルも少ない状況でした。ロールモデルと全く同じように成長するとは思いませんが、もし知っていたら「こういうふうに暮らしている人もいるんだ」と参考にすることができます。当時を振り返ると「この子は将来歩けるようになるだろうか、学校には行けるのだろうか...」と毎日不安なことばかりを考えていました。

そのときふと、私は「難病」のことは分からないけど、「難聴」のことだったら分かると気づいたんです。私と同じように、子どもの成長や将来に不安を抱えている親御さんに、自分ができることがあるかもしれないと思い立ちました。

「ことばの力」を育てる活動「デフゼミ」の利用者限定で開催した交流会の様子

娘さんの病気について不安な思いがあったからこそ、同じような状況にいる親御さんへの情報発信やサポートをしたいと思われたのですね。

前職で人事担当をしていたこともあり、その経験を活かして就職などのサポートができたらと考えていました。でも実際に様々なご家族とお会いし、親御さんの不安な声に直接耳を傾けると「就職のような先の話ではなく、いま目の前の子どもにどう接したらいいのか分わからない」「聞こえない子どもにどう言葉を教えたらいいのだろうか」ということに困っていると気づいたんです。

そのため、デフサポでは「難聴児本人」と「周囲の環境」の双方へのアプローチを大切にしています。難聴児の「ことばの力」(言語能力)を伸ばすための通信教材を、言語聴覚士と相談しながら制作しています。また、世の中にはまだ難聴児の子育てに関する情報が少ないので、ブログでの情報発信や親子向けの講演会・出張授業なども行っています。

小学校での出張授業の様子

中学校での出張授業の様子

大切なのは「ことばの力」を高めること

難聴当事者には、口話や手話などことばの表現方法がいくつかあると思います。選び方によってはコミュニケーションの幅や人との出会いの幅などにも影響するのでしょうか。

私は、第1言語は口話でも手話でも、どちらを選んでも良いと考えています。重要なのはその人が選んだ第1言語で思考したり文章を読解したりする「ことばの力」を十分に高めることです。日本語と英語で置き換えると分かりやすいですが、たとえ英語で簡単な日常会話しかできなくても、その人の第1言語である日本語で思考力や文章読解力が備わっていれば、英語の能力をいくらでも高めることができます。しかし第1言語の日本語が中途半端のまま英語を学んでしまうと、その人の持つ思考力そのものが浅くなってしまいます。

それと同じように、難聴当事者も、その人が選んだ第1言語の能力を高めることができれば、進学や就職など人生の選択肢をいくらでも増やしていくことができます。

先ほど英語の話がありましたが、牧野さんご家族はアメリカに移住されています。未知の言語で生活するのはとても大変だったと思います。

スーパーでの買い物やスターバックスでの注文など、日常会話に関しては英語ができなくても問題ありません。というのも、アメリカは日本以上にテクノロジーを使うことに抵抗がないので、分からないときはスマートフォンで音声認識アプリや翻訳アプリなどを使えばすぐに通じ合うことができます。

また、アメリカは「英語が母国語ではない人」への対応にとても慣れているんです。私たち家族が住むテキサス州はスペイン語圏の方が多いので「私はスペイン語しか話せません」という人もたくさん暮らしています。そんな環境で過ごしていると、日本だと「耳が聞こえない人」と「障がい者」として捉えられていたのが、アメリカだと「よくいる、英語ができないアジア人」と思われているな、という感じなんですよね(笑)。

テクノロジーが活用できることや、メルティングポットと言われるほどにさまざまなルーツを持っている方が多く集まる国という環境も相まって、コミュニケーションに対するハードルは下がっているのですね。

ただ、英語で「日常会話」をすることにはとても苦労しています。アメリカでも日本語と同じく口を見て会話しているのですが、たとえば友達家族にホームパーティーに誘われて行っても、食卓で話していることやちょっとしたジョークどころか、本当に簡単な一文ですらリアルタイムで理解することができません。わざわざ翻訳アプリに話してもらったり、もう一度同じ話を繰り返してもらったりすることが申し訳ないので、理解することを諦めてしまいそうになります。私自身、コミュニケーションの楽しさが好きだからこそ、英語で会話ができないことには悔しさを感じてしまいますね。

アメリカで感じているいまの状況は、幼かった頃の自分に近いものがあると感じています。いまでこそ様々な人生経験を経て、口が読めなくても「いまおそらくこういうこと話しているんだろうな」と状況を予測しながら大抵の会話ができます。昔は「ことばの力」が育っていなかったので、口の形は分かっても、その意味までは分からないことが多々ありました。そのときの感覚に似ていると思います。

だからこそ、いまは私も英語をきちんと学びたいなと思っています。日本語と同じく相手の口の形を見ているのですが、私にとって英語の発音イメージが、想像以上に日本で使われている“カタカナ英語”に引っ張られて苦労しています。分かりやすい例でいうと、紫を意味する「パープル」はネイティブの方だと「パーポー」と発音しますよね。自分の頭のなかで思い描いている口の形と乖離することも多く大変ですが、現地の学校に通っている娘たちにも手伝ってもらいながら少しずつ学んでいます。

在日米商工会議所にて、英語を使って講演をした際の様子

挑戦が「大きな1歩」である必要はない

会社設立からアメリカ移住など常に挑戦し続ける牧野さんですが、このスタンスを支えるエネルギーの正体は何だとお考えですか?

「なぜそんなにチャレンジできるの?」「失敗が怖くないの?」とよく聞かれますが、おそらく私はいつも大きな1歩を踏み出しているわけではなく、半歩や0.1歩くらいの“小さな1歩”の数が多いのだと思います。失敗もしますが、小さな失敗を繰り返すことでリカバリーも自然と上手になっていきます。

たとえば私もいきなりアメリカに移住したわけではなく、学生時代に1人でバックパッカーとして海外放浪をしていた経験があります。なので、慣れない環境で自分がどれくらい意思疎通ができるかがなんとなく理解できていたんですね。そんなふうに、まずは日常生活で初めてのお店に行ってみようとか、数日間海外旅行に行ってみようとか、ちょっとしたチャレンジを重ねていくのが大事ではないかなと思っていて。挑戦がすべて「大きな1歩」である必要は決してないと思います。

最後に今後、新しく取り組みたいことがあれば教えてください。

いまデフサポとは別で、夫と2人でマーケティングの会社を経営しています。デフサポは当事者として難聴者の方をサポートしていますが、こちらの会社は私の難聴という特性とは関係のないビジネスです。この挑戦を通じて、難聴がある人が自身の特性を軸にした事業を展開するだけではなく、純粋に自分のやりたいビジネスで会社を経営する姿がもっと身近になったり、私と同じような難聴当事者の方に「自分にもできるかも」と思ってもらえたりしたらいいなと思っています。

おわりに

いま日本では「D&I」「DEI」 など多様な個性に光が当てられはじめているが、難聴当事者の方に対して「自分は手話ができないから意思疎通ができないのではないか」と思考停止してしまうことがあると思う。しかし、牧野さんが体現し語るように、同じ難聴の方でもことばの表現方法は100人100通りだ。社会にいるわたしたちの難聴に対する知識や考えがアップデートすれば、1人ひとりが自分らしい選択ができる社会になる可能性はずっと広がるのではないだろうか。

自分のなかの難聴に対する現在地をアップデートするためにも、そして牧野さんの今後の挑戦を応援する意味でも、『デフサポちゃんねる』の視聴をぜひおすすめしたい。

 

牧野 友香子(まきの ゆかこ)
「デフサポ」代表。1988年大阪生まれ。アメリカテキサス州在住。先天性の重度感音性難聴の当事者。幼稚園から大学まで一般校に通学。大学卒業後、ソニー株式会社に入社し7年間人事を担当。障がいを持つ第一子の出産を契機に「デフサポ」を立ち上げ、全国の難聞の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。現在は夫と2人で「MASS DRIVER」というマーケティング会社も経営している。

 

取材・文:さとうもね
編集:大沼芙実子
写真:牧野友香子さん 提供