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映画『市子』 杉咲花インタビュー  「わからなさ」と過ごし、他者を想像し続ける

2023年12月8日(金)、満を持して全国公開となる映画『市子』。本作は、戸田彬弘監督が主宰する劇団「チーズtheater」の旗揚げ公演で上演した「川辺市子のために」を、自ら映画化したものだ。謎に包まれた女性・市子を取り巻く人々の証言から市子という存在を浮かび上がらせる演劇に対し、映画版となる本作は、市子を直接的に描写することで新しい表現に挑戦している。その中心にいるのが、主人公・市子を演じた俳優、杉咲花。本作は「精魂尽き果てるまで心血を注いだ」と吐露する杉咲花の、2020年代における新たな代表作となった。「あしたメディア」では、そんな杉咲花に単独インタビューを行った。彼女が、市子という複雑なキャラクターにどう対峙し、どう表現したのかを、映画解説者・中井圭が深く掘り下げる。

『市子』
恋人の長谷川からプロポーズを受けた翌日、川辺市子は姿を消した。彼女を探して刑事と長谷川が過去に市子と関係があった人々から話を聞くにつれて、思いもよらなかった市子の実像が浮かび上がる。彼女はどうして幸せの絶頂で長谷川の前から姿を消したのか。市子とはいったい何者なのか——

出演:
杉咲 花
若葉竜也
森永悠希、倉 悠貴、中田青渚、石川瑠華
大浦千佳、渡辺大知、宇野祥平、中村ゆり

監督:戸田彬弘 原作:戯曲「川辺市子のために」(戸田彬弘)
脚本:上村奈帆 戸田彬弘 音楽:茂野雅道
エグゼクティブプロデューサー:小西啓介 King-Guu 大和田廣樹 小池唯一
プロデューサー:亀山暢央
撮影:春木康輔 照明:大久保礼司 録音・整音:吉方淳二 美術:塩川節子
衣装:渡辺彩乃 ヘア&メイク:宮本愛(yosine.)スタイリスト:𠮷田達哉
編集:戸田彬弘 キャスティング:おおずさわこ 助監督:平波 亘
ラインプロデューサー:深澤 知 制作担当:濱本敏治 スチール:柴崎まどか
制作:basil 制作協力:チーズfilm 製作幹事・配給:ハピネットファントム・スタジオ

12月8日(金) テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
©2023 映画「市子」製作委員会

作品を拝見して、杉咲さんの新たな代表作になったと感じました。演じられたご自身の手応えはどうでしたか。

本作との出会いは、自分にとってターニングポイントになった気がしています。市子を演じる中で、想像もできなかったような境地にたどり着いた感覚や、市子という役に限りなく接近できたような瞬間がありました。たとえば、冒頭、市子が婚姻届をもらうシーンや中盤の渡辺大知さんとのシーンは、特に記憶に残っています。

普段は、台本に書かれている表現をちゃんとできるだろうかという緊張感や、「こういう表現になるのかな」とイメージが湧いたものを再現しようとするなど、演じ手としての余計な欲が出てきてしまう感覚に襲われることがあります。毎度、そういった欲をそぎ落としたい気持ちとのせめぎ合いなのですが、この作品ではまさにそんなフィルターが外れた瞬間に出会うことができました。

この映画の脚本を読んだとき、心に響いて「どうしても市子を演じたい」と思ったそうですが、それは何故でしょうか。

尊厳の守られない環境を生きてきた市子に夢ができることや「明日もこの人と一緒にいたい」という気持ちが芽生えることによって伴う張り裂けそうな痛みは、言葉にできないものだと想像して。そんな市子の生き様に目を離すことができず、涙が出てしまったんです。そしてそれは感動や同情からくるものではなくて、どうしようもなく何かが突き動かされてしまうような感覚でした。

杉咲さんが演じた市子というキャラクターは、とても複雑です。市子というキャラクターを正確に理解しようとすればするほど、度の合わないメガネをかけてしまったような感覚に陥って、認識が追いつきませんでした。杉咲さんは演じる際に、この複雑な市子というキャラクターの全容を正確に捉えられていた、という実感があったのでしょうか

正確に捉えられていたかは、自分でもわからなくて。現場でも「こんな感覚でカメラの前に立っていて良いのだろうか」と思ってしまう瞬間や、体から市子が離れていくと感じる瞬間が何度かありました。しかし、その「わからなさ」こそが、私が市子を感じられるよすがだったのかもしれないなとも今は思っています。

俯瞰でキャラクターを正確に捉えたというよりも、その瞬間を市子として生きた実感がある、ということですよね。

役を理解するという意味では、(本作の)戸田彬弘監督とのコミュニケーションを通してすり合わせていく感覚が大きかったです。たとえば、市子が「花は水あげへんと枯れるから好き」という台詞をなぜ言うのだろう、とか。印象的で心に残る台詞が多かったんです。

戸田監督は、私のひとつの質問に対して10個くらいの回答をくださる方なのですが、決して役の心境をひとつに断定しない方で、あくまで他者として想像し続ける姿に、大きなヒントをいただきました。

©2023 映画「市子」製作委員会

物語が展開し、状況が変わるにつれて、市子から底の見えない魔性のようなものを感じました。その魔性のようなものは、彼女自身が生み出したものか、彼女を取り巻く社会が生み出したものなのか。そもそも、それは魔性なのでしょうか。杉咲さんから見た、市子の魔性について教えてください。

自身の環境が彼女の魔性を生み出したのかというと、違うのではないかなと私は考えています。もちろん、育ち、触れてきた周囲の人間の考えや佇まいが彼女に影響する部分はあったと思いますし、複合的な理由と言われてしまえばそれまでなのですが、(魔性は)彼女の本質なのではないかと。

それを踏まえて、市子が本質的に持っている魔性を演技面で意識していましたか。

そこは、あまり考えすぎないように演じていました。たとえば、ラストシーンもそうですが、いくつか選択肢があるなかから何かを選んだのではなく、彼女にはそれだけが残っていたのではないかと思っていて。市子を演じるにあたって、彼女の背景にある「選びようがない」という感覚を、自分の中に落とし込みたいと思っていました。市子は、作為を持った人ではない気がしているんですよね。

鼻歌といえば、劇中辛くて悲しいシーンで、市子はのんびりとした調子の鼻歌を歌います。この鼻歌は元々、市子の母親が歌っていたものです。鼻歌が出るときの市子は、どういう心情だったと考えていますか。

市子が無意識のうちに母を求めるときに出るものが鼻歌なのではないかと思います。この映画の中では「虹」が印象的に描かれているのですが、市子にとってのそれは平和を象徴するものであり、渇望しているものな気がします。

終盤のお祭りのシーンもそうですが、本作で、市子が自分の名前を名乗る時の嬉しそうな瞬間がとても印象的でした。そこでぼくが感じたのは、自分の名前はアイデンティティだということです。杉咲さん自身は、名前というものをどう考えているのでしょうか。

個人間で名が付けられ、他者に共有されていくものとして、その行為に尊さを感じるからこそ、私にとっては心に刻まれたお守りのような存在です。そして社会においては、他者に自分の存在を表すひとつの重要なアイデンティティという認識があるので、通称名なども含めたそれぞれの望みを尊重したい気持ちがあります。 他者の名前を誤って認識したり、呼んでしまうことは避けたいです。

本作では、名前にはじまり、言葉に対するこだわりのようなものを端々から感じていましたが、その中でも市子は劇中「好き」という言葉を印象的に多用します。市子は「好き」という言葉を使うことをどう考えていたと解釈していますか。

「好き」と言葉にすることで(それを発した)自分の中でも、ある種“自分はそれが本当に好きである”ことの再確認になる気がしていて。だからこそ、心に残る言葉だと思いますし、他者にとっても何かが響く、密度のある言葉だと感じます。市子が自覚的にその感覚を持っていたかは分からないのですが、重ねられた「好き」という言葉が、市子という人間の存在を他者の中に残していったのかもしれませんね。

©2023 映画「市子」製作委員会

『市子』は今年度を代表する日本映画の一本になっていると思うし、杉咲さんは間違いなく何かしらの俳優賞を獲ると確信しています。以前、杉咲さんが出演した中野量太監督の『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016)以来の凄い作品になっていて、杉咲さんにとって重要な作品だと感じました。それを踏まえて、少し昔の話になりますが、以前、中野量太監督にお話を伺った際に「見せるじゃなくて見える」ことが演技において重要だとおっしゃっていました。個人的にその話は、杉咲さんにとっても重要な示唆だったんじゃないかと思っています。あれから月日が流れて「見せるのではなく見える」ことを意識した演技をされるようになってから、ご自身として感じていることがあれば教えてください。

自分の中でその感覚がないと、もうカメラの前には立てなくなりました。今回の『市子』でも、(自分が演じていない)市子の幼少期のシーンがありましたが、ほとんどの現場にお邪魔させてもらって参考にしました。それから、お声がけをいただいて、ロケハン(撮影する場所探し)にも同行させてもらいました。それが演技に直接作用するものではないのかもしれないけれど、市子が過ごした記憶として焼き付けることで、彼女の呼吸や手触りを自分の中に落とし込めていけたら良いな、という感覚がありました。そのような、目に映らないものほど、自分の中で大事にしていきたい気持ちがあります。そういった部分に重要性を抱くことの豊さを教えてくださった中野量太監督には、心から感謝をしています。

この映画で、市子は法律や制度の不備によって不可抗力的に社会の狭間に取りこぼされてしまいます。そういう存在を演じたことで、杉咲さん自身が社会に対して改めて考えたことはありますか。

自分とは違う環境を生きる方々に対して、人は自分の物差しでいろんなことを思い、口にすることがあると思います。たとえば「大変そう」とか「かわいそう」とか、そういった言葉で他者を定義して形容しがちだなと。けれど、劇中、(中村ゆり演じる、市子の母)なつみのセリフで「幸せな時期もあった」とあるように、どんな環境を生きていたとしても、外側にいる自分たちには決してわからないことがあるということを、改めて考えさせられましたし、その上でどれだけ他者と関わっていけるのだろうということを突きつけられるような気持ちになりました。

また、私自身、市子に近しい境遇の方が実際にいることを恥ずかしながら初めて学びました。そしてそれを知らずに今日まで自分が生きてこられたことについて、考えさせられました。だからこそ、この役を演じ終え、映画が巣立っていったからと区切りをつけるのではなく、考え続けていきたいですし、観てくださった方々にとっても、この映画が議論のひとつになったら嬉しいです。

筆者が投じた抽象的で難しい質問にも、答えを曖昧にして逃げることなく、熟考して誠実に言葉を返す杉咲花さん。そして自身の演じた市子を勝手に断定することなく、他者として想像する姿勢を保った真摯な姿勢から感じるのは、本作の撮影にあたって、市子というキャラクターとどれだけ向き合ってきたかという覚悟の質と量だ。この映画を観たらわかるが、彼女の簡単な演技はひとつもない。そうやって極限まで苦悩しながらも市子という難役を演じきった成果は、映画館で確認して欲しい。きっと新しい杉咲花に出会えるはずだ。


取材・文:中井圭
写真:熊谷直子