よりよい未来の話をしよう

居場所をつくり、ケアにつながる地域社会を 燕三条の複合交流拠点「三-Me.」(ミー)が育む、空き家再生と未来の地域社会



photo by Shunsuke Kamoi

日本で空き家問題が深刻になっているのをご存知だろうか。総務省の「平成30年住宅・土地統計調査」によれば、日本全国の空き家数は2018年時点で全国の住宅の13.6%を占める約849万戸であり、過去20年で1.5倍になっているという。(※1)人口が減少するなか、ますます大きな課題になっていくことは明らかだろう。

そんななか、新潟県の燕三条エリアで空き家の活用と交流人口創出の架け橋となる拠点が立ち上がった。「三-Me.」(ミー)と名付けられたその場所は、現代の地域課題解決と未来への種まきを担う地域の複合交流拠点であり、2023年のグッドデザイン賞にも選ばれた。どんな思いを込めてつくられた場所なのだろうか。発起人の1人である一般社団法人燕三条空き家活用プロジェクトの佐藤芳和さんにお話を伺った。

※1 出典:総務省「平成 30 年住宅・土地統計調査」https://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2018/pdf/kihon_gaiyou.pdf

佐藤芳和さん

「三-Me.」の外観 photo by Shunsuke Kamoi

「空き家活用のお手本になる場所」を作りたかった

まず、「三-Me.」立ち上げの経緯からお伺いしたいです。どんなきっかけでこのプロジェクトがスタートしたのでしょうか?

オーナーから相談を受けたのがきっかけです。この建物は商店街の一角にあるのですが、もともとオーナーのご実家で、1階でご両親が婦人服店をされていました。オーナーはしばらく東京に住んでおり、ご両親が亡くなられてからは空き家になっていて、1階もテナントが入らずしばらくシャッターが閉まっていたそうです。そういった状況が続くのはオーナーとしても心苦しいと感じていたようで、「商店街を盛り上げる若者を応援するため、これからのまちのためにもシャッターを開けたい」という思いから、ご相談をいただきました。

私自身、地元が三条市なのですが、大学進学を機に上京し、卒業後も都内の建築設計事務所に就職して、15年ほど東京にいました。2021年に独立し、自身の建築設計事務所「 , and Sato Architectsを立ち上げ東京で活動していましたが、独立とほぼ同じ時期に祖父が亡くなったことをキッカケに地元に戻ることを考えはじめました。具体的にUターンを考え始めたタイミングで、三条市が空き家対策に力を入れるということで地域おこし協力隊(※2)を募集していたのを見つけ、協力隊として2022年8月にUターンしました。着任とほぼ同時期にオーナーからこのご相談があり、行政の空き家対策に加えて民間でも空き家対策をおこなう活動母体があった方が良いということで、Uターンを機につながった地域のプレイヤーと一緒に一般社団法人燕三条空き家活用プロジェクトを立ち上げ、プロジェクトが開始しました。私としては、まさか着任早々こんな動きになるとは想定しておらず、スピード感に驚きつつも、良い機会を得られたと思っています。

どのようなメンバーでプロジェクトを進めていったのでしょうか?

燕三条エリアで大工やソーシャルデザインの分野で活動しているメンバー2人と、地域活性化企業人(※3)という制度で東京からIターン移住し行政付きで私と一緒に空き家対策を行っているメンバー、私の4人が理事を務め、中心になって進めてきました。長く燕三条エリアで活躍している2人はこの地域のことをよく分かっていますし、行政で空き家対策を行う私ともう1人は、建築設計や不動産、事業企画など空き家に関するノウハウがあります。それぞれの得意分野を生かしながら、みんなで場所を作り上げていきました。他にも、私以外の地域おこし協力隊もメンバーとして活動に参加しています。

一般社団燕三条空き家活用プロジェクトのメンバー 市長・副市長(中央2人)へのグッドデザイン賞受賞報告にて

「民間の立場でも活動母体があった方が良い」という考えが法人立ち上げの背景にあったとのことですが、行政と民間で空き家対策へのアプローチに役割分担があったということでしょうか?

私自身はふだん行政付きの協力隊として、行政の立場から空き家に関する相談に乗っています。相談を受けた空き家を空き家バンクに登録し、市場に流通させたり、危険な空き家に対して、補助金を出すことで除却を促したりしています。一方でその立場からできることは、解決に向けた選択肢を提示することに限られます。空き家に関する悩みのなかには「活用したいが、どう使ったらいいか分からない」というものも多く、使い方のお手本になるような場所があると良いと思っていました。その点、民間の立場ではオーナーから相談を受けた際に空き家の活用方法を提案し、可能であれば実際に改修・活用することができます。

燕三条空き家活用プロジェクトは、いま「空き家対策・移住促進」と「商店街・エリア活性化」を2つの軸にして活動しています。今後は行政と連携できることももっとあるのではないかと思っています。

※2 参考:総務省が実施する、人口減少や高齢化の進む地方都市において、地域外の人材を受け入れ地域協力活動を行ってもらい、その定住や定着を図りつつ、地元住民のニーズに応えながら地域力の維持や強化を図ることを目的にした制度。1〜3年程度の任期中、地域で生活しながら活動を行う。具体的な内容やどのような立場でかかわるかということは、自治体によって異なる。
https://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/
※3 参考:地方公共団体が三大都市圏にある企業等の社員を一定期間受け入れ、そのノウハウや知見を活かしながら、地域の魅力や価値向上につながる活動に従事することを、総務省が支援する制度。活用人数は年々増加傾向にある。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/bunken_kaikaku/02gyosei08_03100070.html

建築全体が相互に連携し、まちの人のチャレンジや市外からの移住を支援する

「三-Me.」がどのような場所なのか、改めて教えてください。

商店街の三叉路にある3階建ての店舗兼用住宅で、2023年2月にオープンしました。シェアテナント(複数のテナントが共同で利用できる区画)・シェアキッチン、お試し移住ができるゲストハウス、移住者の住宅という3つの機能で構成されています。「三-Me.」という名前は、3階建て、3つの機能、商店街の三叉路に位置すること、そして三条という地名が由来となっています。

「三-Me.」の全体像。3階建ての建物に、様々な要素が詰まっている
Illustration by Shimada Masanori Design Studio

1階はシェアテナント・シェアキッチンのスペースで、新しくお店を始めたい人や副業で事業を始めたい人などが最初の1歩目として気軽に始められる場所になっています。お店を始めたくても、賃料や改修費用が高くいきなり始めるにはハードルが高いという話をよく聞きます。そういった人が、まず事業をスタートしてみる場所にしたいと思い、このような機能にしました。

1階に設けられたシェアテナント

シェアキッチン

2階と3階は移住者や団体メンバーの住居です。三条はまち中に宿泊施設が少ないという課題もあるので、2階の一室をゲストハウスにしています。1階のシェアテナントには移住コンシェルジュとして活動している「きら星」という事業者が入居しているので、たとえば1階で移住相談をした人が2階のゲストハウスにお試し移住として一定期間宿泊し、燕三条という地域を深く知ってもらうこともできます。複数の機能を配置することで、この建築全体で相互に連携できるようになっています。

2階に設けられたゲストハウススペースの一室 photo by Hiroaki Omura

「三-Me.」を立ち上げた頃は場所自体の認知度がまだ低かったこともあり、1階のシェアテナントの利用も少なかったです。運営をしていくなかで「こういうことをしたい!」という相談が徐々に来るようになり、だんだんと様々な方に利用され、それが日常の風景になってきました。今後はもっと老若男女多くの方に気軽に利用いただけるように、燕三条エリアならではのプロダクトや空き家から出る古材を販売するなどの取り組みもしていきたいと思っています。

当初想定していなかった、新しい使われ方なども出てきているのでしょうか?

もちろんあります。「この空間はこういった使い方しかできない」と決めてしまうと、使い勝手も悪くなってしまうので、この空間自体フレキシブルに活用できるようにつくっています。たとえばこれまでに、空間全体をで装飾した植物に関する出店イベントや市内・県内の学生と若手社会人のための交流イベント、コスプレイベントのメイン会場として特設のランウェイをつくりコスプレイヤーショーしたことなどもありました。

学生と若手社会人の交流イベント photo by Tomoe Watanabe

コスプレイベント photo by コス⭐︎サン実行委員会

少しずつ動きが出てきているのですね。色々なアイデアが出てくる背景には、燕三条エリアの地域柄もあるのでしょうか?

燕三条エリアは金属産業のまちとして有名ですが、さらに三条は商人のまちでもあり、燕・三条両エリアでつくった製品を三条商人が売りにいくという流れが古くからあります。そういった歴史的背景もあり、三条は人口に対して社長の数が多いと言われています。そういう意味でチャレンジ精神が根付いている印象はありますし、「何かしたい!」という思いがある人を受け止め、許容してくれる風土があると感じています。

オープンからまもなく1年ですが、これから先どんな場所になっていくと良いと考えていますか?

この建築があるだけでは、まちにとって意味がありません。建築は使う人がいて初めて成り立ちますし、この場所自体が“人を育てる場所”にもなったら良いと考えています。1階のシェアテナント・シェアキッチンは新規事業者を育てる場になるし、2階・3階の住居は移住する人を育てる場になります。また「三-Me.」をきっかけにして燕三条エリアに関わるようになった人たちが、自分たちの新たな拠点を見つけて「三-Me.」を卒業し、さらにその先のコミュニティからこのエリアの魅力を発信して関係人口を増やしていく。そんなサイクルができる、1歩目の場所になってほしいと思っています。それがこのまちの多様性につながると考えています。

photo by Hiroaki Omura

まちづくりを広義の“ケア”につなげていきたい

これまで伺ったお話から、佐藤さんご自身は協力隊という行政の立場、「三-Me.」を運営する民間の立場、ご自身の設計事務所の立場と、様々な形でまちづくりに関わっていると思います。そんな佐藤さんだからこそ、見えているものもあるのではないでしょうか。

確かに立場は異なりますが、どれも建築やまちづくりに関わることなので、私自身のなかでは連続している感覚が強いです。私の建築の師である藤村龍至氏も、自身の主宰する設計事務所の仕事だけでなく、実際にまちに入ってプロジェクトを進めたり、大学で研究室を持ち、学生と一緒に建築・都市の研究をしたりと、複数の立場で建築・都市に関わっていました。そういった身近で姿を見ていたこともあり、私自身も自然とそのような動きをしているかもしれません。自身の経験によるところもありますが、その結果1つの物事を異なる切り口、見方で捉えられるようになっていると思います。

そうは言っても私1人では何もできません。「三-Me.」はまちづくりに取り組むうえで必要なそれぞれの要素を、それぞれの分野を専門とするメンバーが揃ってつくり上げた場所です。このまちで活動しはじめる早い段階でこのメンバーにめぐり逢い、取り組めたことは、とても有難いことでした。燕三条空き家活用プロジェクトでは、今後も空き家活用を軸にした実践を進めていきます。いまは「三-Me.」以外にも農家民宿や空き家ツアーを始めるなど、今後に向けた新しい取り組みを仕込んでいます。

佐藤さんが今後取り組みたいことや、まちづくりを通じて目指したいことについてもお聞かせください。

燕三条エリアを拠点にして建築やまちづくりに関わっていきたいと考えています。それを通じてどうしたいのかというと、誰かの居場所の選択肢をたくさん増やしていきたいんです。

これまでの活動を振り返るなかで、“ケア”や“相互扶助”という概念が自分のなかで重要なのだなと気づきました。介護とか医療ということではなくもっと広義の、人間関係を取り持ったり、繋いでいくような意味でのケアを考えていきたい。もちろん一人だけでいられる場所も大事だと思っていて、無理に人と繋がる必要はない。それに繋がる実践が、まちの中に居場所を整えていくことだと思います。どのコミュニティも、どうしたって万人に開かれた状態になることは難しく、しばらくすると内輪のノリが生まれるなど、受け入れられる人と受け入れられない人が生まれてしまうと思います。それであれば、それぞれの人がその時々で居心地の良いコミュニティを選択できるように、選択肢を増やしていくことが重要かなと思っていて。選択肢になるような場を、これからも増やしていきたいと考えています。

また、ケアでいうと政治学者のジョアン・C・トロントは『ケアするのは誰か?』(2020年、白澤社)において、ケアはその行為・実践だけでなく、ケアが受け取られることで初めて成立するとしています。その意味で、空き家を発掘・改修・活用することは、「建築をケアする」という建築を通じたケアの実践と言えます。建築の基本的な機能が「人の生存のためのシェルター」ということを考えると、建築そのものが1つのケアする形と捉えることができます。その建築を再生=ケアすることで、再び地域の関係をつなぎ、育む、まちの拠り所になるのではないかと思います。私が建築・まちづくりに関わっている理由はそこなんじゃないかなと、改めていま考えています。

新たな取り組みである空き家ツアーでまちなかを回る

この場所はまだ始まったばかりだ。まちにとってまず「場がある」ということは重要なことだが、その場所自体が根付き、育ち、地域における機能として熟成されていくことで、本当に地域課題を解決する欠かせない存在になっていくだろう。

これからの社会において、まちそれ自体が「人々をケアし、その人々の活動によりまちがケアされる」というケアの考え方は一層大切になると感じる。「三-Me.」の成長とともに、そんな哲学を持った佐藤さんの今後の活躍にも期待したい。

 

佐藤芳和
1989年三条市生まれ。建築家
燕三条空き家活用プロジェクト理事、,and Sato Architects主宰、三条市地域おこし協力隊。
工学院大学卒業後、藤村龍至建築設計事務所(現RFA)にて、住宅のリノベーションや公共建築等の設計のほか、書籍編集や公共空間を活用した都市再生事業などを担当し、2021年に独立。2022年にUターンし、燕三条を拠点に建築設計の他、空き家・店舗を活用した官民連携による都市再生に取り組む。

 

取材・文:大沼芙実子
編集:さとうもね