よりよい未来の話をしよう

春ねむりさんが音楽をする理由。言葉と叫びで伝える「生きること」

1995年生まれ、横浜出身のミュージシャン、春ねむり。自身で作詞、作曲、編曲を手がけ、音楽的にも思想的にもさまざまな文脈が感じられる楽曲を生み出しながら、2023年には北米、ヨーロッパ、アジアを回るツアーを開催するなど、国内のみならず世界中で注目を集めている。

歌で、語りで、叫びで、強く訴えかけてくるような切実なメッセージを放つ彼女の楽曲とパフォーマンスは、ままならさを感じて生きている人々にとって、あるいはままならなさの正体に気づく前の人々にとって、その道を照らす光になるのではないか。

「あなたを離さないで」
裏砂漠でのパフォーマンス映像

今回のインタビューでは、彼女が音楽を通した表現に出会う前のことや、自身が感じる葛藤や怒りを社会的なイシューと結びつけて考えるようになったきっかけ、いま、音楽をする背景で考えていることや、目指したい世界像について伺った。記事の最後では、この世界を生きる人びとへの「祈り」が感じられるメッセージを届けてくれた。

自分のための音楽が、過去の自分と同じ境遇の人に届いたら

春ねむりさんは、過去のインタビューで学生時代の「しんどさ」が今の表現につながっているとお話しされています。そのしんどさとはどのようなものだったのでしょう。

学生時代は、自分でも無意識のうちに周囲から求められる「いい子」を演じていたように思います。学校って監視されて支配されるような側面があるじゃないですか。私は本質的にそれがすごく向いていないのだけど、向いていないことに気づかずに順応できる自分を生み出してしまったんですよね。だから、自分は順応していると思い込んだまま、「やりたくない」とか「学校に行きたくない」とか、そういうことを両親や先生に伝えられずに、自分の正直な気持ちに蓋をして過ごしていたのがしんどかったのだと思います。

学校ではちょっと勉強ができたので優等生として扱われるし、家でも長女なのでお姉ちゃんとして扱われて、今考えると私自身もその像に当てはまるように振る舞っていました。ずっとなにがこんなにしんどいんだろうなと思っていたんですけど、大人になって、それが自分を苦しめていたのだと気がつきましたね。

気づきのきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

大学生になって本格的に音楽をやるようになり、曲を作る過程で自分を見つめ直したのがきっかけの1つだったと思います。あとは大学が文学部の倫理学専攻だったので、いろいろな理論や哲学を学んだり、社会構造について考えたりしたのも気づきのきっかけになりました。

構造を見直して解体を試みるような「脱構築」のコンセプトは楽曲でも表現されていますね。こうした春ねむりさんの表現は多感な時期を過ごす思春期の人にも深く刺さるのではないかと思うのですが、春ねむりさんご自身も学生にもっと聴いてほしいと考えていると伺いました。それはなぜですか?

学生に聴いてほしいという思いはあるのですが、根本的には自分のために音楽をやっているんですよ。自分がつらかったときや、その原因に気づくきっかけがないまま感情に蓋をして生きていたときに「こういう音楽があったら救われたな」と思える音楽をやりたいと思っていて。でも、そのときの私に対して今の私がしてあげられることってなにもないんですよね。だから、過去の自分に聴かせてあげたかった音楽を、当時の私と同じような状況の人たちが聴いてくれて、いいなと思ってくれたら救いがあると考えています。

「Déconstruction」
タイトルは「脱構築」を意味する

直接的には過去の自分のためにやっている音楽が、間接的には過去の自分と同じような境遇にある誰かのためになるかもしれないということですね。

そうなったらいいなと思います。私は音楽に救われたと思っているけれど、その恩を音楽そのものに返すことってできない。自分ができることをやって誰かがそれに救われたと思う瞬間をつくることでしか、自分がもらった借りを返せないんですよね。だから、自分が受け取ったものを次の人や次の世代に渡していく。哲学でも「贈与論」にこのような考え方があるのですが、自分がやっていることはそういうことだと思います。

個人的なことだと思っていた怒りも社会とつながっている

今のお話にあった哲学の理論のほかにも、春ねむりさんの楽曲にはさまざまな文脈が流れていて、それが社会と接続しているように感じます。

2018年にリリースした1stフルアルバム『春と修羅』までは、私自身の世界が結構閉じていて、あまり社会とつながっていなかったと思います。でも次になにを作ろうかなと考えたときに、今まで疑問に感じてたことを1つずつ紐解いていったら段々と社会とつながっていったんですよね。

私はもともと、自分の感情に目を向けるのが苦手で「とりあえず曲にし始めたけどなにについて歌ってるんだろう?」と自分でも分からないことがありました。曲を作るという行為を通じて、私はこれが不満なんだとか、これは悲しいんだとか、今怒ってるんだな、みたいなことが、後からやっと分かるみたいな。そうしていくうちに「すごく個人的なことだと思っていたことが社会とつながってるんだ」と考えられるようになりました。

楽曲制作が自分自身のカウンセリングのような時間だったのでしょうか。

そうですね。自分の感情に蓋をして思ったことを口に出す訓練をずっとしてこなかったから、鈍感になっていたんですよね。音楽を作ることがそこから回復する過程になったのかなと思います。

春ねむりさんの楽曲にはフェミニズムの文脈が感じられるものもあります。SNSのプロフィールには「RIOT GRRRL」(※1)という記載がありますが、春ねむりさんはどのようにフェミニズムと出会ったのですか?

もともと自分が感じてきたことが社会の問題とつながってるかも、と考えたとき、最初にすごく納得したのが反資本主義とアナキズム(※2)でした。そんななかフェミニズムに出会って、現実的な考え方だと思ったのが始まりでした。

2ndフルアルバム『春火燎原』収録の「シスター with Sisters」

近年、日本でもフェミニズムが広がっていると思うのですが、一方で、捉え方もさまざまで反動も多いと感じます。

フェミニストを揶揄する人や論破しようとする人がいますが、理解できないことが多いですね。なぜそういうことをするのか、そうさせる要因は何なのか、1人1人に尋ねてみたいと思うけど、それは現実的でないですよね。

たとえばジェンダーギャップは今たしかにあるのだけど、ないことにしたい人や目を逸らしたい人が、そういう揶揄するようなことを仰っていると感じていて。だから、あなたにそう思わせている原因をあなた自身が突き止めたほうがいい、それは多分あなたのためにもなる、という気持ちでいます。きっと、なにかしらの要因がその人の周りにあるんだろうなと思っています。

前半のお話でも、今のお話でも、また楽曲を聴いていても、個人的な問題意識から始める、というスタンスが感じられますね。最初からみんなを救おうとしてるわけではないというか。

そうかもしれないですね。人間にはそのやり方が向いていると思います。やっぱり自分を出発点にせずにみんなを救おうと思うと、宗教やスピリチュアルのような超人的な概念に頼らざるを得ない気がして。超人的なものに救われる人がいるのはそれでいいですけど、具体的な社会課題を解決しようというときにはやっぱり自分ごとから始めるのが1番いいように思います。

※1 用語:1990年代初頭のアメリカで始まったムーブメント。音楽シーンでのセクシズムやライブ会場での暴行事件などをきっかけに、音楽、ファンジン、アートといったクリエイティブを通じてフェミニズムを広げていった。
※2 用語:主に無政府主義と訳される。政治的、社会的権力を否定して、諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想。広義では支配がないことを理想とする考え方。

生きるために、感情の蓋をコントロールする

春ねむりさんは、ご自身の加害性やマッチョイズムにも自覚的であろうとされているように感じるのですが、目を逸らしたくなるような部分をも見つめる背景にはどんな考えがあるのでしょう。

自分のために音楽をやっているという話は最初にもしましたが、私は主観的な感情がすごく強いタイプだと思います。自分のことしか考えられないし、加害欲が強くてたまに自分の暴力性に引いてしまうくらい。だから自覚的でいないと本当に取り返しのつかないことをしてしまうかもしれないという恐れがあります。

それは日常のなかで感じますか?それとも制作中やパフォーマンス中に感じるのでしょうか。

日常生活で感じるかもしれないですね。今日も新宿駅を歩いていて、あまりにも人の動きが乱数すぎて叫びそうになりました。ギリギリ叫ばずにいられたけど6年ぐらい前だったら叫んでたかもしれない(笑)。

しかも叫ぶ目的が、感情を発散させたいというよりこの苛立ちを誰かにぶつけたいというほうにフォーカスしてるんですよね。暴力を人に向けてしまったときの記憶や失敗した経験の積み重ねからそのことを自覚できるようになって、自律しないと社会で生きられないと思うようになりました。

以前別のインタビューで集団の話になったとき、私が集団に耐えられないというより集団が私に耐えられない、という話をしたんですけど、本当にそう思ってるんですよね。定住すると周囲の環境が破壊されてしまう(笑)。あとは単純に人間があまり好きじゃなくて、定住すること、所属すること、他者との関係を固定させることが苦手というのもあります。

春ねむりさんの生き延び方について、さらに伺いたいです。さまざまな情報や価値観が行き交う現代社会で、春ねむりさんが意識していることはありますか?

感情の蓋の開け閉めをコントロールすることでしょうか。ずっと感情に蓋をして生きてきたけど、それに気づいて蓋を開けてみたら、今度は感情に敏感になって辛くなってしまったんですよね。それから意識的に蓋の開け閉めをコントロールして生活しようと思うようになりました。

音楽をやっている最中、ライブ中や曲を作っている間は、蓋を開けたままでも大丈夫なんですよ。でもそれ以外は開けっぱなしだと辛くて到底生きていけないから、意識して蓋を閉めています。以前リハーサルのときに感情の蓋が開いていて、自分の楽曲に自分で食らって号泣してしまい、リハにならなかったことがありました(笑)。

たとえばSNSで情報を受け取るときも、うっかり蓋が開いていると感情の波がとんでもないことになってしまうんですよね。だからSNSを見るときは、蓋を閉じるようにしています。境界線を引くみたいなことにも似ているかもしれないですね。情報は情報として受け取るけれども、自分の感情とそこにあるものには線を引くようにする。全然できないときもあるのですが、そうやってなるべくコントロールしようとしています。

たしかに、感受性が剥き出しすぎると辛いですし、それをコントロールするにもエネルギーが必要ですよね。

必要だと思う。だから、みんなどうやって生きてるのかなって思います。自分の調子がすごくいいときのライブはコントロールが上手くできるので、演奏する自分とそれを俯瞰(ふかん)する自分がいて、集中できるんですけどね。自分もある種、観客であって、無我の境地じゃないけど、そこにある感情とだけ対峙できるみたいな感覚になれるといいライブができているなと思います。

あなたに生きていてほしいと願って音楽をやっている

春ねむりさんの楽曲やパフォーマンスには願いや祈りも感じられます。実現したいと思う世界像があったら教えてください。

あらゆる差別がなくて、あらゆる格差がなくて、全員が合意形成することによって運用される社会が理想ですよね。それを目指すべきだと思っています。小さなことでいったらなんだろう…全員週休3日になってほしいかな。みんな働きすぎてると思うので。

あとは教育にアクセスしやすいようになってほしいと思います。私が社会の問題と対峙したとき、ある程度整理して、言語化して、人に伝えることができるのって、自分が受けてきた教育のおかげだと思うんですよね。今はそれが特権的だとも思うので、特権的でない世界になるといいな。みんなが容易に教育にアクセスできる世界のほうが望ましいし、そのほうが芸術も絶対面白くなると思う。

ありがとうございます。最後に、生きづらさを抱える人や春ねむりさんの音楽を必要としている人に対して、メッセージがあったら教えてください。

自分の音楽は万人受けするものではないと思っていて、それは大人にとっても若い世代にとっても、多分、世界で5%とか10%くらいの人だけが必要とするような音楽だと思っているんですよ。だから、みんなに必要なものではないと思うけど、必要だと感じてくれる人には届いたらいいなと思います。…私の音楽、聴いてほしいけど、私の音楽が必要ない人生のほうが幸せだと思う(笑)。

でも、この世が地獄だから、自分はこの世の地獄を変えるために、いち大人として、いち市民として、できることをやってきたと思うし、これからもやっていきたいですね。そうはいっても世界を一夜にして変えてしまうことはできないので、地獄のなかで生きていてほしいって思うことはエゴだとも思うけど、それでもやっぱり生きていてほしい。

あなたに生きていてほしいと思って音楽をやってる人がいるということが伝わったら嬉しいし、頼むから死ぬ前に1回思い出してほしい。生きていてほしいと思われてるってことを思い出してほしい。それが多分私の音楽で、それが、私が持ちうる最大限の誠実さだと思います。

 
「生きる」のMV
谷川俊太郎の詩「生きる」の一部が朗読で引用されている

 

 

 

取材・文:日比楽那
編集:篠ゆりえ
写真:あさのりな