「M-1グランプリ2023」で優勝した漫才コンビ・令和ロマン。芸歴5年目、初となる決勝の舞台で見事優勝。トップバッターでの優勝は初代王者の中川家ぶりとなり、脚光を浴びた。
そんな令和ロマンのボケであり、メインのネタ作りを担当しているのが髙比良くるまさん。M-1優勝時には、彼の「大会をもっと盛り上げたいから来年も出たい!」というある種、俯瞰的とも取れる発言が話題になった。準決勝でも、本番から結果発表までの僅かな時間に、ほぼ全組の漫才の感想と結果予想をYouTubeで生配信。勝負の場においても冷静に分析をするくるまさん。しかし一方で彼は漫才について話すことを心から楽しんでいるようにも見えた。
くるまさんが分析を通して感じている「漫才」や「お笑い」とはどのようなものなのだろうか。
劇場の空気を感じて、漫才をする
M-1優勝後、分析キャラがさらに定着していますね。漫才や大会を分析しようと考えたのはなぜでしょうか?
単純に弱者の武器ってだけです。テレビに出るほど人気がある人や才能がある人は殆ど分析なんてしていなくて、売れていない人たちが色々考えているんですよ。本当は素で舞台に立ち、アドリブで笑わせることができたらいいですけど、“才能ない側”は考えないと思いつかないから。地道にやるしかないんです。
劇場の空気を見てネタを変えると発言されていました。普段からそういったことは意識的にしていますか?
そうですね。漫才をやる地域とその日のお客さんの年齢層、会場の空気感をみて若干ネタを変えています。落語や講談もある寄席っぽい舞台に集まるお客さんは漫才を見慣れてない方もいるから丁寧にやろうとか、逆にお笑い好きが集まる舞台ではテンポよくやろうとか。
令和ロマンのお2人は関東出身ですが、関西や他の劇場にも積極的に出向いて経験を積まれていましたよね。
地域によって何がウケるか分からないので、舞台に立ってやってみるしかないんです。だからできるだけ色んな劇場にいっています。
東京の劇場でウケたネタを京都でやったら思いもしていなかったところでウケて。「なんであそこでウケたんだろう」と後から映像を見返します。次に出るときにそのボケを頭に持ってきたら一気に空気を変えられるかな?とか考えて、また舞台で試して、見直して、修正して…ということを繰り返すんです。本当に総当たりですね。
その地域にどのような文化が根付いているか、その場に集まるお客さんがどんな文化のなかで暮らしてきた人たちなのか、によって“笑い”のネタになるものが異なりますよね。
例えば「運動会」のネタで「ソーラン節」という言葉が出るときは、この地域では運動会でソーラン節を踊っているのか?など、その地域の劇場スタッフに聞きます。どう表現するとそれが笑いになるのかを知りたいからです。自分でリアルな情報を集めるしかないので、今はひとつずつ聞いて細かくメモしてますが、これこそAIに助けてもらいたい領域ですね。
多くの漫才師がそうやって調整されているんでしょうか。
ここまで突き詰めて言語化している人はあまりいないと思いますが、漫才師の共通認識として、この劇場ではこうしよう、という調整は少なからずあると思います。もちろん、なかには自分はこの世界観で行く!と、ひとつの作品として漫才をする方もいらっしゃいます。それぞれの美学でやっていますね。
芸人同士の、共有と憧れ
漫才師同士でそういった情報を共有されることもあるのですか?
最近は自分が分析をするやつだとバレてきているので、よく聞かれますね。劇場ではみんなでその日の情報を共有していてチーム感があります。前説の人に今日はどんなお客さんがいるか聞いたりして。
特にお客さんによって何のネタをやるかをよく考えていると思うのはテンダラーさん。あの人たちはすごい!テンダラーさんの漫才はショートネタを沢山やりますが、場の空気を見てから薬を調合し薬莢(やっきょう)にして、リボルバーに詰めて出て行っている感じがする。その弾を決めてる時間が、めちゃくちゃかっこいいんですよ。
くるまさんもM-1では4本ネタを用意して、盛り上がりや順番を見てどれにするかを決めると仰ってましたよね。
それはもうテンダラーさんリスペクトですよ。テンダラーさんとか、くまだまさしさんとか。いつも同じことをやっているように見えて、瞬時にそこにいるお客さんを判断してネタを選んでいる。とんでもないですし、憧れますね。
社会の価値観と共に少しずつ変化する劇場と漫才
以前くるまさんが「令和ロマンの漫才は、構成を全世代向けにして、細かい言葉を若い人に刺さるように入れている」と仰っているのを拝見したのですが、それはどうしてでしょう?
劇場のお客さんの層が混ざり合ってきたからですかね。
少し前のルミネtheよしもとやなんばグランド花月のライブには、昼はご高齢の方しかいなくて、夜は若い方しかいなかった。でもそれが最近はクロスオーバーしている印象です。お笑いが流行っていることもあって、お昼の公演にも若い方が来たり、アイドルみたいに“ある芸人”を目掛けて見に来る人がいたりする。以前はお昼はこの世代の人が多いからこのネタにしよう、ということができましたが、今はそういう話でもなくなっています。たくさんのお客さんが来てくれるのはとてもありがたいことですが、舞台に立つ側としては難しいですね。
特にお昼の寄席は、漫才や落語、様々な演目があります。せっかく劇場に見にきているのにあまりわからないな…という時間があるのは嫌じゃないですか。僕だったらそう思います(笑)。そんな人に向けても、楽しんでもらえるように工夫して、いろんな世代の方がわかる漫才をしつつ、そこにちょいちょい若い方々が笑えるようなワードを入れています。でも漫才の最適解はまだ見つけられていないですね。
令和ロマンのネタには年代に関わらず「分かる人は分かる」みたいなエッセンスがあると思うのですが、それは狙っているんですか?
「分かる人に分かる」を狙っているんじゃなくて、ただ生きていて感じていることを言っているだけなんです。少し上の世代の方だったら「野球」とか「相撲」のことをネタにしていたように、自分が見てきたものを入れているだけです。
いまの時代は趣味が細分化されているからこそ、「ニッチだ」と感じるのかもしれないですね。それが「分かる人には分かる」に繋がっているのかも。
そうですね。みんなで同じもの見ているという世代ではないから、自分が普通に生きてきたなかで見つけたネタで、みんなも知っているだろうと思っていることが、ある界隈にしか届いていないこともある。そういうネタに対して“自分たちのことを言っている!”と受け手が感じるんだと思います。
ここ10〜20年ほどでも、世の中の価値観は変わりつつあります。例えば、見た目をいじることが笑いだったのがそうでなくなりつつあることも大きな変化ですよね。社会全体の価値観の変容と笑いはどう関係していると思いますか?
実際、小さい時に見たテレビで東野幸治さんが天然パーマをいじられていたのをみて、それが笑いなんだと気がつくのに時間がかかった記憶があります。僕自身も天パなので、自分の感覚では普通だったことが「あ、天パっていじる対象なんだ」とそのときに思ったんです。
いまはその価値観がもっと変わってきていますよね。それとともに笑いの対象も感覚も変わっています。だからこそ最近の笑いは、何か決めつけられた価値観の上にあるネタよりも、「あるあるネタ」のようにリアルな情報の積み重ねの上に成り立つものが多いのかもしれません。
作りたい劇場がある
以前インタビューで、M-1の賞金1000万円を獲得したら劇場を作りたいと仰っていましたが、その夢は今もあるのでしょうか?
ありますね。1000万円じゃ無理でしょうけど。1階にカフェがあって、2階にイベントスペースがあったり、ジャズバーみたいな場所がある劇場を作りたいです。現状、お笑い以外のものが交わっている劇場はあまりないですよね。劇場って、空間としてもっとできる事がありそうなのに、立地とか集客とか利便性だけで大きい劇場が建ってしまう。昔は、音楽のライブハウスやお芝居の演劇場がお笑いの舞台になっていました。もっとそういったいい意味で目的が曖昧な場所に劇場があったほうが、後輩のためにもなると思うんです。
後輩のため、というのはどういうことでしょう?
芸人に限らず、どの職種もそうかもしれませんが、ひとつのことだけに集中していると、どんどん視野が狭くなっていきます。それが原因で悩んでいる後輩をよく見かけるんです。「なんでこの劇場に出られないんだ」とか「どうしたらこの大会に勝てるんだ」とか。そういう悩みがあったとしてもいろんな場所に出て視野を広げないと、自分の居場所だけで活路を見つけることは厳しいんですよね。
ひとつの目標を目指すのはもちろん良いことですが、漫才の劇場に限らずいろんな世界を見ることで、少しでも広い視野を持てる場所があったら良いなぁと思うんです。だから僕は後輩を別の劇場に連れて行ったり、色んな人を紹介したりしているんですけど、エンタメや人が集まる、もっと曖昧な劇場を作れたらいいなと思うんです。
くるまさん自身は、どうしてそう思えるようになったのでしょうか?
俯瞰的な視点は、東京都練馬区生まれということが大きく関係していると思います。わかるんですよ、分相応というのが。練馬出身だと、ここが渋谷とか新宿の大都会でないことが一瞬でわかる。でも地方の大田舎ではないこともわかる。単純にどちらでもない真ん中にいて、そこから色々見ているんですよね。だから、都心の近くにいながら、少し離れた目で見ることができているのかなと思います。
分析の先に、目指すもの
いつかお笑いをメソッド化して皆に伝えていきたいとも仰ってましたよね。
漫才を皆にやって欲しいってわけじゃないですけど、以前「お笑いがあればいじめがなくなるかもしれない」という話をテレビで見て、本当にそうだなと思いました。いじめって、やられた側が不快に思う、ここまでやったら面白くないぞっていうラインを、やる側が超えてしまうから起こるんじゃないかと。そしてそれは、やる側がつまんないからわからないんだと思うんです。
面白さの基準がズレてしまっていると。
学校ではたまたま体格が大きいとか、お金持ちとか、そういう理由で上下関係が生まれてしまうことがある。その特徴でしか人と関われないやつが出てくる。そしてその人が“面白い”がわかっていないと人を傷つけてしまう。でも社会には良い上下関係もあるじゃないですか。単に力が強いやつじゃなくて、面白いやつについて行ったら楽しいぞ!とか。そういうレベルで、面白さや笑いが広まっていけばいいなと思いますね。
そのためだけにお笑いや分析をやっているわけじゃないけれど、結果的にそのような形で社会に還元できたら嬉しいし、それがお笑いをやっていくうえでのやりがいにもなると思いますね。
くるまさんと話していると、漫才が本当に好きだ、という気持ちが伝わってくる。自分のことを話す以上に、漫才のことや、周りにいる漫才師たちのことについて話すとき、彼の目はいきいきと輝いている。
普段何気なく見ている漫才も、その陰には考え抜き、磨かれてきた想像もできないほどの時間が存在する。そんな地道な努力を微塵も見せず、舞台の上で笑わせてくれるその漫才の魅力に、改めて感じ入る。そんな漫才の世界を、くるまさんはときに分析によって紐解きながら、より楽しませてくれる。何よりも本人が一番楽しみながら。
髙比良くるま
1994年9月3日生まれ、東京都練馬区出身。慶應義塾大学在学中に相方の松井ケムリと出会い、2018年から「魔人無骨(現・令和ロマン)」として吉本に所属。「令和2年度NHK新人お笑い大賞」大賞受賞、「第43回ABCお笑いグランプリ」「第44回ABCお笑いグランプリ」準優勝、「M-1グランプリ2023」優勝などの受賞歴を持つ。
取材・文:conomi matsuura
編集:おのれい
写真:服部芽生